第9話 少女の味覚と男の視線
昼下がりの《黄昏燕》は、柔らかな陽光に包まれ、穏やかな空気が漂っていた。夜の賑わいとは異なり、今はカフェとして静かに営業している。
客層も冒険者に限らず、近隣の商人や連れ立つ老夫婦、年頃の少女たちのグループなど幅広く、その明るい笑い声が店内に軽やかな彩りを添えていた。
「……思ったより、落ち着いたところなのね」
ジュリアは周囲を見渡しながら言った。壁際に座る老婦人がティーカップを傾けているのが見えると、少しだけ背筋を伸ばした。
「俺も昼に来るのは久しぶりだ。夜は顔馴染みもいるが……カフェタイムは、男一人じゃ、ちょっと……な」
シモンはそう言って、肩をすくめる。アルコールの入った賑やかさとの違いに、どこかくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
ほどなくして、明るい髪の少女が、木製のメニューと香草を浮かべた涼やかな水の入ったグラスを手に、テーブルへと現れた。
制服に身を包み、笑顔を崩さずに接客をこなす様子は、この店にすっかり馴染んでいることを物語っている。
置かれたグラスから、ひんやりとした気配と、清涼感のある香りがふわりと広がる。
シモンはふと目を細め、その香りを静かに味わった。──今日の香草はミントのようだ。
ジュリアは短く礼を述べると、興味深げにメニューへ目を落とし、その内容を一つひとつ確認し始めた。
「……この、“季節のタルト”って、どんな果実が使われているのかしら」
「今の季節は、柑橘とベリーが中心です。タルト生地はナッツ入りで、甘さは控えめです」
即座に答える店員に、ジュリアはわずかに目を見張る。
「ふぅん……案外、しっかりとしてるのね。じゃあ……ミルクティーのハーブ入りって書いてあるけど、どんな香り?」
「今日はレモングラスとカモミールです」
スムーズな応対に、ジュリアの表情は満足げな色を浮かべた。
「じゃあ……このグリル……野菜とお肉のもの。それと、食後に果実のタルトと、カモミールのミルクティーを」
視線だけ動かして、隣のシモンに問いかける。
「あなたは?」
「ああ、俺も同じグリルを、それとパンをひとつ。食後にコーヒーを頼む」
「かしこまりました」
注文を受けた少女は、丁寧に会釈してからメニューを下げ、静かに立ち去った。
「ねぇ……ギルドって、いつもあんな感じなの?」
ふと漏れたジュリアの問いに、シモンはグラスを傾けながら軽く頷いた。
「まあな。あれでも静かな方だ。賑わう時間帯は、もっと騒がしくなる」
ジュリアの表情に気後れは見られなかったが、どこか肩に力が入っている。シモンはその微かな緊張を察した。
「……気のいい連中ばかりだよ。しばらくすれば、自然と馴染めるさ」
「……そう、ね」
ジュリアは短く応じたものの、視線はどこか遠くを見つめていた。自身が、あのざっくばらんな輪の中に加わる未来を思い描こうとしているのだろうか。
そのまま、少しの間、黙って考え込むような沈黙が流れた。
暫くして、料理を乗せた木盆を抱え、先ほどと別の少女がテーブルへと現れた。
ミディアムボブの黒髪に小柄な体躯の少女。黒縁の眼鏡に端正な顔立ち。彼女の歩みはまるで足音一つ立てず、滑るようだった。
(……八咫の民、か)
シモンが目を細めるまでもなく、その気配と所作でそれと分かる。
少女は無駄のない所作で、静かに料理を配膳していく。木製のプレートには、香ばしく焼き上げられた肉と、色とりどりの野菜が丁寧に盛りつけられ、ひと目で食欲をそそる仕上がりだった。
その瞬間――
重心が微かに前へ傾いた彼女のシャツの前面が、わずかに揺れた。
(……むっ)
シモンの視線が吸い寄せられた。エプロン越しでも分かる、堂々たる存在感。
その刹那、シモンの脳裏に今朝の記憶が重なった。
(……ミーナ……だったか)
アーデルシア家のメイド。初対面の衝撃は今も忘れがたい。あの跳ねるような動きとともに主張していた、大きな双丘。
シモンは静かに比較した。
(甲乙つけ難いが……僅差でミーナか)
「……さっきから、どこを見てるのかしら?」
冷たい声が横から刺さった。
「ん?……ああ、八咫の子ってたまに見かけるだろ? 珍しくはないけど、その……ほら、なんとなく……な」
「…………」
ジュリアは無言という名の氷の刃で切りつけた。だがシモンは、素知らぬ顔でそれをやり過ごし、湯気の上がるグリルに視線を移す。
料理を置き終えた少女は、何も言わず、ただ一礼してその場を離れた。所作は静かで、表情は凪いでいた。
(やはり、八咫の民……か)
香ばしい香りとともに、シモンはふと遠い南の国を思い浮かべたが、今は忘れることにした。
温かいうちに、とシモンはフォークを手に取る。
外は香ばしく、中はしっとりと焼き上げられた肉は、噛むたびにじんわりと旨味をにじませた。彩り豊かな野菜も、丁寧に火が通されており、それぞれの食感と甘みが引き立てられている。
「……ん。悪くないわね」
ジュリアも手を止めずに食べ進めている。言葉こそ控えめだったが、皿の上がみるみるうちに片付いていく様子が、その満足度を物語っていた。
やがて二人がナプキンを畳み終えたころ、再び先ほどの少女が姿を現した。
今度は、果実をふんだんにあしらったタルトと、湯気を立てるミルクティー、それにコーヒーが載った盆を手にしている。
タルトが置かれた瞬間、柑橘とハーブが織りなす甘やかで爽やかな香りが、ふわりと鼻先をくすぐった。ジュリアはその香りに誘われ、瞳を輝かせた。
「……ふぅん。ようやく、本番ね」
シモンは吹き出しかけるのを堪えつつ、彼女の向かいでゆっくりとカップを手に取った。




