第8話 お嬢様の第一歩
郊外には、政と社交の中心となる貴族街とは別に、引退した貴族たちが身を静めるための隠棲街がある。その隠棲街の一角にあるテラノス邸を後にして、二人はワイアースの街へと続く石畳を並んで歩いていた。
「昨日は、お疲れ様」
ふいに声をかけたシモンに、ジュリアは少しだけ顎を引いて横目で見上げる。
「べ、別に……引き分けだったでしょ」
強気な言葉とは裏腹に、目の奥はわずかに揺れていた。
その横顔を、シモンはちらっと見やって、小さく笑った。余裕を感じさせる、柔らかな微笑。
「まだ身体、苦しいか?」
「……ちょっとだけ」
「無理すんなよ。若いのは回復は早いが、油断は禁物だ。辛くなったら言えよ」
シモンは軽口を言いながら、ジュリアの足取りや顔色に目を配っていた。
ジュリアは視線だけをシモンに送り、しばし沈黙のあと口を開いた。
「ねえ……あなた、どうしてDランクなの? 昨日の実力、どう見てもその程度じゃなかった」
シモンは数瞬だけ自問した。
「俺には、それ以上必要ないからな」
あっさりとした答えに、ジュリアは眉をひそめた。
「どういう意味? もったいないじゃない……」
ジュリアの言葉に答えず、代わりにシモンが問い返す。
「じゃあ、お前はなぜ強くなりたい?」
「それは……」
言いかけて、唇を閉ざす。視線をわずかに逸らした。
シモンは少しだけ待ったが、答えを促すことはせず、その場の空気を察した。
「まっ、言いたくなった時に教えてくれよ」
ジュリアは少し迷った末に、小さくこくんと頷いた。会話はそれで途切れたが、不思議と気まずさはなかった。
そして、太陽が真上に来る前に、ワイアースの街に到着していた。
昼前に冒険者ギルドに到着した二人だったが、思いのほか静かだった。依頼に出払った冒険者たちの不在もあり、いつもの騒がしさはまだ戻っていない。
とはいえ、カウンター周りには受付嬢たちの明るい声が響き、壁の掲示板には新しい依頼がいくつか貼られている。
「あっ、シモンさん! それに……」
受付嬢のエリスが一番に気づき、カウンターから身を乗り出した。リリーもそれに続く。
ジュリアは軽く一歩前に出ると、たおやかに腰を折り、完璧な礼儀作法で一礼した。
「ジュリア・アーデルシアでございます。本日は、ギルドにお伺いさせていただきました。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
「な、なんて優雅な……!」
リリーが感嘆の声をあげる傍らで、エリスはシモンの隣に立つ少女を見た瞬間、凛とした雰囲気に圧倒されて、思わず背筋を正していた。
陽光をふわりと受けるプラチナブロンドの髪、琥珀の瞳に宿る気高さ、所作のひとつひとつに漂う上品な空気。佇まいだけで“高貴”という言葉が浮かんでくる。
おまけに、そのお嬢様がシモンのすぐ隣に立っている。
近すぎず、遠すぎない、自然な距離感。時折ジュリアから向けられる視線に、シモンが笑みを返している。二人の関係は分からないが、誰が見ても親密なのはすぐに分かった。
エリスは、現実を置き去りにしたような顔で固まったかと思うと、次の瞬間に表情を紅くしたかと思えば、うっとりとした顔に変えながら、身振り手振りだけの一人芝居を始めた。やがて動きを止め、天井を仰いで長く息を吐く。
「エリス、魂抜けてるよ」
「ひゃっ……!? な、なに、なにっ!」
リリーに突っ込まれ、慌てて姿勢を正すエリス。
そんな様子に苦笑しかけたシモンだったが、ギルドの入り口から、重い足音が近づいてきたことで視線を転じた。
「おいおい、なに騒いでるんだ。お前ら、仕事中だぞ」
スキンヘッドに髭、そして圧のある巨躯。ギルドマスター、ダンカンだ。
騒ぎの中心にいるシモンと少女を目にとめると、腕を組んで見定める。
「おぉ、これは例のお嬢様か。なるほど……上物だな」
「……褒め言葉と受け取っておきますわ」
ダンカンの軽口にジュリアが冷ややかに返すと、ダンカンは鼻で笑ってみせた。
「シモン、お前さん変なこと吹き込んでないだろうな」
「変なことってなんだよ」
シモンが低く言い、軽く睨む。
ダンカンはニヤリと笑い、無言でシモンの顔を見たあと、それからジュリアに視線を向ける。
「この男は、頼れるぞ。信用していい」
先ほどとは打って変わった、短いが重みのある真摯な言葉だった。
ジュリアはぴくりと反応し、背筋を正して、小さく、真剣に頷いた。
すると――
「マスター、お戻りですか。ちょうどよかった」
パンッパンッと明るい音が響き、カリナが手を叩きながら二階から降りてくる。
「はいはい、エリス、リリー。立ち話はそのくらいに。もうすぐ昼のラッシュよ」
「は、はいっ」
リリーがすばやく応じ、エリスもあわてて仕事に戻る。
その隣で、余裕の笑みを浮かべていたダンカンに、カリナが容赦なく言い放つ。
「何を笑っているのですか、マスター。あなたも書類、溜まってますから」
「……へいへい」
ギルド内が少しずつ賑やかになっていく。冒険者たちが戻り始め、空気に活気が戻りつつあった。
「じゃあな、ダンカン。改めて報告に来る」
「おう、ある程度まとまってから来てくれ」
ぞんざいに手を振るダンカン。その様子に、シモンは肩をすくめて笑った。
「カリナ、これから世話になるジュリア・アーデルシア嬢だ。よろしく頼む」
「ええ、承知しました。ジュリア様、どうぞ、よろしくお願いします」
カリナは小さく頷くと、ジュリアに向き直り、丁寧にお辞儀をした。
「ダンカン様、カリナ様、ジュリア・アーデルシアでございます。改めて、よろしくお願いします。それと、冒険者として活動する際は、貴族ではありませんので、皆様と分け隔てなく接していただけますと、幸いに存じます」
ジュリアは、まっすぐに背筋を伸ばし、無駄のない所作で美しく一礼した。
その仕草には、幼さを残しながらも確かな矜持が宿っていた。
澄んだ声で静かに言葉を重ねるその目には、曇りのない、新しい世界へ踏み出そうとする意志が映っている。
ダンカンとカリナは軽く目を合わせると、僅かに口元を緩ませた。
「こちらも普通で構わんぞ」
「はい。以後、そのようにさせていただきます」
二人の言葉に、ジュリアは小さく会釈で応える。
それを見届けると、シモンはジュリアに目を配り、カウンターにいるエリスとリリーに手を上げると、外へ向かった。
その横で、ジュリアが静かに一礼を残し、シモンの後を追うようにギルドを後にした。




