プロローグ 「風を待つ街」
はじめまして。
「アラサー冒険者のaimless odyssey」をご覧いただき、ありがとうございます。
本作は剣と魔法の世界で、若さを過ぎた冒険者が、
過去を捨て、当てのない旅路を歩む中で描かれる物語です。
ゆっくりとした歩みになりますが、
その旅路を見届けていただけましたら幸いです。
大陸南西に広がるエイル王国。
大陸全土を巻き込んだ大戦の爪痕もいまは過去となり、魔法工学と魔力鉱石の恩恵により、いち早く復興を遂げたこの国は、今や大陸有数の強国とされている。豊かな国力、広大な領土、そこそこの平和──そして、幾筋かの陰が蠢いていた。
エイル王国の南には、ステープ海へとつながる内海が穏やかに広がっている。
その東端に近い小さな海辺の町から、王国東部の玄関口──都市ワイアースへと続く街道を、一台の獣車が丘の坂道を登っていた。
「シモン、見えてきたぞ」
御者台から、肥満体型の中年男が振り返って声をかけてくる。
「ん〜……やっとか」
荷台で仰向けになっていた男──シモンが、のんびりと大きく伸びをひとつ。半ば寝起きの目で荷台の隙間から前方を覗き込むと、その先に広がる街の輪郭が見えた。
「ようやく……帰ってこられたか」
丘の中腹に差しかかる頃、ワイアースの重厚な城門と、高くそびえる城壁が、遠目にもはっきりと姿を現していた。
獣車の手綱を握る中年の商人マーシャルとは、街道の途中で出会った相手だった。
あれは、ほんの数日前のことだ。
その日、別の街で一仕事終えたシモンが、のんびりと徒歩でワイアースを目指していたときのこと。背後から、砂埃を巻き上げて迫る獣車の軋む音が、街道に重々しく響いた。
振り返ると、荷台を引くモンスター――大型魔獣ラドンが、肩で息をするような足取りで懸命に駆けてきた。エイル王国では獣車の引き手として広く飼われている大型の魔獣で、普段はのそのそと草を噛むようなのんびり屋だが、今はその面影すらなく、切羽詰まったような形相で地を蹴っていた。
そのすぐ背後では、四足歩行の魔獣──スラッシュバニーが血走った目で迫っていた。距離からして、もう間もなく追いつかれるだろうが、その前に自分に追いつくだろうと目算した。
(面倒事は、勘弁して貰いたいんだが……見て見ぬふりは出来ない……か)
内心でぼやきつつも、シモンは迷わず地を蹴り、今来た道を反対に駆け出した。
獣車とのすれ違いざま、御者台に座る男へと短く叫ぶ。
「そのまま駆け抜けろ!」
同時に剣を抜き放ち、追走してきた魔獣へと斬撃を見舞う。鋭く閃いた刃が、スラッシュバニーの額を斜めに裂いた。甲高い悲鳴をあげて、人間より大きな体躯の魔獣が立ち上がり、威嚇するように赤い目でシモンを睨みつけた。
だが、シモンは気にも留めない。それどころかスラッシュバニー相手に軽く笑いかけた。言葉の通じない魔獣に対する挑発だった。
挑発は正しく機能したらしく、スラッシュバニーは獰猛な吠え声あげ、シモンに襲い掛かる。
そこを待ってましたとばかりに振り下ろされる爪を紙一重で躱し、喉元めがけて剣を突き刺す。
スラッシュバニーがぐらりと揺らぎ、最後の抵抗とばかりに前脚を振りかぶる。
シモンは静かに息を吐き、半身をずらしてその動きをかわした。
そして──
致命傷を負ったスラッシュバニーの喉元へ、とどめの斬撃を打ち込み、喉奥に潜んでいた魔石を剣先で正確に穿ち、すばやく弾き出した。
肉体に別れを告げた魔石は、かすかに光を放ちながら、地面に落ちて小さく跳ねた。その直後、スラッシュバニーの身体は薄く発光し、肉体は魔素へと還っていく。霧のように漂う魔素が風に乗って空へ舞い上がり、十秒足らずで魔獣の痕跡は完全に消えた。地面には、淡く光る魔石ひとつだけが残された。
「……おまけは無しか」
周囲の魔力密度は低く、素材が残る兆しもなかった。
シモンは手早く魔石を拾い上げると、熱の引かぬ剣をひと振りしてから、静かに鞘へと納めた。
──マーシャルは空を仰ぎ、しみじみと呟く。
「──いやぁ、あの時ゃマジで肝が冷えたよ。シモンが現れなきゃ、スラッシュバニーの胃袋の中だったぜ」
マーシャルは、たっぷりとせり出た腹を撫でながら、おどけて見せた。
実際、あと一歩遅れていれば、今こうして話していることはなかっただろう。
だが、このご時世に護衛を雇わず単独で街道を走るとは、なかなかの剛胆さである。
「これに懲りたら護衛なしの単独行商はやめておくんだな」
呆れ混じりにそう言うと、マーシャルはふんと鼻を鳴らして笑った。
「へっへっへ! 分かっちゃいたんだけどな。こちとら、堅実に構えてチャンス逃すほど、商売下手じゃねぇんだ。急がなきゃ儲け話は誰かに取られちまうって寸法よ!」
気負うでもなく、楽天的でもない。
その言い回しには、年季の入った商売人らしさが滲んでいた。
先の長雨の影響で物資の流通が滞っていたこの街道。そこに目をつけたマーシャルは、他の商人を出し抜いて一足先に出発したものの、その代償として護衛の手配を省いてしまったらしい。
いくら街道が整備されているとはいえ、すぐ近くに魔物の生息地がある。はぐれ個体が餌を求めて街道に出てくるなど、珍しくもない。
護衛付きでの移動は、用心ではなく“最低限の自衛”だ。それを怠るのは無謀以外の何ものでもない。
「……チャンス、ねぇ……」
マーシャルの言葉を小さく反芻したが、シモンはそれ以上深く考えるのをやめた。
「まっ、ほどほどにな」
「おうよ。あんたに助けてもらったこの命、商売の元手として大事に使わせてもらうぜ。入用の時があったら、オレの店にも顔出してくれよな」
照れ隠しのような笑みを浮かべるマーシャルに、シモンは苦笑で応えた。
獣車の車輪が軋む音が、石混じりの街道に小さく響いていた。傾き始めた陽が、前方の道をやわらかな茜色に染めていく。遠くに見えるワイアースの城門が、ゆっくりと、しかし確かにその姿を大きくしていた。
マーシャルが隣で陽気に口を動かしていたが、シモンはほとんど耳を貸していなかった。
風に揺れる前髪の下で、静かに目を細め、視線を前方に向ける。
今回も生きて戻ってきた。
──その実感は、どこか空虚で、なぜか他人事のようだった。
だが、確かに街はそこにあった。
記憶の中の風景よりも少しだけ賑やかに、少しだけ色を増して。
荷台の脇に置かれた剣が、揺れる車体に合わせてカランと微かな音を立てた。シモンはその音に目をやると、小さく息を吐き、そっと目を閉じる。それは、過ぎた日々のすべてを静かに受け入れるような、重さのないため息だった。
しばしの沈黙──
やがて獣車は最後の坂を下り、風に背を押されるように、城門前の街道へと滑り込んでいった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この先、物語は少しずつ動き出していきます。
彼らの選択と、その先にある旅路を、
よろしければ引き続き見守っていただければ嬉しいです。
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