第二章
ふと眠気が薄れ、千咲はゆっくりと目を覚ます。
千咲は大きな木の根本で、膝を抱えて座り込むようにして眠っていた。
――変な夢を見た。
長岡天満宮に別世界へ通じる扉があるとかいう噂を確かめに行ったら、黒いスライムが現れて。
逃げるように透明な膜に飛び込んだら、そこで白い衣装を着た男と出会い、その男の手から火が吹いた。
思わず逃げ出して、頭の整理をするためにこの木のそばにしゃがみ込んだらそのまま眠ってしまっていた。
本来ならここで一晩過ごすつもりはなく、家に帰ろうとした。
しかし、なぜか街灯がひとつもなく、満月も隠れてしまって薄暗く、いつもの道がわからなかった。
だが、その訳はすぐにわかることとなる。
「どこ…、ここ…」
太陽が昇り、明るくなった辺りを見渡した千咲は思わず言葉を失った。
なぜなら、目の前には知らない街並みが広がっていたからだ。
いつもの見慣れた風景はどこにもなく、見たこともない長屋の家々が並ぶ町と、その周りには田んぼや畑が広がっていた。
どこか遠い田舎にきたような、そんな感覚だ。
まだ夢を見ているのだろうか。
状況が把握できていない千咲は何度も目をこすったが、目の前の風景は変わらなかった。
制服のポケットに入れていたスマホは充電が切れたままで使えない。
「とりあえず、ここがどこだか教えてもらわないと…」
千咲は戸惑いながらも、町へと向かった。
「あの…、すみません!」
人影を見つけて、千咲は慌てて駆け寄った。
しかし、そこで千咲は足を止める。
「はい、なにか?」
振り返ったのは、長い髪をひとつに束ねた女性だったが、着ている服装はなぜか着物だった。
しかも、千咲がよく知る華やかな着物ではなく、柄のないくすんだ緑色の着物に腰布をした格好だった。
化粧っ気もなく、服装も髪型も地味だ。
こんな格好の人、時代もののドラマでしか見たことがなかった。
「あら、変わった着物の方ね」
女性も驚いたように目を丸くして、千咲の姿をまじまじと眺める。
「…変わった着物といいますか、ただの制服ですけど」
「セイフク…?」
女性はキョトンとして首をかしげる。
「それよりも…!ここってどこですか?…わたし、なんか道に迷っちゃったみたいで」
「まあ、それは大変でしたね。ここは長岡京です」
「え、長岡京!?…ここがっ!?」
千咲は耳を疑った。
長岡京といっても、自分が住んでいる長岡京市とは似ても似つかない風景だったから。
「長岡京って…、長岡京市のことですよね…?」
「長岡京…“シ”?とは少し言い方が違いますが、帝さまがいらっしゃる帝都『長岡京』です」
「…は?帝都?」
なにかの冗談かと思ったが、女性はふざけているような様子は一切なく淡々と受け答えをする。
「それじゃあ、駅はどっちですか。バス停でもいいので、とりあえず場所がわかるところならなんでもいいんですけど…」
「すみません…。ちょっとよくわからなかったのですが、お国の言葉でしょうか」
女性は眉尻を下げて困った表情を浮かべている。
千咲は絶句してその場で固まった。
言葉は通じるのに、その意味が通じない。
なにも難しい話はしていないというのに。
「…あ、ありがとうございます。もう大丈夫です、自分でなんとかしますので…!」
千咲は、女性にペコッと頭を下げると足早に去った。
足をもつれさせ、転けそうになりながら。
「ここ…、どこ!?だれかっ…」
千咲は、知っているものや知り合いがいないかと町の中を探し回った。
しかし、見るもの通り過ぎる人々、すべてが千咲の知らない世界だった。
待ちゆく人々は最初に会った女性と同じ格好の着物姿で、なにもめずらしくもないはずの千咲の制服姿はとても浮いて見えた。
みんなが振り返り、千咲のことを二度見をする。