校正者のざれごと――ハイフンとダーシとオンビキと
校正というのは、誤解を恐れずに言えば、人の間違いを指摘する仕事だ。日常生活の中で、相手に対して、「あなた、間違ってますよ」とはっきりいうのはなかなか勇気がいる。でも、校正の作業では、「ここは、正しくはこうですよ」と書き込まなくてはならない。
だからこそ、細心の注意を要する。できる限り納得してもらえる根拠を探し、それとともに指摘するようにしている。
と、これは仕事上でのこと。ふだんの生活の中では、間違っている表記を見つけては、「ああ、やっちゃってるなあ」などとほくそ笑んでいる。もちろん、心の中で。たとえば、よく行く近所のスーパーでは外に資源回収の場所がある。目立つように大きな文字で「発砲スチロールはこちら」。こわいこわい。もちろん正しくは「発泡」だ。これは書籍でもよく見かける。
夕食後。テレビを見ながら、ふと字幕の表記に目が留まる。「メリーゴーランド」これは、書籍で見つけたときは、「メリーゴーラウンド」とエンピツで指摘する。言葉で表現するときは「ランド」なのだが、文字にするときは「ラウンド」になるのだ。発音と表記が異なる例。たぶん「ラウンド」を正しく発音しているのは山下達郎さんくらいのものだろう。
同様の例は「シミュレーション」。音では「シュミレーション」と聞こえるが、カタカナで表記するときは「シミュレーション」だ。英語のsimulationを見ると納得できる。
カタカナ語でもうひとつ。「ボウリング」と「ボーリング」。一般的に、ピンを倒すスポーツのほうは「ボウリング」で、「ボーリング」は地盤調査のほうに使う。ただし、建築基準法別表第二の中には「ボーリング場」という表記もあるので、必ずしも間違いとはいえないのかもしれない。いや、さすがに法律まで持ち出すのはどうなんだろう。そろそろやめておこう。
子どもが保育園に通っているとき、保育園の先生が連絡帳にその日の子どもの様子を細かく書いてくれていた。子どもの昼間の様子がわかり、とても楽しく読ませていただいていた。そして、ある日の先生のコメントに、思わず噴き出した。
「今日は、消化訓練をしました」
いったい、何を食べたんだろう。その日、帰ってきた子どもは大きな消防車の姿に興奮して嬉しそうに話していたので、「消火」訓練だったことはもちろんわかっている。でも、「消化訓練」もちょっと捨てがたい。だいぶ昔の話だが、いまだに忘れられない。
ここで、この文章のタイトルであるハイフンとダーシとオンビキに触れたい。
ハイフンは「‐」、ダーシ(全角)は「―」、オンビキは「ー」。
オンビキ(音引き)は一般的には「長音記号」という。いわゆる「のばしぼう」で、これはカタカナ表記のみに使う。ひらがなにはオンビキは用いない。よく見かける、かけ声を表す「よーし」は本来は「ようし」、「おーい」は「おうい」となる。じゃあ「お~いお茶」は? もちろん、商品名なのでそのまま。伊藤園の公式ホームページでは「お」と「い」の間はオンビキではなく「~」を使っている。
ダーシはオンビキと似ているが、微妙に違う。明朝体だとわかりやすいが、ゴシック体のときは、違いを言葉にするのが難しい。でも、あきらかに両者は違う。オンビキにすべきところにダーシが入っていると、何か気持ち悪い。太さとか、長さが微妙に違う。これは、見つけるとエンピツで「オンビキにカエ」と入れておく。
ダーシには全角ダーシと半角ダーシと二倍ダーシがある。半角ダーシは「−」となり、こんどはハイフンに非常に似ている。ハイフンは、たとえば「self-control」のように英文で使われている。半角ダーシは、図表番号などをあらわすときに「図2−1」のように使われているのをよく見かける。このとき、半角ダーシを半角のまま入れたり(数字との間が詰まっている)、半角ダーシを全角ドリで入れたり(数字との間が少し空いている)する。ここにも、こっそりハイフンが混じっていたりするので危険だ。でも、見つけると気持ちいい。ほら、いたいた。嬉々としてエンピツを入れる。もしかしたら、気持ち悪いのはゲラではなく校正者のほうかも。いや、私だけかも。
ちなみに、校正プロダクションの社長は、私が持っていったゲラ(校正紙)を見て、ひらがなの「へ」とカタカナの「ヘ」の違いを見分ける。指摘されると、もっともらしく「あ、ほんとですね」などと答えるが、正直言って見分けがつかない。今ここでも使い分けているが、どうだろうか。私には、どうしても違いがわからない。
校正プロダクションの事務所には、校正者たちが帰省や旅行のお土産で買ってきたお菓子などが置いてあり、たまに社長がそれを配ってくれる。お菓子が入った箱が回されてきて好きなものを取るのだが、そこに社長の字で「第2段」などと書いてある。配られるのが2回目ということらしい。
しばらくして、社長が「さっき私が書いた字、間違ってましたよね」と恥ずかしそうにつぶやいた。そう、「第2段」は正しくは「第2弾」。もちろん、事務所にいるのは全員校正者なので、みんな気づいている。「へ」を見分ける人でも、漢字は間違えることもある。ちょっとほっとする。だって、にんげんだもの。
(注意)ご使用の端末によっては、ダーシの見え方は異なる場合があります(パソコンとスマホでもちょっと違うようです)。