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2-2、海斗と依子と田所

依子と出会ったのは4年前の春。

いわゆる『友達の紹介』だった。


フワフワの栗色の髪を、頭の高い位置で緩く纏めたお団子ヘアが似合っていた。

後毛(おくれげ)の揺れるうなじが可愛くて近づきたいと思ったが、俺は昔から物言いがキツいと周囲に言われていたので、キラキラした瞳を向けてくるこの子を傷付けてしまうのではと、ビクビクして上手く歩み寄れなかった。


しかし依子は、フワフワキラキラして見えるのに実は芯が強く、臆することなく自分に歩み寄ってきてくれた。


ぶっきらぼうな言葉が男らしいと。

臆病で優しい面が私には見えると。


依子の告白に、頷く以外の選択肢などなかった。


付き合うきっかけを依子がくれたので、次のステップに進む時は自分から言うんだと決めていた。

付き合い始めて2年。そろそろだと思い、緊張しつつも同棲を切り出した。

が、その場でアッサリと依子にプロポーズされてしまった。


もうこれは敵わない。完全に白旗だ。

惚れた弱みとはこういうことなのだろう。

俺は一生涯、依子の一番近くにいられる権利に飛びついた。

彼女のフワフワでキラキラでシッカリとした瞳に毎日俺を映してもらえる幸せな日々を手に入れた。


そんな幸せな新婚生活は仕事の方にも吉を運んでくれたらしい。俺は大きなプロジェクトに携わる機会を得る。

好きな仕事で充実し、家に帰れば大好きな妻との暮らし。


支社や支店にも顔を出さねばならず出張も増え、残業も増えた。なかなか休日も取れず身体に疲れも溜まっていく。

一緒に過ごす時間も減ってしまったが、洗い立ての寝具や、疲労回復と栄養を考えて用意してくれる料理に依子の気遣いを感じられ、多忙を極めていた毎日も苦ではなかった。


そんな日々も今日で終わり。

参加していた大きなプロジェクトも一区切りし、定時よりも早く上がれる。


言葉にしてくることはなかったが、きっと依子に寂しい思いをさせていたに違いない。明日からは時間も取りやすくなる。

依子に話したいことも、連れて行きたい場所も沢山ある。


海斗は内心ウキウキと帰り支度をしていた。

ふと、頭に違和感を感じて手を止める。

隣のデスクの同僚が脇腹を肘で小突いてきた。


「よっ!この愛妻家!」


はっとして頭に手をやるとモサリとした獣の耳。

左手で腰に触れればいつの間にか尻尾も生えていた。

自然と頬が緩んでしまう。


これは、あれだ。

最近良く聞く『夫婦仲良し病』。


思わず浮かんだのは依子の顔。

この姿を見せれば驚いた後でふにゃりと笑ってくれるに違いない。


海斗の足取りは更に軽くなった。

帰り道で、まだ仕事中の友人・田所と会った。

タヌキ化している俺に一瞬驚き、「どこか他に、ご家庭が?」と聞いてきた。

おかしな質問だが、特に気にはならなかった。

「バカヤロー、ある訳ないだろ」と笑って返し、帰路を急いだ。


俺の帰る家庭はひとつだけだ。



夕飯の支度をして先にシャワーを浴びて依子の帰りを待つ。

ソワソワと落ち着かず、タヌキ耳も尻尾も忙しなく揺れているのが分かる。


仲良し夫婦の自覚はあった。

「自分もいつか罹っちゃうなー参ったなぁー」と内心思っていた。

罹ってみるとなんとも照れ臭い。多忙な日々の代休で明日は仕事も休みになった。病院に薬をもらいに行かねば。

聞いたところによると、薬を飲まなければ腹を叩き始めてしまうと聞く。

依子の前で、それはとても恥ずかしい。


依子の帰宅とともに風呂に入ることを勧める。玄関の妻は始終驚いた顔をしていた。

自分のタヌキ姿が恥ずかしくて、そそくさとリビングに戻ってきたが、久しぶりに妻とゆっくり過ごせる夜だと思い直し、一度シャワーを終えているが、風呂に乱入しようと脱衣場へと足を向けた。


部屋着を脱ごうとした時、脱衣カゴの妻の服の上でスマホ画面が光った。

一瞬であったが見えた文字は『田所 (つばさ)』。


『田所 翼』は先程も会社帰りに会った俺の幼馴染だ。依子との接点は結婚式で一度会っただけのはずだ。連絡先を交換した話など聞いていない。


嫌な予感がした。

風呂への乱入を中止し、俺はリビングへと戻った。


***


風呂から上がった依子を待っていたのは、先程とは一変、怒った表情でソファに座る海斗であった。

再度見ても頭にはタヌキ耳、腰からはタヌキの尻尾がのぞいている。


「依子。話がある」


依子はその低い声に一瞬驚いたが「…はい」と小さく返事をした。


「が、その前に呼ぶ奴がいる」

「?」


海斗がどこかへ電話を掛け始めた。

困惑してしまう。もしかしたら浮気相手を呼ぶ気だろうか。いや、『夫婦仲良し病』に罹患しているのだ、呼ぶのは相思相愛の妻かもしれない。実は依子は妻ではなかったのかもしれない。

どうしよう。大好きな海斗と離れたくはない…!


依子は焦っていたが、海斗は電話の相手が出るや否や怒鳴った。


「田所!しのごの言わずにダッシュでうちに来い!!うるせー!とにかく走ってこい!!」


依子は思わずびくりと肩をすくめてしまう。

こんなに声を荒げた海斗は初めて見る。

電話の相手が田所なのも驚いた。


何が起きているのか分からないまま田所が来るのを待った。


到着した田所を床に正座させ、不機嫌を隠さず海斗が口を開く。


「お前達、俺に隠れて連絡を取り合ってたな?」


依子は、はっとする。

まさか田所と自分の不貞を疑われているのではないか。事情が事情ではあったがやはり海斗に話しておくべきであったのだ!


依子が慌てて言い訳をしようとした時、田所が口を開いた。


「だって無理!!海斗のこと諦められないもん!!」


………

…………もん?


依子の時が止まる。


「お前なぁー」


海斗がガシガシと頭を掻いて、田所を叱りつけ始めた。


***


話をこうだったーーー


2人は幼馴染であるが、田所はずっと海斗に恋をしていた。何度となく告白をし、その度に海斗がピシャリと断っていた。

絶望的に想いが伝わらない田所は、海斗に恋人が出来るたびに邪魔をしはじめた。

もっぱら自らの綺麗な顔を生かし、女性達の気持ちが自分に向くように仕向けた。

優しく接してみると案外うまくいくもので、海斗と恋人を別れさせるのはそう難しいミッションではなかった。


海斗はその都度、田所に怒りを覚えたが、心を(とど)めておけなかった自分自身、気持ちが他に傾いてしまった女性達。

悪いのは田所だけとも言い切れず、なんともモヤモヤとした青春時代を過ごす。


男の腐れ縁とは恐ろしいもので、女の友情ならとうに切れている気もするが、海斗と田所は今も友人だ。


海斗が依子と結婚して田所は諦めかけていた折、偶然街中(まちなか)で依子を見かけた。

幸せそうな依子だが、どこか寂しそうにも見えた。

しばらく大人しくしていた海斗への恋心が疼いた。


***


「でも依子ちゃん、全然なびかなかった」


不貞腐れた顔の田所が口を尖らせた。


「当たり前だ。依子は凄いんだ。あと『依子ちゃん』て気安く呼ぶな」

「海斗が浮気してるって言っても、全然別れようとしなかった」

「お前、まじ、なんてことしてくれてんだ…勘弁してくれ…」


頬を膨らませるのも絵になる恋する田所と、頭を抱えてゲンナリとしたタヌキ姿の海斗。


ちょっとなんかメルヘンだ…と、依子は思っていた。


粗方話が終わって、おかしな誤解が解けてすぐに海斗は田所を家から追い出した。


海斗は自分の友達が迷惑をかけた事と、本当に仕事で多忙だった日々で妻にかまえなかった事を謝罪した。


依子も勝手に不安になったり、事情があるにせよ海斗に秘密を作ってしまっていた事を謝罪した。


2人はお互いに下げていた頭を上げ、なんだか可笑しくなって、堪らずに吹き出した。


***


翌日。

依子も休みだったので海斗の病院に付き合い、帰りにとあるカフェに来ていた。


「あれ?このカフェ…」

「あ、知ってた?仕事が立て込んでる時に上司から、ここのコーヒーの差し入れがあったんだ。新しく出来た店でスコーンも美味しいって聞いて。依子、スコーン好きだろ?コーヒーもアッサリしてて飲みやすくて、なんなら紅茶もある…し」

「ふふふ」

「どした?」

「なんでもなーい」


依子は隣に並ぶ海斗に抱きつき、ふにゃりと笑った。

少し照れくさそうにタヌキ耳と尻尾を揺らす海斗も笑っていた。

周囲の人々も、そんな2人を見てニコニコしている気がする。


秋の終わり、乾いた風が頬をかすめる。

聞こえるは冬の足音。

寒い季節は、カップルの距離がぐっと近くなる。


またどこかで誰かの夫がタヌキになっているかもしれない。

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