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2-1、海斗と依子

依子(よりこ)が仕事を終えて家に帰ると夫・海斗(かいと)が機嫌良く出迎えた。

その姿に依子は目を丸くする。


「…どこか別にご家庭が?」

「いや、何言ってんの。それさっき田所(たどころ)にも言われたなぁ」


海斗は笑っている。こんな笑顔は久しぶりに見る。どこか照れくさそうで本当に機嫌が良い。

頭上では丸みを帯びたフカフカのタヌキ耳が揺れている。


え?

え??嘘でしょ?どうして…。


依子の頭はパニック状態だ。

小さく空いた口も塞がらない。


どう考えてもコレは最近流行りの、アレだ。

夫がタヌキになってしまうという『夫婦仲良し病』。


そんなまさか有り得ない。

海斗は浮気してたんじゃないの???


***


海斗と依子が出会ったのは4年前の春。

2人が23歳の頃、よくある『友達の紹介』というやつだった。

海斗は依子の好みのど真ん中で、出会った瞬間に恋に落ちた。

依子から気持ちを打ち明け、2人はすぐに付き合いだす。


恋人になって2年が経つ頃、同棲を提案した海斗に対し、「それでは足りない」と依子はプロポーズをした。

彼は驚いていたが了承してくれて2人は籍を入れることとした。


結婚式はお互いの両親と、本当に近しい友人たちだけというごく小さなものにしたが、この上ない幸せを依子は噛み締めた。


気を抜くと見惚れてしまう少し癖のある海斗の黒い髪が好きだ。

よく見ると睫毛も長くて羨ましい。

甘い言葉を言うわけではないが、ぶっきらぼうとも取れる男らしい口調がカッコいい。

本当はしっかり臆病で優しいのも知っている。

依子は知れば知るほど海斗を好きになっていった。

一番近くで彼を見て、支えられる暮らし。依子の新婚生活は順風満帆で…


………あるかのように思っていた。


結婚して1年と少しが過ぎた頃、海斗の帰りが遅くなることが増えた。

仕事が忙しくなったのだと言う。

連絡はしっかりくれるので、働き過ぎの心配はするものの、特に気にすることはなかった。


時が経つにつれ、顔を合わせる時間は日増しに減っていく。

月に一度は出張が入る。

一緒に食事を摂ることは減り、一緒にお風呂に入ることも無くなってしまった。


海斗が今の仕事を好きなことも知っている。


体調を崩さないか心配だ。ゆっくり顔を見る時間が取れず寂しい。

だが、依子は海斗の邪魔をしたくはなかった。疲れも見えるが楽しそうでもある。そんな夫が大好きでカッコいいと思う。

依子は自分に出来る事をして海斗を支えようと日々を過ごした。


秋を迎え、出掛けるには良い季節となった。

依子は雑貨店のスタッフとして働いているので、お休みはもっぱら平日。

家事を一通りこなし、新しく出来て気になっていたカフェに一人で出向いた。

家にいても海斗のことばかりを考えてしまう。気分転換になると思ったのだ。


とは言いつつも、このカフェは海斗の職場の近くだ。

多忙な彼もここなら時間を見つけ一息つけるのでは?と、コーヒー好きの夫のため勝手にチェックし、勝手に下見にきていた。


気分はまるでミチュランガイド調査員だわ…


ふふふと密かに笑い、秋の高い空を見上げられるオープンテラスでほんのり温かなスコーンをつまみつつ、依子自身は苦手なコーヒーを飲んでいた。


コーヒーの美味しさはよく分からないが、ここのは癖がなく飲みやすいような気がする。


そこに1人の青年が現れる。


「依子さん?」


声の方を向くと、どこかで見た覚えがある。中性的な美しい顔立ちの華奢な体躯の青年だった。

逡巡の後、はっとして依子は声を上げた。


「田所さん!」


田所とは、海斗の幼馴染で友人だ。

結婚式の時、海斗が呼んだ友人の1人である。あの時は挨拶くらいしか交わさなかったが、海斗の昔の写真や思い出話には良く登場するので、実際会ったのが一度だけとは思えない親近感がある。


海斗の勤める会社同様、田所の勤務先もこの近くだという。今は外回りの途中なのだろう。


田所は昼食がまだらしく、相席を願ってきた。

海斗の友人なのだ。依子は快く了承した。

もしかすると、まだ知らない海斗の昔話が聞けるのではないかという下心を、顔に出さないよう必死に隠した。


丸いテーブルを挟んだ向かいの席で軽食を食べる田所と雑談を重ねていると、ふいに田所の声のトーンが落ちた。


「海斗さ。…あいつ最近、ちゃんと家に帰ってる?」

「うん?出張の日も増えたけど、それ以外は遅くなってもちゃんと帰ってきてるよ?」

「そうか…」


声のトーンだけでなく、表情まで暗くなってしまった田所に、依子は言いようのない焦りを感じた。


「その出張って…本当に仕事なのかな…」

「それは…どういう意味?」


つい険のある聞き方になってしまった。

田所の含みのある言い回しが気に入らない。

まるで何かあるようではないか。

仕事を頑張っている海斗に失礼ではないか。


「あっ、ごめん!違うんだ!この間、俺は見てしまって!」

「見たって何を?」

「その…海斗が女性と、腕を組んで会社から出てくるところを…」


そんな馬鹿な。


「ひ…人違いでは?」

「どういうことか声を掛けようとしたんだけど、あまりにも、その2人が親しそうで…その、あいつがまさか浮気なんて…」


田所の声の最後の方はもはや呟きだった。

が、依子の耳にはシッカリ届いてしまう。


「そんな…」


情けなくも依子の瞳は揺らいでしまった。


海斗を信じている。でも…。


それは寒くなり始めた季節のせいだったのかも知れない。

積もりに積もった寂しさのせいだったのかも知れない。

依子の心が不安に染まる。


海斗の帰りが遅くなり始めた頃から今までの記憶が頭を巡る。

思い返せば全てが怪しいような気がしてくる。


言葉を繋げない依子に、「そろそろ戻らないと」と田所が立ち上がった。


「そうだ。依子ちゃん、連絡先を交換しておこう。また何かあったら連絡するし、相談にも乗るから」


呆然としたままの表情で依子は頷き、笑顔の田所と連絡先を交わした。

食事の料金は代済み。田所はそのまま自身の職場がある方へと去っていった。


残ったのは空いた皿と、冷めてしまったコーヒーと表情を失くした依子だけであった。


***


その日から時折、田所から連絡がくるようになった。


依子の心情を心配するメッセージや、今日も海斗が一人ではなかったと言う報告。

田所曰く、お相手はいつも同じ女性で、どうやら海斗の同僚の方らしい。


その報告を受けるたびに依子の心は沈んでしまうが、それでも海斗を嫌いにはなれなかった。

たくさん思い悩む内に、一周回って『ちゃんと家に帰ってきてくれさえすれば良いのではないか』と思うようになってきてしまった。


それを田所に吐露すれば、彼は一層『考え直した方がイイ』と連絡をくれるようになった。

一緒に悩み、心配してくれる人がいると思うと心強い。

依子は嬉しくなり、こんな優しい友人を持つ海斗はやっぱりカッコいいなと、嫌いになれない夫を思い涙する夜が増えた。


***


そうして過ごしていたある日。


依子が雑貨店の仕事を終えて帰宅すると、玄関に海斗の勤務用の革靴があった。


今日は帰りが早い…


ここ最近、夫の帰りは遅かったので今日も遅いものかと思っていた。

心なしかカレーの良い香りもする。


「た…ただいまぁ」


パンプスを脱ぎつつ依子が声を上げると、部屋の奥からバタバタと海斗が小走りに向かってきた。


「おかえり!!」


彼らしくない元気な声にも驚いたが、それより何より海斗のその姿に依子は驚いた。


海斗の癖のある黒い髪の中からのぞく灰色混じりのフカフカの耳。

腰の辺りから揺れているであろう先端にかけて黒さの増す大きな尻尾。


夫がタヌキになっていた。


「…どこか別にご家庭が?」


やっとの思いで言葉を絞り出す。


「いや、何言ってんの。それさっき田所にも言われたなぁ」


海斗はどこか照れくさそうにワハハと笑い、「夕飯も出来てるから先に風呂に入っちゃいな」とリビングに戻っていった。


訳がわからないまま、依子はとりあえず言われた通り風呂場へと向かった。

鞄とスマホも持ってきてしまったが、それらもそのままポイポイと脱衣カゴへ投げ出しシャワーを浴び始めた。


ちょっと頭の中を整理しなくては…


依子はシャワーを浴びつつ考え始めた。

『夫婦仲良し病』のことは知っている。


仲良しの既婚カップル、その夫にのみタヌキ化の症状が現れる。

ある日突然、タヌキ耳と尻尾が生えてくるらしいが一週間もすれば元に戻ると言う。

数年前までは症例も少なく、知る人ぞ知るといった病であったが、今は珍しい病気ではない。

夫婦として仲の良い証であり、むしろ『罹患したい病ナンバーワン』という良く分からないランキングの一位記録更新中だ。

なぜタヌキなのかは謎のままだが、相思相愛の夫婦の夫が罹るらしい…。


相思相愛…


…………相思相愛?


ん?


相思相愛ってなんだっけ…


依子はシャワーを終えた。

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