1、直哉と智子
ハロウィンなので
何かホッコリ出来る短編が書けないかなと思い、
書いてみました。
ご自身の大切な人で想像して
ちょっと笑顔になって頂けたら嬉しいです。
「ただいま…」
「おかえり」
おかえりと言った妻は夫を一度見たが、その視線をまな板のレタスに戻して、そのまま夕食の支度を続ける。
「ちょっと!」
夫が軽く肩を掴んできた。
「包丁持ってるから危ない」
「今、見て見ぬふりした!?したよね!」
包丁を一旦置き、サラダ用に切っていたレタスを放置。夫に視線を向け、まじまじと見てみる。
彼の頭の上には灰の混じった茶色のフカフカとした丸みのある耳。
ここからは良く見えないが、どうやら後ろには耳と似た毛色の大きな尻尾がユラリと揺れているのが見える。その先の方は黒。
妻はパチパチと二つ瞬きをして言った。
「まぁ、タヌキになることもあるやろ。と思って…」
「いや、ないよ!しっかりして!夫がタヌキになることなんてそうそうないから!」
仕事から帰宅した夫がタヌキになっていた。
「一応聞くけど、それどうしたの?」
「仕事中にお尻がモゾモゾするなと思って、触ったら、コレが生えてて…」
『コレ』と言いながら、夫・直哉の手にはフカフカの尻尾。
抱えてる姿が既に愛らしい。
仕事中に下半身に違和感を感じた直哉は、いつの間にかスラックスに窮屈におさまっていたモフモフを引き出した。
突然の尻尾に驚きフリーズしていたら、隣の席の先輩に頭上の耳を指摘されて、更に驚いて椅子から転げ落ちたそうだ。
職場の皆も驚いていたが、間も無く定時だったこともあり、驚愕冷めやらぬうちに上司から帰宅を促されたという。
帰りの電車の中では他の乗客達からヒソヒソと囁かれ、無遠慮な視線を向けられ、針の筵のような心地で、なるべく急足で帰ってきたそうだ。
普段から他人の目を少々気にし過ぎてしまう直哉にとっては、それはそれは大変な道のりだっただろう。妻はそこに思いを馳せて心配になった。
「智ちゃん、あんまり驚かないね…」
妻・智子は自分でも嘘みたいに冷静なままであった。
「なんでだろね。似合ってて可愛いからかな」
「俺は不安で泣きそうだよ…」
智子より四つ年下の直哉は、しなしなとキッチンの床にしゃがみ込んだ。
表情を見るに本当に今にも泣き出しそうだ。
智子は夕飯の支度を一度諦めて、夫を元気付けることにした。
「一緒にお風呂入って落ち着こう。頭洗ってあげるから」
「うん…。尻尾もお願いします…」
智子は、ふっと笑って直哉の手を引き脱衣場へ向かった。
***
お風呂でワシワシと直哉の頭を洗いながら耳を確認する。触ってみると分かるが血が通っていて温かく、ピルピルとよく動く。
本当にちゃんと生えている。
人としての耳もちゃんとある。音はコチラでも拾っているのだろうか。
不思議だ。
「すごいね。急に生えたんだね」
ついでに体も洗いつつ尻尾も洗う。
付け根のあたりは敏感だろうから優しく洗う。
昔、実家で飼っていた大型犬を思い出し顔がニヤけてしまいそうだ。
しょげしょげと元気がない直哉が普段の三割り増しで可愛いが、本人は落ち込んでいるので顔には出さないようにする。
結婚して6年。ここまでの落ち込みは珍しい。
「明日、病院いって診てもらおうよ。休みだから私も付き合えるよ。直哉の仕事終わりに行く?」
「このまま仕事行くのも抵抗あるから、有休使って午前中に行く。智ちゃん付き合って…」
「わかった。ところで受診は何科だろうね」
智子の脳裏を動物病院が過ぎったが、まさかそこに連れて行くわけにもいくまい。
直哉が黙ってしまった。不安と困惑の最中にいる彼は、今日は何も考えられないらしい。
智子は少し思案し、総合病院に連れて行くこととした。
***
「『仲良し夫婦病』ですね」
「仲良し…?え?なんですって?」
医者に言われた言葉に聞き返したのは智子。
総合病院の受付で相談し、案内されたのは内科だった。
内科の診察室の椅子に座った直哉と母親のように後ろに立って一部始終を見守っていた智子。
向かいには優しそうなお医者さま。
「日本ではまだまだ患者数が少ないですが、新しく流行り始めた病気です。既婚の男性に突然タヌキの耳と尻尾が生えるんです。調べてみると、どうやら仲の良いご夫婦の夫が患うそうですよ。いやー、実に羨ましい」
初めて聞いた。
そんなものがあったのか。
たしかに私たち夫婦は仲が良い。
きっと世界一、仲が良い。
※智子調査※
「この県内でも増えてきましたね。大丈夫ですよ。一週間もすれば耳も尻尾も引っ込みますから」
医者は穏やかに笑った。
目の前に座る夫の背中が安堵するのがわかった。
「お薬出しておきますね。お大事に」
(お薬があるのか…)
と、2人は思った。
処方箋を薬局に出し、薬の説明を受ける。
どうやらこのままではお腹をポンポンと叩き出す症例が確認されているそうだ。
想像するに、とても可愛い。
叩きながら踊り出したりするんだろうか。
この薬はそれを防いでくれるらしい。
直哉は「絶対飲む」と言っていた。
妻はポンポンと腹を叩く夫をぜひ見たかったが、我慢することにした。
有休をとって病院に行く事を朝イチで会社に電話で伝えていたが、診察を終え、直哉は会社に再度電話をかけた。
診察結果と今後の相談をしたようだ。
今日はゆっくり休んで、耳と尻尾がなくなるまで平日はリモートワークで良いということになった。
この状態での通勤をせずに済んで、夫の元気が少し戻ってきたことに、智子もホッと胸を撫でおろした。
時刻はそろそろお昼。
病院へは車で来たので、このまま帰って家で適当に昼食を用意し、ダラダラと過ごすこととした。
「ああ、ほんとだ」
家でダラダラとお互いの休日を過ごしていると直哉がスマホを見ながら呟いた。
智子は向けられた画面を見て頷く。
スマホの画面には『夫婦仲良し病』とある。世界でもまだまだ少数なので我々の耳には届いていなかったが、どうやら本当に増えてきているらい。
「仲良し夫婦の夫が患うとか面白いね」
「自分に尻尾が生えた時は頭の中、真っ白になったけどね」
はぁーと深く息を吐きながら、ようやく安心したように笑う直哉が愛おしくなり、智子はソファに座る夫に抱きついた。
直哉はそんな妻を抱き止めて、尻尾をハタハタと振り、頬擦りしつつ言う。
「でもあれだ。なんでタヌキなのかは分からないけど、なんで仲良し夫婦が患うのかは分かる」
「うーん?」
「仲の悪い夫婦でこの病気が発症したら地獄絵図じゃない?」
大袈裟にゾッとしたような顔で肩をすくめる直哉に、智子は堪らず笑い出した。
「昨日あんなに意気消沈してたのに、今は誇らしげ」
「俺たちの愛が証明されたみたいで正直嬉しい。たまにはタヌキになるのも悪くない」
「可愛いから、ずっとタヌキでもいいよ」
タヌキ耳に手を伸ばし遠慮なくフカフカを堪能しだした妻。
直哉は眉間にシワを寄せ少し考えるような顔をしたが、またすぐに微笑んで
「他人の視線が怖いから、一週間で充分です」
2人ともお休みの、ただそれだけの温かな昼下がり。
ソファの上で直哉と智子は抱き合って笑った。
***
その数ヶ月後。
この『夫婦仲良し病』は世界、そして日本中で当たり前になっていく。
一時的にタヌキになった夫を職場や街中でチラホラと見られることとなり、タヌキになった夫は皆揃ってちょっと誇らしげで、その妻もまた笑顔。
この病は自然発生であり、感染するものではない。
だが、脳科学研究家によるとどうやら幸せが伝播するようで、この病が多く流行る年は『夫婦の幸福度アンケート』の結果が比例して良くなるという興味深いデータが取れるようになる。
この病に憧れて結婚するカップルも増え、出生率も上がる…
ーーーというのは、
今はまだ先のお話なのです⭐︎
☆☆☆ Happy Halloween ☆☆☆