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エッセイ

書籍愛好家

作者: 浅葱秋星

紙の本は良い。だが、重い。それに場所も取る。

 このエッセイを書く前に、ビブリオマニアとビブリオフィリアがどう違うのか、今一度確認してみた。

 ビブリオフィリアは書籍を収集する、書籍愛好家、という意味らしい。ビブリオマニアは、強迫性障害の一種で、ようは精神障害ということらしい。以前は、本の収集癖がある人、くらいの意味で使われている場合もあったと思うが、今は、それはビブリオフィリア、と呼ばれている。

 こう言ったものは、どこからビブリオマニアで、ここまではビブリオフィリアだ、という明確な区分などないだろうから、程度の問題という気もする。


 私も、書籍を集めるビブリオフィリアになるのだろう。この先読まないだろうな、というようなあまり愛着も無く、面白いと思わなかった本は売ったりして処分しているが、それでもまだ二千冊程度はあるだろうか。本の重さで部屋の床が抜けないか本気で心配するような人達とくらべると可愛いものだろう。これに加えて漫画もある。紙の雑誌は、定期的に買うことは二十年くらい前に止めた。

 

 私の場合、大体、手元に置きたいと思う本は、SFか、天文関連の書籍が多いだろうか。

 SFだと、収集対象としてよく名前が挙がるのが、サンリオSF文庫だ。キティちゃんで知られるサンリオが手がけた出版事業で、SFの文庫があった。1978年から1987年までと短い期間で、他の出版社で扱われなかった作品もあって、マニアックな文庫、というイメージだった。

 まだ出版されていた頃に、持ち合わせがないのでお金を用意して別の日に行くと、書店の棚から消えていた。文庫が終わる、なんてことは全く知らなかった。

 終刊となってから希少価値が出て、高値で取引されるようになり、物によっては5桁になる物もあった。

 私も三十冊ほど持ってはいるが、とくに集めようと思っているわけではない。本屋の棚から消えて買えなかったものは、後に古本屋で買ったが、値段は数倍になっていた。


 こういったものを収集する人は、集めているだけで、読んではいない、という人もいるらしい。私は買った本は、読んでいて、どんなにつまらなくても最後まで読み通すことにしている。


 私がビブリオフィリア的な集め方をしたのは、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』だろうか。

 早川書房 日本SFシリーズ、ハヤカワ文庫JA 1973年版、角川文庫版、角川文庫 リバイバルコレクション版、ハヤカワ文庫JA 1993年の改訂版(ここで加筆がある)、ハヤカワ文庫JA 2010年版(表紙が萩尾望都)に加えて、翻訳出版レーベル・ハイカソルから出版された英訳版もある。

 まあ、古本屋を回っていると、ああ、これは持ってなかったな、程度の気持ちで買っているうちに集まったようなものだが。店の前のワゴンに百円とかで売っているとつい買ってしまう。

 もっとマニアックに集めるなら、SFマガジンで掲載されていたものも集めるべきなんだろうが、そこまでする気は無い。一応、図書館で雑誌掲載時のものは読んだことはある。雑誌掲載時と書籍化されたときで結末が違っているので、読んでみるのも一興かと思う。


 天文関係では、天文宇宙検定、という天文の民間の検定試験の問題集なども出している、恒星社厚生閣という出版社がある。この出版社の本は、天文学の歴史や星座に関する本を何冊か持っている。『古天文学の散歩道』と言う本では、古天文学という、考古資料から天体現象を読み解くという考古学もあることを知った。『星座の神話』と言う本は、星と星座に関する私にとってはバイブル的な本。

 他にも、かなり珍しい書籍も出版されている。星図という星の位置を記したものがあるが、古典的なものとして『フラムスチード天球図譜』というものがある。この星図に描かれた星座の絵は、現在プラネタリウムなどで見かける絵の原型みたいなものだろう。

 恒星社厚生閣からは、1776年刊行の第2版の復刻版が出版されている。私はこれを古本屋で見かけて買った。もうこれは単に所有するためだけに買ったものだ。古本としては高価だったが、新刊で買うよりだいぶ安かった。

 他に、世界最古の天文書といわれる、プトレマイオスの『アルマゲスト』も出版しているが、こちらはかなり高価だ。古本で見たときも五桁の値段がついていたので、とても手が出なかった。まあ、私が持っていても宝の持ち腐れにしかならないだろう。


 私は本を買うときに、金に糸目を付けない、なんて事は思ってはいないので、懐具合と相談して買う。時折、買うのを躊躇して、後でもう見かけることも無くなってしまった本とかもあるのだが、もう、それは諦めるしかない。運が良ければ、手に入ることもあるだろう。


 こうして集めた本は、私が生きているうちはいいが、死んだあとはどうなるのか、ということをそろそろ考える年になってきたかもしれない。たぶん、だれかが二束三文で売り払うことになるんだろうとは思う。それか、二、三十年後くらいには、古本屋なども無くなっていて、金を払って廃棄処分とかされる未来もあるのかもしれない。その頃には紙の本を収集する人も殆どいなくなっているのだろう。

 以前、自分で集めた書籍だけを収める目的で、何階建てかの建物を建てた人の話を本で読んだ。その人の死後、そこを管理する人もいなくなり、荒れるに任せて建物は傷み、廃墟のようになって、収蔵された本も腐っていった、という話に、とてもやるせない気持ちになったものだ。

 そこまでいかなくとも、今、日本のあちこちに、人の住まなくなった廃墟がいっぱいあり、中には書斎を作って本を並べていた家もあるだろう。処分もされず、死蔵されたままの本が、今もどこかで朽ちていっているのかもしれない。

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