1.花道楽
そういやおれの前世の名前ってなんだったっけ?
灯里のことばかりで自分のことはうまく思い出せないまま転生してしまったらしい。彼女に「ひーくん」と呼ばれていたことだけは覚えている。
まあ、灯里のことはしっかり覚えてるんだし、自分のことはどうでもいいか。だって今のおれには、新しい名前がある。
「カイ! ちょっと来てくれ!」
「はい!」
カイ。13歳。少し濃い青色の髪に、顔立ちは……整ってるほうだと思うけど、若干目つきが悪いのが悩み。身長は……たぶんこれから伸びる。きっと。頼む神様。
これがおれの生まれ変わった姿だ。
テントの幕を開いて外に出れば、まばゆい白がまず目に入る。次いで、抜けるような青空。澄んだ青い海。気温は高いが空気は乾いていて、前世で住んでいた日本の夏ほど不快感はない。
ここはモンステラ王国の港町シラー。通称白亜の町。白壁の家々が立ち並び、強い日差しを反射する様はさながら前世のときテレビで見た地中海のようである。
そんな町はずれの広場。いくつも並ぶのテントの先に、カイを呼んだ人が美しく佇んでいた。
「座長、何か用?」
「手紙だ」
細身で長身、やわらかく鍛え抜かれた肢体を持つ男装の麗人。振り向くのに合わせて、短めに切り揃えられた黒髪がさらりと舞う。
彼女は旅芸人一座、”花道楽”の座長だ。なぜか名前を教えてくれなくて、みんな座長とだけ呼んでいる。30は過ぎているらしいが、とにかく見た目も中身もカッコイイ女性だ。
そしておれは8歳の時に家を飛び出して、かれこれ5年間この一座で雑用をしている。なんでかって? もちろん生まれ変わった灯里を探すためさ。旅芸人ならいろんな町に、時には他国にだって行けるからね。……まぁ、まだ彼女を見つけられてないんだけど。
「手紙って……」
「当然、お前の家からだな。緊急らしい。赤翼便が飛んできた」
座長の手には赤いスカーフをつけたオウムがキリリと止まっていた。伝書鳩ならぬ伝書オウムである。赤は優秀なオウムが運ぶ速達便。
8歳で家を出たけれど、決して冷遇されていたとか虐待されていたとか、そういうことはない。ただ複雑な家庭であったのは事実だ。おれは実の両親の顔を見たことがなく、育ててくれたのは母の妹夫婦。つまり叔父さんと叔母さんだ。この手紙もそのふたりからだろう。
「なんだろう……定期報告はしてるし、隣町に来たから今回の公演が終わったら顔を出すって連絡したのに」
月に一回手紙をやりとりしていて、先日出したばかりだ。だいたいの帰省の日付も連絡していたはず。
怪訝に思いながら封を開く。
「『帰ってくるな』……?」
今は事情があって帰ってこられては困る、と叔母さんらしくない殴り書きの乱れた字で記されている。
「ヘンシンフヨウ! ヘンシンフヨウ!」
「わっ!?」
おれが読み終わったのを確認して、オウムはそう叫ぶと座長の腕から飛び去ってしまった。
「なんなんだろ……今まで早く帰ってこいとは言われても、帰ってくるななんて言われなかったのに」
「それは心配だな。返信も不要と言うことは、手紙を出すのもまずい状況なのかもしれん。誰かに様子を見に行かせようか」
「でも、今は公演前で忙しいですし……公演が終わってから、よければお願いできますか?」
「承った」
座長の言葉に甘えつつ、町の西を眺める。山を越えたその向こうがおれの故郷だ。隣町と言っても、歩けば3日はかかるだろう。
「ご用は済んだかしら?」
涼やかな可愛らしい声に振り返ると、童話のお姫様が飛び出してきたかのような可憐な女性が立っていた。ウェーブのかかった金色の髪、碧い瞳、守ってあげたくなるような甘い顔立ち。
「ああ、エヴァ。稽古に戻ろう」
座長に愛称を呼ばれ、ふわりと微笑む。息をのむほど美しい。
エヴァンジェリン。この花道楽のトップスター。座長と並ぶ姿は本物のロイヤルカップルのようだ。
「じゃ、じゃあおれ、買い出しに行ってきますね!」
「いつもすまないね、カイ」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「はっ、はいっ!」
バタバタと駆け出す。
座長とは何度も言葉を交わしているし、男の姿だから意識しなければそこまで緊張しない。けれどエヴァンジェリンさんを前にするといまだに固まってしまう。だってもう、別世界の住人みたいに綺麗なんだもん。
おれには灯里がいるけれど、これは、こればかりは別物だ。憧れのハリウッドスターを前にしたような気持ちだ。
「はぁ……いい匂いした……」
次の公演でもふたりは主役だ。当然一番人気のカップルである。
花道楽は女のみが役者の演劇集団なのだ。宝塚みたいなもの……かな? 見たことはないからイメージだけど。
かといって男が少ないわけでもない。おれみたいな雑用もいるし、警備は筋骨隆々とした強面のおじさんばかり。なんと魔術師なんて人たちもいる。テントがこれだけ多いのも、それだけ大きな一座だということだ。押しかけてきた8歳児を、よく受け入れてくれたなぁと思う。
カイは改めて一座のみんなに感謝しながら、買い出しのために駆けて行った。