8.司書は聖母の家に招かれる 2人の秘密編
「霧の向こうのコンサート。あのお話は吹奏楽部から文芸部に転部した直後に書いたとさっき言いましたよね。」
「ええ。」
私とまりあ先生は、まりあ先生のお宅で、ミルクティーとお菓子を食べながら、星花生だったころのお互いの秘密を話している。
最初は私の番ということで、こうしてかつて書いた小説について話している、というわけである。
「あの物語を書く少し前、私は祖父母を相次いで亡くしました。高等部から星花に編入したばかりの頃で、星花の制服を着た私を見て喜んでくれた、そのすぐ後でした。……私のフルートは、中学生の頃に祖父母に買ってもらったものです。星花の吹奏楽部は体力的にきつくてやめてしまいましたけれど、フルートが大切なものであるのは変わりありません。」
私はここで一呼吸を置く。
「少し話は変わりますが、私の地元には廃寺があります。私は肝試しはしたことがありませんが、その道の人達の間では心霊スポットとして有名らしいです。……吹奏楽部を退部して時間が出来て、私は仏壇の前でフルートを吹きました。せっかく買ってくれたのに、部活を辞めてしまったのが申し訳なくて。あの物語は、私のそういった経験を元に書きました。」
まりあ先生は神妙に、私の話に耳を傾けている。
「あの物語が、文芸部での私のデビュー作なんです。拙いところがいっぱいで、改めて読まれるのは正直恥ずかしいという気持ちです。……ですが。」
私はここで、まりあ先生に顔を向ける。
「まりあ先生から霧の向こうのとあるコンサートのお話をされて、思い立って書庫に保管されている当時の文芸部の部誌を読みに行きました。……懐かしいのはもちろんですが。」
話しながら、なんだかぽかぽかとしてくる。……胸も高鳴ってるのかしら。
「こんなに時間が経ったのに、あの物語のおかげでまりあ先生とこうして今お話しできている……そう思うと、書いてよかったなと、今になって思っています。」
霧の向こうのとあるコンサートについて、まりあ先生に伝えたいことは全部言えたかな。
……まりあ先生は、穏やかな顔で私の方を見ている。
「……そうだったんですか。……ええ。」
なんだろう。
まりあ先生はどこか納得しているような、何かの答えを見つけたかのような。
でも、一体私の話のどこに、答えのようなものが? 何に納得を?
「ありがとうございます。彩雪先生。……今度は、私の番ですね。」
まりあ先生は、いたずらを見つけられた子どもの顔に戻って話し始める。
「あの軽音楽部のライブのボーカル。それは私でした。」
それを聞いて、私は何もかもが腑に落ちていく。
やっぱり、ね。
初めてまりあ先生に話しかけられた時、私はその声に不思議な心地よさと懐かしさを覚えた。
もっと声を聴いていたい。
そう思うほどに私は初めて聴いたときからまりあ先生の声が好きになっていた。
だけれども、あのまりあ先生のあの声は、本当は初めてじゃなかったのね。
「友達に誘われて軽音部でボーカルをしていました。あの頃は楽しかったのですけれど、今となっては黒歴史となりまして、恥ずかしいので生徒達には秘密にしてるんです。生徒達には絶対にばれないように細心の注意を払っていたのですけれど……星花の卒業生で先生、となれば流石に隠しきるのは無理でしたね……。」
まりあ先生は苦笑いをしながら話している。
本人としてはなんとしても隠しておきたかった、黒歴史といわれるまでの思い出だったのね。
今更ながら、ちょっとやってしまったと思わなくもないけれど。
それでも、私のほうも高校生の頃に書いた拙い小説を掘り出されているのでおあいこだろう。
「他にもOGの先生っていると思うんです。それでも隠せてたんですか?」
「流石に軽音部の関係者には隠しても意味がありませんので、鷺ノ宮先生や武先生には、不用意に広めないでほしい、ということだけお願いしていますね。それ以外の人には、今のところ……というはずだったんですが。」
まりあ先生が、またいたずらを見つけられた子どもみたいな表情に戻る。
「軽音部に関係なかった人で、それも10年近く前の記憶だけで。私が軽音部で歌っていたのを見破った人は、貴女が初めてです!」
話の内容的には、見抜かれてほしくなかったことを見破られた、私は(意図はなくとも)見破ってしまった側のはずなのに。
まりあ先生は……嬉しそうだ。
「……あの、私。」
「なんでしょう?」
「私は……そういうつもりはなかったといえば言い訳になってしまいますが。話を聞く限りでは。……まりあ先生の、知られたくなかった部分に、踏み込んでしまった、のですよね……?」
まりあ先生は穏やかな笑みのままだ。
「まあ、そうといえばそうなのですけれど……。なんというのでしょうね。彩雪先生だからよかった、というのがしっくりきますかね……。」
「私だから……?」
なんだかまた戸惑いが、静かな足音を立てて向かってくる。
「ええ。そうとしか表現できないんですよ。他の人にこうやって知られてしまったら……私はきっと、もっと嫌な気持ちになっていたでしょう。でも……。」
まりあ先生はミルクティーを一口飲んでる。
私もそろそろ一口いただいておこう。
しゃべるのに夢中になって、そういえばあまり口をつけていない。……ありゃ、結構ぬるいな。
「彩雪先生にバレない保証は無い、くらいに思ってはいまして。結局こうして見破られて。……でも。嫌な気持ちには全然ならないんです。むしろ……ちょっと嬉しい、くらい。」
「見破られたことが嬉しい?」
戸惑いの足音が大きくなってくる。
そっと近づいてきてたと思ったら、いつの間にか行進になってる。
「ええ。こうしてお話する機会に出来たから、でしょうか。……あっ。もう一つ見つけました。」
まりあ先生はニコニコしてくる。
「彩雪先生なら、私の秘密を守ってくれる。って。信じられるんです。」
「……だからあの時、私はクッキーで口を塞がれたんてすね。」
確かにその時は秘密にしてるって知らなかったから、軽く話題に出そうとしていた。
全てが繋がった。
「ええ。彩雪先生は、私が軽音部だった話を秘密にしてることをまだ知らない。だから話に出そうとしてる。……あの時はそうやって防ぐしかありませんでした。……ごめんなさいね。」
まりあ先生に謝られてしまった。
そういうことならまあ、そうなるはずだ。
「ええ。事情は分かりました。これからは、軽音部の話は、人前ではしないことにします。」
「ええ……ありがとうございます。」
まりあ先生は安心してくれた。
でも、私にはどうしても言っておきたいことがまだある。
「でも、これだけは言っておいていいですか。私の……エゴですけど。」
「エゴ?」
「ええ。私が言いたいから言うんです。……私は、まりあ先生の声。昔も今も……好きですよ。」
今度はまりあ先生が戸惑ってる。
そりゃそうだろう。
こんな告白みたいな文脈。
……告白?
……何故私は、まりあ先生にだけ、積極的になれるのかしら。
胸の底のあたりが、まるで沸騰しかけで弱火になったお湯みたいにぼこぼこしてくる。
顔も火照ってきてるのが、自分でもわかる。
熱い。
まりあ先生の頬には……ほんのりの赤み。
……これって……。
「……そう、ですか……。嬉しいです。じゃあ……彩雪先生の前だけなら。たまには歌ってみてもいいかもしれませんね。……あ。合唱部や音楽科の指導は仕事ですので。あしからず。」
またあの声が聞ける。
ということはこの際小さな話と化していた。
私の、前だけ。
こちらのほうが私には、重大に響いていた。 生徒への指導以外で、プライベートで歌を聞けるのが。
私だけ。
……そこまで私は、まりあ先生に、そうしてもいいと、思われている。
「……楽しみにしてます。」
これを言うのがやっとだった。
しばらく私もまりあ先生も、なんだかむず痒くて次の話に進めなかった。
「……あ。まだ聞きたいことがありました。……お写真にいらっしゃった、ゆりあさん。」
私がそうして切り出せたのは、もうすっかり冷たくなったミルクティーの残りを飲み干してからだった。
「そうですね。ゆりあのこともお話する予定でしたね。ミルクティー、次のを淹れてからにしましょうか。」
まりあ先生はそう言って、またお湯を沸かしに行った。