36.黒い獣
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生き物の声がいつもより遠くまで聞こえる。
初めは気のせいかと思っていたが先程逃げ遅れた女性の足の傷に気休めに慣ればと治癒の力を使ってキズが完治したのを見た時に確信した。
自分の能力が飛躍的に上がっている。
本来リリーは動物の声を聴ける事はできる程度のしがないテイマーだ。治癒の力は知識として学んだが才能はなく諦めた。
それが今になって開花?
ありえない。だとしたら考えられるのは一つだけ。
リリーはカイが魔物に向かっていってしまってから、ずっと自分を守るために手をつないでいるラリーに視線を移した。
「ラリー、もしかして力を私に分けてくれてる?」
つないだ手がほんのり温かいのはお互いの体温のせいかと思っていたが、そうではないのかもしれない。つないだ手を通してあったかい何かが自分の中に流れ込んでいることにリリーはようやく気づいた
「せっかく俺と一緒にいるんだからおすそ分け。」
ラリーがニコッと笑う。
「それに、リリーが働いてくれれば俺も楽できるし。」
「え?」
冗談だと笑ったラリーの手が前方へと伸ばされる。集団で飛んできた鳥型の魔物たちが一瞬で塵となった。邪魔なものが消えると木立の近くに子供がうずくまっているのが見えた。
「俺はリリーだけ守る。俺にとっては他の人間はどうでも良いからね。だからそっちはリリーがやって。」
本当はそんなこと考えてもいない事が見え見えの、おそらく照れ隠しでうっすら頬を赤くして言い訳をするラリーの手をリリーはしっかりと掴んだまま急いで子供の側に駆け寄る。親とはぐれたのか子供は震えていたが幸い怪我はない。遠くで子供の母親らしい女性が走ってくるのが見える。もう安心だ。
その時、リリーは嫌な気配が森の奥から移動していることに気が付いた。それはゆっくりだが森の奥から此方へと移動している。
昨日までならボンヤリとしか感じられなかったであろうその気配もラリーによって底上げされた今ならはっきりと感じる事が出来た。森の奥から『呪いの元凶』が来る。そう言えば魔物の相手をしてるカイは何処に行った?
リリーは森の入口にいる人影に向かって大声を張り上げた。
「カイ、逃げて!」
◆◆◆
「おや、お嬢ちゃんが必死に叫んでるな。お前さんはお嬢ちゃん…リリーの知り合いか?」
目の前で不敵に微笑む整った顔立ちの紳士が何者かわからず、カイはじっと彼を見つめた。気配は人間よりも獣に近い。相手は笑っているというのに目をそらしたら襲われてしまうのではないかとすら思える緊張感があった。それは森から来る何かより余程たちが悪い。
「そうだ。お前も知り合いなんだな。」
カイはゆっくり返事をして息を吐く。そしてリリーを『お嬢ちゃん』と呼ぶこの人間離れした美しい容姿の生き物をまじまじと観察した。
「お前、あのオネエ魔法使いの親戚か?」
とたん、男が吹き出す。そして先程まで感じていた触れるだけで殺されるのでは?という凶悪な気配が瞬く間に霧散した。
「はっ、アイツの親戚?発想が豊かなガキだな。まあいい、お嬢ちゃんの知り合いなら尚更このまま殺すわけにはいかないからな。ここはワシが何とかするから逃げていいぞ。」
男はさっさと行けと言わんばかりにカイに向かって、しっしと手を振る。
俺に逃げろというのか?
一瞬カイの小さくないプライドが頭を擡げた。
しかしそんなこともお構いなしに直ぐ近くまであの大きな気配が近づいてきて強引に彼の意識を平静に引き戻す。そして間近に迫る凶悪な存在を感じてようやく理解した。
悔しいがこれは確かに自分の手に負える相手だとは到底思えない。
生き残ることが優先。それは何よりも一番に守らなければならない事だった。
逃げなくては。
彼がそう思った直後、突如目の前に周りの木々よりも大きな黒い塊……グリスリが現れた。そして黒い獣の背後には魔物の群れ。
「ふ、手遅れか。仕方ない、お前も手伝え。」
男が前方に手をかざすと魔物の額に小さなキズが付く。一瞬男の顔が面白くなさそうに歪んだ。
「人の怨念ごときがワシの力を弾くのか?つまらんな。小僧、ワシの連れから少しは出来る奴だと聞いているが、後ろの奴らの相手を頼めるか?」
「ああ、後ろの奴らなら……。」
化け物の様な黒い獣に比べれば、奴の背後にいる少々数の多い魔物などたやすいものだカイは頷く。
「じゃあ頼むとしようか。名乗っていなかったなワシの名前はコリガンだ。アイツらの相手を上手くやれたら後で褒美をやるからせいぜい大怪我はするなよ。」
コリガンはニヤリと笑って駆けだした。
危険だからと嫌がるラリーを何とか説得してリリーがようやく森の入口にたどり着くとそこではカイとコリー、見知った二人の男達が真剣な顔つきで魔物と戦っている真っ最中だった。
カイが相手をしている魔物の群れは一体切り捨ててもすぐに次の個体が現れる。いつも余裕の表情で剣を振るっていた彼が魔物に押されて硬い表情をしている場面を初めて見たかもしれない。
そして少し離れたところでは大きな黒い獣を相手にコリーが戦っていた。彼の手には細身の剣が光っていた。素早い動きで近寄っては切り付け、相手からの反撃をかわして一旦離れる。いつも余裕の表情しか見たことがないコリーのそれはうっすら微笑みを浮かべながら相手をきつく睨みつけていた。
彼のその目が不意に緩んだ。そして一瞬でリリーの目に前に彼が現れる。
「コリー、来ていたのね。邪魔しちゃった?」
「お嬢ちゃん、怪我をすると行けないから帰りなさい。」
リリーの頭にポンっと手をのせてコリーが先程とは違う、彼女が知っている紳士の微笑みを浮かべて言った。
「ほらね、コリーもそう言うんだから俺たちは帰ろうよ?」
繋いだリリーの手を軽く引っ張るラリー。
「なんだ、お前もいるのか?なら少し手伝え。」
コリーは今ラリーの存在に気が付いたかのように、そしてついでのように軽く彼を誘った。
「え?」
しかしその言葉を聞いてラリーの表情が硬くなる。
「俺に手伝ってほしいとか……そのレベルなの?」
「ああ、少し厄介な相手だ」
気が付けばコリーの目からも笑みが消えていた。
「魔物だけなら大したことはないが、人間の怨念が非常に鬱陶しい。それにアイツは本当ならもうすぐ神格化するはずの個体だったようだ。その力を悪い方向へ捻じ曲げられている。とても残念だ。」
コリー達のように生まれながらの神獣とは違い、稀に魔物から神格化して神獣となる個体はがいる。それは生涯存在するだけで、その土地が浄化され自然が安定する象徴的な存在となる。
「そうなの?そこまでの子なら助けたいなあ。」
コリーの話を受けてラリーが小さく呟くのが聞こえた。
何やら複雑な話をしている二人を見つめながらリリーは問題の黒い獣に視線を移した。近くまで来てみるとその凶悪な気配に押しつぶされそうな気分になる。それでも自分に何かできることはないかと必死にそれを見つめた。そしてうっすらと知っている気配が混ざっていることに気が付いた。
「あ、あの時のグリスリちゃん……。」
以前、森の奥で怪我をしていた所を助けたグリスリ。
あの時は真っ白な毛だったのに。
そう言えばエリーもこの子はもう少ししたら神獣になるかもと言っていた。
それがなぜ今は全身黒い毛で覆われた凶悪な存在になってしまったのか。
「なんだ?まさか、アイツまでお嬢ちゃんの知り合いというんじゃないだろうな?」
グリスリを見つめたまま考え込んでいた彼女にコリーが呆れた声をかけた。
「流石にアイツは諦めろ。ワシら二人でとり憑いている人間ごと消すしかない。」
「あの子、一回私が助けたんです。だから……。」
もう一度助けたい。
無理だと分かっていてもそう思ってしまう。
「リリー。君の力ならなんとかなるかも。」
考え込んでいたラリーが口を開いた。
「ラリーそれホント?」
リリーはラリーの呟きに目を輝かせる。
「要は人間の怨念とあの子を引きはがせばいいんだから、リリーがあの子をテイミングしちゃえば良いんだよ。」
ニッコリ笑うラリー。
「え……?」
固まるリリー。
「そんなあ……私の力であの子をテイミングとか無理……。」
「なるほどな。一度あいつとかかわっているお嬢ちゃんなら出来るかもな。引きはがせば後は怨念だけなら簡単だ。」
いつの間にかコリーも乗り気のようで、既にリリーの発言は都合よく無視されてが彼女がテイミングをする方向で話が進んでいく。
「大丈夫。俺の力いっぱい使って良いからね。」
ラリーが彼女の両手をぎゅっと握った。
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