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この体は他人の魂で出来ている  作者: 辺境山葵
第一章「霊能者」
1/1

霊能者

生き物はいずれ死ぬ。

細胞が遺伝子情報をもとに作られ、分裂し、それが形を成して、魂を吹き込まれたときから。

その生き物のたどる長い道のりの先は、絶対に「死」というものに行き当たる。

それは運命だとか、日ごろの行いだとか色々な言い方で表現されるが、要はどんな形であれ、生き物はいずれ死ぬのだ。


死んだらどうなるのだろう。


これは人類の創生以来、「最初の生き物は一体どこから来たのだろう」という疑問と一緒に悩まれてきた大きなクエスチョンだ。

天国に行く?地獄に行く?無に変える?転生する?信じる宗教で変わる?電子の波になって漂う?

どうせ死んでからじゃないと分からないのだから、深く考える必要はない?


そもそもの話。

私たちが生きているこの状況って、いったいなんだろう。


堂々巡りのこの問いに、私、清水武彦は自分はこうなるのだろうという一つの憶測を持っていた。


私…私は、きっと。

「不安に思うことはない、君はただ帰るんだ。

君がここに来る前にいた場所に、ただ帰るだけなんだよ」


複数人の祝詞が地を這うように響きわたる室内に私はいる。

印を結んだ指を解き、目の前で蹲る少年の頭に手をのせる。

冷たい、ひどく冷たいその感触を反芻しながら、私は送りコトバを小さく唱える。

その瞬間、少年がゆっくりと顔を上げる。

私の目をまっすぐ見つめる…光を一切反射しない闇をたたえた眼窩をまっすぐに見つめ返す。


「…ヒッ!?」


少年の瞳を見たのだろう、すぐ後ろから若い祓い師の悲鳴が上がる。


「騒ぐな、彼が不安がる」


振り返らずに短く、端的に、柔らかくした表情は崩さずに私はその祓い師に言葉を投げかける。

慌てて祝詞を唱えなおす若い祓い師に沸いた苛立ちを抑え、詞を少年に送り続ける。


「此処に迷う者在り、掛けまくもいと優しき地母

此処に苦を負う子在り、愛し子に罪あらば其を祓い清め

その身元に御迎え給えと、かしこみかしこみ申す」


少年の見開かれた瞳が段々と閉じていく。

そろそろか、と集中をさらに深めようとこちらも目を閉じる。


『…ぼくは、にぃにとあそんじゃいけないの?』


瞬時に場がざわめく。

背後の祝詞に力がこもり、私の少年の頭にのせている手に汗が浮く。

震える口がゆっくりと開き、言葉を発する。


「…君は何も悪くない」


「清水!口をきくな!」


背後で祝詞を唱えていた祓い師が脂汗を浮かべながら声を荒げて怒鳴る。

私が振り返り、黙る様に促すより先に、少年の暗い瞳が同僚を捉える。

祓い師が目を見開き、踏みつけられるカエルのような声を出す。


『うるさい』


少年の暗い瞳が広がっていくような錯覚を覚える。

同時に数人の祓い師が地面に倒れ伏し、喉を抑えて蹲る。

周囲もまた、今にも倒れそうなほどに顔色を青くするが、必死の形相で祝詞を唱え続ける。


「もうやめなさい、これ以上人を傷つけると、君は君でなくなってしまう」


少年の頭を抱え、暗い瞳を掌で覆い、語りかける。

掌から伝わるすさまじい意志の波動が収まっていくのを感じながら、倒れた祓い師を別室に運ぶように目配せする。


『…ぼくは、にぃにともっといっしょにいたい…』


少年が小さく前に動いた瞬間、強大な力で、目を覆っていた手がゆっくりと引きはがされる。

再び開かれた瞳の先には、大勢の祓い屋に囲まれ、涙を流し続けている両親の間に挟まれた、一人の男子高校生がいた。


『にぃにはぼくがきらい?』


まっすぐに向けられた暗い瞳を、兄である彼は真正面から、目をそらすことなく受け止めた。

震える膝を必死に抑えて口を開く。


「…嫌いなわけないだろ、家族なんだから」


『ずっといっしょにいたよ』


「ああ、そうだな。

俺がわからなくなっただけで、お前は…ずっと俺の傍にいた」


高校生の手には小さな木箱。

その中には一対のへその緒が収まっている。

私は力に逆らうことなく、少年の頭から手をどかした。


『もっとにぃにとあそびたい』


「…そうだよな…ごめんな…俺が…俺が弱いから…」


静かに涙を流し始めた高校生の首筋には、虫に刺されて膿んだような傷が広がっている。

霊障、「障り」ともいわれる霊に憑依されることで起こる現象で、彼の体はもう同世代のそれに比べて酷く脆いものになっている。


―事の始まりは6年前。

日本最大の勢力を誇る霊能者集団、輪菊会。

私が祓い師として所属しているこの団体に突然の除霊依頼が舞い込んできた。

依頼主は国家行政組織、警察庁。

一部の国家は例外として、日本を含め多くの国家は霊や異能力者による死傷事件を公には認めていない。

科学技術の進歩した現在社会において、霊魂や悪魔、神霊などの引き起こすとされている事象はそのほとんどが科学的に理屈が証明されている。

そう「ほとんど」が。

いずれは科学で説明がつく時代が来るだろう。

だが、今現在の科学技術ではどうしても解明できない事件が、日本では年に数件という割合で起こっている。

「死因不明」の集団自殺、監視カメラに映らない殺人鬼、頭部と体で死亡時刻が異なる死体、いじめが横行している学校の教師の集団失踪、「神」と称する存在の少年少女の集団拉致。

私の覚えている中でも特に印象深い事件はこれくらい。

これらは私の関わったものだけを抜粋したものなので、実際はもっと多いだろう。

輪菊会はそんな「怪異」の中でも、強大かつ凶悪とされ、公的機関の手には負えないモノの対処を請け負う、公には存在を認められていない機関である。


「…彼の体は、もう限界なんだ」


私の言葉に、ゆっくりと少年は振り返る。


『…にぃに、いたいいたいなの?』


「…そうだね、だから、もう君とは遊べないんだ」


そう発した瞬間、少年の瞳の闇がさらにどす黒い何かに覆われる。

場の空気の変化に反応した祓い屋達の祝詞に力がこもる。


『いやだ…』


「ああ」


再び少年の頭を抱きかかえる。

少年の体は先ほどまでの冷たさが嘘のような熱を発し始める。


『…もっと…もっとにぃにとあそぶんだ』


「ああ…そうだね」


『もっと…もっともっともっとっもっともっともっと!!』


少年に触れる装束の布が煙を上げ始める。

やがて熱は肌まで届き、肉を焼き始めた。


―この除霊対象の少年は、今から約15年前に死亡している。

二卵性双生児、双子としてこの世に生を受けるはずだったこの兄弟は、医療ミスで片方の胎児が死亡するという最悪の出来事によって分かたれてしまった。

本来であれば、この高校生の兄か、弟になっていたであろう存在。

母体内の胎児の意思は希薄で、堕胎による死を迎えてもその事実を理解しないまま、次の輪廻を回るのがほとんどだ。

だが、この兄弟は母体の中で深くつながりを持ってしまった。

「共にこの世に生を為す」という意思があまりにも強く、胎内で死亡した側の意思が残された胎児に結びついてしまったのだ。


―混沌ともいえる母胎内から生まれて間もない幼子は、まだ境界が曖昧な事が多い。

母胎内の光景、知りえるはずのない先祖の記憶、見えるはずのないモノを視るなどが一例だ。

両親によれば、この高校生は言葉を覚えた時期から小学生の中ほどまで、奇妙なものを見る体質に苛まれたという。

情緒が安定期を迎える10代の中頃まで、幼児期の境界の曖昧さを引っ張るというのは例が少ないが、この高校生の場合は更に特殊だ。

この世に存在しない弟のみを、あらゆる存在が複雑に入り乱れた霊界の中で知覚できていたのである。

そしてこの世ですることの出来なかったことを、兄に知覚されていた10数年の間に為してしまった。

この子は霊体で在りながら、兄との繋がりだけで「死んでいながらに成長する」という矛盾を生み出し、思いの力を強大なものにしてしまった。


「…ッ」


私はさらに、腕の力を強めていく。


「私だって、君をもっと、お兄さんと遊ばせてあげたい。

でも、もう限界、遊びの時間はおしまいなんだ。

お兄さんも、そして君も…」


次の瞬間、私の腕は見えない力で引きはがされ、磔のような形で宙に浮く。

肺の空気が一瞬ですべて失われたような感覚に、ひどくえずく。


―両親は最初は奇妙に思いつつも喜んだそうだ、我が子の感受性が豊かな証拠だろうと。

だが、それも時が流れれば恐れへと変わる。

そしてその対処を一般的に言う「テレビで有名な霊能者」に求めた。

その時点で普通の霊能者に対処できた霊体ではなかった筈だ。

テレビ番組で特番として放送されるはずだったその除霊劇は凄惨を極めた。

撮影機器の破壊、テレビスタッフ数人の死傷、撮影に参加しなかったプロデューサーやその家族の失踪、そして除霊を行った霊能者の精神崩壊。

地方警察も動き出したが、すぐにその匙を投げた。

そしてその後始末を負った輪菊会の所属霊能者の死亡。


―そして6年にわたる封印。


『…いや…ッ…だ…』


少年の目がこちらを向く。

暗い瞳にこちらの意識が吸われていくのを感じる。

6年の封印を経てもこの霊力、輪菊会の思惑、推量は完全に外れていた。

むしろその封印が、兄に対する思いを増長させていたのだ。

封印を施してもなお、兄の体に霊障が起こり続けたのがその証拠だ。


―そう、封印を施したところでこの子の兄に対する思いは収まらなかった。

その封印には年に数回の輪菊会所属の霊能者数十人での術の張り直しが必要だった。

しかし、それでもこの子は封印のどこかに綻びを生みだし、そこから兄に向けて思いを飛ばす。

そして、この子の力が祓えるまでに衰える前に、兄の方に限界が来てしまった。


そして、私が呼ばれるまでの事態になった。


―私に霊を祓う力は無い。

そも霊を祓うという行為は、死亡し肉体を失ってもなお、この世に魂を留まらせている者たちに生きている我々がその生命力をぶつける事で行われる。

生物がこの世で命を失ったとき、そこには大なり小なり意思の残留が起こる。

残留意思は小さいモノであれば生まれ持つ生命力の前では何の影響力もないが、それが生物の生命力の大きさを大きく超えたとき、一つの事象としてこの世に影響力を持つことがある。

それを人は「霊障」「怪異」「悪魔の仕業」と様々な呼び方で表現している。

それらの事象を引き起こす「意思」霊体の思いに対し、「神」の力を借り、生命力を割り増ししてぶつけるのが、いわゆる「祓い」と呼ばれる行為だ。


「清水!これ以上は持たない!

一旦封印を張り直して出直そう!」


祓い師の一人が汗を弾かせながらに声を張り上げる。

その手で結んでいる印は震え、今にもほどけそうだ。


「…だ、だめだ!

今、この子を封印してしまったら、それこそもう手が付けられなくなる!

この子の「意思」がなくなってしまう!」


実際、この少年の「意思」は既にボロボロだ。

今は会話も成り立っているが、封印をこのままずるずると続けていけば、やがては兄に対する執着心だけを残して意思が削れ切ってしまうだろう。

もしそうなってしまえば。


「…もう、兄を兄ともわからない、化け物になってしまう!」


化け物になってしまえば、もうこの子は兄に対して手加減はしないだろう。

死んでいるこの子がこの世に戻ることはできない以上、たどるのは兄を死の世界に引きずり込むという凄惨な末路だ。


「…っ!…なら!早く喰らってしまえ!

お前はそのために呼ばれたのであろうが!!」


祓い師の言葉に顔が思わずゆがむ。


「わしとて、その子を輪廻の輪に戻したい!

だが、このままでは我々にも死者が出る!

そうなれば、結果としてその子は会の手の者によって存在を消されるぞ!

喰うことができるのはお前だけではないということを忘れるな!」


「…っ」


―先ほども言ったが、私に霊を祓う力は無い。

口に出す神を礼賛し、力の貸与を求める言葉も、届くことはない。

そして今、こうして生きている私の生命力は、本来私のモノではない。

奪ったことで得た生命力をぶつけたところで、彼らを祓う力を為さない。

だから、このまま祓い師達の祝詞で割れて祓われてくれればと躊躇っていた。

私の力を使ってしまったら、この子はもう輪廻の輪に戻ることはなく、永久にその膨大な意思の力を私に吸われるだけの糧になってしまうから。


私は自らの体の中に流れている力を少し開放し、体を縛り付けている少年の意思の力を消し去った。

響き渡る歪な金属音とともに、地面に降り立った私は、まっすぐに少年へと視線を向ける。


『…?

あ…れ、どうして…』


少年は不可思議なものをみる様子で暗い瞳を明滅させる。

そして何度も体を力ませ、私にその意思の力をぶつけてくる。


「…ごめんよ」


少年がぶつけてくる力は、私の解放した力によってすべて身の内に吸い込まれていく。

私は一歩ずつ、少年へと足をすすめた。


「…私には、こうすることしかできないんだ」


私は少年の頭に再び手をのせる。


「本当に…ごめん」


次の瞬間、私の掌から放たれた幾重にも分かれ、黒く、細い手が少年を包み込む。

それら一本一本にはまがまがしく開かれた口腔があり、生え並んだ歯がカチカチと音を鳴らし、赤子のような声を上げる。

その様子を見ていた祓い師数人から悲鳴が上がり、あれだけ響いていた祝詞が完全に消え去るほどに、部屋が静寂に包まれた。

一人の祓い師が「これで終わった」と声をあげる。


『な、なにこれ…いやだ…』


黒い手は暴れ始めた少年を簀巻きにし、その動きを封じる。

やがて全身を覆い始めた黒い手は口をふさぎ、暗い瞳をふさぐ。


『…ヒ…!

…にぃに…!!』


もがく少年は黒い手の隙間から、兄に向って手を伸ばす。


「…あ…!!」


考えるよりも先に、体が動いたのだろう、兄は白く冷たい少年の手に精一杯腕を伸ばした。

そしてその瞬間。

無数の黒い手と共にゴムボールほどまで縮んだ少年は私の手の中に吸い込まれていった。

空を切る兄の手、その表情は涙にぬれている。

私は少年を飲み込んだ掌に目を向け、既に普通の人間のそれに擬態し終えている手を握りこみ、額に当てた。


「…ごめん」


次の瞬間、瞼は私の意思に反して重くなり、世界は暗い闇の世界に落とされた。


私の意識が落ちると同時に、こちらの意識が覚醒する。

距離感のつかめない純白の世界に私は立っている。

数歩ほどの距離、真正面、そこに先ほど「喰らった」少年が倒れていた。

私は少年に近づき、頬に手を当てる。

触れたその瞬間、少年は覚醒し、跳ねるように起き上がった。


「…誰だ!!」


「…」


少年の見開かれた瞳は、もう暗い闇の色に染まってはいない。

生前の黒く輝いた瞳を、敵愾心に燃やしてこちらを睨みつけている。


「…大丈夫かい、どこか痛んだりはしないかな」


「…あんたは……ああ、そうか…僕は…」


少年は自らの両手を見つめ、やがて顔を覆うと震え始める。

私は近づき、少年の肩に手をのせた。


「…すまない」


「…なんで謝るんだよ」


「ああ…それが君の本来の姿なんだな」


私の言葉に、少年は改めて自分の体を見つめなおす。

黒いしみで覆われていた服装は真新しいものに変わり、肌のシミもなくなっている。

そして少年の言葉遣いは、先ほどまでの幼いそれとは違い、兄であるあの高校生のそれに近いものになっている。

どことなく面影が兄に似て、少し背が伸びているようだった。


「…そういえば、なんだか体が軽い…」


「君は封印されていたからね。

君の意思の力がどんなに強くても、影響は間違いなくあった。

…まさか、こんなに大人っぽかったなんて思いもしなかったけど」


「…兄さんの真似をしていたらこんな風になったってだけ…あ…そうだ。

なあ、少しまだフワフワしてるんだけどさ」


少年はどこかさみしそうに私の方を見る。


「…僕は、兄さんに…みんなに嫌なことをしたんじゃないのか?」


「…」


「…なんとなくだけど、覚えてるんだ」


私の無言を答えと見たのか、少年は表情に影を落としてうつむいた。


「最初は楽しかったんだ。

兄さんも僕の相手をしてくれたし、一緒に学校にも連れてってくれた。

…でも、父さんと母さんは…無理もないけど、そんな兄さんを、僕を怖がってた。

そりゃそうだよな…小学校まで行ってれば、僕がどういう状態かなんて、なんとなくわかる。

死んだ人間が…生まれる前に死んだ子供が、ずっと「一人息子」にへばりついてるんだから」


この子は…封印で思考が摩耗する前はこんな風に考えられた子だったのか。

そんな思考が、さらに私の胸の内を締め付けた。


「だから、「れいばいし」っていう、なんだか怪しい人たちの所に連れていかれた。

…あの時は悲しかったし、こわかったし、悔しかった。

兄さんがいいって言ってくれたんだ、なんで邪魔するんだ、ずっと一緒に居たい、なんでここに居ちゃダメなんだ…なんで…父さんと母さんまで…僕を兄さんから離そうとするんだ…。

そんな気持ちでいっぱいになって、気づいた時には、暗い場所にいた。

本当に真っ暗で、怖くて、何もない場所…必死になって穴をあけて、兄さんに助けてって言い続けた」


封印された時の記憶まで…本当にこの子はお兄さんのことが好きだったのだろう。

存在しえない自分を認めてくれる、それが奪われるとき、どんなに怖かったことか。


「久しぶりに会えたんだ。

すごく、すごくうれしかった。

…でも、兄さんは僕よりずっと大きくなってた。

体が…傷だらけになってた。

…あれは、僕がやったんだよね」


「…」


「…ごめんなさい…わからなかったんだ。

僕がどういうものなのか、わかるのがこわかったんだ。

…ごめんさい…ごめんさい…ご、めんさ…い」


私は涙を、玉のようなそれを流し始めた少年を抱きしめた。


「いいんだ」


胸の中に納まるほどの、小さな少年を力いっぱい抱きしめる。

少年はひどく驚いた様子を見せたが、やがて私の腰に手を回して、声を上げて泣き始めた。


「兄ちゃん…にぃに…にい…」


「君は…子供なんだ…まだ何もわからない…ただの子供だったんだよ…ただ、甘えたかっただけなんだ」


私は泣き続ける少年を離し、その肩に手をのせて視線を合わせるためにしゃがむ。


「すまない、私が此処に居られる時間は少ない。

だから…難しいかもしれないけど、説明させてもらうよ」


少年は涙にぬれる瞳を改めて私に向ける。


「本来であれば、君は地母神のもとに送られて新たな輪廻の輪に加わるはずだった。

だけど、今君は、僕の腹の中にいる」


「はらの…なか…?」


「そうだ。

やがてここに迎えが来る。

彼の言ったとおりに道を進んで「怪牢」というところに行くんだ。

そこには仲間が大勢いる。

さみしいことは何もない。

…だから」


私は言葉に詰まる。


「…なんとなく、だけど…わかるよ。

僕はもう、兄さんにはあえないんだろ?」


少年の言葉に胸が締め付けられる。


「…そう、君は輪廻の輪から外れてしまった。

君の兄さんはこの先、生きて、生きて、死ぬ。

そして輪廻の輪に戻って、新たな命を生きるだろう。

…でも君は」


「もう、「生きること」は…ない?」


「…本当なら、兄弟の縁は永劫に続くものだから、君とお兄さんは近しい関係でまた命を生きるはずだった。

だけど…私がその未来を閉ざしてしまった。

ここは、そういう場所なんだ。

…本当に、本当にすまない」


「そっか…」


少年は涙をぬぐい、背後に振り返ると、まっすぐにどこかを見つめた。


「…なんだか、あんまり悲しくはないや」


「…え?」


「…もう会えないのは寂しいけど、なんとなくわかるんだ。

たぶん、僕はずっとこうだったんだ。

兄さんと僕は…ずっといままで、こんな風だったんだとおもう…うまく言えないけど」


「そ、そんなことは…」


ないわけではない。

輪廻の輪というのは、我々の想像もしえない時間…いや、時間という概念とはまた違う、途方もない何かを経て変化するという。

言い換えれば、生まれ変わっても、前世と変わらない運命を辿る可能性が高いという考えは存在する。

いわゆる前世に引っ張られるという考えだ、

この空間は限りなく輪廻の輪に近いどこかだ。

この子は…何かでそれを察したのだろうか。


「なんだか、つかれちゃった。

だから…僕は、もういいよ」


「…君は」


「それに体が軽くなったから、なんだかとっても楽しいんだ!

これからなんだかすごいことが始まる気がする!

…だから、お兄さんは気にしなくてもいいよ」


少年は赤く目じりを腫らしながらも、にこやかな笑みを浮かべて私の手を取った。


「…いや、どちらにしても、君に選択肢はないんだ。

納得する方法は、君に任せるよ」


私は少年の手を握り返すと、片方の手で少年の頭を撫でた。


「…うん。

ねえ…もしかしてあれが、おむかえってやつ?」


少年が指さす先に、重々しい扉が姿を現していた。

やがて扉は音を立てて開き始め、そこには燕尾服を身に纏った骸骨が、ランタンを片手に立っている。


「…ああ、そうだ」


「…おっかないね…本当について行って大丈夫なの?」


「だ、大丈夫のはず…だよ」


苦笑いを浮かべる僕に悪戯な笑みを浮かべ、少年は僕の手から離れて門に向かって歩き始めた。


「ばいばい、お兄さん!」


こちらに手を振りながら門へと歩く少年を前にしながら、私は自らの足が光の粒になってきていくのに気が付いた。

どうやら、時間が来たようだった。


「あ…お兄さんも戻るんだね!」


「ああ…。

…っ!なあ!!」


「うぇ!?

な、なに!?」


「正直、言おうかどうか迷ってたんだ!

君の未練が、少しでも増えたらいやだったから!

でも、でも伝えさせてくれ!」


少年が足を止め、こちらに向き直る。

もう私の体は下半身が光の粒になって消えてしまっている。

はやく、早く伝えねばならない。


「君の!君の名前は、カケル二階堂ニカイドウ カケルだ!」


「…あ」


「お兄さんの名前はノボル

二人でどこまでも高く翔けて昇りますようにと、ご両親が考えた名前だ!

いいか!君の名前はカケルだ!

カケル!忘れるな!ご両親は!お兄さんは君を愛してた!

愛してたんだ!」


「…うん…うん!!」


「忘れないでくれ!翔!」


「うん!わかった!」


視界が端から崩れていく。

偽善ともいえる行為だと自分を責めながら、それでもその痛みを和らげるために、最後に少年の満面の笑みを目に焼き付けた私は、体の全てを光の粒子にして意識を落とした。



「…また、あえるといいなあ」


「では、まいりましょう」


重々しく扉が地面をする音


「うん」


「ではこちらに」


革靴が石畳を打つ音


「仲間がいっぱいいるって本当?」


「ええ、確かに仲間という表現に相違ありません」


「そっかぁ、へへ。

あんた、骸骨なのに全然怖くないな、やっぱ僕も死んでるからかな」


「私は死という経験をしたことがございません。

どういったものでしたか?」


「うーん、僕もよくわかんないんだよね。

気が付いたら死んじゃってたし」


「そうでございますか」


「…なあ、また会えるかな」


馬の嘶きと車輪が石畳に擦れる音


「ええ、近々、再び相まみえることになるでしょう」


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