最推しと家族で海へ行きました。
アニータの叔父様であるゼス先生がいらっしゃいました。治療の効果があってか、リオネル様の体調は徐々に回復し、一緒に朝食を取れるようになりました。
「リオネル王子が助かって本当に良かったですわ、ゼス先生、感謝を」
「いえいえ、私はリオネル王子のお手伝いをしたまで。本当に素晴らしいのはリオネル王子ですよ」
リオネル様にはオーツ麦のミルク粥。あまり美味しくないのよね、あれ。
あと、ちょっと食物繊維が多いのが心配ね。
前世でお腹弱いのにオートミール食べたら、やっぱりお腹壊した事が何度かあったから……。
この領地は王都よりも南に位置し海にも面していて、貿易も盛んだし、王侯貴族のバカンス用の別荘もたくさん抱えている。
とはいえ、お隣の王族の直轄地に比べると微々たるものなのだけれどね。
朝食用の銀のエッグスタンドに入った茹で卵を、スプーンで突きながら私は呟く。装飾が無駄に細かくて磨くのが面倒くさそう、なんて思ってないからね?
「海……海行きたいわ……」
「海?本で読んだけれど、本物は見た事ないです」
「リオネル様は、海見た事ないの?」
「うん、ずっと王都にいたから。いつか行けたらいいなって思っていたんだ」
そんな事を思っていたのね。ゲームではリオネル様は海に行った様子もなかったものね……
「よし、なら見に行こうか」
お父様はそう言って、執事長のヨハンに馬車の準備を命じました。
その時の、お母様とヨハンが神妙な顔をしていたのは何故なのかしら?
ああ、でも贅沢は言わないから、前世で食べたお刺身、お寿司、タコ焼き、イカ焼き、焼き牡蠣、サザエの壺焼き、ホタテのバター醤油……もう一度食べたいなぁ。
馬車で揺られて半日。
白い砂浜の海岸線がずーっと続いている。海もクリアブルーで綺麗!プライベートビーチみたい!
「何、この独特の香り?」
「うわぁ、潮の匂いだわ!
見てみて!海が青くて素敵!すごく綺麗!
……だけど、この海プランクトンや海藻はちゃんと育ってる?漁獲量は大丈夫?」
「何を言っているの?姉上……」
うーん、前世の記憶が余計な事を口に出させるわ。
寄せては返す波が、私やリオネル様の足元を掬う。
「わっこれが波?本当に塩の味がする……!」
「リオネル様!こっちにはヤドカリとカニがいますよ!」
「これが?凄い、本の挿絵通りだ。……本当にこんな形なの。へぇ、こんな風に動くの?」
大きく目を見開き、磯の生き物を観察するリオ様。本当に元気になってよかったわ。
「海に潜っている人がいるわ……」
「あれは地元の漁師さ。おそらく貝を取っているんだ」
「あさりとかシジミ取ってるの?ウニ?まさかナマコとか?」
「あのね、エリーゼ。この辺は牡蠣とムール貝の産地だよ」
「リオネル様、少し宜しいでしょうか」
お母様が恭しくリオネルに頭を垂れる。まるで臣下の様に。
「リオネル様、こちらがリオネルのお母様のお祖父様、お祖母様ですよ」
「……え?」
「テオドル・アルディ様、マダム・アルディ様。
貴方達のご息女、リリー様をお守り出来なくて、申し訳ありません。
こちらがお亡くなりになったリリー・マルレーン・アルディ様の忘れ形見、リオネル・ダマスク・ローズベル王子でございます」
なんて事、お母様が深々とおじきをしている。前世の職場でクレームを受けた上司がお客様にやっていた、陳謝の四十五度のやつだ。
リオネル様に似た黒髪、目の色、目元、鼻や口の形。
歳や身なりのせいか一見地味に見えるけれど、よく見ると端正な顔立ち、美しい所作がみてとれる老夫婦。
このお二人が、リオネル様の、実のご家族。
その二人が、リオネル様に恭しく首を垂れた。
「リオネル王子、ご機嫌麗しく……」
「おやめください!お祖父様、お祖母様……僕は」
だけれど、せっかく血の繋がったお孫さんと祖父母との再会なのに、抱き締めもせず、お互いに距離を取り合い平伏するばかり。これが身分差なのか。胸が痛む。
「リオネル王子、よくぞご無事で……!」
涙ぐむお祖父様。泣き崩れ落ちるお祖母様。
今の今まで会えなかったんじゃ、本当に心配していたのだろうな。
「公爵様、本当にありがとうございます。よろしければ、我が家にお泊まり下さい」
「いえ、そんなご迷惑をおかけするわけには」
慌てて断ろうとするお父様。だけれど。
「ですが、そろそろ天気が崩れる頃合いでして、このままお帰りになるのは少々危険ですよ?」
テオドル様のおっしゃった通り、雨が降ってきた。何でも夕方のこの時間帯だけ降るらしい。何その便利機能。日本の雨雲にもつけて欲しかった。
予見した通り、馬車で通ってきた道はぐちゃぐちゃになり、とても走れそうになかったわ。
結局、リオネル様のお祖父様のご好意で、お祖父様のお屋敷に泊まらせていただく事になりました。
それも、前世の映画で見た事があった素敵な建物。
「まあ!なんて立派なファームハウス!」
「あらこの子、そんなこと何処で教わったの?」
「ひゃ、百科事典に載ってましたわ」
大丈夫、この前読んだこの国の百科事典にもファームハウスで載っていたわ。
「あら、バラ以外にも色々育ててらっしゃるのね」
「ええ、果樹と食用のハーブを少し」
「向こうでは農場と牧場もやっております」
ええ、牛と馬がいますね。あとちょっとだけ堆肥の香ばしい匂いが……まあ仕方ない。
その日の夕食は地魚と自家製ハーブのアクアパッツァと自家製チーズをふんだんに入れたパスタ。季節の野菜のサラダとスープ。それに牡蛎とムール貝の白ワイン蒸し。
まさに絶品で、お祖母様の料理の手際に感心してしまったわ。
さらに、お風呂はなんと自家源泉。温泉が沸いてるんですって!しかもローマン風呂みたいなの。
夢みたいなお屋敷だわ!
寝る前には蜂蜜とミルクを入れたカモミールティーを出して下さったの。
一通り大はしゃぎしてしまったせいか、その日は私もリオ様もすぐに眠ってしまいましたとさ。
目が覚めて、窓を開けると東の空が白んでいる。昨日の雨のせいで、少し霞がかっているけれど、朝焼けが眩しい。思ったより早く起きてしまったかな。
「お手洗いはどこなのかな」
客室を出て一階に降りる。するとお祖母様がお勝手からカゴを取り出している所だった。何をするんだろう?
「おや、エリーゼお嬢様。おはようございます」
「お祖母様、おはようございます。こんな早くからお仕事ですか?」
「あらあら、鶏小屋に卵を取りに行くんですよ。朝ご飯用にね」
「あの、おトイレ行った後、私も一緒に行ってもいいですか?」
「お嬢様が?いけませんよ。奥様に怒られますよ?」
「お祖母様と私の秘密にしておけば分からないわ。それに、私こういうお家に住むの夢だったんだもの」
これは本心だ。前世の私も、今の私も、こういう素朴で豊かな暮らしの家に憧れていた。
「仕方ないわねぇ。こちらですよ」
外は朝霧で少し霞んでいて、庭先はとても幻想的な雰囲気だった。
お祖母様はこんな田舎でガーデニングをしているとは思えないほど、とても上品な方だわ。
前世のウチの婆ちゃんとは大違いね。農道のポルシェとか言って、収穫した稲をカントリーエレベーターに持ってくのに軽トラで農道ぶっ飛ばしてたもんね。法定速度内でだけれど。育ちが違うわ。
とはいえ、ハーブガーデンも兼ねたお庭は結構な広さだったわ。
お祖母様はところどころで栽培しているハーブを収穫しながら、鶏小屋へゆっくりした足取りで向かう。
「このハーブは香りが良くてねぇ、お肉と合わせると香ばしくなるんですよ」
「ローズマリー!」
「このお花は女性の病によく効くのよ。他にもよく眠れない夜には、このお花のお茶をミルクと蜂蜜と一緒にいただくと良く眠れるの」
「カモミール!私も大好きなの!」
「おやおや、お嬢様は物知りですねぇ。あちらはタイム、ジュニパーベリー、ペパーミント、バジル、オレガノよ」
ゆっくりと、ハーブを摘みながら進んで行くお祖母様と私。きっと側から見たら孫娘とお婆ちゃんに見えるんだろうな。
「さあ、もうすぐですよ。
あそこで鶏が産んだ卵を集めるのよ」
小さな足音が近づいてきた。リオネル様かな。
「エリーゼ姉上!」
呼ばれて振り返ると、寝間着のまま息を切らしたリオネル様がいた。よく見ると裸足のままだ。
「リオネル様!おはよう、どうされたの?」
「嫌だよ、姉上……僕を置いて行かないで……!」
リオネル様はそう言って、私に抱きついて、堰を切った様に泣き出した。
今まで我慢していたものが溢れ返った様に。
「大丈夫よ、リオネル様。私はずっとずっと一緒だからね?」
こんな小さい身体で、あんなにも過酷な仕打ちや運命に、耐えていたの?
そう思うと、胸が苦しくて、やるせなくて私も涙を流していた。
「ごめんなさい、もっと早く助けにいけばよかったのに……あんな馬鹿な事を言わなければ……うええぇん!」
リオネル様と私二人で泣いた。わんわん泣いた。
お祖母様は優しく私達を抱きしめて、頭を撫でてくれた。
「もう大丈夫よ。大丈夫。良く耐えましたね、良く帰って来てくれましたね。貴方たちは強い子ですよ」
あの時の土と草木の匂い、お祖母様の温かさは、きっと生涯忘れられないわ。
お屋敷に戻った後、お祖母様が暖かいミルクティーと、キャラメルと、スミレの砂糖漬けを下さった。リオネル様のお母様が大好きだったと聞いたら、リオネル様はまたポロポロと泣き出してしまった。
やっぱり、お母様が恋しいのね。大人びているからと言っても、まだ悪役令嬢と同じぐらいの子供なんだ。皆が皆、そんな当然の事に気にも留めないまま、リオネル様に随分と無理させてしまっていたんだわ。
かくして、不幸だったリオネル王子は、優しいお祖父様お祖母様に引き取られて、その後も仲良く慎ましく暮らしましたとさ。おしまい。
……そうなると思うよね、普通は。
帰りの馬車の中、私の隣にはリオネル様が座っている。名残惜しそうに、お祖父様のお屋敷の方を見つめながら。
「残らないの?リオネル様」
「うん、僕のいるべきは公爵家だから」
「賢明な判断ですわ。万が一、何かあったらお祖父様たちを巻き込んでしまいます」
「無理通して、申し訳ありません。リオネル王子」
「いえ、お父様。気になさらないで下さい。これは僕が決めた事ですから」
「でも、お祖母様からハーブをいっぱいもらったし、また来て下さいね!って言われたわ!また来たいわ!」
「うん、僕もまた来たいな。出来れば……」
相槌を打つリオネル様は、嬉しそうに微笑んでいた。
リオネル様がようやく笑ってくれた。
なんだか胸がいっぱいになって、私は泣きそうになる。おかしいな、リオネル様の笑顔に初めて会えた様な気がする。ゲームの立ち絵やスチル絵で何度も見ているはずなのに。どうしてだろう。
「今日のメインディッシュは貰ったローズマリーを使って香草焼きにしようか」
「はい!お父様!」
「わぁ……!楽しみです」
後に知ったのだけれど、あの時、お父様とお母様は、リオネル様をお祖父様に引き渡す覚悟をしていたのだそう。
でも、私とあんまりにも仲が良くて、引き離すのは可哀想だと、お祖父様とお祖母様が身を引いてしまったらしい。悪い事をしてしまったわ……
でも、私もリオネル様も、お祖父様とお祖母様に懐いてしまって、あのお屋敷もすっかり気に入ってしまったのよね。
その後も、公爵邸にお祖父様とお祖母様をお茶会にお招きしたり、リオネル様の療養と称して、何度もあのファームハウスにお邪魔することになるのよね。お祖母様には「なんだかエリーゼ様は私の孫みたいですねぇ」って言われてしまったわ。
だって、まるで、前世の田舎のおじいちゃんおばあちゃん家みたいなんだもの。




