メイドのアニータと内緒の話をしました。
夜も更けてきたわ。お風呂の時間ね。
バスタブには傷んで摘んでしまった庭園の薔薇を浮かべてある。赤、白、黄、ピンクと色とりどりだわ。チューリップの歌かな?
「いい匂いだわ。素敵ね。ありがとう」
「少しでもお嬢様の心が安らげばと、庭師のハンス達からいただきました」
ここのところ気が滅入る様な事が立て続いたのもあって、こういった使用人達の心配りには頭が下がる思いだわ。
「エリーゼお嬢様、お背中流しますね」
「ええ、お願い」
アニータに背中を洗ってもらう。何だかくすぐったいわ。
この地域のお湯は軟水で、お風呂に入っても問題ないから入浴の習慣があるのよね。
王都の方は硬水で、カルシウム分が多くて、すぐ髪や肌がバリバリになるから簡単なシャワーで済ませることが多かったわね。飲み過ぎると尿結石や胆石などになることもあるんだって。
前世なら硬水を軟水に変えられる入浴剤なんてものもあったのにね。
まあこの辺の話は、前世の友達や海外旅行好きの先輩や後輩達に聞いた話なのよね。前世の私は……国内の別ゲーの聖地巡りで精一杯だったから……。
「ねぇ、アニータ。リオネル様の事、何か聞いている?」
「リオネル王子付きになったメアリーに聞いたのですが……
リオネル王子の体調はまだあまりよろしくないとの事です。奥様はしばらくリオネル王子の療養を優先されるとの事です。
お嬢様もお寂しいでしょうけど、どうか我慢なさって下さいませ。
それと、私の叔父をお呼びになるそうです」
「アニータの叔父様を?
ゼス先生は回復術師で、お医者様よね?
王宮に仕えていたのに辞めて、王都で診療所をやってらしたはずだけど、そちらはどうするの?」
アニータの父親は元々良い所の貴族の三男坊なのだけど、爵位を継げず、お医者様として生計を立てていたのよね。
だけれど、早くに亡くなってしまい、王宮仕えの回復術師だった弟さんのゼス先生が、診療所を引き継ぎ、幼いアニータを引き取って育てたのよね。
でもしっかり者のアニータは、そんなゼス先生の負担になりたくないと、成人してからすぐにウチの使用人になったのよね。
そのおかげでゼス先生とキャロルット公爵家は懇意になって、何か調子が悪ければゼス先生をお呼びしていたのだけれど。
屋敷内でもいまだにアニータは医者になるべきって声が多いのよね……私もそう思うわ。
実際ゲームの方だと、アニータはキャロルット公爵家を離れていて、学園の大学院の研修魔法医として登場するのよね。
「大変言いづらいのですけれど、叔父は半年前に身体を壊してしまい、知り合いに診療所を任せていて、半分隠居生活を送っていました。
ですが、リオネル王子の話を聞きつけて、居ても立っても居られないと、こちらに駆けつけるそうです」
「ありがたいわ。ゼス先生は腕利きですものね。でもリオネル様もゼス先生も、薬草や回復薬でパッと治ったりしないのかしら」
「怪我や簡単な病気なら、魔法や薬草院の市販の薬でも治るんですが……
リオネル様のご病気は精神的な物の様ですからね」
「でも鬱病はビタミンⅮ不足とか、ヒトパピローマウイルスが……」
そこまで言って口をふさぐ。
「えっ?それを何処で?」
「う、噂で聞いたのよ。本当かどうかは分からないの。でも抗生剤みたいな魔法ってないの?」
「コウセイザイ?ウイルスや細菌だと、下手したら回復魔法で増えちゃうかもしれないんですよね……」
ええ?意外と不便だわ。魔法って。
「叔父の病気は厄介な事に、そういった治療の効かないものなんですよ。
その、長年机仕事していたから腰の脊椎がずれちゃって。
ヘルニアという病気らしいんです。
腰が痛くて、働けていないのに『死んだ兄さんの残した愛娘から施しを受け取ったら兄さんと父上と先祖に申し訳ない』って、私からのお金を受け取ってくれないんですよ。
全く、大袈裟ですよね」
ちょっと待って、ヘルニアも魔法効かないの?
「ゼス先生らしいわね。
ねえ、アニータ、貴方がゼス先生の診療所を継いだら?
きっといいお医者様になれると思うの」
「いいえ、私はお嬢様のお世話がありますから」
そう言って笑うアニータ。
きっと、アニータは明るい話題で私を心配させまいとしているのでしょうね。
「それで、リオネル様を襲った犯人は?見つかってないの?」
「ええと、それは……」
「これは命令よ。教えなさい」
お母様のような、強い口調。今世のエリーゼになって初めて使ったかもしれない。
「……旦那様から、お嬢様には言うなと言われているのですが」
もうお父様、いらん気を使って……。
「大丈夫よ。ミステリー系や探偵小説で血みどろは慣れてる」
「ミステリーケイ?」
「殺人事件を主題にしたお話よ。とにかく話して」
「どうして公爵家のご令嬢がそんな低俗で、物騒なもの読んでらっしゃるのですか……もう、本当に秘密ですからね?」
ミステリが?前世の文芸部や図書委員の子達はよく読んでだけれど。なんだか価値観が違うみたいだわ、これがカルチャーショックってヤツなの?失念したわね。
「今、旦那様が王都と連絡を取り合って確認しているのですが、今現在犯人が騎士団や王宮警備兵に捕まったという話はないとの事です。
旦那様達の話によると、犯人の特定は難しいようです。
王宮の誰もが皆、犯人の姿を見ていないと、口を揃えて言うのだそうですよ」
嘘でしょ?そんな事が出来るとしたら、多分。いいえ確実に……
「首謀者はおそらくリオネル様を忌み嫌う、ヴェロニカ王妃と、そのご実家のドルシュキー公爵家の手の者だろうとの事です」
「でしょうね。ドルシュキー公爵家派閥……この国最大の貴族派閥で、王妃様のご生家だものね。
それに、王妃様はリオネル様を忌み嫌っているもの。妾腹の、陛下に似ても似つかない子どもだって」
ドルシュキー派は、ヴェロニカ王妃の出身であるドルシュキー侯爵家を中心とする派閥で、本来のゲーム内容であれば、悪役令嬢とキャロルット公爵家も所属するはずの一派ね。一応遠縁だからね、本当に反吐が出るわ。
ドルシュキー領は鉱山や工場地帯、貿易港も多く、良くも悪くも稼ぎがいい。だから羽振りも良く、王宮内でも声が大きいのだけれど。
「でも、あそこの鉱山や工場、貿易商はいわゆるブラック操業の所が多くて、しかも賄賂で役人や教会関係者、他の貴族をどんどん買収しているのよね。
そう考えると、犯人も公爵家の人間が外部から雇い入れたのかもね」
「ええ、それがもし外国からの流れ者だったなら、実行犯の特定もなお難しいかと……
うーん。ただ、リオネル王子の傷跡から察するに、かなり特殊かと思われます」
「素人のものじゃないの?」
「おそらくは。叔父の診療所は騎士団の訓練所の近くにあって、私も幼い頃に、回復魔法や包帯を巻いたりして、仕事の手伝いをする事もありました。彼らの太刀筋や、怪我を何度も見ていますが……」
そこまで言って、アニータは息を飲む。
ああ、これは言い辛い事を言おうとしているときの、アニータの癖だわ。
何年も付き合っているもの、何となく分かってしまうのもキツイ。
「……この辺りの剣術流派の太刀筋では無いと思います。
それに、あれだけやって、生かしてあるなんて……拷問に手慣れているかと」
背中がぞくりとした。拷問?何故?聞き違いではなく?
「素直に暗殺を狙ったものではない?」
「仮に暗殺だとしても、急所を刺さない様な、あんなまどろっこしいやり方はしないでしょう。人の身体は存外強いようで脆いものです。
……いえ、私も医術や犯罪の手口の専門家ではありませんし、素人判断ですからあまり信用なさらない方が良いかと」
「……それでもアニータが口にするって事は、何か根拠でもあるんじゃない?
そう、貴方の叔父様も同じ意見だとか」
「……何で分かっちゃうんですか?もう……
お嬢様の仰る通りです。その辺りは叔父の方が詳しいと思い、手紙で意見を聞きましたが、やはり同じ見立てでした」
そんな、酷いわ。拷問なんて。目の前が真っ暗になる。
それにしても、ドルシュキー派は、何故そんなにリオネル様を付け狙うのだろう。
「庶子のリオネル様を王に」なんていう声はあるにはあるけど、有力な後見がないからただの絵空事なのよね。
フィオ殿下が国王として戴冠するのは、ほぼ決まっているようなものなのに。
それなのに、何の権力のない、大人しく従順な子供を……リオネル様を殺そうとするの?
何がそんなに気に入らないの?王子だから?妾の子だから?頭がいいから?
闇の魔力を持っているから?それとも念のため?
「まさかリオネル様を殺したのはキャロルット公爵家だと吹聴して、貶める為じゃないわよね」
そう言って、私はため息をつく。すると、お風呂の水面に浮いているバラの花びらも揺れた。
アニータは静かに嘆息して、私の正面から向き合う。
「……お嬢様。これはお嬢様の身を守るためでもありますから、ご報告させてください。
リオネル王子が、以前王都の公爵邸に来られた時、お土産を持たせたのを覚えていらっしゃいますよね?」
「ええ」
「あの中に、銀のカトラリーを一式潜ませていたのです。
そして、あの事件の時、公爵邸に運び込まれたリオネル王子の懐から、あの時お渡しした銀のフォークが見つかったのです」
銀と聞いてピンときた。
「……銀は、変色していた?」
アニータは無言で答える。その答えを長年の付き合いで察してしまう。
「……リオネル王子は、やはり命を狙われていたと思われます」
アニータの静かで、無慈悲な答えに、私は顔を両手で覆う。
リオネル様は王宮で、食事を出してもらえないばかりか、その食事にも。それを察して、敢えて食事を取らなかったというの。
「なんて事!」
「お嬢様もお気づきかと思いますが、お食事に使う食器やカトラリーを、念のため、全て銀に変えさせました。どうか、お嬢様も細心のご注意を」
それはリオネル様のみならず、公爵家の私たちも狙われる危険性があるという事なの?
「……ただ、毒についても、疑念が。王室で使われている様な純度の高いものではなく、まるで市中に出回っているような粗悪……いえ、出過ぎた真似ですね」
……私は、リオネル様を助けるどころか、不用意に、ミステリアスローズの舞台裏で繰り広げられていた王宮の権力闘争に首を突っ込んでしまったんだわ。しかも家族まで巻き込んで。
バスルームから私の部屋に戻り、アニータに魔法で髪を乾かしてもらう。
アニータは簡単な風属性と回復の魔法が使えるのよね。ちょっと羨ましいわ。
私はまだ、魔法は上手く使えないのよね。
しかもあの王宮での事件で聖女の秘儀を使ってから、私の魔力が格段に落ちてしまっている。いまだに、出来ないはずの事が、どうして出来たのかは分からない。
でもこの魔力の低下は、私にとって当然だと思っている。私は聖女じゃないから。
助けてはならないリオネル様を助けようとした罰なんだろう。
「それにしても……」
アニータは不思議そうに首を傾げた。
「最近、お嬢様とお話ししていると、同世代と話をしている気がします。まるで探偵物語を読み漁っていた幼馴染の様ですわ」
「そ、そうかしら?私、その探偵物語読みたいわ。アニータ貸してくれる?」
「ですから、そんな低俗な物は駄目ですよ。お嬢様」
低俗なんて言わないでよ。最高に楽しいのよ、探偵小説は。
うーん。正直私もアニータと話していると、前世の同級生の友達と話している気分になるのよね。アニータの年と、前世の私が死んだ年代と近いからかしら。不思議だわ。
「どこか濡れている所はありませんか?お嬢様」
「特にないわ。アニータ」
「あの」
「何?」
「……リオネル王子の件については旦那様が精力的に動いていらっしゃいます。
この事件の犯人は必ず捕まえるとの事ですから、どうか気に病まないでくださいね?」
「ええ、わかっているわ」
そう言って私がベッドに入ると、アニータは部屋の魔法灯の明かりを消す。
「おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみ。また明日ね」
パタンと扉が閉まり、アニータの足音が遠ざかっていく。
リオ様は、今夜もベッドの中で襲われたあの日の夢を見るのだろうか。それとも王宮で王妃様に謗りを受ける夢?
……私のせいだ。私のせいでリオ様はあんな酷い事になったんだ。
あんな事言わなければよかったんだ。大人しく、リオネル様が教会に行かれるのを受け入れて、フィオナ殿下の、たった一時の婚約者としての人生を粛々と歩めばよかった。
そしてゲーム通りに婚約者をヒロインに盗られて、嫉妬に狂い、王太子妃候補の座も奪われ、学園も追い出され、公爵家令嬢の身分もはく奪されて、最後には一人みじめにリオネル様に殺される。そんな運命を受け入れ、大人しくこの身の破滅を待てばよかった。
ええ、そうよ。私なんて殺されてもかまわないわよ。一度死んだ身だもの。怖くないわ。それでリオネル様の命が助かるなら、喜んでこの身を差し出すわ。
だってリオネル様の生存ルートは、前世からの悲願なのよ。
ゲームの不人気ラスボスキャラの救済なんて、どう考えてもありえないわよね。馬鹿だなあ、前世の私は。そんなことにムキになっちゃって。
まあ、不人気キャラを好きと言っちゃって、馬鹿にされたりもしましたがね。もうね、諦めの境地でしたよね。
だからといって、今、私の目の前にいるリオネル様が傷つくのは嫌。辛い思いをさせるのも嫌。リオネル様が殺されるなんてもっと嫌だ。あんな苦しい思いはもうこりごりよ。
私はベッドの中で泣いた。静かに泣いた。
リオネル様や両親に聞こえないように、心配をかけない様に、静かに声を押し殺して泣く。
いいえ、泣いているだけではダメ。悲しみに暮れていても、パニックになろうと、その時は来る。私が殺されるその時までに、リオネル様が少しでも長く生きられるルートを、方法を見つけなきゃ。




