夜の湖を散策しました。
フィオナ殿下が王都からウチの公爵家領の屋敷に来襲した今日。本当に色々あったし、本当に情報……情報が多かったわ……。
数年も王都から離れていれば仕方のない事なのかも知れない。
ウチの領地に戻ってからはティーガウンや締め付けのない服ばかり着ていて、久しぶりにコルセット付けてドレスフル装備だったし……何だか、ものすごく疲れたわ。
なのに、ネグリジェに着替えてベッドで横になっても、何故か目が冴えてしまって寝付けないのよね。まだ緊張が解けないのかしら。
侍女のアニータが気を使ってくれて、カモミールティーを入れておいてくれたのよね。バルコニーに出て、星や月でも眺めながら飲もうかな。
本当は、緑茶と和菓子が食べたいのよね。豆大福、水ようかん、水まんじゅうが恋しい……。
今度頑張ってイモから片栗粉自作して、わらび餅でも作ってみようかな。そのためにはまず、厨房の主たる料理長ロックを倒さないと。あとお母様と、この国の常識もか。
公爵の娘って権力がある割に、思っていたよりも不自由で、何かと不便だわ……。
そんな事を考えながらもベッドから起きて、バルコニーに繋がるガラス扉を開ける。
私の部屋は屋敷の三階にあって、なかなか展望がいいのよね。
今日は満月か、月明かりがはっきりしているわ。
そのせいか、星はあまり見えないのが少し残念ね。
「月が綺麗ね……」
満月が、湖面に映ってキラキラ輝いている。幻想的だわ。
こういうのを恋人と見れたなら素敵だろうな……。
……なのにどうして月を見た瞬間に、お団子と月見そばと月餅が食べたくなるんだろうね。前世が日本人だからね、仕方ないね。
「姉上、起きているのか?」
「リオ?」
私の部屋のすぐ下、二階のバルコニーからリオの声がした。
私の私室の真下にリオの私室があるのよね。たまにこうやってバルコニー越しに話をする事があるのだけれど。
「……そっち行っていいか?」
「え?夜も遅いし、明日の朝でいいじゃないの?それにどうやってここに来るのよ、今晩はフィオナ殿下がいらっしゃるから警備が厳重で……」
「登る」
「はい?」
そう言って、本当にリオは下からバルコニーに登ってきたわ。スタイリッシュアクションゲームのキャラクターみたい。この世界にパルクールなんてあったかな?と感心していたら。
「うわっ?!」
「危ない!」
リオが最後の最後で足を踏み外してしまった。慌てて私が手を貸して、リオを辛くもテラスの中に引っ張り込めたものの、リオが私を押し倒すような形で倒れ込んできた。
「重っ!ちょっと危ないじゃない。変な所打ったらどうするのよ」
「ごっごめん、姉上!責任は必ず取るから?!」
「何の責任!?」
責任?要介護的な?最推しに迷惑かけるぐらいなら自力でホスピタル的な所探すわ。
まさか結婚とか……?いやいや、クソエモ感情抱えた限界オタク如きが最推しと恋愛、ましてや結婚なんて……そんな恐れ多い事出来るわけないじゃない。それに少女漫画や恋愛小説みたいな都合のいい事が現実にあるわけないし。
悲しいけど、これぐらい現実として受け止めているのね……辛い。
うん。自分、今軽くパニックになっているな。
リオの方もパニック状態になって流石に恥ずかしかったのか、リオの顔が真っ赤だわ。まあ、お互い寝間着だものね。リオから汗とか男の人の匂いがするわ……。うう、これがゲームのリオネル様だったらなー、なんて考え……無理、恥ずかしくて死ねる……!
「……いや、何でもない。今日は色々あったからな。大丈夫?」
「いえ、まだ把握しきれてなくて。
それはそうとリオ、よくも婚約者の前で悪く言ってくれたわね」
「実際バカだろ……それに姉上は社交界や王宮には向いていないだろ」
ううっ嫌な所を付いてくるわね……最推しの顔と声で言わないでよ。本気でヘコんで泣いちゃうじゃないの。
「それぐらい自分でも分かってるわよ」
「いいや、分かってないだろ。あのな……
王妃であるヴェロニカ義母上や、外戚のドルンゲンの爺様達は、貪欲で非常に狡猾な方だ。
エリーゼ姉上がフィオナ兄上に嫁いで王宮に入った所で、義母上の毒牙にかかるか、長いものに巻かれて奴らの言いなりになるかだ。
ならいっその事、殿下との婚約を蹴って、王宮から距離を取って、公爵家を継いで婿を取り、この領地で余生をのんびり過ごした方がよっぽど平穏で幸福じゃないのか?」
真面目な顔をして、そう諭すリオ。
年相応のあどけない少年には似つかわしくない発言だわ。
それにしても、リオの口から婚約破棄の話が出るなんて意外ね。
まあ、私としても出来る事なら早めに対処したい案件ではあるのよね。だけれど。
「でも王太子殿下との婚約破棄なんて。私の一存でどうにかなるものではないし……そんなことしたら、不敬罪にならない?……それに、うちの家門の面目潰れて、王宮内や社交界で冷遇されたり大変なことにならない?」
これなのよね。私の都合で、お父様やお母様まで迷惑をかけるわけにもいかないし。何か穏便に済む方法はないかしら……。
最終手段として、リオと一緒に「婚約なんて知らねえ!俺は修道女になるッ!」と言い残して修道院にダイナミック出家すればいいけど。多方面に迷惑がね……。
「……何、その程度で済めば恩の字だ」
ひえぇ。こういう冷めた所はファンに魔王と呼ばれたゲームのリオネル様そっくりだわ。
余談なんだけれど、リオって精悍な顔立ちで、目つきが鋭いのよね。ゲームでのリオネル様はどちらかというと柔和で、物寂しそうな印象だったから、まるで別人のようだわ。
前世の記憶を持った私の介入があったとはいえ、たった数年育った環境が異なるだけでこうも印象が変わるのかな。
しかし、こう改まって見ると、前世の私の最推しって端整な顔立ちなのがよく分かる。ああ顔がいいわぁ。声もいいけど……尊い。
後は性格と口の悪ささえ直せば最高なんだよな、と思ったら無意識の内にこんな事を言っていた。
「……だから、その。よければ、俺と……」
「どうしたの、リオ。そんな殊勝なこと言って。いつもの性格の悪さと口の悪さはどうしたの。頭でも打った?」
ガックリと肩を落として、リオはため息を盛大について。
「……だから馬鹿なんだよ、姉上は」
ぐぬぬ、何か言い返そうと口を開こうとした矢先。
「何を愉快な事を話しているんだい?」
「フィオナ殿下?」
フィオナ殿下まで私の部屋のバルコニーに登ってきましてよ。
二階にある客室からここまでそんなに遠くはないけれど、どうなってるの?ローズベル王子兄弟ってこんなにアクティブだったかな?自由すぎか。
「兄上、何をしておられるのですか?こんな事、王妃様に知られたら……」
「リオネル。これは何かな?美しい夜更けに私の婚約者を誘惑しようとは……大した異母弟だね」
「……まさか、誘惑なんて」
殿下がムスッとしてリオを睨みつけると、リオは反射的に別の方へ向き、小さく舌打ちした。
えっ?舌打ち?!リオが!?殿下に??!
フィオ殿下とリオって仲が良いんじゃないの?殺伐王宮ライフの癒やし、オアシスじゃないの?ローズベル王子兄弟推しのファン多かったのに?いや、現世でもそういうファンがいるかもしれないじゃない。王宮勤めとか、お貴族の間で。
あっ私の今の立ち位置って王子兄弟の間に挟まって、二人の仲を邪魔する女!?そういう層に恨まれない?ただでさえノマカプや夢界隈は肩身狭いのよ?なるべくリオネル様界隈を潰す可能性のある炎上案件とは距離を取って平穏無事にステルスオタ活してきたのに!
……ええ、リオネル様界隈は本当に小さかったから……炎上なんかも無縁でしたから……マイナーだからって拗ねてないもん。
人気のあったフィオ殿下たちは公式のグッズ展開もあったけど、リオネル様はあまりなかったし……あったとしてもシークレット枠。ちなみに前世の私はそのシークレット枠当てられなかったのよね。悲しみ。
「ごっ誤解ですわ!リオとは何もありませんでしてよ?ですから、どうか大事には!」
それに最推しにそんな恐れ多い事出来るわけないじゃない!?限界オタクと推しとの間には次元以外にも越えられない壁がありましてだな?!
「ふふ、そうだよね?君は私の婚約者で、将来の王妃。賢い君がリオネルとそんな無茶をするわけがないよね。冗談だよ、冗談」
そんな事言われましても、目が全く笑っていませんよ。むしろ座っていますわ、殿下!
内心動揺する私を他所に、フィオナ殿下はニッコリとこんな提案をしてきました。
「しかし見事な月だな。宮廷画家にでも描かせたい光景だ。
ねぇ、屋敷を抜け出して、湖でも見に行かないかい?」
屋敷を抜け出して、すぐ目の前の湖までやって来たわ。フィオナ殿下、風の魔法も使えるのね。風の空中浮遊魔法でバルコニーからあっという間にお屋敷から抜け出せたわ。今晩のお屋敷の警備担当、ごめんなさい。
お屋敷の方を仰ぎ見る。お屋敷は三つの建物から成り立っていて、旧領主の館と修道院、お爺様が見栄とひいお婆様の療養のために建てた新館から成り立っているのよね。私たちが普段使っているのは新館で、他の二つは出入りも禁止されているのよね。
それにしても、月明かりで夜道が見やすくて助かったわ。
「美しいな……」
「そうですね。侍女の話によれば、この湖には水の精霊が宿っているそうですよ」
「へぇ……。おや、あの光は?」
湖畔を飛び交う小さな光。この光景は前世の教育番組で見覚えがあって、慌てて屋敷の百科事典で調べたらこっちでも同じ名称だったのに驚いたのよね。
「蛍ですね、夜になるとお尻が光る昆虫です。今の時期が見頃だそうです」
「ホタル……ふぅん、変わった名前だね。お尻が光るの?何故?」
「ルシフェリンが……ええと、一般的には求愛行動と言われていますが」
直球過ぎる受け答えだったかな。少し気まずい雰囲気だわ。
「……もう少し、歩こうか」
「ですね!」
「フィオナ殿下。社交界にはどなたを連れているのですか?」
「あの事件以来、自粛傾向であまり舞踏会も行っていないけれどね。
まあ、色々間違いの冒しようのない方とね。君の方は?」
……舞踏会を自粛?ゲームの前日譚でリオネル様が教会で襲われて闇の魔力を暴走させた時は、そんな話はなかったのに。ここでも差異が出てしまったのかしら。
「いえ、全く。社交界から遠ざかってしまいましたわ」
「……お茶会にも?一度も出ていないの?」
そう言って眉をひそめるフィオナ殿下。バツの悪そうなリオ。
「ええ、両親やリオ、家庭教師とのティータイムをカウントしなければそうなりますわね。何しろ近隣の貴族の方をお呼びするにも、遠すぎて断られてしまうのです」
多分これは表向きの言い分でしょうね。本当の所は、何処かの大貴族から圧力がかけられているのでしょうし。
まるで、軟禁されているみたい……。
「野暮な事を聞いてすまなかった。お詫びと言っては何だけれども」
そう言うとフィオナ殿下は、私の目の前で手を差し伸べた。まるで、舞踏会で貴公子がレディにダンスを願い出るような……。
「エリーゼ、少し私と踊ってみるかい?」
本当に願い出たわよ、この王子様。
「えっ?でも私、今来ているのはネグリジェですよ?それにダンスの先生としか踊った事はなくて」
「私が初めてかい?大丈夫、私に身を委ねて」
ダンスを踊るだけなのに、とろけるような笑顔、良い声でそんな台詞、言わないでくれませんか?殿下のファンが皆卒倒しますわよ?
そうこうしている内に、手を取られ、腰も押さえられてしまう。くうっ……この王太子、流石に手慣れているな……!
「そうそう、上手いじゃないか」
「殿下ったら、お世辞が上手ですのね」
いや、本当に貴方について行くので精一杯ですからね。
それにしても、ネグリジェ姿で踊るのってどうなの?泥でも付いて、後でアニータにバレて怒られないかな。
ようやくフィオナ殿下から解放され、一息つけるな……と思った矢先。
ガシッとリオが私の手をガッチリ掴んで、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「エリーゼ姉上。俺とも是非、一曲踊ってくださいますよね?」
あっこれなんかミスったかな?死亡宣告受けたような心地だわ。
「えっリオ?ミスった?何か間違っていたの?ステップ?姿勢?でもその前に休ませて……」
「ご明察の通り。問答無用」
そんな私の言葉も聞かずに、リオはワルツを踊る。
「テンポが遅い。もっと早く。ほら、そこでターンして!もっと優雅に、淑女らしく!」
ああ、そんなにくるくる回さないで。目が回るわー。
長らく続いたリオのスパルタダンスレッスンからようやく解放されたわ。それなのに、まだ息が上がっているわね。
何でリオは私に当たりがキツいのかしら?まあ、私が未熟で粗相ばっかりしてるからだけど……。
「リオネル。敵に塩を送るのは癪なのだけれどね。
もう少しレディの扱いをしないと、伝わるものも伝わらないんじゃないかい?」
「姉上はまだレディではありませんからね、徹底的にしごかないと」
「……君達さ、何で表現すれば良いのか分からないけれど、感情の表し方がさ……拗れてない?」
ゼーゼーと上がった息のせいであまり聞き取れなかったんだけど、物凄く失礼な事を言われた気がするわ。
不意にフィオナ殿下が辺りをくるりと見回した。まるで周囲の何かを警戒するように。
「どうされたのですか?」
「いや、問題はなさそうだ」。
改まって真剣な表情になるフィオナ殿下。
「さて、……本題に入ろう。
リオネル、エリーゼ。あの事件の犯人の顔、覚えているか?」




