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第三章 双子迷宮のジェミ王国 8話

 身体が引っ張られる。何か。黒い。無数の手。肩を掴まれ、腕を掴まれ、ゆっくりと沈んでゆく。絵を描いた後に、川で水浴びをしている時に身体を沈めていったときに感覚が似ている。しかし、これはそんな気持ちのいいものじゃない。森の中にあった底なし沼にはまってしまったような感覚。

――あそこにいるのは誰だ。あの赤い髪の綺麗な少女は誰だ。あの真紅のドレスを纏っている。私が小さい頃に憧れた母のドレスを纏っている少女は誰だ。

 屋根についている窓から覗き込んでいるキヨが見ているのは、自分と同じ顔をした少女が、ヤマトに対して何かを話しているところだった。窓が音を遮断しているので内容は聞こえない。彼女は自分の背中に触れてくるような感覚から抗うのに必死だった。

 しかし、目が離せない。凛々しく話している自身の姿を、王族としての責務を全うしている自身を、皆から信頼の目を寄せられている彼女を――。彼女が羨ましい――。

「あっ」

 声が出た。黒い何かに思いっきり引っ張られて、抵抗できずに黒い何かに沈んでゆくのがわかった。

 思わず目を閉じる。どす黒い水の中に沈んだような感覚。いったいどうしてしまったのか。キヨは覚悟を決めて目を開く。

 しかし、そこには何もなく真っ暗な浮遊空間だった。自分が今どこに立っているのかもわからない。ふわりふわりと浮いている。初めての感覚にキヨはそのまま気を失ってしまう。

 気が付くと、ゴミ山の上で寝そべっていた。辺りに人はいない。キヨはすぐにその辺にあった布を拾い、咄嗟に顔を隠した。

 入国時に来た貧民街だ。キヨは動転した。自分は、城の窓から姫を観察していたはずだ。城から落下したとしてもこんな離れた土地で目を覚ますわけがない。キヨはすぐに立ち上がろうとしたが、身体が動かなかった。

「あれ? なんか、動く気力が」

「やあやあ」

 気力がなく、だんだん意識が呆然としてゆくキヨの元に一人の少年が尋ねる。

「貴方は……双子の」

「そう。僕はカストル。よろしくねー。キヨ姫」

「なぜ、貴方がここに」

 キヨは動揺した。今の状況もだが、カストルには自分が王族の娘であったことは話していなかったはずだ。そのように呼ばれる覚えはなかった。

「ん? 君が落ちてきたからだよー。僕は脱落者の管理をしているんだぁー。あっ、ポルックスは、城内にいるよー」

 キヨはまだ呆然としていた。カストルの言葉が耳に届くも心地の良さにうとうとしてしまう。

「君は、受け入れることが出来なかったんだよねぇ。城が襲われなかった自分。王族としての責任を果たしている自分の姿をねぇ。あれこそが君がなりたかったけどなれなかった姿だもんねぇ」

 カストルの言葉に、自分は再び姫として君臨していた自分自身の姿を思い出す。その姿を思い浮かべると、彼女は自然と涙が出てきた。

「おやすみ、キヨ=オフィックス。君は頑張らなくていいんだぁ。後は、『代わり』がやってくれるよぉ」

 カストルの言葉を聞き終え、キヨは涙を流しながらその場でもう一度眠りについてしまった。



 キヨが貧民街で眠りについた頃、ミノタウロスに運ばれていたアステリオスは彼のアジトにたどり着いていた。

 入り組んだ町の道を渡り、ようやくたどり着いたその場所は、抱えて連れてこられたアステリオスでは覚えることが出来ない道だった。

 裏道にある扉を開くと、そこには大きなバーがあった。

「あぁー! 兄ちゃん! おかえりー!」

「おかえりー!」

 ミノタウロスが入ってきた瞬間、甲高い子どもの声が部屋中に響き渡る。

「しー! うっせえぞお前ら!」

 怒鳴ってはいるものの、顏は笑顔だった。寄ってくる子どもたちの頭をその大きな手でわしわしと撫でるミノタウロス。アステリオスはそれについてくる他なかった。

 子どもたちはそんなアステリオスを興味津々に見つめる。

 アステリオスはこうも無言で注目を集めることに慣れておらず、どこを見ていいかわからず目が泳いだ。

「すまねぇな。アステリオス。とりあえず座れや」

 ミノタウロスが椅子を差し出すので、アステリオスはそれにちょこんと座る。

 その間もミノタウロスに対して子どもたちがひっきりなしに

「誰? この小さい人!」

「知り合い!?」

 と問い詰めている。

「……賑やかだね」

 アステリオスは思わず苦笑いをしてしまった。自分の周りが賑やかだったことは、コブラたちと旅をするまで一度もなかったと彼を羨ましく感じてしまう。

「こいつらはな。親が『堕ちちまった』連中なんだよ」

「落ちた?」

「あぁ。この国は二種類ある。知っているか?」

「ごめん。僕はここに来たばかりなんだ」

「じゃあ、ドッペルゲンガーって言う化け物の話は知っているか?」

「ん? なんだいそれは」

 ミノタウロスが話す言葉をアステリオスはまったく理解できずに首を傾げる。その様子を見てミノタウロスは腕を組んで少し考え事をする。どう伝えようか考えているんだろう。

「ジェミ王国に古くから伝わる言い伝えだ。ドッペルゲンガー……自分と瓜二つの人間がこの町にはいる」

 ミノタウロスの言葉を聞いて、アステリオスは今の状況を改めて実感する。

 目の前で話しているのは自分が目指そうとした理想の姿をしている男だ。それも自分が使っていた偽名と同じ名前の男。

「そのドッペルゲンガーと出会っちまうと、まるで魂を抜かれたみてえになっちまってこの国の貧民街に堕ちる。こいつらの親はそんなドッペルゲンガーに会っちまった連中だ」

 ミノタウロスは悲しそうな顔をして近くにいた子どもたちを撫でる。

 アステリオスにとって、今目の前で話しているミノタウロスこそがその『ドッペルゲンガー』であることは間違いない。ならば、彼が先ほど体験した何かに引っ張られるような感覚。あれこそがドッペルゲンガーという化け物の正体である。と彼は理解した。

――僕は君のドッペルゲンガーだ。

 とここで告げたら彼はどうなってしまうのだろうか。彼も僕と同じようにあの黒い何かに引っ張られてしまうのだろうか

 アステリオスは周りで自分を物珍しそうに見つめる子どもたちを見る。この子どもたちがミノタウロスを失うと、どうなってしまうんだろうか。

「その貧民街ってところはどこなの?」

「少し歩けば辿りつくぜ。ただ、あまり行かないほうがいい。生きる気力を失っちまいそうになる」

 何もないところをじっと睨みつけるミノタウロス。彼の目から怒りを感じる。

「二人とも、飲む?」

 一人の少年が飲み物を入れたカップをアステリオスとミノタウロスの分を持ってきてくれる。他の子よりも大きく、アステリオスと同じ年くらいの子に見えた。

「どうしたの? 兄貴。この子、新しい家族?」

「いんや。こいつはもっとすげえぞ。俺の先生だ」

「先生?」

 ミノタウロスがニッカリと笑いながらアステリオスを紹介するので、アステリオスは少し照れてしまう。

「先生? いったいなにの?」

「飯の先生だ」

「ごはん!」

 小さな子どもの一人が期待に満面の笑みを浮かべて大きな声で叫んだ。

「けど、ここには機材が……」

 辺りを見ていると、アステリオスが普段使うような機材は当然ない。

 アステリオスは一度ミノタウロスから了承を得て、立ち上がって、バーを見てまわる。バーの形式は取っているので、一応、薪火を置くスペースは確保されている。鍋も一応ある。刃物も確認できた。普段使うものがなかったけれど十分料理を出来る環境ではある。

「食材はどうしよう。あそこに置いてきちゃったからなぁ」

「ねぇ! おにいちゃん!」

 服を摘ままれる。その方向を見ると、小さい子が笑顔でこちらを見上げていた。服が破けそうなほどぐいぐいと引っ張ってくる。

「あのね! こっち!」

 少年は服を摘まんだままアステリオスを引っ張ってゆく。少年はアステリオスを部屋の隅の大きな箱に連れていった。

「開けていい?」

 アステリオスは遠くでまだ座っているミノタウロスに確認を取る。ミノタウロスはコクリと頷いたのを確認して、アステリオスはその大きな箱を開ける。

「おぉ、これは!」

 中には新鮮な果物や作物が入っていた。本当に新鮮だ。

「凄いね。よく集めたものだ。それに、この箱」

 アステリオスは気になって箱の中に手を突っ込む。箱の中がひんやりと冷たかった。

「やっぱり! ねぇ、この箱って手作りかい?」

「あぁ、ジェミの森林区にあるポーラの木で作った」

「あのね! ポーラの木ってすっごく冷たいんだよ!」

 ミノタウロスの言葉にかぶせるように無邪気な子どもが答えた。アステリオスは思わずにやけてしまう。

「ねぇ、そのポーラの実って、もしかして青い実を実らせない?」

「ん? あぁ。あれが美味いんだよ」

「そうなんだ! あれを絞った果汁に冷たくした炭酸水を混ぜると爽快感がする最高の飲み物に!」

「炭酸水? なんだそら?」

「あぁ……この国ではまだ炭酸水の水源を見つけることが出来てないのか……」

 アステリオスは思わず落ち込んでしまった。

 しかし、同時に頬の緩みが止まらなかった。

「ポーラの木は、熱を吸収する力がある。その木の表面を丁寧に切り込んで箱を作れば、その箱の中に冷気が発生する。しかも、その冷気は、果実などの腐敗を遅れさせる。よく知っていたね?」

 アステリオスは驚きながら、ミノタウロスに対して問いかける。先ほどの少年の様子を見るに、この国の常識的な知識ではないんだろう。

「最初は、ガキ共が冷えた寝床が欲しいつってたから避暑地に使っていたポーラの木がたくさんある場所から木をバッサリ切って、箱を作ってみてたんだが、こいつらが飽きやがって、しゃあねぇから保管庫替わりに食い物入れていたら不思議なことにこれが腐らねぇからな。活用させて貰っている」

 アステリオスはその経緯を聞いてさらに興奮した。その渇望を形にする力こそカガクなのだ。彼は自分が教養のない人間だと思っているが、その実、カガクに一番大事なものを持ち合わせていることをアステリオスは実感した。

「流石僕」

「ん? なんか言ったか?」

「いや、じゃあ。そうだな。ここにあるもので何かごはんでもご馳走するよ。助けてもらったお礼に」

「おっ! 本当か。なら俺も何か手伝わせてくれ」

 ミノタウロスは立ち上がってアステリオスの横に移動する。そしてアステリオスの指示でミノタウロスは調理の工程を進めてゆく。

 その様子をワクワクしながら、子どもたちは見つめている。アステリオスも、満足げに一つ一つの工程をミノタウロスや子どもたちに説明していた。

 基本的に果実を中心とした料理だったが、サラダ。焼いて甘味を増したもの。ジュースと色々作った。

「すっごーい! たくさん食べ物があるー」

「おら! お前ら、ちゃんとアステリオスに礼をいいな!」

「ありがとう! アステリオスの兄ちゃん!」

「いやいや、作ったのはミノタウロスだから」

「じゃ、いただきまーす!」

 子どもたちは作られた料理にかぶりつく。アステリオスは料理に使ったものを水で洗っている。その様子を、ジュースを片手にミノタウロスが見ている。

「本当にありがとうな。アステリオス」

「いいよ。僕もこんなに大勢に食事を振るまったことなかったし、彼らも喜んでいる」

 アステリオスは少年たちを見る。本当に美味しそうに食べている。これこそアステリオスはタウラス民国で実現したかった夢なのだ。それが少し違う形ではあるが叶った。その充足感にアステリオスは口の緩みが収まらない。

「で、だ。お前はこれからどうする?」

 ミノタウロスは真剣な眼差しでアステリオスを見つめる。アステリオスは信頼していても、やはり自身の理想であるミノタウロスの目をまっすぐ見ると、何かがこみ上げてきて、目をそらす。

「仲間を探す。特にヤマトだ。ヤマトが心配だ」

「ヤマトってのは、あんたの仲間か。他にもいるのか?」

「うん。キヨとコブラって言うんだけど」

「ん? そいつはおかしいな」

「ん?」

 キヨとコブラの名前に疑問を呈したミノタウロスに思わずアステリオスも首を傾げる。

「アステリオス。てめえは物知りだと思っていたが、もしかして貴族様かなんかか?」

「いや、僕は先日この国に入ってきたばかりだよ」

「だったらあんたらの仲間の名前がキヨとコブラなのはおかしい」

「だからどうして?」

「キヨとコブラは、俺たちジェミ王国の姫と、その兄貴である騎士団長の名前だからな」

「えっ?」

 アステリオスの中で不思議な感覚に陥った。ミノタウロスも冗談を言っているような顔をしていない。本気で言っている。嘘はついていない。

「そうだ。お前辻斬りのことも知っていたよな? どういうことか、ゆっくり聞かせてくれないか?」

 ミノタウロスが神妙な表情でアステリオスに問い詰める。

「う、うん。あの辻斬り。一瞬見えた顏が僕と一緒にこの町にやってきたヤマトって人とそっくりだったんだ。ヤマトはすごく紳士的な人だ。あんな乱暴なことをする人とは思えない。それにコブラとキヨは兄弟じゃないし、キヨはオフィックス王国の姫ではあったらしいけれどジェミ共和国に入ったのは今朝だ」

「ここはジェミ王国だ」

「僕がこの国に入る時、案内人の二人は共和国と言っていた」

「……なんか、よくわかんねぇ話になってきたな。つまり、姫と騎士団長とは違うコブラとキヨってのがいて、それがあんたの仲間だと。それと辻斬り。奴と瓜二つの男もいると」

 ミノタウロスの言葉にアステリオスは少し不安そうに頷いた。

「ドッペルゲンガー……この国にいる化け物の伝説と関係があるのかもしれねぇな。とにかく。そいつらを探す手伝いはしてやる。今日はゆっくりここで寝てくれ。お前さん。あの辻斬りに狙われているみたいだしな」

「うん。そうするよ」

 アステリオスは不安そうに胸を抑えながらミノタウロスの言葉に返事をした。もう日が沈み、月が街を照らしている。アステリオスは『ラビリンス』の皆と共に眠りについた。


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