5(愛しい君を受け継ぐ瞳)
エリーゼのお母様が愛した庭に纏わる話し。
お母様の初恋。ただ一つの恋に触れる話しです。
小さい子供の声がする。
この時間、この庭で遊ぶ子供はいない。領地を継いだ弟の子供は、今の時間は勉強でここまで足を運ばない。
あぁ。自分は、懐かしい夢を見てるんだと思った。
何処か私に似た男の子と、黒髪の幼い君が居る。
その繋がれた手を見て、「ありえない」「分かっている」と打ち消す。持ち上げた私の手は、痩せ細って爪の色も悪い。これが現実。幸せにこの世を去る為の白昼夢。
「スミレ、ないね」
「きっとかくれてるだけで、さいてるよ」
「でも、みつからないのよ」
「これだけあるから、きっとあるよ」
しゃがみこんで、花影を覗き込む二人。
あると言った男の子が可哀想に思った。
何故なら、スミレの花は見つける事は出来ないからだ。スミレと同じ色を集めた花壇の中。あの可愛らしい花の時期は終わってしまっている。
「スミレはあるよ」
私は二人の姿に、誘われる様に庭に下りて声を掛けた。
「あ、あの、ぼくたち…」
「君は、クリスだね。そちらのレディを紹介してくれるかな?」
妹夫婦が来ると言っていた事を思い出していた。
この男の子は妹によく似ている。弟の子供達とも。
「君はクリスだろ? 初めまして。私は君のもう一人の伯父さんだよ」
クリスは、私の顔をまじまじと見る。私の顔は弟と、もう一人の伯父に似ているから分かってくれるだろう。
「はい。ぼくはクリスです。きのうごあいさつできなくてごめんなさい」
そして黒髪の、君にそっくりな女の子を紹介してくれた。
君の娘なんだと実感した。
夢うつつの日々の何処かで、妹の子供と君の子供が婚約をしたと聞いていた気がする。
エリーゼと名乗ったこの子がそうなのだろう。
幼い時の君に、本当にそっくりだ。君でないと分かっていても、心が歓喜に震えた。そして悲しみで悲鳴を上げる。
「おじさま。ほんとうに、お花あるの?」
あるよと言って手を差し出せば、繋がれる小さな手。
「ここには、幾つかのスミレの花があるんだ。分かりやすいのは、このハートの葉っぱだよ」
そして三角の葉っぱを指差す。
枯れた花がかろうじてくっついているそれに、クリスが残念そうなため息をついた。
「花の時期は終わりだけど、この花達は、来年も咲く準備を初めてるんだ」
「また、さくの?」
「ああ、咲くよ。この花壇は、クリスの母上と、その友人とで作ってくれてね。それから毎年咲くよ。スミレの時期が終わっても、冬になるまでスミレ色の花が咲く」
「おうちのかだんといっしょだ」
「スミレの花壇を作っているのかい?」
「はい。ぼくのかあさんとエリーゼのおかあさまが好きだから」
「皆で眺めるのかい?」
「はい。あ、みなじゃないです」
そう言ってクリスは俯いた。
君は居ない。エリーゼのお母様である君はもう居ないんだ。
「エリーゼ?」
小さな君の娘に声を掛ける。
潤んだ瞳が私を写す。
あの日の君を思い出す。「もう来ない」「もう来れない」と言って泣いた君。体の弱い私でも、君と穏やかに生きていけると信じていた未来が砕かれた日。あの日を最後に、君に会う事は無くなった。そして、私より先に、神の国へと行ってしまった。
「どうしたんだい? この庭に居るなら笑顔じゃなくてはならないよ」
いっぱいに涙を溜めた黒い瞳の小さな女の子。君に繋がる女の子。
この庭で別れた涙の君を思い出したくなくて、二人を私の暮らす離に招き入れた。
「この庭で笑ってた女の子だよ」
エリーゼが足を止める。
その先には、二人の少女が笑い合う絵が、これでもかと飾られている。私が描いた絵だ。生まれつき体の丈夫でない私。ただ生かされてるだけの日々の中で、思い出に埋もれる様に息をしている。そんな私が描いた絵。
「…おかあさま」
「そう。君とクリスのお母様だよ」
この絵を、眺めるのだけに置かれたソファに、二人を座らせた。
「おかあさまに、あいたい。ぎゅっとしてもらいたいの」
涙を流す君の娘の頬を、私の甥が拭う。
滞在中。日に一度は、エリーゼが訪れる。
じっと絵を見つめる目に、私の心と同じものを感じた。
旅立ちの朝。スケッチに淡い水彩をのせた絵をプレゼントした。
頬を染めて喜ぶ顔に君が重なるけど、君じゃ無いんだね。君なら大きい声で妹を呼んで私の絵に駄目出しをしただろう。これは自分に似てないと、拗ねて唇をとがらせただろう。
照れてはにかむ君の娘は、とても可愛らしいよ。
それから、私は、長い時間をかけて、二つの絵を描いた。
黒髪の女の子の涙を拭う金髪の男の子の絵。
そしてスケッチの絵に、私の願望を入れ込んだ絵。
スミレ色の花が咲く庭を、エリーゼは、何時もと違う場所から眺める。
母の愛した庭。そしてクリスの伯父の庭。同じ様で同じじゃ無い。それでも、その庭を愛でていた二人の心を、もう知っている。
この庭に面した部屋に飾られる一枚のスケッチ。そして、届けられた絵。
「…お父様」
スケッチに、一つだけ描き加えられた人。
スミレの庭で、母親にキスをする少女。それを、優しく包む様に腕を広げた父親の姿。
エリーゼの心の中の望を形にした絵。
微笑みが浮かぶ。
この絵の中の親子は、愛に溢れてる。
「エリーゼ。ただいま」
「お帰りなさい。クリス。ねぇ、これを見て」
エリーゼは、もう一枚の絵を、愛する夫に見せる。
それは幼い日の二人。
思い出して二人は微笑み会う。
今話も、お読み頂きありがとうございました。