第一話5 強化合成の塔
レンとガブリエルは、また歩いていた。
「あそこは一度見ておいた方がいい」
と言うガブリエルにレンが従った形だが、それが何なのか彼は頑なに語ろうとしなかった。隣を歩く彼がずっと暗い顔をしているのを見ると、やはり嫌な予感しかしないのだが。
どうやら彼の言う、『レンにも関わる大きな問題』に関する何かのようだ。
レンの部屋からボックスを奥へ奥へと進み、向かう先はどんどん人気が無くなっている。
辺りは心なしか薄暗く嫌な雰囲気が漂い始め――ついには立方体も何も無い、だだっ広い木製の通路になっていった。
今や光源はところどころに浮かぶぼんやりと光る青白い光の玉のみで、うっかりすると転びそうなくらいには暗い。静寂に包まれたその空間には、二人の規則的な足音しか聞こえなかった。
何事もなく見ていたのなら、さぞ幻想的な光景だったろう。だが状況が状況で、そんな風にはとても見えない。
否応なしに不安と恐怖を掻き立てられるレンは、びくびくと怯えながらガブリエルの後ろをぴったりとついていった。
「おう、ガブリエルじゃねぇか」
と、不意にしわがれた声が聞こえ、レンはびくりと目線を泳がせた。
「やあ、バルト。こんなところで会うとは奇遇だ」
ガブリエルがそう返事をするが――レンは未だ、声の主を見つけられずにいた。ガブリエルの前方には、ひたすらに暗がりが続いているだけだ。
「おう。俺はできればこんな所、通りたかないんだがな」
「まあ、僕だってこんな所に来たくはないさ」
もう一度響いたそのやり取りで――レンは視線を下に修正した。
すると、一般的な成人男性の腰くらいの高さに、赤茶けた色をしたオッサンの顔があった。
顔の位置から分かるように背は低く、しかし中々にガッチリと引き締まった良い肉体だ。着ているのは、おそらく動物の毛皮で出来ているであろう簡素な服。
髪は肌よりも濃い赤茶色で、ぼさぼさのそれと同じ色の髭が顔の大半を覆っているから、見た目はかなり厳つい。
「……ドワーフ?」
背丈や印象から、レンは真っ先に思い浮かんだその言葉を何の気なしに呟いていた。異世界だし、それくらい居たっておかしくはない。
「あん? なんだそりゃ。っていうかお前さんは誰だ。見ねぇ顔だな」
しかし彼は訳が分からないという様子でそう返すと、怪訝な顔で逆に問いかけてきた。
「新入りだよ。テラリア出身のレン・アワードくんだ」
ガブリエルがそこに割って入り、レンを彼に紹介する。
それを聞いた途端、彼はしわがれ声を通路中に喧しく響かせる。
「テラリアぁ!? あの頭でっかちな軟弱世界か! あの駄女神もまた無駄遣いしたもんだな」
(なんだ、この人)
またも『軟弱』などと誹りを受け、レンは珍しく苛立ちを覚える。初対面での無礼な言動、それだけならまだ許せる。しかしこと筋肉の話になると、レンは若干冷静さを欠く節があった。
「そんな言い方はないだろ、バルト。文明度で言えば、『力こそパワー』なお前の世界の方がよっぽど下なんだから」
そんなレンの心情を察してか、ガブリエルはそう言って小男を窘めた。しかし小男は意にも介さず「へっ」と鼻で笑うと、小馬鹿にしたような態度で言葉を続けた。
「この世界だって『力こそパワー』だろうが。ソイツを防衛クエストに連れてってみろ。そこそこ鍛えちゃいるようだが、5分と持たねえだろうよ」
「それはそうだが、『適材適所』ってやつだよ。逆にバルトが科学クエストに回されたら役立たずなんだから」
その言い分を一部認めつつも、ガブリエルは尚レンを気遣ってフォローを入れる。
しかし当のレンはと言えば、『そこそこ鍛えている』と言われある程度溜飲を下げていた。別にレンは強くなりたい訳ではない。ただ筋肉が好きなだけなのだ。
(それにあの筋肉。世界の特性がどの程度影響するか知らないが……あれはしっかり鍛えた人の身体だ)
ストイックに筋トレできる人間は信頼できる、というのがレンの持論である。
だから彼はスッとガブリエルの隣に行くと、小男に向かって手を差し出した。
「レン・アワードです。いずれあなたを唸らせるくらい鍛え上げた肉体をお見せすると約束しましょう」
こと筋肉が関わると、人見知りも多少緩和される。それもレンの特性の一つだった。
「ちっ……バルト・タイラス、ドワフニカ出身だ。ま、精々頑張れよ」
突然友好的になったレンに面食らいながらも、小男ことバルトはふてぶてしい態度を貫いた。
バシッとレンの手を叩いて握手の代わりとすると憎まれ口を叩くが、レンが律儀に頷いているのでどうにも処理に困っているようだ。
「それはそうとバルト、もしかして強化帰りかい?」
それを見ていたガブリエルが、タオルを投げるが如く話題を変えた。
「もしかしなくともそうだよ。何度やったって気分悪いな、ありゃ」
振られた話に乗っかったバルトだが、その話題も別に嬉しいものではないらしい。
苦りきった顔で、吐き捨てるように彼は答えた。
(強化……?)
二人のやり取りに不穏な引っ掛かりを覚えたレンだが――その引っ掛かりの正体が何かは分からなかった。ただ、漠然ともやもやした気持ちだけが彼の胸中を漂う。
「お疲れ様。毎度のことながら、耐えてくれとしか言えないのが心苦しいよ。何度言ったって、ハイジ様は考えを改めてくれないんだから」
はあ、と深いため息を吐きながら、ガブリエルは申し訳なさそうにバルトを労う。
「気にすんな、お前さんが悪いんじゃねぇことくらい分かってる。しかしまあ……そういうことか。今からコイツを連れて行くんだな?」
ぶっきらぼうにガブリエルに返事をすると、バルトはふと思い至ったように言葉を付け足す。
コイツ、と示されたレンは何もわからず頭を捻るばかりだが、ガブリエルはうなだれるように首肯した。
「毎度損な役回りばかりだな、ガブリエル。ま、この世界の天使ってだけで外れクジもいいとこだが……今度一杯奢ってやるよ」
ガブリエルに憐れむような生暖かい視線を投げつつ、バルトは今日一番の優しげな声を出した。
(なんというか、聞いているだけでガブリエルさんの苦労が窺える会話だな……)
聞いているだけのレンにそんな感想を抱かせるのだから、当人の心境は如何ばかりか。
「しかし――レンとか言ったか。お前さんも相当なもんだがな」
と、バルトはそう言ってレンに水を向けた。不意に呼び掛けられ戸惑うレンに、彼は頭をぼりぼりと掻きながら言葉を続ける。
「あれだけ人がウジャウジャいるテラリアから、よりにもよってこの世界に召喚されるなんざ……運がねぇにも程がある。その点だけは同情するぜ」
「どういう……」
その言い種だと――この世界特有の、レンにとって不運な何かがある、ということだ。
しかし、レンが訊き返すより早く彼はスタスタと歩き出した。
「後は自分の目で確かめな。ま、精々覚悟して行くこった」
レンの不安を膨らませるだけの言葉を残し――バルトは振り返らずに手だけを適当に振って、暗がりの向こうへと消えて行った。
後に残された二人は、この上なく暗い顔を見合わせるのだった。
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その後もしばらく通路を歩き――やがて、開けた空間にぶつかった。と言っても、先ほどまでの通路より広いというだけで、天井も壁も床も変わらず見えている。
そこにあったのは、石造りの厳めしい円塔だ。目算で十メートルほどで、テラリアの感覚で言えばそこまで高くは無い。だが、どうにも見る者を威圧する凄みがある。
塔を見上げながら、二人はその足元まで歩いていく。ほどなく、塔の正面にある大きな木製の扉の前に辿り着いた。
その扉の奥からは、何やらぼんやりと音が聞こえた。声、だろうか。
「一応言っておくが」
ガブリエルは塔を見上げながらそう声を上げる。その顔が強張っているのを見ると、否応なしにレンも緊張してしまう。
「ここから先、ショッキングな光景を見ることになる。だが、心を強く持ってほしい」
「はあ……」
「何があっても冷静でいること。君も、無関係ではいられないのだから」
「はあ……」
「覚悟はいいか?」
「はあ……」
何度も念を押すガブリエルに、レンはぼんやりと返事をする。
正直入りたくないが、それでは話が進まないのだろう。そう諦めるレンに「いい子だ」と笑いかけ、
「じゃあ、入るぞ」
ガブリエルは扉を開けた。
「ぎゃあああああああ!!」
その瞬間――耳を劈く悲鳴が、レンの鼓膜を突き抜ける。それも一人や二人分ではなく、幾重にも重なって滅多刺しにしてくるのだ。
ガブリエルは扉を開けたまま、レンに中に入るように視線で促す。しかし、怯える足はレンを運ぼうとはせず、頑なに地面に齧り付いていた。
(なんだこの悲鳴は……一体、中で何が……?)
聞く者にまで恐怖を感じさせる叫び声。どんなことをされたら、あんな声が出せるのだろうか。
想像もしたくないが、声はそれを強要する。レンの心に恐怖の色を塗りたくる。
「早くしてくれ。僕も、長居はしたくないんだ」
ガブリエルも余裕は無さそうで、いつもの優しさが抜け落ちた表情でレンの腕をぐいと引っ張る。
踏ん張りが利かないレンはあっさりと中に引きずり込まれ――そして、見た。
「痛い痛い痛い、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、ぎゃあああ!!」
「もういやだ、殺してくれえええ!!」
さっきより近く、大きくなった、絶望と苦痛に塗れた叫び声。いくつものそれを聞きながら、まず目に入ったのは大量の人間だ。
塔に入った二人の目の前、そこですぐに足場が途切れている。足場は塔の壁に沿うようにぐるりと造られている――と言うよりは、塔の床の真ん中を大きく円形にくりぬき、巨大な桶のようにしているらしい。
二人が今立っているのは、そのへりにあたる部分だ。
『桶』の中に放り込まれている人間――ざっと、二十人くらいだろうか。その全員が全員、苦悶の表情を浮かべ、痛切な悲鳴を上げているのだ。
そしてその人々から――色とりどりの淡い光が、上の方へと伸びている。
妖しく揺らめくその光は、彼らの上に設置された何やら大きな物体に吸い寄せられているようだ。
円形の塔の壁に4本の巨大な脚を突き刺し、真ん中にある巨体を支えた――金属製の器具、だろうか。
下から見るとお椀に脚を生やしたような形のそれは、塔のさらに上層部へと、金属の管が続いているようだ。
「こ、これは……?」
訳が分からないながらも、どう見ても、いや見ずとも分かる非人道的な光景に、レンは震える声でガブリエルに訊ねた。
今さらながら、レンは自分の置かれた状況に危機感を覚える。危ない目に遭わない保障など、どこにも無かったと言うのに。
「……こちらに来たまえ、レンくん。上へ行こう」
ガブリエルはいつの間にか、少し先にあった広めの足場に移動していた。
レンの問には答えず、彼はそこでレンを手招きしている。
他にどうすることもできず、レンは言われるがまま危なっかしい足取りでガブリエルの傍まで歩いて行った。
そしてガブリエルの隣に立つと、彼が何やらボタンを操作し――不意に床が持ち上がって、上へと動き出した。
エスカレーターの次はエレベーターだ。だが、今のレンには筋肉を気にする余裕すらなかった。
エスカレーターよりさらに仕組みが分からないそれに乗せられて尚、レンの視線は下に居る人々と、そこから生じた光にしか向かない。
エレベーターは立ち上る光を横目に上昇を続け、巨大な金属の脚の間を通り過ぎ、お椀から伸びる管と並行に、上へ、上へと進む。
やがてレンたちの乗る足場は、天井にポッカリと口を開けた穴に向かっていく。
どうやらそこは天井ではなく、上の階の床のようだ。足場はその穴にぴったり収まると、そこで動きを停止した。
「――綺麗だ……」
その空間を目にしたレンは、思わずそう呟いた。
しかしその言葉が状況に相応しくないことは、口にしたレン本人が一番分かっていた。何しろ、下の階からの悲鳴はほとんど変わらない大きさで聞こえているのだ。
それでも――目の前の光景だけを切り取れば、幻想的で美しいものと誰もが認めるだろう。
部屋の中心には、巨大なガラス玉が設置されていた。その中には――一人の女性が浮かんでいる。
女性は、眠っているようだ。中は無重力なのだろうか、銀色の美しい髪がふわりと舞い、白いローブが儚げに揺れていた。
そしてその女性は、ぼんやりと光りに包まれているのだ。ガラス玉に繋がれた、下の階から続く金属の管――そこから立ち上る、例の光に。
「これは一体……?」
レンは、おそるおそるガブリエルに問いかけた。
苦しむ人々、巨大な器具、光る女性。ここは一体どこで、今何が起こっているのか。
ガブリエルは目を瞑り、一つ大きく息を吐き出し――そして、重い口を開いた。
「ここは『強化合成の塔』。――通称、『異界人の墓場』だ」