第六話1 強化合成の塔、再び
『あ、もしもしレンちゃん? 今からちょっと来てー』
頭に響いた声に、レンは「またか」とため息を吐いた。
アルーカを司る女神、ハイジからの呼び出しだ。ボックスでの生活において、突発的に発生するイベントである。頻度はボックスの感覚で週に一回程度。
呼び出される時はいつも唐突、そして行った先に待ち構えているのはハイジによる蹂躙。
蹂躙される対象は人によって異なるが、レンの場合は筋肉。
鍛え上げた筋肉を、眺め回され、撫で回され、ハイジが飽きるまでそれが続く。反抗の許されない、ハイジの欲を満たすための一方的な愛撫だ。
しかし、慣れというのは恐ろしいもので。
「まず服を脱ぎます」
「はい」
マイルームに入るなり下される常軌を逸した指示に、レンは無感情に従った。
「んー、よきかなよきかな! レンちゃん、またちょっと僧帽筋大きくなった?」
「分かりますか。最近シーテッドローイングを取り入れたんですよ。ボックス様様ですね」
「ふふん、そうでしょう、そうでしょう。もうドンドン鍛えちゃって!」
「ええ、もちろんです」
あっちを触りこっちを眺め、そこらを撫でて堪能するハイジと、ごく普通にレンは会話を繰り広げる。
時折出される注文に従って、ポーズまで決めてあげる優しさだ。
(俺もずいぶんボックスに染まったな……)
そんなことを冷静に思う始末。
そしてその間にも、ハイジは好き勝手やっている。
「いいねいいねー、キレてるよー」
「肩に小っちゃいゴーレム乗せてんのかい!」
「背中にオーガが宿ってる!」
レンを玩具にしながら、嬉々としてそんなことを言っている彼女に――
「ハイジ様、そろそろ本題に入ったらどうです?」
呆れたような声音で、ようやく待ったが掛かった。
このボックスで唯一ハイジを(ある程度)コントロールできる存在、天使ガブリエルである。
(本題……?)
と、レンは訝しむ。
普段のハイジの呼び出しには意味など無く、ただ彼女が楽しんでおしまいである。
つまり、これはいつものお遊びではないということで――
「えー、もうちょっといいじゃーん」
「レンのことを考えたら、早めに済ませてあげた方がいいでしょう」
何を早めに済ませるというのか。これから何をされるのか。
ガブリエルの発言が、レンの不安を煽る。
「え、なんで? 関係ある?」
「これだから神っていうのは……もうちょっと、人の気持ちを理解してください」
「んー、無理! だって神だし!」
「そうですね、駄女神でしたね」
「ねえ、だから駄女神ってやめて? 諦めた感じの声で言われるのって結構辛いんだよ?」
ハイジはいつも通りである。
しかしそんな日常風景を見ても、レンの気持ちは晴れない。
不安な目で二人を見守るが、ハイジはいじけるモードに入って役に立ちそうにない。
「いや、役に立った試しがないか」
「ねえ、声に出てるけどわざと? わざとなの?」
「大丈夫ですよハイジ様。みんな思ってることですから」
「え、もしかして私を泣かしに来たの? 遠慮なく泣くけどいい?」
ガブリエルが笑顔で止めを刺し、「おーいおーい」と泣くハイジを置いて話が進む。
たぶん反省はしていない。
「レン、突然で申し訳ないんだが……」
「は、はい……」
そして、ようやく場に真面目な空気が展開された。
ガブリエルの真摯な眼差しに、レンはごくりと唾を飲み込む。
彼はえも言われぬ表情のまま逡巡し、やがて意を決したように口を開く。
そして、発された言葉は――
「レン。君には……今から、『強化合成の塔』に行ってもらう」
レンの脳裏に、今となっては随分昔に感じる、しかし色褪せない記憶が呼び起こされた。
薄暗い塔の中、立ち上る淡い光と、厳めしい器具。そして――桶になった塔の底に積まれた、苦悶の顔を刻む人々。
「な……え……?」
『強化合成』。それはこのボックスで行われる、考え得る限り最悪の行い。
心の底から湧き上がる恐怖に、レンはぶるりと体を震わせた。
「そんな……嘘、ですよね?」
視界が揺れる。脚から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちる。
ガブリエルが申し訳なさそうに顔を曇らせるのが見えるが、レンはまだ信じられなかった。いや、信じたくなかった。
(なんで、俺が……いや)
何故、自分が合成されなければならないのか。何か失敗をしたのか。
自然に湧き上がった疑問に、レンは自分自身で答を見つける。
(考えてみれば、当たり前か――)
「――俺が、弱いから……」
「ああ、そうだ」
レンの口からこぼれ落ちたそれに、ガブリエルは肯定を返した。
数度のクエストを経て、レンは少しは役に立っているつもりでいた。
しかし、直近のクエストでは大失態を演じ、危うくパーティーを全滅させるところだった。
そもそも普段のクエストだって、レンができることは他の誰かにもできることばかりだ。
強化合成の餌に誰を選ぶか。そう考えれば、レンだって逆の立場ならレンを選んだことだろう。
(まあ、頑張った方、なのか……)
そもそも、レンが防衛クエストを任されていること自体がおかしかったのだ。
それでもここまで生き残ってこれたのは、単純に運が良かっただけ。
そしてついに、その幸運が尽きた。
「仕方ないんですね……」
「ああ。理解してくれるかい?」
理解はできる。納得はできないが。しかし、認めるしかないし、抗う術も無い。
「ガブリエルさん……」
「どうした?」
そして、レンは深々と頭を下げて――
「今まで、ありがとうございました」
そう、感謝を告げた。
ボックスでのハイジの決定は絶対だ。それを覆すことができないのを、レンはすでに悟ってしまっていた。
それに、召喚された時点で一度死んだようなものなのだ。阿波蓮太郎という一人の男はテラリアから姿を消し、レン・アワードという一人の男として生まれ変わった。
そして、ここに召喚された異界人の結末は二つに一つ。永遠にクエストをこなし続けるか、強化合成の餌として魂ごと消え去るか。
そう考えれば、ここで終わってしまってもいいのかもしれない。
そんな風に、レンが諦めの境地に達しようとしていた時――
「……ん?」
「ほらもう、ガブちゃん。大袈裟な言い方するから勘違いしちゃってるじゃない」
きょとんとしたガブリエルに、ハイジが呆れ顔でそんなことを言った。
そして、ガブリエルが「ああ!」と気付きの声を上げ、
「違う違う! レンは餌にはならないよ!」
そんなことを言ったものだから、レンは完全に混乱してしまう。
「え……でも、『強化合成の塔』に行けって……」
「それは違……わないんだけど。レンは餌にされる訳じゃない。その逆さ」
「逆……?」
――と、言うことは。
「レン。君にもう少し強くなってほしいと、ハイジ様は思っているんだ。だから、君は今から合成で強化されるのさ」
「……!」
レンは、ある種の感動を覚えた。
今まで必死に足掻いて、どうにかここまで生き残ってきたが。
それが評価されていて、こんな形で知らされるとは。人生とは分からないものだ。
「っていうのは建前で、この前召喚し過ぎてボックスが一杯になっちゃっただけなんだけどね」
「ちょっと黙っててくださいね。今良い話風にしてるところなんですから」
(……いや、そんなことだろうと思った)
しかしどちらにせよ、レンは素材として選ばれず、強化対象として選ばれたのだ。
一定の評価を受けている、というのは間違いないだろう。
「でも……それじゃ、なんで――」
――ガブリエルは、あんなに暗い顔をしていたのか。
その質問に先回りしてガブリエルは答える。
「まず、合成自体に対する申し訳なさが一つ。何しろ、素材になる異界人たちは犠牲になってしまうんだ。レンだって、そんなこと望んでいないだろう?」
言われればそのとおり、誰かを犠牲にしてまで強くなりたいなんて思わない。
強くなることへの喜びより、罪悪感の方が圧倒的に強い。
「それから、もう一つ。強化されるときなんだけど――」
ガブリエルはやはり、申し訳なさそうな表情を浮かべて。
「――ものすごく、気持ち悪いらしいんだ」
「………………はあ。」
怪訝なレンの返事が、マイルームにぽつりと落ちた。




