第五話9 ネル
「いや、久しぶりだが、相変わらず凄まじかったな。ネルの狂戦士状態は」
話は変わり、エドモンドがそう口にした。
「まったく、人の秘密を簡単に教えないでほしいんですけどにゃ」
ネルは不満げに口を尖らせる。
「何のために封印してると思ってるんですにゃ? いい迷惑なのです」
「まあそう言うな。今回は実際、アレがないと危なかっただろう。それに――」
更に言い募るネルに対し、エドモンドは宥めすかすように答え、
「レンには知っておいてほしかったし、お前が鈍ってないか確認しておきたかったからな」
茶化すように笑うエドモンドに、ネルはため息を吐いた。反省の色はまったくなし、盗人猛々しいとはこのことだ。
ネルはちびり、とグラスを傾ける。
その目は遠くを見るように彷徨っている。
「……思い出しているのか?」
エドモンドにそう訊ねられ、ネルはゆっくりと頷く。
「……そうか」
エドモンドもそう言って、グラスをちびりとやった。
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もう、何年前だったか思い出せないほど昔。
あの時もそう、同じような洞窟でのダンジョン系クエストだった。
メンバーは、ネル、エドモンド、そして当時の防衛クエスト用のメンバーが三人。
アタッカー、タンク、黒魔術師と、構成も似たようなものだった。
当時のメンバーはそれなりに強かったはずだ。もちろん、合成を経た分だけ今の方がステータスは高いが、逆にクエストの難易度も低かった。相対的に見て、今よりも戦力は整っていた。
しかし――それでも何が起こるか分からないのが、防衛クエストというものだった。
「ふっ!」
エドモンドが弓を射る。その矢が突き刺さり怯んだ敵を、ネルの杖が強かに打ち抜いた。
意識が飛んだモンスターの体を、黒魔導士の炎が焼き尽くす。
「数が多いなー……大して強くもないけど」
目の前のモンスターの群れを見て、ネルが呟いた。
相手取っているのは『ヒュージラット』という、人間サイズのネズミの魔物だ。一体一体は簡単に倒せるが、ネズミらしくとにかく増える。お陰でキーキーと五月蝿い限りだ。
開けた場所なら魔法で一網打尽にできるが、洞窟ではちまちま一体ずつ倒していくしかなかった。
一行の布陣は、最前列にタンクを配置し、その後ろにアタッカーとネル。その少し後ろからエドモンドが弓矢を構え、最後尾から黒魔導士が魔法を撃つというものだ。
本来白魔導士であるネルは後衛になるのが普通だが、五人の中でもステータスが抜きん出ているので、前衛に入るのが常だった。
「文句を言っても仕方がない。それに、まだ余裕だろう?」
「もちろん!」
宥めすかすエドモンドの声に元気よく答えながら、ネルは追加でもう一体を昏倒させた。
戦いが始まってから、およそ一時間ほどが経過している。体力と魔力にはまだ余裕があるが、終わりの見えない戦いは精神をごっそり削られる。
うんざりしながら戦う五人。だが、まだまだ戦い続けられるくらいの忍耐力はあった。
だからこれは、避けられなかった事態なのだろう。
疲弊しきっていた訳ではない。油断した訳でもない。
ただ、想定外の事態に対応できなかった。それだけのことだ。
「ぐぁっ……」
ネズミどもが一挙に押し寄せるのを防いでいたタンク。
その彼が、苦鳴を漏らしたのが聞こえた。
「!」
他の四人はそれで彼を見て、驚きに目を瞠った。
なんと、彼の頭が燃えていたのだ。
「水の魔法を!」
「『アクアボール』!」
エドモンドの指示で黒魔導士が威力を抑えた魔法を放ち、彼の頭は鎮火された。
「一体何がっ……」
「ヒュージラットは魔法なんて使えないはずだ!」
「――見ろ、あそこだ!」
戸惑う仲間たちに、エドモンドが答えを示す。
「『フラムラット』……親玉か!」
そこには、ネズミのくせに真っ赤な体毛を持つモンスターが居た。
ヒュージラットの群れの陰から現れたソイツが、タンクの頭に炎の魔法を浴びせたのだ。
「そんなことより!」
メンバーが新たな敵に目を向ける中、ネルはヒソプの葉を持って駆け出した。
タンクは頭に大やけどを負い、パニック状態だ。
「今治療を……!」
その行動は、白魔導士として正しい。ただし――
「ネル!」
前衛の戦士としては、大失態だった。
タンクが機能していない上に、前衛がさらに一人欠けた。しかも向こうには、遠距離攻撃ができる魔物まで居る。
「っぅあっ!」
ネルの隣から、またも苦痛の叫びが上がる。
ネルを庇ったアタッカーが、またぞろ炎にやられたのだ。
「ネル! 急いで回復を!」
エドモンドの声に答えようと、ネルは急いで袖口からもう一枚ヒソプの葉を取り出そうとする。
しかし、一歩遅かった。
「あうっ!」
完全に崩れた前線を突破し、ヒュージラットが突進してきたのだ。
真正面から吹き飛ばされたネルは軽々と吹っ飛び、洞窟の壁に叩きつけられる。
「みん……な……」
か細い声は喧しいネズミたちの声に掻き消され、届くことはない。
そのまま、ネルの意識は闇の中へと落ちていった。
*************
「――ル……ネル! おい、ネル!」
「う……?」
気絶したネルを起こしたのは、呼びかけるエドモンドの声だった。
「いったいどうなって……?」
自分が一体どれくらい気を失っていたのか。
辺りは暗いから、まだ洞窟の中に居るのは間違いない。しかし、あれだけ五月蝿かったネズミの鳴き声が聞こえない。
体を起こして辺りを見ると、そこはやはり洞窟の中だ。しかし、エドモンドとネル以外には誰も、何も居ない。
サラサラと自分の体から音が聞こえて目を遣ると、全身が砂まみれになっていた。
「一か八か、洞窟の足場を錬金術で砂に変えた。案の定、そこら一帯がまとめて崩れて死にかけたが」
エドモンドが経緯を語る。ネズミが居ないのは、その蟻地獄に嵌ったからだろう。しかし――
「みんなは!?」
ここに居るのは二人だけ。
残りの三人は、
「……すまない」
その一言で、ネルは全てを把握した。
前衛二人は既に負傷していたし、黒魔導師は魔法以外のステータスが低い。
やられたから一か八かの賭けに出たのか、賭けに勝てたのがエドモンドだけだったのか――それは今さらどうでもいい。
要するに、彼らはやられてしまったのだ。
「……これから、どうするの? まだ帰れないってことは……」
「ああ、連中はまだ死んでいない。大半は崩落に巻き込まれただろうが、少なくとも一匹は生き残っているはずだ。クエストはまだ続いている」
パーティーは五人中三人がやられた。残るエドモンドとネルも、いい加減にボロ雑巾だ。傷は回復魔法で直せるにしても、体力と魔力は心許ない。
そして、
「……! 考える暇も無いらしい。奴ら、一度覚えた匂いは忘れないと見える」
まだ若干遠いが、キーキーと不快な音が近付いてくるのが分かった。ほどなく、生き残ったネズミたちが襲い掛かってくることだろう。
「エドさん。援護をお願い」
「ネル!?」
ネルは砂を払いながら立ち上がり、杖をぎりりと握り締めた。
「『獣化』を使うよ」
「お前、それは……!」
アマニクの民に伝わる秘術、『獣化』。一時的に反射神経や膂力が底上げされるが、しばらく我を忘れて暴れてしまう。
しかも、長時間使用すると体に大きな負担が掛かる。自分の意志で止められるものではないので、ほぼ確実に体がボロボロになるということだ。
唯一、それを逃れる方法が――
「『マタ・タビ』を預けるから。敵を全滅させたら止めてね」
アマニクの民を本能的に落ち着かせる丸薬、『マタ・タビ』。
この安全装置を錬金術で解析し、量産体制をエドモンドが確立してくれたのは、それから随分後だった。
「……分かった」
エドモンドは少しの逡巡の後、丸薬を受け取った。
きっと彼も、これに頼らなければ乗り切れないことを分かっている。
「じゃあ……よろしくね」
そう言うとネルは目を閉じ、意識を集中する。
毛が逆立ち、全身に力が漲っていく。やがて目を上げたネルの瞳は黄色く染まり、瞳孔は縦に細まっていた。
丁度訪れたネズミの大群に、ネルは全速力で突っ込んでいった。
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我に返ったネルが見たのは、足元に詰まれた大量のネズミの死骸。
殴られ、吹き飛ばされ、どす黒い血を撒き散らして、それらは洞窟を埋め尽くしていた。
それを視認した途端、ネルの体を激しい痛みが襲う。
全身の骨が軋んでいるようで、体のあちこちから流血し、酷い火傷が何箇所もある。
『獣化』したネルは、己の身を省みることなく戦ったのだ。もっとも、そうでもしなければ勝てなかっただろう。
「……! エドさんは……」
と、ネルはようやくそこに思い至った。
自分が暴走を止めたということは、エドモンドが『マタ・タビ』を使ったということだ。
しかし、彼の姿はどこにも見当たらない。
「ネ……ル……」
その時、ネルの呼び声に答えるように、エドモンドのかすれた声が聞こえた。
「エドさ……」
――ネルの、足元から。
安堵から発されたネルの声は、そこで口を塞がれたかのように止まった。
「戻った……だな……よかっ……た」
切れ切れに呟くエドモンドは、今まさにネルに足蹴にされていた。
体中に打撲痕があり、ネルよりも尚血塗れだ。
しかしその手には、しっかりと丸薬が握られていて。
「私……私……」
慌ててエドモンドの上から飛び降りたネルは、自分の手を見た。
――真っ赤な血に塗れた、自分の手を。
「ごめ、なさ……い……ごめんなさい……!」
ネルはエドモンドの傍らに跪き、嗚咽を漏らし、許しを請う。
「大丈夫、だ」
その手を、エドモンドは力なく握った。
泣きじゃくるネルと、微笑を浮かべて浅い息をするエドモンド。
二人の姿はやがて光に包まれ、洞窟の暗闇から消えていった。




