第五話8 ほっと一息
クエストをクリアしたレンたちは、しばらくしてボックスに帰還した。延々と続きそうだったネルの説教がそれで中断になり、揃って安堵のため息を吐く。
「みんなおかえりー! 今回は大変だったみたいね」
そんなレンたちを出迎えたのは、久々に聞く気がする我らが女神ハイジの声だった。普段はあまり聞きたくない声だが、ネルの冷徹な声の後だと天使の歌声に聞こえるからすごい。思いっきり神格が下がった感じがするが、褒め言葉である。
「まったくですにゃ。早くお風呂に入って休みたいのですー」
へにゃっと座り込むネルは傍目に可愛らしい限りだが、今のレンにはもうそんな目で彼女を見ることはできなかった。だって、アレがアレなのだ。それはもうアレだろう。
「うんうん、おつかれ。という訳で隙あり!」
「にゃん!?」
などと考えていたら、唐突にハイジがとんでもない行動に出た。思わずレンの口から「ひっ」という音が漏れるが、それも仕方がない。
「うーん、やっぱり抜群の触り心地。耳も尻尾も最高オブ最高! 死ぬまで愛でれるっていうか愛で殺しちゃいそう!」
――なんと、ネルの尻尾と耳をモフりだしたのだ。
座り込むネルの背後に回り込み、両手を余すところ無く活用してその毛並みを堪能している。
恍惚とした表情を浮かべるハイジは、いつだったかエレナの胸を揉みしだいた時と同じくらいの速さで指を動かしていた。
これが如何に愚かな暴挙であるか、それは語るまでもない。
「ぎゃふんっ!」
案の定、ハイジはネルの会心の一撃を食らい、マイルームの反対側まで吹っ飛ばされた。
彼女に手を出したらこうなることくらい、火を見るより明らかだというのに。タピオカミルクティーを飲んだら喉の奥にタピオカがぶち当たるくらい当たり前だ。
吹っ飛んでいったハイジの元に、ネルがスタスタと歩み寄る。いつの間にか大量に現れたクッションに埋もれていたハイジを、ネルが一発で見つけて締め上げる。
「まったく、貴方はいつもいつも――懲りるってことを知らないんですか? そんなに死にたいんですか。いえ、死にたいんですね。殺します。お望み通り殺します。もう殺します、今殺します」
そしてお馴染みの――いや、レンが見たのより若干殺意高めの、ネルの毒舌が始まる。
さしものハイジも、ネルの精神攻撃の前には敵わない――と、思いきや。
「……気のせいでしょうか、喜んでるように見えるんですが」
「気のせいじゃないとも。あの女神は、ほぼ全ての性癖を網羅している。美少女に罵倒されるなんて、彼女からすればご褒美以外の何物でもないさ」
レンは絶句した。必ず、かの意馬心猿な女神を除かねばならぬと以下略。
慣れた様子でエドモンドが入れた解説だが、一度同じ立場に立ったレンからは到底信じられない。あれを快楽に感じるなんて、それはもう人間ではない。いや、人間じゃないけど。
「いっそ本当に死ねばいいのにな」
「これで死ぬくらいなら、あの馬鹿は百遍死んでるよ」
遠巻きに見守るエレナとバルトも、儚い望みを口にして遠い目をしている。本当に、何故今までハイジが殺されなかったのか不思議でしょうがない。
「仮にも女神だからな、ボックス内で死ぬなんてことはあり得んさ。まあ、ネルもそれを分かっているから本当に容赦がないんだが」
エドモンドの言う通り、ネルの言葉と暴力は一層激しさを増していた。しかしハイジはまだまだ余裕、更なる快楽を求めてネルの尻尾を追いかける始末である。
きっちりぶん殴られてはいるのだが、どうにも瞬時に回復してしまうらしい。流石は女神、肩書きに違わぬチートぶりだ。
「やあ、みんなお疲れ。アレは当分続くだろうから、君たちはもう休むといい」
と、そこへ今度こそ天使の声が聞こえてきた。
レンたちをいつも温かく見守ってくれる大天使、ガブリエルである。
「ガブリエルさん。ありがとうございます」
レンがそう言うと、彼はにこやかに微笑んだ。見た目は渋いオジサマ、しかして紛うことなき天使。ボックス唯一の癒しキャラ。四人はそれぞれに安堵と喜びを浮かべた。
「ガブリエル様……! 流石、お優しい……!」
もちろん、一番喜んでいるのはエレナだった。
「ああ、エレナもお疲れさま。最後の魔法は良かったね」
「は、はい! 雷魔法の範囲が狭いのが不満だったのですが、だったらもっと狭めてみようと。『災い転じてぶん殴る』というヤツでしょうか」
「随分タカ派な諺だねー」
ガブリエルがエレナに正しい諺を教えているのを見ながら、レンはふっと微笑む。
皆も、そしてレン自身も死ぬような思いをしたが、無事に帰って来られたと実感した。
「じゃあ、すまないが後は任せよう」
「おう、そうだな。酒だ酒! おら、レンも行くぞ!」
「あ、はい!」
「ではガブリエル様、また!」
そう言い残して、エドモンドを先頭にハイジの部屋を出て行く。
それから四人は食堂へ行き、勝利の美酒に酔いしれた。もちろん、レンはノンアルコールで。
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「ふう……まったく、本当に疲れましたにゃ」
飽きるまでハイジの相手をさせられたネルは、二時間ほども経ってからようやく解放された。
レンたちは遥か前にハイジの部屋から出て行ったので、一人気だるく自室への道のりを歩んでいる。
召喚の塔を出たところで、冷たい夜風が頬を撫でる。久々に浴びる新鮮な空気に、ネルは大きく深呼吸をした。実際は一日も経っていないのだから、久々とは言えないだろうが。
「終わったか」
聞き慣れた声が掛かって、ネルはそちらに目を向けた。
「エドさん」
そこには、四人で先に帰ったはずのエドモンドが立っていた。彼は近くの壁にもたれかかり、気障ったらしい様子で青い髪を揺らして首を傾げる。
「四人でお食事中じゃにゃかったんですか?」
「ああ、そちらはもう終えてきた。流石に疲れたんだろう。全員、今頃ぐっすりだろうさ」
ネルの問いかけに答えて、エドモンドはふっと微笑む。
なんというか、子を思う父親か弟を思う兄のような、そんな表情だ。
「エドさんは休まないんですにゃ?」
「勝利の立役者を労わずに帰る訳がないだろう? これでも一応、リーダーを務めているのでね」
「一度は帰ったじゃにゃいですか」
「ふむ、確かに」
これは一本取られた、と可笑しそうに笑って、エドモンドは壁から体を離した。
「さて。これから一杯付き合う気はあるか?」
「もう疲れたんですけどにゃ……ま、どうしてもって言うなら、付き合ってあげるのです」
「流石、いい女は違うな。是非頼むよ」
そんな軽い言葉を交わしてから、二人は連れ立って歩き出した。
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「どう思った?」
酒の入ったグラスをちゃぷんと波打たせながら、エドモンドがそう訊ねた。
「何がですにゃ?」
言わんとするところは分かっていたが、敢えてネルはそう訊き返す。すると案の定、「レンのことさ」とエドモンドは答えた。
まあ、二人の間に他に目新しい話題はない。
「うーん。まあ、ナシよりのアリ、ってとこですかにゃ。ステータスは星3テラリアとして妥当なところですし……知力が低いのはいただけにゃいですけど」
ネルの所感では、レンはごく普通のテラリアの民だ。特別な才能がある訳でもなければ、何か抜きんでた力がある訳でもない。
要するに、戦闘に於いてであれば、そのままだと使い物にはならない。とまあ、それがステータスと実際の動きから見たレンの総評である。
「ステータス以外は?」
ただし、ステータス値以外にも強さを決めるものはある。それを訊ねるエドモンドに、ネルは首を横に振って答えた。
「なんとも。『もしかしたら何かあるかも?』って程度なのです。それっぽい部分は若干見えましたけど、覚醒するかはその時が来ないとにゃんとも」
「そうか」
ネルの答はおよそ予想通りだったのだろう、エドモンドは一言だけ返すとグラスを煽った。
おそらく彼も、レンにその片鱗を感じている。それが花開くかどうかは五分といったところか。そして、エドモンドはそれを楽しみにしている。
「それにしても、物好きですにゃ。そんなギャンブルみたいな人選をしなくても、真っ当に強い人を見つける方が早いのです」
そんなエドモンドを見て、ネルは呆れたようにため息を吐いた。
「まあ、これだけ長い事異界人をやってるとな。こんな楽しみ方でもしなければ、やっていられないさ」
「そんなもんですかにゃ。私は時々魔法クエストで気分転換してるので、そうでもないですけどにゃ」
エドモンドは、このアルーカにおける防衛クエストの要だ。故に、彼はずっとボックスから出られない。確かにそれは、退屈な暮らしかもしれなかった。
「ま、私も楽しみにしておくのです」
ネルはそう言って、グラスに入った酒をちびちびと舐めた。




