第一話3 異界人とクエスト
「おーい、ガブリエル!」
どこかへ向かって歩き続けるガブリエルに従って歩いていると、不意に彼を呼ぶ声が掛かった。
ガブリエルが振り返り、次いでレンもそちらを向く。するとそちらから、青い長髪の男が手を振って駆け寄ってくるところだった。
これと言って容姿に特徴は無く、レンと変わらず普通の人間にしか見えない。長髪の似合う長身イケメンではあるが、異世界ならこんなものか、という程度。トカゲのインパクトには到底及ばない。
(そしてまた中年男性、か……)
他に見かけた『普通の人間』の例に漏れず、彼もまた中年男性と言える。見た目だけで言えば、30代前半といったところだろうか。
「ああ、エドか。丁度良かった」
ガブリエルは近付いてきた彼を見るとそう声を上げた。
「みたいだな。新入りか?」
彼もそれに軽い様子で答える。どうやら、二人はかなり気心が知れているようだ。
「うん。レン、紹介するよ。彼はエドモンド・アルフィー。元はアルキルという世界の人間だ」
「気軽にエドと呼んでくれ。よろしく頼む」
ガブリエルが手で彼を示しながら、レンに向かって紹介をした。それを受けた彼、エドモンドは気さくな様子で手を差し出す。
軽い調子、しかし深みのある落ち着いたエドモンドの声には、聞く者を安心させるような響きがあった。
(そう言えば、握手はここでも通じるんだな。万国、いや万世界共通なのか)
そんなことを考えながらも、レンも「よろしくお願いします」と答えて手を差し出し、ガッチリと握手を交わす。
「彼は随分な古株でね。このボックスのまとめ役みたいなことをしてくれているんだよ」
「そんな大層なものじゃないがね。ただ長い事ここに居て、その分ちょっと詳しいというだけさ」
続くガブリエルの紹介に謙遜してみせる彼だが、それも納得という風格だ。おそらく、見た目よりずっとたくさんの経験を積んできているのだろう。
「で、彼が新入りのレン・アワード。聞いて驚け、彼はテラリアから召喚されたんだ!」
そして今度は、レンが紹介される番である。何故か得意気に語るガブリエルだったが、それに対するエドモンドの反応は顕著なものだった。
「なっ……テラリア!? 君、本当にあのテラリアから来たのか!?」
驚き、そしてかなり興奮した様子で、彼はレンに詰め寄る。その目には少年のような好奇心の輝きが宿っていて、その勢いにレンは思わず一歩後ずさる。
「あ、えっと……」
「いや、そうか、すまない。テラリアは世界の仕組みを知らないクチだったな」
狼狽えるレンを見て、エドモンドはコホンと咳払いをして気を落ち着けると謝罪した。
(すごい食い付きだ……テラリア――俺の元居た世界は、そんなに珍しい世界なんだろうか)
予想外な反応に激しい動悸を感じながらも、レンはそう思考する。
「おいおい、僕がそんな嘘を吐くとでも?」
そんな二人のやり取りを見て、ガブリエルは面白そうな顔でそう文句を垂れる。
「……そうだな、君がこんな嘘を吐くはずもない。本当なんだな」
対するエドモンドは少しバツの悪そうな顔でそう返した後、改めてレンをしげしげと眺めた。
レンとしては他人から純粋な好奇の目で見られることが珍しく、むず痒いやら気恥ずかしいやらで随分座りが悪かった。
「信じていただけて光栄だよ。まあそういう訳だから、クエストで会ったりすることは無いだろう。でも、ボックスの中では仲良くしてやってくれ。『袖摺り合うも他生の縁』と言うしね」
エドモンドを軽く茶化しながら、ガブリエルは学校に子を送り出す親のような台詞を吐く。彼の立場からすると、実際そんな心境なのだろう。
「ああ、もちろんだ。こちらとしても、テラリアについて聞きたいことは山ほどあるからな。またゆっくり話をさせてくれ」
エドモンドは穏やかな笑顔でそれに答え、レンにそう話しかけた。
最初の落ち着きを取り戻したいい声で、それを聞いたレンは自然と首肯した。
「じゃあ、俺はもう行くよ。賭場でまた言い争いが起きているらしくてね……」
「ああ、いつも助かるよ。よろしく頼む。それじゃ」
そのやり取りを最後に、エドモンドは手を振って歩き去った。
(どこの世界でも、博打と喧嘩は日常茶飯事か……)
彼の苦労を忍びながら、レンはそんな感想を抱く。
「さて、じゃあ僕たちも行こうか」
そう言って再び歩き出したガブリエルに従って、二人はまたボックスの中で歩みを進めるのだった。
************
そこからまたけっこうな距離を歩いた後、辿り着いたのは余りにも普通な――マンションの一室だった。
ただし、部屋が一室だけ抜き取られて無造作に置いてあるのは普通とは言えないが。
「ここが今日から君の部屋だ。好きなように使ってくれて構わないよ」
扉を開け部屋の中に入りながら、ガブリエルがそう説明する。
(部屋……? そう言えば、『しばらくここで過ごすことに』と言われたが……)
その言葉で、ボックスに入ったときに言われたことを思い出す。
今までの話の流れで行くと、レンを始めここに居る人々は、この世界で『クエスト』をクリアするために『召喚』された、ということになる。
やはり、レンの知る『異世界召喚』とは大きく勝手が異なるらしい。普通なら部屋などは与えられず、旅から旅への根無し草だろう。
「どうした? 早く入ってきなさい」
ガブリエルに中から呼び掛けられ、レンは思考を中断して中へと向かう。
本当に普通の1Kだ。玄関で靴を脱ぎ、廊下の途中にあるキッチンやバスルームらしきドアを横目に見ながら中へと進んで行く。
奥には6畳ほどのリビングルームがあるが、家具の類が一切無いせいで随分広く感じる。床は全てフローリング張り、壁や天井には白い壁紙が貼られ、清潔で綺麗で快適そうな部屋だ。
部屋の奥には大きな窓とベランダがあり、どういう仕組みかそこからは青空と、至って普通の街並みが垣間見えた。そこだけ見れば、完全に元の世界――ここで言う『テラリア』の風景だ。
「さて、まずは一息つこうか。お茶でも飲もう」
リビングの奥の方でそう言いながら、ガブリエルがパンッと手を叩くと――あっという間に、座布団とちゃぶ台が目の前に現れる。卓上には湯気の立つ温かいお茶付きだ。
(な――!)
思わず、レンの口があんぐりと開く。何もない空間から突然それだけの物が現れれば、驚くのも無理はないだろう。
「ふふ、驚いたかい? 『ボックス』の中では、望むだけであらゆる物が支給されるんだよ。念じながら手を叩いたり、指を鳴らしたりするだけでいい。簡単だろう?」
彼は得意気にそう言い、驚くレンを面白そうに眺めている。
そして次は指を鳴らして、温かいおしぼりを二つ出現させてみせた。
「試しに君もやってみるといい。そうだな、まずはお茶菓子でも出してみたらどうだ?」
信じられない気持ちだが、言われるがままレンは『お茶菓子が欲しい』と心の中で念じてみる。
「お茶菓子が欲しい」
「声に出てるよ」
ガブリエルのツッコミを受けながらも、レンはそのまま手を叩いた。指パッチンはできない。
ズバアアアン。
「ちょっ、うるさっ! 耳痛い!」
加減を間違えているレンの拍手は、ガブリエルが文句を言うほど大きな音を鳴らし――それでもちゃんと、ちゃぶ台の上に小皿に乗った饅頭を出現させた。
そしてレンは理解する。
(ああ……これは人をダメにする空間だ)
この空間はいけない。現代の若者がこんな空間に放り込まれたら、本当に部屋から一歩も出ない真正の引き籠りが出来上がってしまう。
この便利さに慣れてしまったら、二度と元の生活には戻れないだろう。
そう思いつつも、目の前のお茶と饅頭は『食せ』と彼を誘う。
たっぷり五秒間、饅頭と見つめ合った後――
(ふっ、俺の負けだ)
結局ガブリエルと卓を挟んで向かい合って座り、一通り堪能することにした。
(本当にここで暮らすとして、ちゃんと外には出よう。身体も鈍るしな)
もしレンが筋トレマニアでなければ、危なかったかもしれない。
***********
「さて、説明の続きと行こうか」
一息ついて、ガブリエルは説明を再開した。
「まずさっきも言った通り、ここは『ボックス』と呼ばれる異界人の居住スペースだ。今ので分かったと思うけど、生活に不自由することはない。娯楽施設も完備だ――後で案内してあげよう」
ガブリエルは最後にそう付け加えると、いたずらっ子のようにニヤリと笑みを見せる。
そう言えば来る途中、エドモンドとの会話で賭場の存在が発覚していた。
(もしかして、ジムもあるのでは……)
レンとしては、そこに期待が膨らむ。案内されたときに絶対に確認しよう、とレンは心に刻んだ。
「今の受け入れ可能人数は三百で、大体七割くらいが埋まっている――つまり、二百人以上がここで生活をしているということになるね。一部の人はクエストに駆り出されているから、同時にここに居るのはもう少し数が少ないけど」
部屋の外に居た人の多さからも分かっていたが、こうして人数として示されると改めてその多さが分かる。
異世界召喚とは、全然珍しいものではないのかもしれない。
(なんだか全然ありがたみがないな。仲間が多いという意味では心強いが)
というか、そもそも『ありがたいこと』ではないのかもしれない。勝手に召喚されてこき使われるのだから、むしろ迷惑千万という説まである。
「でも当然、ただ遊ばせるためにわざわざ異界人を召喚した訳じゃない。異界人は、『クエスト』をクリアするために呼ばれているんだ。『働かざる者食うべからず』、だね」
ガブリエルはそこで、指をパチンと一回鳴らした。
すると、二人から少し離れた位置の何も無い空間に、突如映像が浮かび上がる。
(立体映像……! そういうのも『支給』されるのか)
現代の――テラリアの科学技術を超えた完璧な立体映像に、レンは舌を巻く。そして――
『これで納得! ガブリエルのぉ、早分かりクエスト講座ー!!』
……なんか、テンションの高い動画が始まった。
『さあ、レンくんのために、これからクエストについて説明していくよ!』
映像の中、やたら声の高いSDキャラのガブリエルが、ハイテンションに説明を始めた。
『一口にクエストと言ってもその内容は様々。大きく言うと、『開拓』、『科学』、『魔法』、『文化』、そして『防衛』の五種類に分類されるんだ!』
SDガブリエルの言葉に従って、映像には五つのアイコンと文字列が表示される。
それぞれ、ツルハシ、フラスコ、杖、筆、剣のシルエットだ。
『まず『開拓』。いわゆるメインクエストで、世界を探索し、人間が使える土地や資源を拡張するためのクエストだよ。密林に分け入り、山を越え海を渡り、未開の地を切り拓く。それが『開拓』のクエストだ!』
そのうちツルハシのアイコンが大きく映し出され、後ろでは密林に分け入り、辺りを見回す人のイメージ映像が流れている。
(いや、食われてる食われてる)
後ろの映像の中、茂みから飛び出した獣に人間があっさり食い付かれるが、何事も無かったかのようにSDガブリエルの説明は進行していく。
『現代のテラリアなら、例えば地下資源の採掘なんかがこれに該当するよ。惑星を隅々まで調べ尽くして、地下どころか宇宙にまで開拓を進めているのなんて、テラリアくらいのもの。すごいね!』
そろそろ規制が入りそうな展開に突入していた映像が切り替わり、巨大な掘削機の映像、次いでロケットが宇宙を進む映像が流れる。
ちなみにその後、何故かロケットは爆発した。
(なるほど……やっぱりテラリアは進んだ世界ではあるのか)
ツッコむのを早々に諦めたレンは、普通にそう感想を抱く。
異世界召喚のもう一つのお約束、『舞台がこぞって中世ヨーロッパ風』にはこういう背景があるのかもしれない。異世界召喚された先の文明度は、ほぼ間違いなくテラリアより下なのだろう。
『次に『科学』と『魔法』。ここが、世界の特色を分ける大きなポイントだぞ!』
再び映像が切り替わり、フラスコのアイコンと杖のアイコンが表示される。
『『科学』の方は、テラリアの民なら説明するまでもないかな? 元素の発見、物理法則の解明、その他発明諸々。科学文明を発展させるクエストだね!』
言葉に従いフラスコの方のアイコンが大写しになり、裏では如何にもな実験の映像が流れる。もちろん、最後には爆発した。
(お約束だな……)
『『魔法』は、科学の代わりに魔法文明を発展させるよ! 新魔法の開発、魔法技術の発展、魔法素材の活用なんかだね!』
今度は杖のアイコンで、怪しげな魔法使いと魔方陣が現れる。もちろん、最後には爆発した。
(天丼だな……)
「『科学』のクエストを優先的にクリアして行けば、テラリアのように科学文明が中心の世界になる。逆に『魔法』クエストをクリアすると、魔法中心の文明が築かれる、というわけさ! ちなみにテラリアは『魔法』クエストは一切クリアしてないよ!』
(クリアしておけよ、という少年たちの声が聞こえるな……)
レン個人としては、科学文明のありがたみは理解しているのでテラリアに文句を言うつもりはない。
だが、魔法に憧れる気持ちは十分に理解できるし、レン自身にそれが全く無いと言えば嘘になる。だって魔法、カッコいいもの。
『そして『文化』。これは、芸術や娯楽の発明や発展だね! 文明の発展に直接的には関係ないけど、実は人間の精神性が大きく成熟するんだ。『文化』クエストをクリアしておくと、他のクエストがクリアしやすくなるよ。けっこう重要だー!』
『文化』のアイコンは、筆のマークだった。後ろには有名な絵画や、スポーツの風景などが映っている。『大迫半端ないって!』という音声が小さくカットインした。
(心が豊かになれば文明も豊かになる、か……勉強になるな)
それは完全にスルーして、レンは大真面目な顔でうんうんと頷いた。
『基本的には『開拓』『科学or魔法』のクエストをクリアすることで、世界が成長していくよ! それぞれのクエストは密接に関連していて、どのクエストからクリアするか、どの種類を優先するのか――その進め方によって、世界はどんどん分岐していく。それが、世界の特徴を形作っていくんだね』
四つのアイコンが映し出され、そこから線がたくさん伸びて行く。その線は時に交差し、時に重なりながら複雑な模様を作り出し、世界に無数のパターンが存在することを示していた。
『そしてこれら四つのクエストとは別に存在するのが、『防衛』のクエストだ!』
そして最後の一つ、剣のアイコンの説明だ。後ろのイメージ映像は、もちろん戦闘シーン。
『これは、勝たないと人間が滅びたり衰退したりする戦いを指すよ! 魔法文明だと魔獣や悪い魔法使いと戦ったりするんだ。テラリアは魔法が無いから、主に人間同士の戦いや災害との戦いだったりするね!』
巨大なドラゴンとの戦闘、ミサイルの発射映像、燃え盛る街。そして最後はもちろん、大爆発だ。
『以上、クエストの説明でした! それじゃあ、まったねー!』
SDガブリエルが元気よく手を振り、そこで映像は終わった。
「……天使って、大変なんですね」
何故そんなテンションにしたのか。何故頑なに爆発するのか。何故ベストを尽くさないのか。
ありとあらゆるツッコミを飲み込んで、レンはそれだけをガブリエルに伝えた。
「いや、けっこう楽しいよ?」
満足げに語るガブリエルのセンスは、割と独特なようだった。