第五話3 カラクリ
瞬間的に頭を過ったのは、この世界に来て初めての戦いの事だった。
右も左も分からない戦場で、突如現れた巨大な敵。そう言えば、あの時も炎の魔法だった。
エレナの爆裂魔法がゴーレムに炸裂して、しかし何食わぬ顔で敵はそこに在り続けた。ゴーレムが持っていた、その特異な体質は――
「まさか……また、魔力耐性……?」
魔力によるあらゆるダメージを激減させるという能力。
あれ以来出会ったことはなかったし、エドモンドたちによれば、それまでも相見えたことはないという。それくらい稀有な性質なのだ。
そんな敵がまたも現れたとは、とても信じたくなかった。だが、そんなレンたちを嘲笑うかのように、ディルマンチュラはその巨体を堂々と晒している。
しかも――
「――! レンさん、風を!」
驚くのは、まだ早かった。
ネルの叫びが聞こえたのと、ディルマンチュラが深呼吸をするように口を開けて顔を上げたのが同時だった。
「な……!」
反射的に団扇を構えて前に出るが、予想外の光景にレンは思わず固まった。
ディルマンチュラが口から吐き出したのは糸ではなく――炎だった。
しかもその炎は、先ほどのエレナの魔法と同じくらいの熱量を帯びていた。どころか、全く同じ炎にすら見える。
巻き込まれれば死を免れない灼熱の息吹が、レンたちに向かって押し寄せる。
恐怖で固まったままのレンは、自分の背中に何か固い物が押し付けられたのを感じた。
「『ストレングス』!」
そして、ネルの声が背中を押した。同時に体中に力が漲るのが分かる。それは、仲間を守るためにレンに託された力だ。
「はあぁっ!」
溢れる力に頼って体を奮い立たせ、渾身の力で団扇を振り下ろす。
過去最高の暴風が巻き起こり、迫りくる炎と真正面からぶつかり合った。その余波はレンの元まで帰ってきて、身を焦がす温度を連れてくる。
炎と嵐。せめぎ合った二つの力は洞窟中を揺るがし、毒々しい紅の光を撒き散らして荒れ狂った。そして――
「――くそっ!」
嵐は負けた。
火勢は弱まったものの、炎は消えることなくこちらに向かって来る。レンは歯噛みし、もう一度風を送り出そうと団扇を構える。
「レンさん、十分ですにゃ」
しかし、そう言ってネルがレンの前に進み出た。「皆さん、後ろへ!」と叫ぶと、ローブの袖から取り出した小石のような物を放り投げる。
「――『マジックウォール』!」
詠唱に応えた小石は、眩い無色の光を放つ。その光はすぐに収束して線を描き、意志を持つかの如く動き出した。
石を中心に六本飛び出した光線は途中で折れ、それぞれが六角形を描く。その先でまた六角形が生まれ、組み合わさって、いつしか大きな壁を形作っていた。
炎が、光の壁を舐める。獲物を絡め取る舌のように、下品に押し付けられる赤い灼熱。
しかし壁はその聖なる輝きを損なうことなく、レンたちを熱から守り切っていた。褪せず、弛まず、動じず、凛としてそこに存在し続けた。
「ふうっ……」
ネルが短いため息を零したことが、その攻撃の強さを物語っていた。彼女ですら、全力を出さなければ防げなかったということだ。
「どうなってやがる……!」
「同じ炎属性……魔法で相殺していたのか……?」
吐き捨てたバルトに答えるように、エレナが推測を口にした。なるほど、相手が魔法を使えるならそれもあり得る。
しかし、それはそれで魔力耐性よりも厄介かもしれない。
「あの威力の魔法を気軽に撃たれたら、とても戦えんぞ……! 接近戦を仕掛けても、近付く前に焼かれる。今までなんで撃ってこなかったのかは謎だが」
エドモンドの言う通りだ。魔物にも油断というものがあるのだろうか。考え辛いが、しかし一度目にしてしまった以上、あの炎を警戒しない訳にはいかない。
「なら……ネル。障壁はどれくらい保つ?」
「同じ威力がもう一発来たらアウトですにゃ。レンさんの団扇もあればなんとか。魔法以外は防げないので、糸やら物理やらはバルトさんたちに任せるしかないですにゃ」
「よし、十分だ」
確認を済ませると、エレナは再び杖を構える。
「氷属性で攻める! 死ぬ気で耐えてくれ!」
そう言うと、すかさず詠唱を始めた。四人は身構え、エレナの言葉に従う。
それに反応するように、今まで何故か動かなかったディルマンチュラが活動を再開した。
何かを吐き出すようなモーションに、早速炎が来るかと寒気を感じながら身構える。しかし、吐き出されたのは糸だった。
レンの団扇で糸は防げる。後は――
「来るぞ!」
糸を防がれたディルマンチュラは再びこちらに向かって走り出した。
エドモンドとバルトが障壁から飛び出し、再び繰り出される脚と斬り結ぶ。
「霧満ちる水面、影落ちる山脈。虚ろに開く六つの花弁――」
今のところ、ディルマンチュラが炎を吐く気配はなかった。もしかすると、ある程度時間を置かないと使えないのかもしれない。
しかし、だとすればエレナの魔法を防いだ方法が謎だ。魔法で相殺したのなら、すぐに炎による攻撃はできないはず。相殺していないのであれば、何か別の手段で魔法を防いだことになる。
――何か、致命的な見落としをしている気がする。
「集え、廻れ、刹那に消えよ。嘶く天馬が七里を駆ける!」
それを考えきる前に、エレナの詠唱が終わりを迎える。最後の一節を唱えた瞬間、魔法が放たれるはずだ。
「障壁を解除するのです! やっちゃってくださいにゃ!」
ネルが叫び、障壁が消え去った。
どうしようもなく嫌な予感を抱えたまま、レンが見守る中――
「白き静寂を! 『ブレス・オブ・ボレアス』!」
エレナの魔力が解放され、白い嵐が吹き荒れる。ディルマンチュラは、あっさりと猛吹雪に呑み込まれた。
「炎で掻き消している様子は無いな……」
「このまま氷漬けになってくれりゃありがたいが……」
言いつつ、エレナとバルトが、そして残りの三人も、白い嵐の向こう側に目を凝らす。
「……! これは……!」
ネルが不意にそんな呟きを漏らした。明らかにありがたくない類の声音で、レンも落ち着かないまま、吹雪の終わりを見届ける。
「駄目、か……」
ディルマンチュラは、相も変わらず元気に動いていた。半ば予想できたこととは言え、そのショックは大きい。
「レンさん、もう一度お願いしますにゃ」
ローブから小石を取り出して横に並びながら、ネルがそう声を掛けてきた。それはつまり、ディルマンチュラがまた魔法を放とうとしているということだ。
レンは頷きを返し、団扇を構える。もう一度あの炎が来ると思うと身が竦むが、ネルの魔法があれば大丈夫だ。強化魔法もまだ効いていて、自分の中に溢れる力を感じる。
「――は?」
ディルマンチュラが、再び魔法を放った。反射的に団扇で迎撃したレンだが、思わずそんな声が漏れた。
レンの風は、魔法を減衰させる。そしてネルの創り出す障壁が、魔法を完全に防ぐ。
先程と同じことが起きているようで、しかし現象としては全く違った。逆、とすら言える。
「なるほど……そういうカラクリですにゃ……!」
ネルが納得したように――不満げではあるが――、そんなことを呟いた。しかし、レンは欠片も納得できない。何故なら、ディルマンチュラが吐き出したのは――吹雪、だったのだ。
「どういうことだ、ネル? アイツは炎属性と氷属性、どちらも持っているとでも?」
「いえ、そういうことじゃないと思いますにゃ」
訊ねるエレナに、ネルは首を横に振って答える。
「今、頑張って魔力を感知していたのです。結論から言えば、あの蜘蛛が吐き出した魔力はエレナさんの魔力ですにゃ」
「は?」
ネルの言葉を飲み込めず、エレナは反射的に怪訝な顔と声を漏らす。
「ネル、分かりやすく頼む」
エドモンドに言われ、答えるに――
「要するに、魔法を吸収して吐き出しているんですにゃ。魔法を撃つと、同じ威力でそのままそっくり返ってくるのです」
明かされたカラクリは単純で、しかしどうしようもなく凶悪な能力だった。分かったところでどうしようもない。
魔法が通じない。どころか、そのまま返される。これなら魔力耐性の方がいくらかマシだ。
「さて、どうしますかにゃ……」
動かない大蜘蛛の、静かに光る赤い目を見つめる。ボスモンスターらしく、一筋縄で行かない強敵。
アニメやゲームと違って、まったく胸は躍らなかった。




