第四話8 豹変
警戒してネルと話し始めたレンだったが、それは全くの杞憂だった。ネルは話し上手で聞き上手で、レンも珍しくよく喋った。あくまで普段のレンを基準としてだが。
そうして、三十分も喋った頃だろうか。
「ふあー……じゃあ、ネルたちもそろそろ体を休めるにゃ」
ネルが伸びと欠伸を同時にかましながらそう言った。
他の三人を見ると、全員目を瞑って休息に専念している。
今はまだクエストの途中、体力はしっかり回復させるべきだ。
「そうですね……あ、これどうぞ」
レンは近くにあったボロ布を一枚取って、ネルに手渡した。
木箱に座っていては体を休められないし、寝転がるなら岩に直接よりはマシだろう。
「ありがとうございますにゃ。じゃ、これを敷いて……」
ネルは跪き、地面に布を綺麗に広げる。
それを横目に見ながら、レンも別の布を手に取っていると――
「あ……」
「んにゃ?」
布を敷き終えたネルが、ローブを脱いでいた。
このタイミングで脱ぐということは、掛布団にでもするつもりだったのだろうか。
だが、そんなことはどうでもいい。
レンの目に映ったのは、ただ一つ。
――尻尾だ。
「にゃん!?」
――モフモフだ。
気が付いた時には、レンの体は無意識にそれを掴んでいた。
レンがあってほしいと願ったネルの尻尾は、彼女のローブの下にしっかりと存在していたのだ。
待ち侘びたその感触は、レンの心を颯爽と奪い去った。
指を動かし、撫でまわして、揉み解して、擦り付けて。
柔らかく滑らかな手触りの毛先を弄び、レンは指先から電流が走ったように全身に幸福感を得る。
――ああ、これ以上の幸福があるだろうか。
それは至宝の一品。天が与えし快楽の権化。たとえ今世界が終わったとしても、この手を離してなるものか。
夢のような手触りに、ベロベロに酔いしれていると――
「ごぺっ!」
レンの横っ面を、重たい衝撃が駆け抜けた。
頭部に引っ張られるように体ごと、もんどり打って吹っ飛ばされて、レンは洞窟の冷たい壁に叩き付けられていた。
壁に綺麗に張り付いたレンは、ずり落ちるまでの一瞬で様々な光景を見た。
即座に武器を構えたバルト。余り動じていない様子で、しかし視線はしっかりとこちらに向けたエドモンド。エレナはどういう訳か、「ひっ」と体を縮こめている。
そして――拳を振り抜いた体勢で固まっている、ネルの姿がそこにはあった。
レンが地面に無様にずり落ちた後、ネルはツカツカとこちらに歩み寄ってきた。
「おい」
レンは、我が目と我が耳を疑った。もしかすると、壁に激突した時に頭を強く打ち付けたのかもしれない。
しかし、胸ぐらを捕まれて軽々と体を持ち上げられ、勘違いでは無いと思い知らされた。
レンの目の前には、憤怒を湛えたネルの顔がある。緑色でくりくりと愛らしかった目は、黄色く光り瞳孔が縦に細まっている。
剥き出しになった歯は肉食獣のそれにしか見えず、犬歯の鋭さが否応なしに際立っていた。
そして、ネルが口を開いて息を吸い込むと――それは始まった。
「誰が触って良いなんて言いました? あまつさえ好き放題弄くり回して、死にたいんですか貴方。いやそうですね、死にたいんですね。なら死んでください、すぐ死んでください、今ここで死んでください。そこの壁に顔をめり込ませて窒息死するとかどうでしょう。さぞかし滑稽で、貴方みたいなゴミ屑でも最後に私たちを笑わせることができるかもしれませんよ? っていうか、そんな凶悪面して猫耳美少女に欲情するとか本気で気持ち悪いです。変態という言葉ですら生易しいですね、むしろ変態に失礼です死んでください。やっぱり死んでください、もしくは死んでください。そこのボロ布で首を擦り続けて動脈を切って失血死するとかいいですね。で、その筋肉は幼女を押さえ込んで乱暴するために付けてるんですか? この性犯罪者。腐れ外道。人類の敵。ありとあらゆる意味で不愉快です死んでください。むしろ死んでください、けだし死んでください。そこの木箱を頭に被って全力疾走して消え去ってください。それで壁に激突するか魔物に激突して食われるか、どちらにせよそのまま死んでください。まあでも、貴方が筋肉を付けたところで私にすら勝てませんけどね。見せかけだけの、役に立たない、中身の無いハリボテの筋肉ですから。無意味な努力お疲れ様です。その憐れな努力に免じて、死んでください。かなり死んでください、よしんば死んでください。その辺の小石を耳からねじ込んで死ぬのもアリですよ。ああそう言えば、貴方十五歳らしいですねそんな見た目で。ギャップ萌えとかってレベルじゃないですけど大丈夫ですか? 初期設定ミスというか、キャラ立てが迷子というか、そもそも生まれてきたことすら間違いみたいな。ということは死んでください、唐突に死んでください、こんにちは死んでください。意味の無い上下運動とかを続けて飢えと渇きで死ぬとか名案じゃないですか? そうそう、あと喋るのが下手すぎですよね。口はちゃんと付いていますか? もしかしてどこかに忘れてきたり、あるいは上唇と下唇に名状しがたい粘り気の強い液体とかずっと付いてません? うわ、想像したら気分を害しました死んでください。どうにも死んでください、あからさまに死んでください。思いつきで宙返りをしてみた結果、失敗して頸椎を損傷してそのまま半身不随になって辛い人生に耐えきれず自殺しましょう。っていうか、喋るのも戦うのも得意じゃないのにどうしてここに居るんですか? ステータスだって、戦闘力5で制動力1とか、それもうただの邪魔でしかないじゃないですか。制動力1って! 最早想像付かさなさすぎてほとんど描写できないです死んでください。そろそろ死んでください、さしあたって死んでください。バルトさんの斧を借りて、柄の部分を肛門に突き刺して死ぬくらいは許してあげましょう。それから――」




