第一話2 ボックス
ガブリエルから早速説明があるかと思いきや、「ここじゃ何だし移動しながら」と言って彼は歩き出した。
手招く彼に従っていっしょに部屋を出ると、そこは長い螺旋階段だった。
先ほどの部屋よりは明るいがやはり薄暗いそこは、見上げても先が見えないほど大きい。
ぼんやりと青い光が上から差し込み、とてつもなく深くて大きい井戸の底に居るみたいだ、と蓮太郎は思った。別に井戸に入ったことがある訳ではないが、イメージとして。
そして井戸で例えるなら、蓮太郎たちが居るのは井戸の底。そこから外周の壁に沿って、ずっと上の方まで階段が伸びていた。
(ここを上って行くのか……いいトレーニングになるな! 下腿三頭筋と大腿四頭筋に効きそうだ!)
それを見上げて、蓮太郎の中の筋トレマニアの血が騒ぐ。これだけの長さとなると、脚の筋肉には相応の負荷が掛かるはずだ。
欲を言えば、手すりだけは付けておいて欲しかった。階段の一段一段は壁としか接しておらず幅も狭い。うっかり踏み外したり体勢を崩したりしようものなら、底へ向かって真っ逆さまという危険がある。
「ほら、何をぼーっとしてるんだい? 早く乗った乗った」
(ん? 乗る……?)
階段を見上げ筋肉に思いを馳せている蓮太郎を、ガブリエルは怪訝な顔でそう急かした。
その中に不可解な言葉を聞き取った蓮太郎だが、階段の三段目で待ち構えているガブリエルの元へ近付くと、一段目に両足を乗せて立ち止まる。というか、ガブリエルが動かないのでそうするしかなかった。
「ん、乗ったね。じゃあ、そこの壁にあるボタンを押してもらえるかい?」
それを確認したガブリエルが、そう言って蓮太郎の横を指差す。見ると彼の言う通り、壁には何やら赤い大きなボタンが付いていた。直径は10cm程度だろうか。
「ふんっ」
バキィッ。
「ちょっと!?」
どう見ても指で押すサイズではなかったので、拳で押した蓮太郎だが――傍から見たら、明らかに叩き割る威力だった。
というか実際、粉々になった。
ガブリエルは順当過ぎるツッコミの声を上げるが、ハッと思い出す。
「忘れてた――そう言えば制動力1って……ここまで酷いものなのか。それは知らなかった」
呆れと共にぼやきながら、ガブリエルは指をパチンと鳴らす。すると、ボタンは独りでに欠片を集め自己修復を始めた。
だが壊した張本人であるところの蓮太郎は、その超常現象を見逃し、彼の言葉を聞き逃した。
何故なら、心底驚いていたからである。
ボタンを押した――正確には叩き壊した――とき。
階段が、ひとりでに動き出していたのだ。まるで、というかそのまんま――
(エスカレーター……だと……! 軟弱な文明がこんなところにまで……!)
予想外のテクノロジーに、蓮太郎は驚きと悔しさを禁じ得ない。上に立つガブリエルは動く気はさらさら無いようで、絶好のトレーニングチャンスを失ってしまった。
階段は下半身の筋肉を効率良く鍛えるのに最適なツールである。それなのに、現代人はエスカレーターやエレベーターに頼り、その機会を喪失してしまっているのだ。
利便性と効率を追い求め、自らを鍛えることを止めた文明に憤りを感じながらも、彼は仕方なくガブリエルの二段下に立ち、音も無く動く石段に揺られ上へと登っていく。
(にしても、どういう仕組みで動いてるんだ? 本当にここは異世界なのか……)
足元に目を凝らしても、そこには何の変哲もない石段しかない。それがひとりでに、壁に沿って動いているのだ。
大体エスカレーターは、ぐるぐると段を回しているから無限に動き続けられるのだ。この石段はひたすら上に向かって進むのみで、下の段はどこから補充されているというのか。
「さて。テラリアの民は異世界召喚に詳しくないと聞く。なら、一から説明が必要だろうね」
ガブリエルが話を始め、思考に沈んでいた蓮太郎は顔を上げる。
(いや、逆に異世界召喚に詳しい人間なんて居るのか? むしろ、日本人とかは詳しい方なのでは……)
そう疑問に思いながらも、蓮太郎は黙って頷く。一から説明してくれるというのなら、願ったり叶ったりだ。
『テラリア』が何かも知らないが、文脈からすると蓮太郎の居た世界のことだろうか、と推測する。
「うむ、素直でよろしい。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』と言うからね」
(それは世界を跨いでも通用するのか……いや、そもそも言葉が通じるのは何故だ? やっぱり異世界じゃないのか?)
話を聞けば聞くほど、分からないことが増えていく。
ここが異世界なのか、そうではないのか。その結論も未だに出ない。
「えっと、蓮太郎くん、だったか。ここじゃその名前は馴染まないから、まずはここでの名前を付けてあげよう。そうだな……レン……レン・アワードでどうだ?」
しかしガブリエルは、またも説明ではないことを口にした。
唐突な命名イベントにしかし、蓮太郎、改めレンは――
(お、俺の名前が……俺の残念な名前が、オシャレな外人の名前に!?)
感動すら覚えて、首を縦にぶんぶんと振っていた。
そもそも、両親のネーミングセンスが絶望的である。『阿波』という苗字に『れ』から始まる名前を付けるなど言語道断。
毎日美味しくタンパク質豊富な食事を作ってくれる母にも、筋肉の素晴らしさを教えてくれた父にも感謝はしているが、そこはそれ。名前は基本的に一生ものなのだから、そんな両親に文句の一つも言いたくなるのは当然だろう。
そんな訳で、新しい名前を彼は喜んで受け入れた。
「はは、気に入ってくれたみたいで何よりだ。さて、レンくん。異世界召喚と聞いて、どんなことを思い浮かべる?」
そんなレンを見て満足げに笑いながら、ガブリエルは質問を投げる。
質問が曖昧すぎて考え込むが――正直、頭を使うのは得意ではない。
剣、勇者、魔法、魔王。様々な単語が頭の中を飛び交う。
「勇者が、魔王を倒す?」
そして口に出したのは、お約束の物語だった。
「うん。召喚された選ばれし勇者が、大冒険の末に魔王を倒す――そちらの世界の『異世界召喚』を題材にした創作物は、概ねそういうものらしいね。だが、それらはほぼ間違ってると思ってもらっていい」
ガブリエルはレンの意見に頷きながらも、それを真っ向から否定した。
最近の物語はそうでもない――というのは、大して詳しくないレンには分からないことである。
「まあ、実際に見てもらう方が早いだろう。『百聞は一見に如かず』、だ」
ガブリエルは茶目っ気たっぷりにウインクしながらそう言うと、ゆっくりと歩き出した。
気が付いたら、もう一番上まで来ていたらしい。階段を上りきったそこには、やはり外周に沿ってぐるりと通路がある。
そして、扉がすぐ傍に一つ、ぐるりと回った反対側にも一つ。
ガブリエルは、近い方の扉に手を掛けて開け放つ。開かれた扉から溢れる光が暗がりに慣れた目を突き刺し、レンは目を細めて手をかざす。
やがて視界がクリアになった、その先に見えたのは――
「ここが『ボックス』だ。君はしばらくここで暮らすことになる」
レンが、今までに見たことのない場所だった。
*************
そこを見た瞬間――レンは、ここが異世界なのだと認めた。
もしそうでないとすれば、そこを創り上げた人物のセンスと技術が異次元レベルだ。いや、『異世界レベル』と言うのが正しいか。
ありとあらゆる国や地域を、適当に持ってきて切り貼りしただだっ広い空間――というのが、レンの最初の感想だ。
例えば、草木の生い茂るジャングル。見たこともない植物に覆われた緑色の空間には、ハンモックとして麻の布らしきものが吊り下げられている。
かと思えばその隣には、石造りの立派な部屋があったりする。窓から覗くその中には暖炉の火が暖かそうに揺れ、ゆったりとしたソファが優雅な空間を演出している。
その他にも木造の涼しげな小屋に、藁葺きの簡素な家、ごつごつとした岩の洞窟――現代的なコンクリートの壁なども見える。
そしてそのどれもが、大雑把に立方体の形をしているのだ。
それらはレンが今居る、木材の床で出来た大きな道の左右に沿って乱雑に並んでいた。ものすごく雑に作られた商店街、というのが配置的には一番近い表現だろう。
その上に更に別の立方体がこれまた適当に乗っかって、壁のように積み上がっている。
そんな滅茶苦茶な構造だから、見た目のごちゃごちゃ感は凄まじかった。まるで目隠しをしたまま遊んだ積み木のようである。
上を見上げれば、この空間に蓋をするかのように、やはり木製らしい屋根が見えた。
そして、雑多に溢れ返っているのは景色だけではなく――
「――すごい人だ」
人、人、人……人?
(いや、今のはどう見ても猫耳……)
一瞬確かに見えた、モフモフの毛に覆われたぴょこんと立つ耳。だが、それは人(?)ゴミに紛れてすぐに見えなくなってしまった。
とにかく、多くの人間や人間らしき何かが歩き周り、談笑し、生活していた。
「ああ。ここでは、君のように異世界召喚された人間――『異界人』が集まって暮らしているのさ」
呟いたレンの言葉に答えて、ガブリエルはとんでもない事実をあっさり言ってのけた。
「これ、全員が……?」
ざっと見ただけで、100人は下らない。しかもこれは今見えている範囲でしかなく、その先にもこの空間は続いているように見える。当然そこにも人間が居るだろう。
それら全てが、異世界召喚された人間だと彼は言うのだ。
「ああ、そうだ。それが君たちの世界で言う『異世界召喚』との、一番の差異だろうね」
そう言ってガブリエルは歩き出すと、立ち尽くすレンを手招きする。レンは慌てて後を追うと、ガブリエルと並んで歩き始めた。
(心なしか、中年男性の比率が高いような……)
行き交う人をざっくり眺めながら、そんな感想をレンは抱く。
そこも、美少女美少年がお約束の『異世界召喚もの』との差異である。彼らは彼らで渋くて格好いいが。
とまあ、それは置いておいて。
ガブリエルは当然有名人らしく、道行く人々から次々に声を掛けられる。
それに軽く手を上げたり微笑んだりと返事をしながら、彼はレンに説明を始めた。
「さて。そもそも、世界とは無数に存在するものなんだよ。大神ゼウス様のお膝元には何柱もの神や女神が居て、一柱につき一つの世界を管理しているのさ。ここの人たちを見れば分かると思うけどね」
改めてじっくり周りを眺めて、確かに、とレンは思う。
明らかにサイズ感が違う人。よく見ると指が4本しかない人。そういうのはまだマシな方である。
極端な例で言えば、体色が青色だったり、尻尾が生えていたり、果てはどう見てもトカゲだったりするのだ。『住んでいる世界が違う』と言われれば、それは納得せざるを得ない。
「はあ……」
感嘆とも諦めともつかない調子で、レンは声を漏らす。
話のスケールが壮大過ぎて、いまいち実感は湧かない。しかしトカゲが舌をチョロチョロ出しているのが見えたりして、見間違いではないと思い知らされる。
「ただまあ、世界を管理するというのは中々に大変でね。うっかり世界を滅ぼしてしまう神が続出した」
「え」
しかしガブリエルはその矢先、とんでもないことを口にしたのだった。
(それいいのか、ありなのか? そんなあっさりと滅亡されたらたまったものじゃないが……)
「昔の話さ。そこでゼウス様は一計を案じ――上手く存続していた世界をモデルに、その管理を真似できるようなシステムを構築したんだよ。面倒にならず、楽しめるようにね」
と、レンの懸念を払拭する言葉をガブリエルは口にする。
(面倒とかつまらないとかって、神様でもあるのか……)
神様ですら楽しく働こうという工夫を凝らしているのだから、昨今『働き方改革』なるものが叫ばれているのは、ある意味当然なのかもしれない。
なるほど、などと感心していたら――
「その結果生み出されたのが――課題を明確にするための『クエスト』と、困ったときに他の世界の力を借りられる『召喚』、という訳さ」
「え」
(――それ、なんてソシャゲ?)