第四話3 モーグ洞窟へ
目を開くと、そこは森の中だった。
土と草の匂いで鼻腔が満たされ、鳥のさえずりが遠くに聞こえる。
踏みしめた地面はぬかるみ、中途半端に生えた雑草が風になびき足元をくすぐった。
――そして、一人だ。
「さて……」
まずは、皆を探さないと。
大した焦りも無く、レンは辺りを見渡した。視界に入るのは木、木、木。この中から仲間を探し出そうというのは、いつもよりかなり骨が折れそうだ。
そう、これは別に珍しいことではなかった。
クエストの始まり、現地に転移した直後は決まって一人だ。そもそも初めてのクエストからして、最初に話しかけてきたのはザックだった訳で。
(微妙に不親切なのは何故なんだろうか……)
なんとなく当たり前のこととして受け入れていたが、こうして面倒くさい状況に放り込まれると考えてしまう。
普通、クエストの始めはパーティーメンバー勢揃いではないのだろうか。
普段のクエスト――『戦争系』は、今のところ四回中四回が同じ場所。アルーカ最大の都市、『クランカ』周辺が戦場だった。
毎度同じ城塞のどこかからスタートし、毎度ザックに見つけてもらって集合、それからようやくスタートという流れである。よく考えるとすごいなザック。
しかし今回、当然ザックは居ない。他の四人を自力で見つけなければ、スタートすらできないのだ。
(俄然不安になってきたな……と言うかそもそもここはどこだ? 魔物とか出ないだろうか……)
まずもって、目的地は洞窟のはずである。しかし周りに見えるのは森。
モーグ洞窟にモンスターが出るのは承知しているが、そこまでの道のりがどうかは聞いていない。
というかそもそも、洞窟が見えない位置からスタートとはどういう了見だ。
考えれば考えるほど不安が募り、思わず頼みの綱の『団扇』を両手で握り締めるレン。
しかし――
「ほら、居ましたですー!」
割とあっけなく、その時間は終わった。
あどけない声が聞こえたと思ったら、近くの木陰からネルが飛び出してきたのである。
「ああ、流石ネルだ。レンも、無闇に動かなかったのはいい判断だぞ」
その後ろに続いたのはエドモンド。更に後ろには、バルトとエレナの姿もある。
(いえ、どうしたらいいか分からなかっただけです……)
というのは心の中に留めておいた。
ともあれ、早々に全員が合流できたのは喜ばしいことだ。
「どうやって……?」
ただし、そこは気になったので聞いておく。
「ふふん、ネルの魔法のお陰なのですー! 周りの生き物の探知くらい、お茶の子さいさいなのにゃ!」
と、ドヤ顔のネルがぽふんと自分の胸を叩いた。耳をパタパタ尻尾をブンブン――相変わらず尻尾は見当たらない。残念。
「そういう訳だ。さて、時間も勿体無いから早々にモーグ洞窟に向かうが……大丈夫か、レン?」
「あ……はい」
こちらを気遣うエドモンドに対し、肯定を返す。何もしていなかったレンは、合流さえできればどこにも問題はない。むしろ――
(あの二人は大丈夫なんだろうか……)
いつになく静かに、黙って従っているバルトとエレナ。
その表情は険しく、そわそわと落ち着きがない。
――一体、何がそこまで二人を怯えさせるのか。
それは、今のレンには全く分かっていなかった。
「よし。じゃあネル、頼む」
「はいにゃ!」
エドモンドの声に答え、ネルは何やら袖口をごそごそと漁っている。
「んーと……あった!」
そうして彼女が取り出したのは、何やら細長い黒い物体だった。L字に折れた太目の針金、だろうか。
「それは……?」
レンが真っ先に思い浮かべたのは、ダウジングに使う金具だ。
先程の『探知』という言葉も手伝った連想だが――それにしては微妙に形が歪で、そして一本しかない。
テレビなどでよく見るダウジングなら両手で持つし、まさかそれを魔法とは呼ばないだろう。
さて、するとその物体は何だろうか。
頭を巡らせるレンに――
「これです? ジャイアントアントの触角ですにゃ」
「え゛」
あっさりと答えたネルだが、その内容はかなりショッキングだった。思わずレンは変な声を漏らす。
だってそうだろう。幼気な少女が服の中から取り出したものが、虫の触角とか。
ジャイアントアントが何かは知らないが、ネーミングからしておそらくデカい蟻の魔物とかだろう。
「ああ、ちなみにジャイアントアントは大蟻の魔物だ」
デカい蟻の魔物とかだった。
(いや、まあ……猫だし。ギリギリセーフ……?)
猫なら虫も平気、下手すれば食える……というのは想像したら負けなので思考をストップ。
そうして己の中でどうにかカルチャーショックと折り合いを付けるレンに、エドモンドの解説が続く。
「奴らの触角は周囲の空間、特に魔力の流れを把握することに長けているからな。『触媒』としてピッタリなのさ」
「『触媒』……?」
耳慣れない単語に、レンは首を傾げる。
もちろん言葉自体は聞いたことがあるが、理科の授業で聞きかじった程度。
「ああ、見てれば分かるさ」
と言うエドモンドに従って、ネルの方に視線を向ける。
彼女は目を瞑り、右手に握り締めた触角に意識を集中しているようだった。
すると彼女は、不意にぼんやりと光に包まれた。ほんのり青白い、柔らかな光だ。
その光は徐々に波打ち膨らんで、少しずつ触角へと注がれていく。
それを清流のように飲み込み続け、触角はやがて内側から発光し始めた。
光がどんどんと強さを増し、眩い閃光のようになった時――
「『ソーサリー・サーチ』!」
ネルの掛け声と共に、光がパキンと弾けた。
ガラスの破片のような光がキラキラと辺りに散って、なんとも幻想的な光景を創り出す。……元は蟻の触角だが。
そして散った光は急速に収束を始め、集まって形を成した。
細かい光が繋がって線になっていたり、ところどころに光の塊が揺らめいていたりと、不規則な模様のようになっている。
「これは……」
「『探知魔法』だ。見えるのは周囲の簡単な地形と、デカい魔力の位置だな。ネルにはもっと細かく分かるらしいが……」
「なのですー。レンさんは魔力がにゃいから探すのがちょっと大変だったにゃ」
なるほど、とレンは得心する。
これなら、すぐに合流できるのも当然だ。レンが最後に見つけられたのは、魔力のある三人の方が見つけやすかったからか。
そしてこのタイミングで、この魔法を使わせたということは――
「この、一番大きな魔力の塊が目的地――『モーグ洞窟』だな。幸いそんなに遠くないし、近くに危険な反応も無い」
これからの道筋を見つけるために他ならない。
エドモンドが指差したところには、一際大きな光の塊があった。赤みがかって揺らめくそれはおどろおどろしく、『ダンジョン』と呼ぶに相応しい雰囲気だ。
「ですにゃ。それじゃ、元気良く出発! なのですー」
ずんずんと歩き出したネルを追いかけて、レンたちは森の中を進むのだった。
*************
歩き出してしばらく経ち、レンは息苦しさを感じていた。
森を歩くのが辛いという訳ではない。レンには、これくらいの道は楽々歩ける基礎体力がある。
問題は雰囲気だ。
ネルだけはご機嫌、先頭を意気揚々と歩いている。ヒーラーが先頭を歩くのはどうなのか、とは思うが。
しかし、会話が一切無い。レンは通常営業だが、他の三人が全く喋らないというのは珍しい。
エドモンドは周囲を警戒して視線を走らせているから、それは良しとしよう。
だがバルトとエレナはずっと憂鬱そうな表情を浮かべており、そのせいで沈黙が重たくて仕方が無かった。
「……そう言えば、ネルさんの魔法は、エレナさんのとは随分違いますね」
普通の沈黙ならどうとも思わないレンだが、この空気には耐えきれなかった。
だから話題を提供するという、全く慣れないことをする羽目になる。
「んにゃ? それは当たり前なのですー」
「そうなんですか?」
振り返って目をぱちくりさせたネル。
どうして『当たり前』なのか分からないレンが問い返すと、それに答えたのはエドモンドだった。
「世界が違えば、魔法の体系も違うものだ。俺の錬金術も魔法の一種だが、全然違うだろう?」
「それはまあ……そうですが」
そこを引き合いに出されてもピンとは来ないが、レンはそういうものかと納得するしかない。何しろ、魔法自体アルーカに来て初めて目にしたのだから。
「アマニクでは、『触媒魔法』が発達しているんだ。魔法的性質を持った物質に魔力を流し込み、その特性と己のイメージで魔法を形作る。対して、エルフィニーナの魔法は『精霊魔法』。大気や大地に宿る精霊の力を借り、魔力で誘導して望む結果を引き出す魔法だ」
「はあ……」
――つまり?
「特徴として、触媒魔法は触媒を得るのが難しい反面、物さえあれば複雑な術式でも簡単に行使できる、というところだな。精霊魔法は少ない魔力で大きな効果を得られるが、扱いが難しく細かい制御は苦手だ」
(なるほど……)
そのせいで、レンは初めてのクエストで死にかけたという訳か。
――そのせいだけではない気がするが。
「ま、エレナは群を抜いてノーコンだがな」
そのせいだけじゃなかった。
「でも、ネルはあんな凄い攻撃魔法は撃てないのです-。適材適所! ですにゃ!」
「ふむ、その通りだな。人それぞれ、世界それぞれだ」
ネルのフォローが入り、エドモンドが良い感じに話をまとめる。
――おかしい。
今の話の流れなら、間に五回はエレナの魔法トークが入ったはずである。
魔法の話は彼女の十八番、正に自家薬籠中のものだ。
いつもならこれ幸いと乗っかって、好き勝手に語り散らしてご満悦なのだが――
今は全くの無反応、その大人しさは借りてきた猫の如くだ。実際猫のようなのは、レンの前でルンルン歩いているが。
一番の好物を目の前にぶら下げられて、それでも尚ピクリとも反応しないエレナ。そして同じく黙りのバルト。
一体、二人に何があったと言うのか。
そんな風にレンが頭を悩ませている内に――
「さて……着いたな」
気が付けば、目的地に着いていたらしい。
先導していたネルとエドモンドに従って立ち止まると、レンは前方に視線を送る。
小高い丘のような地形。その裾に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
穴は下へと延びているようで、見えるのは入り口付近だけ。その先は闇に包まれ、奥の様子は窺い知れなかった。
(今から、ここに入るのか……)
俄に緊張感が増し、レンはごくりと唾を飲み込む。
その穴はまるで巨大な生き物の口のように見え、中から吹いてくる湿り気を帯びた風は吐息のようだ。
今からその胃袋に飛び込むのかと思うと、背筋に冷たい感覚が走る。
「よし……行くぞ」
エドモンドはそれだけ言うと、洞窟の中へと足を踏み入れた。
それに従い、他の面々も静かに歩みを進める。
――ここからは、間違いなく魔物も出る。気を引き締めて掛からねばならない。頭を悩ませるのは後回しだ。
(……よし!)
レンは気合いを入れ直し、暗い洞窟に一歩を踏み出した。




