第四話1 告知
「――大気に宿りし雷の精霊よ。我にしばし力を貸したまえ」
レンの背後から、朗々とエレナの呪文が響いた。
怒号と金属音の響く戦場。その中心で杖を掲げるエレナと、『団扇』を持って駆け回るレン。
そこから少し離れたところでは、バルトとエドモンドが奮戦していた。
相手取っているのは、大型の四足歩行の獣――パッと見で言ってしまえば、真っ黒な大型犬が二匹。
しかし、当然ただの犬ではない。大型犬と言ったって大きすぎる体躯は、地に足着いた状態で体高がバルトを優に超えている。目算で一メートル半くらいだ。
しかも、体の所々がうっすらと赤く燃えている。火を付けられたという訳ではなく、体の内から漏れ出るように燃え続けているのだ。
――ヘルハウンド。その姿は正に、地獄の番犬と呼ぶに相応しいものだった。
「突き穿つ盾。堅固なる矛。羽ばたき墜ちるは虚の翼。天を仰ぎて我が声を識れ」
エレナの詠唱が続くと、ヘルハウンドは角の付いた鼻先をこちらに向けた。
(来る……!)
レンは即座に判断し、エレナとヘルハウンドの間に割って入る。
そして、ヘルハウンドがそのまま大口開けるのと、レンが団扇を大上段に構えるのが同時だった。
「レン!」
エドモンドの叫びが響く。その声を追うように、ヘルハウンドの口から真紅の炎が放たれた。
「ふんっ!」
気合いの声と共に、レンは構えた団扇を振り下ろす。
ごうっと風が巻き起こり、それは炎とぶつかり合う。
狙いを阻まれた炎は、まるで見えない壁にぶつかったかのように空中で薄くなって広がった。
(よし……!)
「いいぞレン!」
エドモンドが快哉を叫びながら、ヘルハウンドに躍りかかる。
ヘルハウンドはエドモンドから目を離していたはずだが、軽やかに飛び跳ねてそれを躱す。
そのままギョロリと黄色く濁った目をエドモンドに向けると、今度はヘルハウンドから飛びかかっていった。
「くっ……!」
並外れた嗅覚と戦闘勘、そして運動能力。ヘルハウンドの真価はそこにあり、近接戦で攻めあぐねているというのが現状だった。
バルトはまだしも、エドモンドはかなり劣勢だ。
「罅割れる翡翠の楔! 竜尾に噛み付く蛇頭の舌禍! 白磁の器に黒雨が満ちる!」
だからこそのエレナだ。
その足下には金色に光る魔方陣が浮かび上がり、込められた魔力が一気に膨れ上がる。
そして――
「今だ!」
「天地を駆けよ! 『ドラゴニル・サンダーロアー』!」
レンが合図を叫ぶと、バルトとエドモンドは一斉に退避。
次の瞬間には、エレナの魔法が辺りを蹂躙していた。
ヘルハウンドたちを中心として、半径十メートルほどに雷の暴威が荒れ狂う。
緑がかった目も眩む雷光。金属を引き裂くような甲高い轟音。
何条もの極太の稲妻は強大な魔力を帯び、縦横無尽に駆け回った。
一息の合間にそれは終わり、どさりと何かが倒れる音が二回。
容赦の無い蹂躙の後には、断末魔すら上げられなかったヘルハウンドたちの死骸だけが残った。
体から煙を立ち上らせ、見開いた目には何も映していない。
「よし、後は指揮官だ! バルト、行くぞ! 雑魚はエレナとレンで頼む!」
「「「了解!」」」
強敵を倒した四人は喜びに浸る暇も無く、残った敵の討伐に掛かった。
****************
無事に敵を殲滅した四人は、城塞に向けて歩いていた。
「やっぱ四足歩行相手だと勝手が違ぇな。最近人型ばっか相手にしてたしよ」
「そうだな。今後はああいうタイプとの戦闘も増えるかもしれないから、鍛錬の際は気を付けよう」
「雷の魔法はどうも範囲が広がらないな……素早い攻撃ではあるが、もう少し殲滅力が欲しい」
三人がそんな言葉を交わしながら――エレナのは独り言か――、のんびりと歩く。
クエストは毎回、城塞に戻ってようやく終了らしい。そう言えば最初のクエストの時も、四人が揃ってから終わっていた。
「レンはだいぶ慣れてきたようだな。ヘルハウンドの火炎攻撃に対する反応、あれは見事だった」
「いえ……ありがとうございます」
エドモンドの称賛に、レンは照れながらも頷く。
レンがアルーカに召喚されてから、およそ二か月。クエストはこれで四度目となり、レンもなんとか戦いに付いて行けるようになってきた。
役どころは相変わらずエレナの露払いだが、それでも一人で捌ける敵の数が増えてきたように思う。
「俺たちがこの配置に慣れてきたってのもあるが、悪かねぇんじゃねぇか? ま、まだまだ修行不足だけどな」
「ありがとうございます、師匠」
「……やめろ小っ恥ずかしい。お前を弟子にしたつもりはねぇよ」
結局、レンは時々バルトの指導を受けている。
剣などの基本的な武器の扱い方はもちろん、戦場での立ち回りや敵の動きの見極め方など。
バルトは口下手で脳筋ではあるが、長年の経験で培われた戦闘勘は確かなものだった。
体で覚えるタイプのレンとの相性も良く、二か月でそれなりに強くなれているのはそのお蔭だろう。
だから師匠と呼んで何ら問題は無い。バルトも口では否定するが、満更でもなさそうだった。
「皆様、今回もありがとうございました」
その後城塞に戻ったレンたちに、出迎えたザックが深々と頭を下げた。
「何、これが我々の仕事だ。こちらもザックが居てくれると、話が早くて助かる」
「それが私の仕事ですので」
エドモンドが代表して答え、五人で笑顔を交わす。
と、四人の体が存在感を急速に失う。
「時間だ。また頼むよ」
「皆様に頼らずに済むのが一番なんですが……はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」
最後にそんなやり取りをして、レンたちの体はアルーカの地から消え失せる。
四度目のクエスト、レンは無事にボックスへの帰還を果たしたのだった。
****************
クエストでの戦い。修練場で訓練したり、皆で食卓を囲んだりするボックスの日常。たまにハイジに呼び出されたりもする。
そんな風に過ごしていた、ある日のこと。
『あ、もしもしレンちゃん? 今からクエストなんだけど、ちょっと部屋まで来てー』
突如頭に響いたハイジの声に、レンは驚いた。
とは言っても、テレパシー自体はもう何度か経験している。驚いたというのは、内容の方にだった。
今まで四度のクエストは、全て前触れなく始まった。
いきなりメッセージウインドウが表示され、十秒ほどで強制転移だ。トイレに入ってる時とかだったらどうするんだろう。
とそんなことはさておき、今まではそうだったのだ。事前告知アリのクエストというのは初めてで、どういうことかとレンは訝しむ。
しかし、ハイジの呼び出しを無視するという選択肢は無い。
疑問を抱えたまま、レンは足早にハイジの部屋へと向かった。
「あ……エドモンドさん」
「ん……やあ、レン」
しばらく歩いて、召喚の塔が見えたくらいの頃。
前方に歩くエドモンドを見つけ、レンは声を掛けて彼に近付く。
「これって、どういうことなんですか?」
「ああ、レンは初めてか。今回はおそらく、『ダンジョン系』のクエストなんだろう」
――ダンジョン系?
レンが首を捻っていると、エドモンドは一つ頷いて説明を始めた。
「普段の防衛クエストは、『戦争系クエスト』と呼ばれるものだ。文字通り戦争の只中に召喚され、負けそうな人間を守るために戦う。勝利条件は、ほとんどが敵の殲滅だな」
今までレンがこなしてきたクエストは、全てこのパターンだった。広い戦場で、味方である人間の兵士と共に、魔物の軍勢と戦うクエスト。
「緊急性が高いから、問答無用ですぐに召喚される。我々が居ないと、王都が壊滅したりする訳だ。これが一番多いタイプの防衛クエストだな」
「はあ」
ここまでは、レンも承知の内容だ。そしてそこからが問題。
「今回の『ダンジョン系』は、少し毛色が違う。『ダンジョン』という言葉は概ねテラリアの常識通りだろう。やはり文字通り、ダンジョンに潜って戦うことになる。勝利条件は敵の殲滅、ないしは特定の魔物の討伐だ」
(そのまんまだな……)
わざわざ分かり辛い分類を付けるはずもないので当たり前か。
そして、『ダンジョンに潜る』という響きは何とも男心をくすぐる。
「危険な新種の魔物や、魔物の大量増殖などへの対応がこのクエストに当たる。逆に言うと、そういうのが起こりやすいのがダンジョンという場所な訳だ。ダンジョンについて補足しておくなら、その定義は『魔力が吹き溜まって魔物が発生しやすい場所』だからな」
「なるほど……」
つまり、魔物がダンジョンに棲んでいるのではなく、魔物が棲む場所をダンジョンと呼ぶ、ということか。卵が先か鶏が先かみたいな話だ。
「で、そういうクエストは緊急性は低い訳だ。正に戦闘中の戦争系とは違って、放っておくと脅威になるというのがダンジョン系。もちろん時間の進み方はボックスとアルーカで違うが、ボックスの体感で数日間放っておいても問題はない」
「ああ、だから……」
それだけ余裕があるなら、前以て告知をするのも当然か。いい加減慣れてきたとは言え、心の準備が出来るだけでもありがたい。
「まあ、それでも早いに越したことはないがな。結局大して準備することもないし、少し話したらすぐ出発だ」
「はい」
それはまあそうだろう、と納得。元々、ボックスからアルーカに持ち込める物は少ない。使い馴染んだ武器や身に着けている防具の類だけで、大掛かりな物は転送されないのだ。
ちなみにレンも、簡単な防具は貰っている。武器は相変わらず団扇だが。
そんな話をした後、二人は召喚の塔に入る。
「――バルト、エレナ。そんなところで何してるんだ?」
そして、奇妙な光景を見てエドモンドが声を上げる。
召喚の塔の端、ハイジの部屋の扉の前で、バルトとエレナがうなだれて固まっているのだ。
二人らしからぬ謎の行動に、レンも顔をしかめる。
「おう、エドにレン。……聞いてないのか?」
「?」
暗く沈んだ声で返事を寄越したバルトに、エドモンドもレンも揃って首を傾げる。
「今日はダンジョン系だよな」
「ああ、それがどうした?」
その横でエレナもやはり暗い顔をしていて、ますます訳が分からない。
(もしかして、ダンジョン系ってヤバいのか……?)
レンの不安はそこに向くが、それならばエドモンドの態度がおかしい。
そんなことを考えていたら、
「帰って来てる、って噂なんだよ。アイツが……!」
「くぅっ! 嫌だ! もうあんな目に遭うのは……!」
バルトとエレナが絶望的な声を上げ、レンは呆気に取られる。
今までに見たことのない拒否反応。嫌っているというより恐れているという方が適切で、レンには状況が全く掴めない。
「はあ……二人とも、仲間なんだからそう言うな。多少アレなのは認めるが」
しかしエドモンドは、そんな風に二人を窘める。
『アイツ』。帰って来てるとか仲間とか言っているから、ボックスの異界人のことか。
しかしこの反応は――
「そうだったな、お前は何故か平気なんだものな」
「お前も大概アレだからな。俺らみたいな普通のヤツには荷が重いってんだ」
「喧嘩を売っているなら後で買うが?」
――正にその通り。
バルトとエレナが嫌がっていて、エドモンドは平気そう。
(嫌な予感しかしないな……)
と、エドモンドに失礼な感想を浮かべつつ至極真っ当な評価。
「そら、いつまでもそうしている訳には行かないだろう。入るぞ」
エドモンドは、引き攣った顔を浮かべるバルトたちを横目に扉に手を掛ける。
猛々しい戦士であるバルト。男勝りな魔法使いのエレナ。
――この二人が、それほどに恐れる相手とは一体。
扉が開き、エドモンドは躊躇なく中へと入っていく。
バルトたちは最早身を竦めているが――実際、ここで立ち止まっている訳にもいかない。
(……ままよ!)
レンは戦々恐々としながら、開け放たれたハイジの部屋へと入った。




