第三話5 ボックスの休日・エドモンドの場合②
「ハイジ様、エドモンドです」
木製だが重厚そうなドアを、エドモンドはコンコンとノックしながら声を上げる。
すると扉に反して軽すぎる声で、「どうぞー」と気の抜けた返事が聞こえてきた。
取っ手を回して中に入れば、そこは女神ハイジのマイルームだ。
「お待たせしました。エドモンド、ただいま参上致しました」
「うむ、よく来た。……うん、この茶番毎回やるの?」
跪いて洗練された所作で挨拶をするエドモンドに、ハイジは一言目だけ威厳たっぷりに返し、しかしすぐに諦めて元の適当な喋り方に戻る。
「で、今日はどういったご用件で?」
エドモンドも一回で満足したらしく、スッと立ち上がると椅子を取り出してドカリと座り込む。
「真面目は話は二つかなー」
ハイジもすぐにベッドに飛び込みながら、のんびりとした口調でそう答えた。
二つ。どちらも、おおよその予想は付く。
「召喚術の件、ですか」
「うん、そうね。そっちから話そっか」
エドモンドが話題を選択すると、ハイジもあっさりと頷く。
まずはより真面目な内容から片付けよう、というのがエドモンドの考えである。
「で、実際。誰が『あれ』をやったんだと思う?」
ベッドの上をごろりと転がりながらこちらを向いて、ハイジがそう問を発した。
表情も体勢もだらけきっているが、声音だけは真面目である。
『あれ』とは、直近のクエストに現れたゴーレム――それを喚び出した、召喚陣のことだ。
何者かが設置した、謎の巨大召喚陣。長い間防衛クエストに携わってきたエドモンドですら、あんな事態は初めてだった。
「知りませんよ」
だから当然、エドモンドの答はそうなる。
「そんなアッサリ」
「アッサリもモッサリも、知らないものは知りません」
ガッカリした声を上げるハイジに、にべもなくエドモンドは否定を重ねる。しかしそこでニヤリと笑って、
「まあ、いくつか推測はできますがね」
そう言を翻した。こういうとき少し勿体付けるのは、エドモンドの会話の楽しみ方の一つだ。やられた相手からすれば鬱陶しいことこの上ないかもしれないが、その様子を見るのが面白いのである。
そこ、性格悪いとか言わない。言われなくても分かってる。
「それを話してって言ってんの」
案の定膨れっ面をしたハイジに、エドモンドは気を良くして語り始めた。
「では、僭越ながら。まず大前提として、『召喚術』は人間しか使えません。これは、アルーカで召喚術を開発した人物が、そのように設計したからです」
確か、人間の魂を楔として使うとかなんとか。理論に関してそこまで詳しい訳ではないが、その前提は間違いない。
「ええ、そうね。ま、仮にそうでなかったとしても、召喚術を使えるだけの知性を持つ魔物はそうそう居ないし」
ハイジも、ある程度の知識は持っている。こう見えて一応神様なのだ。
彼女は理解も早く相槌を打つので、話し相手としては噛み応えがある。
「はい。ということは、あの戦いで、魔物に味方していた人間が居るということになります。普通ならまず考えられないことですが……そうですね」
「三つ」、と言いながらエドモンドは指を三本立てる。立てているのが親指、人差し指、中指なのは、別に格好付けているとかではなく、普通の三だと小指が疲れるという理由だ。
錬金術師のくせに手先が不器用? 逆だ。錬金術はイメージでなんとかなるから、頑張って手先を使う機会はそんなにないのだ。
「一、頭のおかしい王族嫌い。二、頭のおかしい人間嫌い。三、頭のおかしい狂人。こんなところですか」
ということはさておき、エドモンドは指折り数えながら、一つ一つの可能性を言い上げていく。
「頭のおかしい狂人って頭痛が痛い表現じゃない? ……まあ、とりあえず頭おかしいってことは分かった。で?」
全く以て、仰る通り。
適度なツッコミと共に先を促され、エドモンドは続きを語る。
「まずは、王国の転覆を目論む何者かの仕業。狙いは王都でしたし、まだ納得できる範囲です」
どこの世界でも同じだが、偉い人を憎む人間は多い。憎んでいなくとも、政治的な敵対だったり現状の改善を求めていたり、国を倒すことがメリットになる、という理由だ。
「まあ、魔物が王都を攻め滅ぼしただけで止まると思っているのなら、おめでたい頭としか言えませんが」
魔物は凶暴である。放っておけば容赦なく人類を滅ぼす。何故なら、彼らはそういう風に定義付けられているから。
『魔力の発見』が魔法クエストの第一歩なのだが、それをクリアした瞬間から世界には魔物が生まれる。そして魔法文明が発達するほど、それらはより凶暴に、強力になっていくのだ。
細かい理屈は置くとして、簡単に言えばそれは人間の業によるものだ。『人間と魔力が合わさると碌なことにならない』とだけ覚えておけばそれで問題ない。
「そもそも召喚術からして『魔物を利用しよう』っていう技術なんだから、その考えが進んだってところかしら。確かに、魔物を舐めてるお馬鹿さんならやりそうなことね」
そんな『業』の結果を利用しようというのだから、傍若無人、厚顔無恥もここに極まれりというものである。
舐めている、というハイジの言葉が至言だ。
「ええ、愚かもいいところだ。……次に、何らかの理由で、人間そのものを憎んでいるような人間」
こき下ろせばキリが無いのでその話は畳み、エドモンドは次の話に頭を切り替える。
「奴隷など、身分が低く酷い扱いを受けていた人間なら、あり得なくはない話ですが……」
奴隷制度もやはり、どの世界でも存在する。人間が人間を飼うというのはやはり業の深い話だが、そちらも長くなるので割愛。
そして、そんな惨い扱いを受けた人間が反旗を翻すのは、ある意味王国転覆より理解できる話だが――
「そういう身分の人間では、そもそも召喚術を身に付けること自体難しい。だから、可能性としては低い部類に入ります」
「それもそっか。不遇の天才って可能性も無きにしも非ずだけど」
エドモンドの結論に、ハイジも物分かり良く頷く。
まあ、奴隷にうっかり強力な魔法を教える馬鹿はまず居ないだろう。
「で、最後は?」
促され、エドモンドは最後の可能性を説明する。
できれば、違っていてほしいものだが。
「ただ世の中が混乱するのを面白がっている奴、もしくは何らかの幻想を抱いて錯乱している奴。どちらにせよ、狂ってるとしか言いようのない人間ですね」
要は、手段と目的が一致しているわけだ。魔物が暴れ回ること自体が目的で、その先に成し遂げたい何かはない。
「そんなの、どうしろって言うのよ」
それを聞いて、ハイジはげんなりした表情でそう吐き出す。世界を管理する側からしたら、それはもう堪ったものじゃないだろう。
「どうしようも。目的も何もないので、どうにか見つけ出して迅速に殺すくらいしか手立てはありませんね」
そんなハイジの心境をやんわりと慮りつつ、エドモンドは精々できることを提案してみる。
「殺す」とは穏やかではないが、エドモンドはもう慣れっこだ。世界を動かしていれば、救いようのない屑と出会うこともそれなりにある。
彼がその排除役をしばしば引き受けているというのは、他の異界人には知られていないことだが。
「事が起きてからしか動けない、ってことか……」
他の二つの可能性なら、ある程度世界を観察すれば容疑者を絞り込めるかもしれない。
だが、これに関しては全人類を疑わねばならない。往々にして、真に危ない人間はそれと分からないものだ。
考え込みながら自分の口にした台詞を反芻しているハイジだったが、
「ああもう、現地のゴタゴタってホンットに面倒! 全員大人しく人類の発展に貢献してろっての!」
やがて限界に達したのか、そう叫んで猛然とベッドの上で立ち上がり拳を突き上げた。
「多様な人間が居るからこそ、世界は面白いんですよ。まあ、確かに厄介ではありますが」
エドモンドはそんな宥めすかしの台詞を吐いてみる。
しかしハイジは、バッサリとそれを斬って捨てた。
「私は|ガチャ(召喚)ができればそれでいいの! 我|回す(召喚する)、故に我有り!」
――一番頭のおかしい狂人はコイツなんじゃないか。
という感想は心の中に留め、穏やかに微笑んでておく。何をされるか分かったもんじゃないから。
「……で、どうしますか」
しばらく間を取った後、多少ハイジが落ち着いたタイミングでそう問いかける。
「とにかく、今後防衛クエストに行ったときはそっちの調査もよろしく。見つけ次第ぶっ殺しちゃって」
彼女はアッサリ物騒な指示を出して、再びベッドに倒れ込んだ。
「承知しました」
そしてエドモンドもまた、やはりアッサリとそれに答えるのだった。
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「で、もう一つの話だけど」
倒れこんだまま一息ついた後、ハイジは不意にそう声を上げた。
「何でしょう?」
察しはついているが、敢えてエドモンドはそう訊き返す。
「分かってるでしょ、レンのことよ」
そして案の定、ハイジはそう答えた。
「エド様、あの子に肩入れしてるよね」
「……やはり、バレていましたか」
続けられた彼女の言葉を、エドモンドはニヤッと笑って肯定する。
バルトやエレナならいざ知らず、ハイジまで騙せるとはエドモンドも思っていない。
「当たり前でしょ、脳筋コンビならともかく。普通なら、あの子を置いて戦うに決まってるもの」
エドモンドの心の声をそのまま繰り返しつつ、フン、と鼻息荒く答えるハイジに、エドモンドは建前の理由を答えた。
「そこに関しては、本人がどうしてもと言いましてね。餌行きだけは死んでも避けたいと」
「まあ、それに関しては甚だ同意ですが」と続けたのは本音だ。誰でもそうだろうけど。
「それだって、無理矢理置いてくこともできたでしょう? それに――」
エドモンドの建前の理由はあっさり論破され、ハイジは更に続けた。
「最後に大砲の照準を任せる必要は無かったでしょ。エド様だって、大砲の事は知ってたんだから」
その言葉は的を射ている。大砲だけに。
エドモンドの故郷、アルキルはそれなりに科学文明が発達している。錬金術は科学と魔法が合わさった技術なのだから、当たり前ではあるが。
錬金術とは有り体に言えば、化学反応や物理現象を引き起こすのに必要なエネルギーを、魔力で工面しているというだけのことだ。
つまり、科学的な理解なくして錬金術は成り立たない。具体的には、原子論や物理学だ。
で、それだけの科学文明があるのだから、当然火薬も大砲も開発済みである。
だが、
「……大砲を造るというアイディアが浮かばなかったのは事実ですよ。俺は錬金術師のくせに、発想が貧弱でいけない」
実際、レンに言われるまで火薬を魔法で代用しようという発想はなかった。
知らず知らずのうちに、アルーカの常識に囚われていたのかもしれない。
「それがあの子の肩を持つ理由?」
「まあ、それもありますね。作戦の発案者を立てようというのは普通だし、アイディアマンが居れば今後も助かるかもしれない」
ハイジの問に、エドモンドは当たり障りない答を返す。別に、それは嘘ではない。
だが、それだけでないと彼女には分かったようだ。
「で、本当は?」
と問い掛けられ、エドモンドはしばし沈黙する。
やがて口元を歪めると、ハイジの目を見てこう言った。
「それは、ハイジ様がお気に入りを付けた理由と同じだと思いますよ」
「あら、そう? ふふ、エド様、やっぱり良い趣味してるわね」
答えるハイジも口元を同じように歪め、二人は人の悪い笑みを交換する――実はその笑みは、ただひたすらにゲスいだけなのだが。
そして、二人は声を揃えて。
「「良い体してるよねぇ」」
下衆で下世話で下らない、そんな理由を口にしたのだった。




