第三話2 ボックスの休日・バルトの場合①
バルトの朝も、実は早い。意外かもしれないが。
彼の住む木製の簡素な小屋――これももちろん真四角なのだが――は、他の部屋と比べ物にならない程賑やかだ。
「ああ、わかったわかった、そうがっつくな。餌はいくらでもあるからな」
バルトはその豪放な性格からは想像が付かない優しい声を出しながら、床に置いた皿に餌をざらざらと流し込んだ。
ワンと鳴き声を上げ、その皿に齧り付いているのは犬――ではなく、ごく薄いピンク色の、ふわふわしたまんまるの毛玉のような生き物だった。
サッカーボールくらいの大きさのそれは一匹ではなく、四匹ほどがぐるりと皿を取り囲んでいた。
目も耳も鼻も、口すらも付いていないように見えるが、餌がみるみる減っていくのを見るに少なくとも口はあるのだろう。
「ほら、お前も食え。ん、水が欲しいか? よしよし、ちょっと待ってろ。あ、コラ! お前は大人しくしてろ!」
小屋を見渡せば、他にも何やら沢山の生き物がそこかしこに居た。
そうして忙しなくその対応をする合間に、バルトは鉢植えに水を遣ったりもする。
動物と植物、自然に溢れた小屋はバルトのオアシスだった。
「まったく……かわいいなあ、お前ら」
にやけた締まりのない面は、とても仲間たちには見せられない。
ドワフニカの文明度は低い。
自然に親しむ生活は召喚前からのもので、殊にバルトは生き物が好きだった。
元の世界では家畜という意味合いも多分に含まれていたが、ここで家畜を飼育する意味はもちろん皆無。完全な愛玩用として、バルトは多くの生き物を囲っていた。
これが、バルトが早起きする理由である。
無骨一辺倒の戦士として知られる自分が、仲睦まじくペットと散歩している姿など見せるわけにはいかないので、早朝に済ませてしまっているのだ。
戻ってきて餌を遣り、一段落したところでもう一眠りする。
それがバルトの生活リズムになっていた。
「ふあ……腹減った」
そして二度寝から目覚めて、ようやく遅めの朝食を取る。時間的にはもう昼食だが。
たまにこのタイミングで丁度良くエドモンドから連絡が入り昼食に出掛けることもあったが、今日は特に何も無く食事を済ませた。
もちろん、愛しいペットたちへの餌やりも忘れない。
「よし……修練場行くか」
基本的にはやはり戦士なので、バルトも鍛錬は怠っていない。
最後に一通り愛で直した後、バルトは自室を出て修練場へと向かった。
***************
修練場に着くと、先客が居るようだった。
断続的に的を打つ音と、砂地を素早く移動する足音が聞こえてくる。
「おーおー、相変わらず器用なヤツだな」
予想通り、修練場で打ち込み稽古をしているのはエドモンドだった。
というか、バルトの他に打ち込みをする異界人など、彼くらいしか居ない。少し前まではウールという大男も居たのだが、彼は残念ながら帰らぬ人となっている。
エドモンドの、文字通り手を変え品を変え立ち回るその様子は、バルトから見ても称賛に値した。
多様な武器を扱えるのは、それだけで一つの強みだ。グーで勝てないならチョキで戦えばいい。錬金術という自らの能力を最大限に活かした彼は、総合的に見れば一角の戦士と言える。
「ああ、バルトか。臨機応変が錬金術師の売りなのでね」
そんな感想を知ってか知らずか、エドモンドはバルトの声に気が付くと動きを止めてそう声を返してきた。
「どうだ、一発模擬戦でも」
バルトは彼に歩み寄ると、剣を突きつけてそう提案する。彼の洗練された動きに触発された形だ。
動かない的にひたすら打ち込むよりも、動いて反撃してくる相手と打ち合う方が楽しいし役に立つというものである。
「俺は構わないが、大丈夫か? こちらはすっかり温まっているが」
「構わねぇさ、丁度いいハンデだろ」
挑発的な笑みと言葉で受けて立つエドモンドに、バルトもまた煽りを返す。
剣をお互いに軽くぶつけ、二人はしばし模擬戦に興じることとなった。
「悪い、バルト」
そうしてしばらく打ち合った後で、不意にエドモンドがそう言った。
彼は言いつつ武器を収めていて、どうやら模擬戦を終えるつもりらしい。
「あん?」
「ハイジ様の呼び出しだ」
突然のことにバルトが顔をしかめて訊き返し、返ってきた答がそれだ。
「ちっ、いいところで……お前、本当に仲良いよなあ。信じられん」
「同好の士だからな。それじゃ、行ってくる」
ノッてきたところで中断されて苛立つやら、エドモンドの偏った趣味趣向に呆れるやら。
不満げな声で見送ると、エドモンドは意気揚々と修練場を出て行った。
「……ま、いいけどよ」
本人がそれでいいなら、バルトとしてはとやかく言うつもりは無い。
楽しく戦える相手が居なくなって退屈なのは間違いないが、幸いにも他の相手を用意するのは難しい事ではない。
「じゃ、昨日のゴーレムさんにお相手願いますかね。今なら勝てる気がするぜ」
訓練用の木で出来た双剣を消し、二回手を打ち合わせる。
すると、目の前には昨日戦ったばかりの巨大ゴーレムが、手の中には使い慣れた斧が現れた。
エドモンドが居ればさっきのように手合せすることもあるが、毎度毎度二人で訓練している訳ではない。
一人の時はこうやって、適当な敵をボックスに出してもらって戦うのだ。最近はもっぱら以前苦戦したオーガで鍛えていたが、今日は戦いたてホヤホヤの難敵にご登場いただいた。
「よし……行くぜ!」
ゴーレムが動き出したのを確認して、バルトは力強く一歩を踏む。
その体は風のように解き放たれ、あっという間にゴーレムの元へと現れた。
「うらぁっ!」
手始めに、足首に一発。
そのまま脚を蹴り上がって、膝の裏にも斧を叩き込む。
脚を破壊され、自重に耐え切れずゴーレムは傾く。苦し紛れに振り回した腕がバルトに迫るが、あっさり回避するとバルトは逆に腕に取り付く。
「五十肩の苦しみを味わうといいぜ。ま、俺はなったことないけどな」
聞くところによると、痛みで腕が上がらなくなるらしい。それ自体の経験はバルトには無いが、自分の体が思うように動かなくなるのはさぞ辛いことだろう。
そんな辛さを体験してもらうべく、バルトは不安定なゴーレムの腕を器用に駆け抜ける。
そして肩に辿り着くと、人間で言う肩甲骨の辺りを思い切り斧で抉り取った。
右半身を徹底的に痛めつけられたゴーレムは、完全にバランスを失って右に向かって倒れ込む。
その身体を駆け登り、バルトは上空に飛び出してゴーレムを見下ろした。
「その心臓、貰い受ける――なんてな」
そしてバルトは一つ手を叩き、武器を持ち替える。
『線』の破壊をする斧から、『点』の破壊をする槍へ。全てが金属で出来たその槍は、細身ながら万物を貫き通す。
「どぅらああああっ!」
落下のエネルギーを、余すことなく破壊のエネルギーに変換して。
バルトの突き立てた槍は、ゴーレムの胸を背中から深く貫いた。八割近くが岩肌に埋まった槍を握りしめ、バルトはニヤリと笑う。
「どうだ、このデカブツ」
勝利を確信し、ゴーレムに向かってそう吐き捨てた。昨日は勝ち目の無かったそれに単騎で打ち勝ち、バルトも鼻高々だ。
もっとも、武器を自在に持ち替えられるボックスならではの戦法だが。エドモンドの錬金術を使えば戦法自体は再現可能でも、アルーカの鉄製品からではここまで貫通力の高い槍は作れないという事情もある。
と、そんなことを考えていたら、何やらパチパチと拍手の音が聞こえてきた。
「あん?」
エドモンドがこんなに早く帰ってくるはずもないし、それ以外に修練場に来るのなんてエレナくらいなものだ。
だがそれにしては、拍手の音が二人ぶん聞こえる。
一体誰だろうと思って音のする方を向くと、そこに立っていたのは――
「ああ、ガブリエルか。それに――よう、昨日ぶりだな。何だってこんなところに居るんだ、レン」
ボックスの管理を一手に引き受ける苦労人な天使、ガブリエルと。
昨日ここに来たばかりのテラリアの民。戦いなど欠片も経験したことが無いのにいきなり防衛クエストに放り込まれ、それでも無事生きて帰ってきた少年――レンだ。
「あ……」
「なんだ」
と、レンがこちらを見て何やら音を発したので訊き返す。
「名前……」
「……うるせぇぞ、小僧」
言われてようやく、自分が彼の名前を呼んでいたことに気が付く。無駄なことは脳みそに入れない主義の――入れる容量が足りないとも言う――バルトは、要するに彼のことを認めているのだ。
それを図らずも漏らした形になり、照れ隠しに乱雑な言葉を投げる。
しかし彼はもうしっかり聞いてしまったし、横でガブリエルがニヤニヤしているので、それは遅きに失した下策だったようだ。
「あ……」
「今度は何だ?」
またもレンが何やら声を上げ、バルトは若干苛立ちながら訊き返す。
すると彼は何やらバルトの少し下を指差していて、口をパクパクさせている。
「げ」
そして、気が付く。バルトが乗っている場所――ゴーレムの背中が、徐々に動いていることに。
そう言えば、昨日倒したゴーレムは核を失った途端に体が崩れていた。今こうしてバルトが暢気に突っ立っていられるということは、まだコイツは死んでいないのだ。
「クソが!」
バルトは慌てて斧を喚び出し、背中に突き立った槍を更に深くへと打ち込んだ。
それでようやく、ゴーレムの中からガラス玉が割れるような音が聞こえてきた。どうやら無事に核を破壊できたらしく、今度こそゴーレムの体は崩れ去っていった。
「お見事」
「嫌味か。ああはいはい、油断しましたよ」
ガブリエルがパチパチと手を叩いてわざとらしくバルトを褒める。もちろん皮肉なので、バルトは苦々しい声でそう返した。
「で、何だってこんなところに居るんだ。ボックスの案内っつったって、ここは紹介だけしときゃ十分だろうよ」
何しろ、レンが防衛クエストに来たのは単なる手違いなのだ。二度と戦う必要がないのだから、彼がここで訓練をすることだってないはずである。
「いや……」
「それが……」
二人が急に暗い顔になったのを見て、バルトは嫌な予感を覚える。
そしてガブリエルがレンの頭上を指差したのを見て、バルトの口が阿呆のように大きく開いた。
そこには、赤い星の印が瞬いていた。異界人にハイジが付ける、お気に入りのマーク。赤色のそれは、防衛クエストに使う異界人の目印だった。
「そ……どうせまた、操作ミスだよな?」
「いや……それがどうも本気らしい。後で話に行こうと思ってるんだが……」
淡い期待を込めたバルトの声は、首を振ってため息交じりに語るガブリエルに否定されてしまった。
「おいおい……勘弁してくれよ」
今度はバルトがため息を吐く。
前回こそ、彼のお蔭で勝利を掴んだが。それでも彼が非力なことに変わりはなく、次以降も彼を守りきれるかと言われれば自信は無い。
ちなみに彼を守る前提でそう考えるのがバルトの優しいところなのだが、当人は全く気が付いていない。
「まあ、そう言わずに。そうだ、折角バッタリ会ったんだし、少し稽古を付けてやってくれないか?」
「俺はそういうの向いてねぇって知ってんだろ。エドに頼めよ」
ガブリエルが突然そんなことを言うが、バルトとしては願い下げだ。
レンを認めたと言っても、それは根性とかそういう類の話だ。実際の戦闘に関してはこれっぽっちも認めていないし、自分が人に物を教えるのに向いているとは到底思わない。
「いやいや、もちろん彼にも頼むけど。一番強い人に教わる方がいいだろう?」
「けっ、調子のいい……」
言われて悪い気のするものではないし、さりげない口調で言うガブリエルはそういうやり口が非常に上手い。
ついつい引き受けたくなる気持ちもあるが、それはバルトとレン、お互いのためにも良くない。
きっぱり断ろうとするバルトだったが――
「お願いします」
そう言って、レンがこちらに向かって深々と頭を下げていた。
そこまでされては、バルトとしても断れない。彼のそういうところは、気に入っている訳だし。
「ああもう、わぁったよ。おら、とりあえず木剣出して構えてみろ」
「……はい!」
捨て鉢にそう言うと、彼は喜んで返事をしてガブリエルから剣を受け取った。
ちなみにガブリエルは、レンが手を叩く前に素早く指を鳴らして剣を取り出しており、二人の耳のことを考えたファインプレーだと言える。
そしてレンが剣を不格好に構える。当たり前だが素人丸出しの全然なっていない構えだ。
さてどこから指摘してやったもんかと、バルトが腕を組んだその時。
「うわっ」
レンが突然、声を上げて驚いた。
「どうした」
バルトが怪訝な顔で訊ねると、レンは頭に手を当てて戸惑いの表情を浮かべる。
「あ、頭の中に――」
その言葉で、バルトは全てを察した。
「声が聞こえたかい? それはハイジ様からのメッセージだ。なんて言ってた?」
ガブリエルがそう言うと少し落ち着いたようで、レンは目を閉じてメッセージに集中しているようだ。
そして目を開くと、こう言った。
「部屋に来るように、って……」
「まあ、そうだろうと思ったよ。召喚の間は覚えているかい? あそこのもう一つの扉が、ハイジ様のマイルームなんだけど……よし、一緒に行こう」
ガブリエルが説明をするが、レンは首を横に振る。まあ、来て一日でボックスの構造をしっかり把握するのは難しいだろう。
「という訳で、すまないなバルト。折角乗り気になってくれたところで」
「別に乗り気になんかなっちゃいねぇよ。おら、さっさと行っちまえ」
謝罪するガブリエルにそう嘯くが、実際レンの構えの修正点を八つほど考えていたところだったので、無念極まるところだ。
「すみません」
最後にそう言って歩き出すレンとガブリエルを、おざなりに手を振って追い払う。
――なんか今日、こんなのばっかりか。
バルトは憮然としてため息を一つ吐くと、近くの的に苛立ち交じりの一撃を叩き込んだ。




