第三話1 ボックスの休日・エドモンドの場合①
エドモンドの朝は早い。日の出と共に起き上がり、腕によりをかけて朝食を作るところから、彼の一日は始まる。
牛乳と卵をたっぷり滲み込ませた特製フレンチトーストには、砂糖とシナモンをかけて。
サラダには、隠し味の生姜が効いた自家製ドレッシングがベストマッチ。
ベーコンはこんがり、卵は半熟に焼いたベーコンエッグは素材の旨味を引き出している。
「いただきます」
フレンチトーストを頬張れば、口の中を甘みとしっとりとした食感が満たし、鼻腔をシナモンの香りが駆け抜けていく。
シャキシャキと瑞々しさが溢れ、ツンとした清涼感が心地いいサラダが良いアクセントに。
ベーコンエッグは、ベーコンのカリカリとした食感と、じゅわっと広がる半熟卵の旨味が舌を喜ばせる。
食後のコーヒーは、もちろん挽きたて。程よい苦みと香りが、朝のひと時を彩る。
ちなみに早起きも自炊も、『ボックス』では比較的珍しい習慣である。
まず、ボックスは時間の概念が滅茶苦茶だ。
ボックスに居れば二十四時間周期で一日が訪れるものの、アルーカの世界そのものとは全く別の時間軸に存在しているのだ。
その関係性は、女神ハイジの気分次第という無法っぷりである。どういうことかと言うと、ハイジが『世界コンソール』を触るとアルーカの時間が進む。
つまりハイジがサボりまくると、ボックスはアルーカから見て延々と停滞した時間を過ごすことになるのだ。
だから、クエストへの喚び出しという観点から言うと、ハイジの生活リズムに合わせるのが最も効率的な訳だ。しかし、案の定と言うか火を見るより明らかと言うか、彼女は堕落しきった生活を送っている。
ボックス基準で言うと、昼の十二時起床がデフォルト。かと言って遅くまで起きていることは少なく、単純に睡眠時間が長い。
そんな理由から、ハイジに引き摺られて全体的に起床時間は遅めである。
更にここでは、望むものは何だってワンアクションで手に入る。つまり朝食を自ら作る必要性は全く無く、今エドモンドがたっぷり三十分かけて作った美味しい料理も、実は数秒で用意できる。
要するにそれは、ただの趣味だ。何かを作るのが好きなのは錬金術師の性だと、彼は自分で思っている。
「ふう……今日もコーヒーが美味いな」
あと、優雅な朝を過ごすオシャレな自分に酔っていたりもする。
「さて……行くとしようか」
彼は颯爽と立ち上がると、身支度を整えて部屋を出た。
ちなみに洗い物は面倒なので、それはボックスに任せている。
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エドモンドがまず訪れたのは、図書館である。
ボックスの居住スペースから少し離れたところにあるそれは、あらゆる世界の本が読めるという、読書家なら一度は訪れてみたい場所だ。
見上げる程高い本棚は隅から隅までぎっしりと本で埋め尽くされていて、図書館特有の紙の匂いが充満している。
本棚それ自体も凄まじい数があり、うっかりすると本当に迷子になるほどだ。
朝起きてからの三時間は、創造的な仕事に向いているという。それを知っているかはさておき、午前中の頭が働きやすい時間帯を、彼は錬金術の研究に充てていた。
錬金術は、科学と魔法の融合だ。魔力を以て物質に直接的に働きかけ、その性質を変容させる技術。だから科学と魔法、どちらの知識も求められる。
逆に言えば、知識がそのまま力となる珍しい技術だ。せっかく時間がたっぷりあるのだから、それを磨かない手はないだろう。それが自分と仲間の生存にも繋がる。
「ふむ……やはりあの時代の鉄製品だと、強度が足りないか。複数発にも耐えられるなら、今後も役に立つかと思ったんだが……」
独り言を呟きながら、エドモンドは本を読み漁る。
普通の図書館ならマナー違反な行為だろうが、呟く声は誰の耳に入ることもなく、しんとした静寂と本の山に吸い込まれていくように消えた。
ここはいつも閑古鳥が鳴いているので、何をしてもあまり問題ないのだ。
そも、エドモンドとて勉強のためにわざわざ図書館に来る必要はない。本が必要ならいつでも手元に取り寄せられるのだ。
それでも彼がここへ来るのには、三つの理由がある。
一つ目、全く知らないジャンルの知識を得られるということ。知らないものは取り寄せようがなく、目に付いた本を適当に読むのは趣味の一環である。
二つ目は、公共の場であるという意識。自室だと、どうしても気が散ってしまうことがある。エドモンドは、適度に人目がある方が集中できるタイプだった。
もっとも、今現在ここに人目はないので、正確に言うと人目がある可能性がある場所だ。
「もう少し、探してみるか」
あとやっぱり、図書館で勉強する真面目な自分に酔っているのだった。
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昼食は、やはり似たような趣味を持つ異界人がやっている店で済ませた。舌より先に手が肥えることはない――人の料理を食べるのは、料理の上達の上で欠かせないというのがエドモンドの持論だ。
昼食時は時折ガブリエルやバルト、さらに気まぐれにエレナと卓を囲むこともあるが、今日は一人である。店のマスターにレシピを聞いたりしながら舌鼓を打ち、満足して昼食を終える。
「今日も修練場かい?」
「ああ、継続は力なりと言うからな」
マスターとそんなやり取りをして店を出る。
昼食後は腹ごなしがてら、修練場で鍛錬をするのが日課だ。
修練場は異界人が様々な訓練をするために用意された施設で、大きく分けて三つの施設から成る。
入り口に直結の一室は、木製の床の屋内訓練室。休憩室兼備品置き場としての側面が強く、簡易的だがシャワールームなども付いている。
ただし、備品置き場と言いつつ、基本的によく使うもの以外は何も置いていない。必要に応じてボックスに用意してもらえるので、スペースの有効利用という観点からそれは正しい。
そのため、需要があるかは分からないが、ダンスやヨガ、エアロビクスの教室が開けるくらいの広さが確保されている。
その奥には、石造りの壁に囲まれた正方形の砂地が広がっている。主に使われるのはここで、真ん中に大きくスペースが取られ、壁際には弓や剣の練習用の的が用意されていた。
簡単な模擬戦や素振り等の訓練はここで全て賄える。
そして一番奥にあるのが、円形の広場に観客席が用意された闘技場だ。ボックスの腕自慢たちが競い合う武闘会等を開く世界もあるそうだが、アルーカは戦闘要員が少ないので滅多に日の目を見る機会のない場所になっている。
エドモンドは壁に掛けられた木剣を手に取るだけで屋内訓練室を素通りし、屋外訓練場にある、柱にロープを巻きつけただけの簡素な的の元へと向かった。
砂地の片隅にあるそれは割と使い込まれているのだが、ボックスの仕様上すぐ直るので真新しく見える。手入れの必要が無いのはボックス様様だ。
「ふっ!」
短く息を吐き、鋭く一撃を的に打ち込む。鈍い音が響き、的がぎしりと軋む。
そしてしばらく、エドモンドの掛け声と打撃音が断続的に続いた。何事も基礎は大事だ。
「ふう……よし」
一しきり打ち込んだ後、エドモンドはそう呟くと低い声で何かを唱える。
すると、手にした木剣が形を変えた。出来上がったそれはどうやら弓のようだ。
続いて地面に手を着くと砂から矢を練成し、弓に番えて引き絞る。
そして放たれた矢は、離れた的のど真ん中をぶち抜いた。的の正面からずれた位置に立っているエドモンドだが、その精度は日ごろの練習の賜物だろう。
それを確認したエドモンドはすぐさま弓を練成し直し、短いナイフに変える。
再び柱の的に近付くと、素早い動きでそれを叩き込んだ。
そこから槍、斧、棒など様々な武器を練成しては打ち込み、エドモンドは訓練場を動き回る。
「おーおー、相変わらず器用なヤツだな」
「ああ、バルトか。臨機応変が錬金術師の売りなのでね」
一息ついたところで声が掛かり振り向くと、バルトが木剣にもたれながらこちらを見ていた。
声を返すとバルトは歩み寄ってきて、剣をこちらに突きつける。
「どうだ、一発模擬戦でも」
「俺は構わないが、大丈夫か? こちらはすっかり温まっているが」
「構わねぇさ、丁度いいハンデだろ」
お互いに挑発的な言葉を交換した後、二人は剣をお互いに差し出す。
そして先を少しぶつけると、それを合図に模擬戦を開始した。
先に動いたのはエドモンドだ。
鋭い踏み込みと共に剣を振り下ろすと、バルトは剣を頭上に構えて受け止める。初撃から全力で打ち込んだにも関わらず、バルトの構えた剣はびくともしない。
エドモンドはすぐさま剣を退き、続けざまに三発突きを放つ。
しかしその素早い攻撃も、全てを上手く捌かれてしまう。バルトは最初の二撃を躱し、最後の一撃を剣で受け流す。
突きを流されたその隙に、今度はバルトの一撃がエドモンドを襲った。
身を反らして躱した横薙ぎの剣は紙一重、その勢いは刃が無いにも関わらずエドモンドの髪の毛を散らせるほどだ。
続くバルトの二撃目は、剣を構えて受け止める。腕ごと痺れるような衝撃が木剣に加わり、エドモンドは思わず歯を食いしばる。
「ちっ、馬鹿力め」
「力だけじゃねぇぞ? おらっ!」
漏れ出た罵声に、バルトは声と攻撃を返してくる。ご丁寧に、エドモンドが放った三段突きをそっくりそのままだ。
同じように躱したエドモンドだが、最後の一撃は捌ききれず肩を掠める。痛みに顔をしかめながら、バルトを追い払うように大きく剣を振り払ってバックステップを踏む。
「近接馬鹿と正面からやり合うものじゃないな」
そして、木剣を錬金術によって弓に創り変えた。素早く矢も錬成し終え――もちろん先を潰した訓練用のものだが――、バルト目掛けて容赦なく撃ち込む。
「はっ、それがどうした!」
しかしバルトは全く慌てる様子も無く、剣を振るって矢を叩き落とす。
続いて撃ち込まれた数発の矢にも難なく対応し、どころかその隙に距離を詰めてくる始末だ。
凄まじい反射と身のこなし。だが――
「狙い通りだな」
こちらを弓と侮り、バルトは大上段に剣を構えて踏み込んだ。
その隙を、
「ふっ!」
弓を槍に創り変え、がら空きのバルトの胴目掛けて鋭く突き立てる。
「あっ……ぶねぇ!」
しかしバルトは体勢を咄嗟に変え、木剣でその一撃を受け止めた。
バルトの攻撃は中断されたものの、今ので一撃を加えられないとなると厳しい。完全に虚を衝いた一撃だったはずだ。
「やはり近接馬鹿だな」
「ま、お前に負けてるようじゃ前衛は務まらねぇわな」
軽口を叩き合い、二人は向かい合う。
「よし、それじゃそろそろ、本気で行くとするか」
そしてバルトはそう言うと、木剣を後ろに放り投げる。空いた手を打ち合わせると、彼の手には木製の双剣が逆手に握られた。
彼の得意武器の一つだ。パワー重視のときは斧を、スピード重視のときは双剣を使うのが彼の基本スタイルである。
――これはボコボコにされるコースだな。まあ、すぐ治るが。
徐々にノッてきたバルトを見て、エドモンドは心の中で半ば諦めと共にそんなことを思う。
エドモンドはそこそこ強い方だが、バルトは滅茶苦茶強いのだ。全力で戦えば、エドモンドが一方的に殴られておしまいである。
なるべく痛くないように戦おう、と後ろ向きな覚悟を決めたエドモンドだったが――その時。
『あ、もしもしエド様ー? 今から部屋に来るように! なる早で!』
コイツ、脳内に直接――!
なんて感想はもう浮かばないほど聞き慣れた声が、エドモンドに呼び掛けてきた。
「悪い、バルト」
「あん?」
エドモンドは槍を元の木剣に戻しながら戦闘態勢を解き、バルトに声を掛ける。
「ハイジ様の呼び出しだ」
「ちっ、いいところで……」
その一言で全てを察し、バルトも早々に諦める。
世界を治める女神の言うことだから、絶対遵守は当然だ。
彼女は時折、こうして異界人をマイルームに呼びつける。ほぼ全員が、強制参加の罰ゲームみたいに思っているのだが。
「お前、本当に仲良いよなぁ。信じられん」
「同好の士だからな。それじゃ、行ってくる」
エドモンドだけは、それは楽しんでいた。
ちなみにそれを言うと大体白い目で見られるのだが、彼はそれを気にしないくらいには図太い。
呆れかえるバルトを尻目に、エドモンドは軽やかな足取りでハイジの元へと向かうのだった。




