プロローグ 異世界召喚に確定演出は無い
狭い、石造りの部屋だ。
円形のその部屋の中心には、やはり円形をした台座らしき物が存在している。
部屋を構成するざらりとした灰色の石とは違い、黒く艶のある石材で出来たそれは、中心に薄く青白い光を湛えた魔方陣が描かれていた。
しんとした空気。時が止まったかのようなその空間に居るのは、二人の男女。
「――いよいよね」
先に声を発したのは、女性の方だった。
美しい女性だ。長い赤髪はもぎたての林檎のように瑞々しく、瞳は生い茂る木々の葉を思わせる深い緑。
スラリと背の高い身体を真っ白な衣に包み、その白さに負けず劣らず白い肌は、薄暗い空間でぼんやりと光っているかのようだ。
台座を見つめるその表情は期待に満ち溢れており、頬にはほんのり赤みが差している。
彼女は、何かを待ち望んでいるようだった。
「――そうですね」
それに答える男性は、筋肉質な肉体に女性と同じく白い衣を身に着け、女性の一歩後ろに佇んでいた。
彫の深いダンディな顔には金色の髪と顎鬚が蓄えられ、その渋さを際立たせている。
彼は、彼女と違い落ち着いた声音と表情で、台座と女性、両方を見守っているようだ。
「緊張しておられますか」
ふと、男性はそう問いかける。視界の端で、女性の手が微かに震えているのを見て取ったのだ。
「ううん。これは、武者震いよ。何せ、私は今から――歴史的な偉業を成し遂げるんだから」
彼女は、震える手をもう一方の手で押さえると、そう言いながら振り返り、不敵な笑みを浮かべてみせる。
「チャンスは、一度きりしかありませんよ?」
「わかってる。でも、その一度に賭ける価値がある」
試すような口ぶりの男に、女性は彼に向き直ると真っ直ぐその瞳を見据えて答える。
その視線に、迷いは見えなかった。
「……覚悟は決まっているようですね。分かりました、私はもう何も言いません」
「当然よ。……それじゃあ、始めましょう」
目を瞑り諦めたようにそう告げる男性に、女性は一言だけ声を掛け――くるりと回り、台座に向き合う。
そして目を瞑り、手を台座に向かって掲げ――朗々と、唱える。
「我、ここに願う。偉大なる大神ゼウスよ、わが望みに応え給え」
彼女の声が響き、それ以外の全てを沈黙が支配した空間に――突如として変化が訪れる。
魔方陣がぱちりと音を立て、電撃のような光が躍る。それは連鎖的に魔方陣を走り回り、ぱちぱちと小さな音がさざめきのように続く。
「彼の地より此の地へ、大いなる力を。類稀なる幸いを。永久の闇を照らす光をもたらさん」
走る光は徐々にその速度を増し、やがて魔方陣の外縁に沿って回り出す。それは一筋の光の輪を生み出し、きぃんと甲高い音を纏う。
「並び立つ銀の宝塔。流転する理の調べ。女神ハイジの名の下に、盟約と血呪の契りをここに」
光の輪は徐々にその身を広げ、その内にいくつもの分身を作り出す。
台座いっぱいに広がったそれはやがて全てが束ねられ、一つの巨大な円環を成した。
「我が声は標。故に不惑、故に無為。従い降りよ、神饌の魂よ!」
光の輪は突如として収縮し、刹那の静寂と暗転をもたらす。
次の瞬間、消えた円の中心から、青い輝きが解き放たれた。溢れ出る光の奔流は部屋を埋め尽くし、部屋に居る二人の視界を塞ぐ。
空気の震えを伴い、ごうごうと不可思議な音を上げながら、光は徐々にその勢いを弱めていく。
やがて、光が霧散したその中心には――一人の男が現れていた。
片膝をついてうずくまる彼は、視線を地面に落として微動だにしない。身体を支える腕には頑健さを感じさせる筋肉が見え、肩幅もかなり広い。
短く刈り上げた黒髪は精悍さを湛えており、やがてゆっくりと上げた顔にはところどころに傷跡が見える。
その見た目は、正しく『歴戦の猛者』。荒々しく武器を振るい敵を屠る様が目に浮かぶようだ。
「これは――」
そんな男をじっくりと女性は眺め、呟くようにそう言った後――
「来たーーー! 絶対星5でしょコレ!!」
なんだか下品な感じの、喜びの声を上げた。