夜にて
夕日が雲海に沈み、街は徐々に黄昏ゆく。
とりあえず、魔族であることがバレた以上、ここにいるわけにはいかない。ハンスとロットはどこか遠くへ行く必要があった。そのため、2人は早急に荷造りを開始する。そんな折、ロットが何の前触れも無く呟いた。
「そうだ。ゲゼルとボスのところへ挨拶へ行こう」
ハンスはあまり気乗りしなかった。なぜなら、今更言うまでもなく人前に姿を現すのは危険だからだ。しかし、ロットの言い分は「今までそれなりにお世話になったので顔を出すのが道理だ」「どうせ、彼らは人に自慢できるような仕事をしているわけではないし、密告される危険は少ない」とのこと。
ハンスとロットは倉庫での従業員を行うの傍ら、あまり大っぴらには語れない「副業」をこなしていた。その内容は外国から運ばれてくる「きな臭いもの」、すなわち銃等のこの国では使用が禁じられている武器取引の仲介役だ。リスクもあるし、倫理的にも問題のある仕事だったが、2人は気にしなかった。なぜなら、手元に入る大金が1番の正義だからだ。
ボスとゲゼルの社会的信用度の低さを信じ、ハンスはロットの申し出を受け入れた。まあ、もしかしたら案外2人を気にかけて、旅路で役に立ちそうな物でも譲ってくれるかもしれない。そんな期待を背に2人はボスの元へ向かった。
「へえ。そりゃあ、災難だったな。これでも持っていきなさい」
その期待は見事に的中した。ボスは鞄、マッチ、手ぬぐい、万能ナイフをそれぞれ二つづつ譲ってくれた。どれも使い古された中古品だったが、まだまだ十分に使えそうな様子だ。ハンスは浮ついた表情で、冗談ぽく呟いた。
「こりゃ、いいや。定期的にここに戻ってくれば未来永劫ボスの恵みが得られるね」
「馬鹿を言うな。今回きりでおまえ達とは金輪際お別れだよ」
ボスは鼻下と顎から生えている髭を撫でながら言った。どっこいしょ、と立ち上がり、その小さな背中は部屋の奥へ消えてしまう。
ボスの家は(ハンスとロットの目から見れば)大層立派なつくりだった。木造の二階建てにボスとゲゼル、2人が暮らしている。一階のエリアは客人を迎えるため奇麗に片付けられている。しかし、ボスとゲゼルが生活している二階のエリアはハンスの目から見ても相当汚い。
「しかし、驚いたぜ。ハンスとロットがあの、まぞ……魔族……?だったなんて……うん……」
ボスと入れ替わりで一階に降りてきたゲゼルは何故だか口ごもってしまっている。ハンスが心配そうに尋ねる。
「どうした?」
「いや、なんかさ、おまえら、自分のこと「魔族」って言うの恥ずかしないか?」
「ああ。恥ずかしいよ。程度の低いおままごとを18でやらされているみたいだ」
「だろうな。俺は今まで魔族なんて一部の虚言症の気狂いがほざいているだけのものだと思っていたよ」
ゲゼルは笑う。そして「俺も気狂いの仲間入りだな」と付け足した。
「ところでさ」
ふたりの会話にロットが割り込んだ。
「俺たちのこと、どれくらい知れ渡ってる?もう街中に広まっちまったか?」
ゲゼルは肩をすくめる。
「残念ながら、もうこの街では周知の事実だよ。「魔族の兄弟、ハンスとロット」のことはな。情報の走る速度は世界で一番早いんだ。きっと鳥人でも追い付けやしない」
押し黙るハンスとロットに追い打ちをかけるみたいに、ゲゼルは意地悪っぽく言った。
「言っとくけど、この街におまえ達の居場所はないぜ。魔族なんておっかない種族は差別されて然るべきだからな」
ハンスとロットは、きょとんとして顔を互いに見合わせた。
「まあ、居場所が無いって言ってもなあ……」
「いずれにしても、俺らはこの街を出ていくつもりだからな」
あまりにドライな返答に今度はゲゼルが押し黙る番だ。ゲゼルは苦笑いを浮かべ、「流石だよ」と呟く。
「まあ、いずれにしても、俺はおまえ達を衛兵に差し出したりしないよ。一応、友人だからな」
「それはどうも」
「あ、取引の件は忘れてもいいぜ。俺とボスでなんとか回すよ」
「取引……?」
ハンスは頭をフル回転させて、日中の出来事を思い出す。そういえば、そんな話もしていた気がする。
「ありがとう。恩に着るよ」
「それじゃあ、さよならだ。お互い、良い事も悪い事もあるだろうけど、気を強く持って頑張ろう」
言い終わる前に、2人は家の扉を閉めていた。
「こぞう、もう夜だぞう」
時報爺の声が聞こえる。日が沈み、闇夜に包まれた街をハンスとロットは、もう目にするのは最後になるかもしれない我が家へと急ぐ。2人が暮らすスラム街は建造物と建造物の間を埋めるように出来ており、日中でも薄暗く視界が不自由だ。だから、完全に闇に包まれた、この時間帯でも手探りで何となく前に進むことができる。
しかし、ハンスがある違和感を覚え、立ち止まる。そして呟く。
「この匂いは……」
嗅ぎなれた異臭に2人は立ち止まる。息を潜め、2人の心臓の鼓動だけが聞こえる。
「ハンスとロットかい?」
親しげな声が聞こえる。次の瞬間、明かりが灯り、世にも恐ろしい顔が宙に浮かんだ。一瞬、昼間の鬼かと思ったが、そのしわしわで力の無い顔は老婆のそれだった。
「デビーさん……」
ハンスは出来る限り、彼女と同じように親しげな声を出し、返答した。視界の隅でロットが憎々しげに目を逸らしているのが見える。
「こ、こんな時間に何の用だい?」
「来客さ。あんた達に」
来客?まさか衛兵か?それならば、至急ここから立ち去らなければならない。情報の巡りが速いとはいえ、今日中に塒を特定されるなんて予想外だった。そんなハンスの表情の変化から彼の不安を悟ったデビーは笑いながら言う。
「ちょっと、別にそんなおっかない人じゃないよ。女の子さ。女の子。あんた達と同じくらいの?」
女の子?きょとんとするハンスにデビーは続ける。
「奇麗な子さ。まるでお人形さんみたい。それにいい服を着ていたから、きっと上流階級の子だねえ。うらやましい。あたしもあんな服を着てみたいよ」
いや、あんたが着たら、掃きだめに鶴だよ。服ばっかりが目立ってしまう。そう言いたいのをぐっと堪えたハンスだったが、全く同じことをロットが言ってしまったため、デビーの激高を喰らうことになった。
一目散に逃げ出しながら、ハンスは安堵した。あの様子だと、デビーは倉庫の一件を知らないようだ。つまり、このエリアには情報が伝わっていないということ。まだ故郷に別れを惜しむ余裕があるということだ。
しかし、来客とは一体何事だろうか。しかも同年代の女性だという。残念ながら、これまで若い異性を交流を持ったことはない。せいぜい、繁華街で若い売春婦に話しかけられた程度だ。
「あ」
ロットが声を上げた。
「どうしたの?」
「あそこ、光ってる」
ロットが指差した先は確かに光ってる。ハンスの記憶が正しければ、ここに電気なんて流れていないはずだが……。
さらに近づいてみると、そこはハンスとロットの家だった。光はトタン板の屋根の隙間から漏れている。
「誰かいるのか?」
ハンスは光源に向かって声をかける。
少し間が空いた。そして、家の中でガサガサと物音が鳴る。
ロットは身構えた。もしも害を与えうる者だったら、すぐに攻撃できるようにするために。
「まって。私に敵意はありません」
中から声がした。そして、ボロ布で乱暴に作られた扉が開かれる。光がより一層強くなった。
それは二人と丁度同世代くらいの少女だった。光は彼女を中心に発せられている。
「夜分遅くに失礼します。今夜はあなた達にお話があって参りました」
少女はそう言い、ぺこりと頭を下げる。
いつか、「自分は世界一の魔法使いだ」とかほざいていた奴がいた気がする。ハンスだ。しかし、その認識は今この瞬間に覆される。
今目の前にいる、自ら光ってる少女は十中八九魔族だ。そして、自らを光源に光るなんて技、ハンスもロットもできない。完敗である。ハンスは彼女が持ちかけた話題なんてどうでもいいくらいショックを受けた。
野郎ばっかりですみませんでした。