ハンスロット兄弟
まず、飛び込んできた光景は、人だかり(この倉庫の従業員たちだ)、ゲゼル、親方、倒れている人影、そして兄のハンスだった。
手足があらぬ方向に折れ曲がり、血の池を生成している人影と、高身長のわりに小さく、そして頼りなく見えるハンスの背中を見て、ロットは全てを察した。
「兄貴」
口から出た言葉は思いのほか弱々しく、最初は自分の口から出たとは信じられなかった。ロットの声を聞いたハンスはロットの方を振り返る。
「ロット……無事だったのか。よかった」
そう言うハンスの顔は案外、冷静そうだった。でも、口から溢れた声はどこか諦めているような、達観しているような、そんな響きを帯びている。
ハンスは小さく「よし」と呟き、こう続けた。
「ロット、逃げよう。僕らはここにいちゃ駄目だ」
返答をする間も無く、ハンスはロットの手を掴んでいた。人と人の間を掻い潜り、目にも止まらぬ速さで駆け抜けていく。
「おい、逃げたぞ」
人だかりの中で誰かが言った。最悪の気分だった。埃だらけの簡易住宅(と言うのも憚れるような何か)で目を覚まし、薬漬けの気狂い婆の話に付き合い、少し狡いやり方で金を稼ぎ、時報爺の声を合図に倉庫の水道で体を洗い、そして帰路につく。そんな日々がいとも容易く壊れてしまうなんて。
ロットは人影に向かって最後に引き金を引いた時のことを思い出した。計4発。最後の1発が奴の胸の中に飛び込んだ瞬間、俺の日常は奴の肉体と共に崩壊したのだ。
自宅前に到着し、ぜいぜいと息を吐きながら項垂れる二人。しばしの沈黙の後に、ハンスが口を開いた。
「ごめん、僕のせいだ」
ロットは何も言わなかった。ハンスは続ける。
「思えば無理なやり方だった。もう少しやりようはあったかもしれない。てゆうか、どうして殺そうとしたんだろう。別に今まで通り吹っ飛ばして無力化するだけでよかったじゃないか。命の危機を感じて冷静な判断ができなくなっていたのかも」
ハンスは乾いた笑いを上げる。ロットには悪いことをしたよ、今まで「人前で魔法を使ってはいけません」そう教えてきたのにさ。それを僕が破るなんて。
「僕は最悪の兄貴だよ」
しびれを切らしたロットがハンスの胸ぐらを掴み、睨みつけた。二人の身長差的にロットがハンスを見上げる形になる。
「ハンス。約束なら俺も破ったよ。昨日、あのガキが持ってた銃を拝借したんだ」
ロットは自分にも落ち度があるということをハンスに述べた。そして、自身もあの気味の悪い人間のようなものを殺したことを話す。ハンスより明確な殺意をもって殺したことを。
「だから、これ以上自分を責めないでくれ。今まで危ないこともあったじゃないか。きっと、これは来たるべき未来だったんだ。だから、仕方ないと諦めようぜ」
ハンスはしばらす釈然としないといった様子でまごまごしたのち、大きく深呼吸をして言った。
「そうだね。ごめん、心配かけて。終わったことよりも、これからのことを考えよう」
いつもの調子に戻ったハンスにロットは安堵した。こんなふうに七転び八起きでやってきた二人である。何も特別なことなんてない。今回は少し問題が大きかっただけだ。