5.樋口蘭子の懇願
4/10 これも旧二話の焼き直しですが、大分筋が変わってきましたので割り込み投稿します。
多分ここから固定カップリングとか色々変わってきます。
その男は、責任者であろう若い男を取り巻いていた数人の男……その後方から現れた。
反射的に立ちふさがろうとした背の高い男を「退いて」とやんわり言っただけで押しのけ、彼は早足でどんどん近寄ってくる。
周囲の者達……蘭子を何処かへ連れて行こうとしていたガタイの良い男でさえぽかんと動きを止める中、その男はあっという間に小柄な体の傍へと膝をつき、先程まで蘭子が必死にマッサージしていた心臓の上あたりに手をかざした。
と、その手からふわりと柔らかなライトグリーンの光が放たれ、玲の体を包み込む。
マジックか、それとも小型の機械でも持っているのか。
何をしているのかもわからなかったが、蘭子は不思議とこの男が玲に害をなす存在ではないと直感した。
(お願い、この子を助けて ──── !)
ある者はぽかんと間抜け面で、ある者は縋るように、ある者は忌々しそうに。
皆が見つめる中、じわじわと変化は現れた。
紛れもなく死に瀕していただろうその顔色に徐々に赤みがさしてきて、硬くこわばっていた表情が少しだけ緩んだように見える。
そして小さくだがふぅっと息が吐き出されたのを見て、蘭子の頬を止まっていたはずの涙が伝い落ちた。
(生きて、る……のね)
「もう、大丈夫。ギリギリ危険な状態でしたが、どうにか持ち直しましたよ」
誰に語りかけるでもなく男が漏らしたその言葉は、多分心配していた蘭子に向けられたものだろう。
「…………誰の許可を得て治癒を施した。この場の責任者が俺だと知った上での不敬か、マクスウェル」
低い、怒りを抑えているかのような声。
これは言わずもがなあの尊大な態度の青年が発したものだが、マクスウェルと呼ばれた男は恐れおののいた様子もなく淡々と「無論です」と返す。
「この場は第二王子殿下、貴方の仕切りだということは存じておりますよ。ですが殿下、私は医局の治癒師として万が一の『召喚事故』に対応すべく控えさせていただいておりました。こちらの娘は重症を負った状態にて召喚された……つまりは私が対応すべき事故案件だと判断致しました。本来ならば事故案件だと判明した時点で処置したかったのですが……職務に忠実過ぎるそちらの騎士殿に止められておりましたのでね」
間に合ってホッとしました、と彼は屈託なく笑う。
そちらの騎士とは、蘭子を拉致しようとしたこのガタイのいい男のことだろう……ということは彼がギリギリ治療に間に合ったのは、蘭子が第二王子とやらの不興を買ったからだと言えなくもない。
(この人、わざと情報を与えてくれているわね。それにしても第二王子殿下に召喚、ですって?ファンタジー小説の夢でも見ているのかしら……)
そんな趣味はないのだけど、と戸惑う彼女の目の前でマクスウェルと呼ばれた男は立ち上がる。
腕に、息を吹き返したばかりの患者を抱えて。
そして視線をぽかんとしたままの蘭子に向け、次いで未だ腹の虫が収まらない様子の第二王子殿下とやらの方へ。
「殿下のご不興を買ってしまったようなので、私はこの娘を連れて医局へと戻ります。彼女が目覚めたら、私の方から簡単に事情をご説明致しますよ」
「……ふん。好きにすればいい」
「ありがとうございます。それと……彼女の怪我の事情も聞きたいところなのですが、そちらの髪の長い女性もご一緒いただいて構いませんか?」
「髪の長い?…………この乱暴な女か?」
「っ!」
たしかに彼女は、腕を掴んできた星璃を振り払った。
だからといって乱暴者扱い、しかも『女』呼ばわりされる覚えはまったくない。
もし彼が本当に王子という身分にあるのだとしても、いやだったらそれこそ失礼極まりない発言だ。
(死に瀕した者を気遣わず、あまつさえただ一人の泣き落としに負けて失言を繰り返す愚か者……本当なら怒鳴りつけてやりたいところですけれど。その価値すら、なさそうですわね。それに彼、七瀬さんさえいればそれでいい感じですし)
まだここへ来て間もないというのに、彼は既に蘭子に見切りをつけ星璃にばかり熱い視線を注いでいる。
それがどういう種類のものかまではわからないし、わかりたいとも思わないが。
案の定「構わん」と告げた第二王子に、マクスウェルは緩く一礼してから蘭子の方に歩み寄ってきた。
「聞こえただろう。いつまで彼女を拘束しているつもりだい?」
と、これは蘭子の肩を掴んでいるガタイのいい騎士へ向けられた言葉だ。
そこでようやく体の自由を取り戻した彼女は、わざとらしく肩と腕をポンポンと手で叩いてから、マクスウェルに向けてにこりとお嬢様スマイルを向けた。
「感謝いたしますわ。さ、医局へ参りましょう」
大理石の間を出て ──── どうやらそこは塔のような建物の最上階だったようだが、そこから続く螺旋階段を二人分の足音がカツンコツンと下りていく。
マクスウェルと呼ばれた男は時折腕の中で未だ意識を取り戻さない小柄な彼女を気にかけながら、蘭子は慌てて滑り落ちてしまわないように石造りの壁をぺたりと触りながら。
そうして塔の外に出ると、まず視界に飛び込んできたのは都内ではありえないほどの豊かな緑、あちらこちらをふわりふわりと飛び交う虫……ではなく、小さな人型の【なにか】
その軌跡に視線をやると、緑の向こうに北欧の城のような白亜の建物がある。
それは、どこぞの海沿いにあるテーマパークの城のようでいて、しかしおとぎ話に出てくるようなきらびやかさはさほどなく、かといって歴史だけはある古めかしい遺物というわけでもなく。
例えるならそう、確かに今現在その存在を生かされている、言い換えるなら現在進行系で使われている雰囲気の建物だ。
(あぁ、夢ではありませんのね。……ここは……)
「ここは、わたくし達の世界とは、違いますのね?」
「……あぁ、そうだね。『世界』自体に名はないけれど、この国はルシフェリアというんだ。ここから見て右隣の国がシルフィード、地図上だと上に位置する国がディーネ、下に位置する国がサラーナという。それぞれ国のシンボルカラーになぞって、『白のルシフェリア』『青のシルフィード』『黒のディーネ』『赤のサラーナ』という異名で呼ばれているよ。どの色になぞらえるかでどこの国民かわかるから、ある意味覚えやすいだろう?」
「そう、ですわね……」
(白に青に黒に赤……位置関係もあわせて、まるで四神相応のようですわ……)
地図の上というのを純粋に北と置き換えるなら、マクスウェルの教えてくれた色と位置関係はそのまま四神相応の対応色とぴったり重なる。
これではますますファンタジー小説かゲームのようですわ、と彼女はそっと溜息をつく。
どうやら夢ではないようだが、だとしたらこのゲーム世界のような異世界でこれからどうやって生きていけばいいのか、そもそも何のために【召喚】されたのか、戻ることはできるのか。
知りたいことはたくさんある。
「医局というのはね」
と、マクスウェルは蘭子の半歩先を歩きながら、まるで「いい天気だね」と雑談するかのように続ける。
「ここ ──── ルシフェリア国王都にあるこの王城には、常時何百人という者が出入りしている。ここに住まいしているのは何も王族だけじゃない、騎士や侍女、掃除人や研究員までいる。だからこそ、怪我から病まであらゆることに対応できる者が集う病院のような施設が必要になるわけだ。だけど開業しているわけではないし、我々の給与は国家予算から支払われるわけだから、医局という名を冠せられているというだけでね。私も、治癒スキルの使い手だからということでこの医局で雇われているんだ」
「治癒スキル……ですか?それは【魔法】というものですの?」
「スキルと魔法は基本的に違うのだけど……あぁ、そうか。君の世界には【魔法】がないのかな?」
「え。えぇ……物語の中には、出てきますけれど。そのかわりに、科学という魔法の代わりになるような技術は発達しておりますわ。その、重症患者を即座に治すような技術はまだありませんけれど」
だからあの時、蘭子は純粋に凄いと感動したのだ。
原理は全くわからないが、死人のような顔色だった彼女を生きた人の肌色に戻したその力は素晴らしい、と。
どうして自分にはそれが使えないのか、と何故だか無力感にも襲われたが。
(魔法なんて、ファンタジー映画でしかお目にかかってませんけど…………この世界なら、使える、のかしら)
「……使ってみたい?」
「っ、え?」
まるで考えを見透かされたかのようにそう指摘され、蘭子は思わず素でマクスウェルを凝視してしまった。
普段はキツめの印象を人に与えてしまう、そんな彼女のぽかんと呆けた顔を見て彼は目を細めて笑う。
「顔に書いてあるよ。私でも使えるのかしら、って」
「…………無断で表情を読まないでくださいません?不愉快ですわ」
「ああ、すまないね」
謝罪しながらもくすくすと笑い続ける、自分よりも十歳ほど年上の男性に、彼女も毒気を抜かれて肩をすくめるしかできない。
そうこう話しているうちに、彼は白亜の城とは渡り廊下でつながっている三階建ての建物の前で立ち止まった。
開いた窓からは清潔そうな淡い色のカーテンがたなびき、屋上には白いシーツが何枚もはためく。
説明されずともわかる、ここは
「さあ、着いた。医局へようこそ、異世界のお客様」