表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/28

2.ライバルと『私』

旧一話の後半部分を大幅修正したものです。

旧二話目とはストーリーが被らないので、新規投稿という形にしました。


 


(胸騒ぎ、します。……なにもなければそれでいいんですが)


 どうして彼女が二手も三手も先を読めるのか、それは普段から彼女があらゆることに関して常に色々なパターンを考えて動いているからだ。

 そしてその彼女の先読みが、今すぐ探しに行けと危険を告げている。


「玲?どうした、食い過ぎで腹でも痛いのか?」


 女性にかけるにはあまりにデリカシーのない言葉をかけてきた職場のエリートに、彼女は「そんなとこです」と誤魔化すようにそう告げて足早に廊下に出た。


(具合が悪いことにしておけば、しばらくしても戻らなかったらきっと誰かに言って探してくれるはずです。……何もなければいいんですけど……嫌な予感が、しますね)


『あら?あまりに小さいからわからなかったわ。貴女、まだここにいたのね』


 すれ違うたび、そうした小さな嫌味をぶつけてきた同期。

 経理課に所属する凛とした佇まいの迫力美人と営業課のエリートは、あまり公にはされていないが家同士の約束で成り立つ許嫁という関係性なのだという。

 そんな彼女と、京極がひそかに想いを寄せている新人の姿が揃って見えない、というのはどうにもおかしい。


 総務・経理フロアから飛び出し、まずはお約束のトイレを覗いて不在を確認し、ロッカーに行ってそこに誰もいないことを見てから、さてどうしようかと彼女は少し迷った。

 と、その時


「……って、……のよ!」


 感情的な叫び声が聞こえた気がして、くるりと振り返るとそこにあったのは非常階段に続く無機質なスチール製のドア。

 まさか、と思いながらきしむドアを開けると。


「だから、貴女からアシスタントを辞めたいと言えばいいのよ。それくらい簡単なことでしょう?」

「そんなっ!あたしは、高遠先輩の仕事を引き継ぐために頑張ってるんです!なのに今からアシスタントを下りるなんて……無理、ですよ。したくないですっ」


 艷やかな黒髪を風になびかせる迫力美人【樋口(ひぐち) 蘭子(らんこ)】と、ふわふわ柔らかそうなブラウンヘアを可愛らしくシュシュでまとめた【七瀬(ななせ) 星璃(ひかり)】が、実に険悪な雰囲気を醸し出してそこにいた。




(あー……手遅れ、でしたか……まさかこんな寒いところにいるなんて、普通なら考えませんし。でもだからこそ止めないと、です)


 話の主導権が樋口蘭子にある段階で、ここへ誘ったのは蘭子の方だというのはわかった。

 誰にも邪魔されずに星璃を問い詰めたいからここを選んだ、というのも。

 だとするなら余計に、さっさと二人を中に連れ戻さないとますますヒートアップしてしまうことくらい、簡単に予想がつく。

 支社長も言っていたではないか、近所迷惑になるな、と。


 体のいい建前を思い出した彼女は、小さな体を生かしてするりと二人の間に体を滑り込ませた。

 背中側に後輩を庇い、同期に向き合う格好で。


「ストップ。樋口さんも七瀬さんも、()()()はそのくらいにしてそろそろ中に戻りましょう?」

「……なんで、ここに」

「樋口さんの声、廊下まで聞こえましたよ?さっき支社長も言ってましたよね、近所迷惑はダメだって。だからほら、中に戻りましょう」


 暗に『誰かに聞かれたら困るでしょう?』という意味を含ませてそう言うと、星璃がハッとしたように息を呑む気配が伝わってくる。

 一方彼女を睨みつけた格好のまま微動だにしなかった蘭子は、その勢いのまま玲を見下ろし……「なんでよ」と小さく呟いた。


「…………ねぇ、引き継ぎってどういうこと?顕さんと貴女のコンビは最強だから、って営業課長も言ってたじゃない。なのに今更、どうしてこの子に引き継ぐの?」

「えぇっと……」


 まさか自分に矛先が向けられるとは思っておらず、玲は視線を泳がせながらどう答えたものかと考える。



(とにかく今は、七瀬さんから気をそらすことが先決、ですよね。しょうがない、ちょっとだけネタバレしちゃいますか)


「えぇっと、実はですね樋口さん。私、十歳違いの姉がいるのですが」

「…………はぁ?いきなりなにを」

「いいから聞いてください。うち、実な両親が早くに亡くなってまして、当時高校生だった姉が頑張って働いてくれたお蔭で、四年制の大学に行くこともできたんですよ」

「そう、ご両親が…………って、ちょっと待ちなさいよ。貴女、私と同期よね?年齢的におかしいじゃない」

「そこはほら、姉のためにと思って必死で単位取りまくったんです。そしたら二年の段階でもう単位数満たしちゃいまして。あまりに異例ってことでしたけど、二年で卒業資格もらえたんですよ」


 玲の両親が相次いで病死したのは、彼女が七歳の時。

 十歳年上の姉は当時まだ高校生だったが、彼女は気丈にも幼い妹は自分が守るのだと言って親戚筋の誘いを全て断り、父の友人だという弁護士の力を借りて後見人を立ててもらい、両親の遺産が食いつぶされることのないようにしてくれた。

 そして己自身も弁護士資格を取り、更にその父の友人である弁護士の息子と恋に落ちて結婚、その後は夫婦揃って玲を見守ってくれている。


 大学まで出ていないと社会に出ても大変だからと言われて入学したまでは良かったが、莫大な学費がどうしても気になった玲は鬼のように単位を取りまくり、そして異例のことだが二年時に卒業論文を仕上げて見事卒業資格を勝ち取った、というわけだ。

 故に、この会社に入った当初の彼女は二十一歳、蘭子は大学を普通に卒業しているため二十三歳、と二歳差の同期というわけである。


 どうして今彼女がそんなことを説明しているのか、というと。


「えーと、ですね。その姉の娘……つまり私の姪なんですけど、今度海外留学することになりまして。姉も義兄も国際弁護士というわけではないですし、でも一人でなんて行かせられないですから、私が一緒に行くことにしたんです。二人には、返せないほどの恩がありますから」

「…………」


 だからですね、と玲は子供に言い含めるようにゆっくりと続ける。


「私、三月までで退職するんですよ。七瀬さんはその代わりです」




(…………なにか言ってくれませんかね?沈黙が痛いんですが)


 ヒュゥゥ~、っと身を切るように冷たい師走の風が吹き抜ける非常階段。

 暖かい社内から出てきたこともあって、三人とも似たり寄ったりの寒々しい格好だ。

 クシュン、と背後で可愛らしいくしゃみの声がしたことで、玲は念を押すように「もう戻りませんか」と蘭子に声をかけたのだが。


「戻りたいなら貴方だけで戻りなさいよ。まだ私の話は終わってないわ」

「えぇー?こんなとこで話すより、後日時間取ってじっくり話した方がよくないですか?」

「貴方には関係ないでしょ。ほら、さっさと戻りなさいよ」

「いえあのですから、このままだと他の人……例えばさっきまで話してた京極さんとかが探しに来ちゃいますよ?さすがにこの状況、見られたらまずくないですか?」

「っ!」


 ギリッと音がするほど歯を食いしばり、蘭子が玲を……というよりその背後にいる星璃を睨みつける。


(あぁ、この人は気づいてるんですね。京極さんが、誰を見てるか。自分の想いが、叶わないってことを)


 明るくて、前向きで、ひたむきな星璃。

 そんな彼女に惹かれ、手を貸してやる男性社員は多い。

 女性社員であっても手を差し伸べたくなるような、まるで万人受けする物語のヒロインのような彼女。

 顕が彼女に向けていた妹に対するような視線は、やがて切なく焦がれるようなそれに変わってきた。

 そのことに、蘭子が気づかないわけがない。

 誰よりも彼を見つめている彼女なら、きっと真っ先に気づいたはずだ。


 わかっている、だけど諦めきれない。

 そんな想いに堪えきれなくなって、星璃を呼び出し牽制しようとしている。

 彼女は彼の許嫁だ、婚約者とは違い法的拘束力も何もないけれど、それでも想いは止まらない。


 だけど、と玲は思う。


(そんなことをすれば、誰よりも京極さんが一番怒る。だから、止めなくちゃいけないんです)



「もう、中に入りましょう」

「…………なたに……貴方に何がわかるの!誰にでもいい顔して、誰にでも可愛がられる貴方にっ!!たった一人、愛されたいと想って何が悪いの!?」


 それは、蘭子の心の悲鳴だった。

 綺麗にメイクされた顔を歪め、声を張り上げる彼女を見て玲は顔をしかめる。


 ただ、止めなくては ──── そう思って伸ばそうとした手は、簡単に叩き落されてしまう。


「だから!貴方には関係ないって言ってるでしょ!いいからそこをどきなさいったら!!」


 ドン、と強く押された肩。

 力をなくした小さな体は、階段に向かってゆっくりと後ろ向きに落ちていき、途中でワンバウンドしてまた宙に舞う。


「先輩っ!!誰か!誰か助けてっ!!」


 叫ぶ声は、後輩のもの。

 同僚は声もなくその場に蹲り、きっと真っ青な顔で泣きそうになっていることだろう。


(……ここで死ぬ?……もうちょっと、足掻きたかったです、ね)


 綺麗な満月を見上げながら、玲はふと気づく。

 万有引力の法則に従って落ちているはずの自分が、妙に冷静に考え事ができているという事実に。

 本当ならもうとっくに、地面だか階段だかに落ちているはずだということに。



「誰か、助けて ───────── !!」


 星璃の声に呼応するかのように、目もくらむような眩い光があっという間に視界を覆っていく。

 そして


 そして、彼女の意識は完全にホワイトアウトした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ