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死ねない鬼の異世界道中  作者: nomaD
緑の章
39/42

下弦の月

「攻撃班は詠唱開始! 60秒後に発射のタイミングを合わせよ!」



 アザリアの号声に応じ、次々と呪文を詠唱する声が生まれる。

 光を断たれた闇の中には幾つもの光の曲線が描かれ、攻撃の意志が魔法という力に昇華されていく。

 ある者は氷柱を、またある者は魔力そのものの刃を、3組6人の術者が編み出した魔法が、解き放たれる瞬間を目前に昂ぶるように輝きを増す。

 アザリアの号令からきっちり57秒後に威焔の肩が叩かれ、光と音とを遮る壁が取り払われる。

 視界に飛び込んでくる風景。

 薄ぼんやりとした灯り、それに照らし出された緑青の壁と、赤、白、肌色の生命。

 術者たちはそれらを睨めつけ、一斉に魔法を解き放った。



隠者の魔爪エッジ・オブ・グラッジ!』

冬の女王の抱擁ハーシュ・エンブレイス!』

約束された死(ミスティルテイン)!』



 それらの魔法が着弾するより早く、アザリアの怒号が飛ぶ。



「突入!」



 放たれた魔法は燐光で奇跡を描き、地を這う軌道から天上へと舞い上がり、赤と白の蟻たちの頭だけを見事に撃ち抜いて見せた。

 号令に応じて、威焔の他に7人のエルフが洞窟内に駆け出している。

 彼らエルフの手には黒に近い濃緑の短剣が握られ、倒れた白い蟻たちの心臓めがけてその短剣が打ち込まれる。

 威焔は真っ直ぐに赤い蟻に向かって走り、巨大な体躯が地に伏す前に刀を縦に一閃、胸部と腹部の継ぎ目を力任せに断ち切った。

 アザリアと術者6人も合流し、死んだ蟻の腹を割いて仲間の遺体の有無を確認して、確認を終えた蟻の死体を引きずって洞穴の奥にまとめていく。

 赤い蟻の解体も手早く行われ、その腹から解放されたエルフたちは次々と他の要救助者の元まで運ばれる。



 相談(・・)の結果、やることはほとんど変わらなかった。

 理由は単純明快。

 彼らの仲間の救助を進めるのにも、強敵であるキメラを倒すにも、どちらにも威焔が不可欠だと結論付けられたから。

 道なき道に足場を作って移動を可能にし、魔法を発動させるための時間を確実に稼ぎ、蟻たちの毒を受けても動けて治癒が可能。

 備えがあれば、それらはどれもエルフたちで可能になったことだろう。

 しかし、無いものは無い。

 威焔が希望した救助とキメラ討伐の同時進行案は敢えなく廃案となり、エルフの部隊統率経験が豊富なアザリアに指揮を任せることで行動の効率化が図られた。


 彼らエルフが手にする短剣は、威焔が作り出したものだ。

 素材は土。

 洞穴を構成する緑青の土をふんだんに使い、高温で圧縮して作った。

 見た目と大きさの割に非常に重く、研磨されていない刃に斬れ味は皆無、貫くことに特化された貫通性と頑健さだけが売りの粗悪品。

 作った威焔本人も、受け取ったエルフたちも、無いよりマシと妥協した。



「報告します! 通路の照合完了しました。この地点との接続はポイント8、12、13、14、15の5箇所です」

「そうか……では終わり(・・・)だな……ご苦労だった。引き続き後方の警戒を」

「承知しました」



 走り去る女性エルフを背中を見送りながら、アザリアが溜息をこぼすように威焔に声をかけた。



「聞こえていたな?」

「ん。残るは1箇所、親玉のとこだけだな。相談して良かったわ。ずいぶん助かった」

「それはこちらの台詞だろう」

「っと、治癒完了! あとは任せた!」



 威焔に声をかけられた女性エルフが、最後の生存者である全裸の男性エルフの介助を引き継ぐ。

 その様子を見下ろしながら、アザリアは口元に苦笑いを浮かべ、不可解だという様子で眼下の異種族の男に疑問を投げかけた。



「おまえのお陰で我らは助かった。おまえに我らを助ける利があることは知っているが、それは命を賭けるほどの理由たり得るのか? 何がおまえにそこまでさせている?」



 アザリアのもっともな疑問に、今度は威焔が苦笑いすることになった。



「ぼくは命なんか賭けてないよ」

「死なない自信があるということか?」

「死なない自信……ってわけじゃないな。死ねない(・・・・)んだ」

「……おまえは詩人か何かか?」

「譬え話じゃないよー?」



 アザリアは――聞き耳を立てていた周囲のエルフたちも一緒になって、首を傾げてしまった。

 威焔はまた苦笑いをして立ち上がり、彼らから少し離れると、鞘から刀を抜いて自分の胸に突き刺し、貫き、引き抜いてから首に刃を当て勢いよく振り抜いた。

 前のめりに倒れる体。

 切り離されて転がる頭。

 先に貫かれた心臓は血を巡らせる機能を失い、胸と背中の穴から、頭を失った首から、力なく血を垂れ流す。

 彼が刀を抜いた時、「は」とも「な」ともつかない声が湧き、彼の言葉を聞けていなかった者は声を失い、彼の言葉を聞けていた者は「まさか」と口にして成り行きを見守った。

 アザリアもまた、言い表わしようのない不安と期待とが胸に去来していることを感じていた。

 そんな彼らの心情など意に介さぬとでも言うかのように、威焔の頭部は瞬き一つの間に復元される。

 血を流していた背の傷も何事もなかったかのように消えてなくなり、その身を浸す血溜まりだけが、彼の言葉が事実であると雄弁に語っていた。



「うへー……また洗わなきゃ」



 起き上がるなり開口一番に愚痴を吐いた彼の姿に、誰ともなく畏怖の言葉が呟かれる。



怪物(バケモノ)……」



 顔と裸の上半身を血に染めた彼は、その言葉が聞こえていたのだろう。

 固まって動かないエルフたちを一瞥すると、今にも泣き出しそうな目をして、苦笑いを浮かべた。

 どっこいせと声を挙げて立ち上がり、湯を生成して頭から被り、血を洗い流していく。


 アザリアが震えた。

 白い肌を紅潮させ、拳を握りしめて。

 くるりと踵を返し、仲間の一人に足早に迫ると、握りしめていた拳をその頬に叩き込んで、吼えた。



「貴様の命は誰が拾ったものか! 恥を知れ!!」



 烈火の如く怒りを露わにするアザリアに、殴られた女性は口から流れ出る血もそのままに、伏して許しを乞うた。

 なお冷めやらぬ怒りの視線でエルフたちを睥睨すると、座す者、立つ者の別なく、その場で片膝を着いてアザリアへの恭順の意を示す。

 彼女はその様子に一言も発することなく、呆気にとられて固まる威焔の眼前まで歩み寄ると、足元の水溜りを意に介さず片膝を着いて頭を下げた。



「恩人に対する無礼をどうかお許」

「とう!」

「いっ!?」



 鈍い音が響き、アザリアの頭が沈む。

 威焔が振り下ろした手刀が、アザリアに言葉を続けさせることを阻んだのだ。

 打たれた場所が痛むのか、両手で後頭部を押さえた彼女の手に、威焔の手が重ねられ、治癒魔法が痛みを奪っていく。

 目から溢れた涙だけは消え去ることなく頬を伝うが、顔を上げた彼女の頬に触れた指が、それすら拭い去ってしまった。



「ぼくはまだ恩人にゃなれてなかんべ?」

「そん」



 反論のために開いた唇も、彼の指が止めてしまう。



「昔な、誰かが言ってたんだ。家に帰るまでが遠足ですってな。あんたらを生きて家に帰らせるまでが、ぼくの仕事だ。ぼくを恩人だと言ってくれるなら、それからにしてくれ。な?」



 困ったような表情で紡がれる言葉は柔らかな声音で語られ、その音から滲み出る労りと願いの感情が、アザリアの緊張を解きほぐす。



「あんたらに葬儀の風習があるのかどうかは知らんけど、もしもあるんなら、死人も弔ってやりたいだろ」



 そう言ってアザリアの頭を一撫でして笑いかけると、彼は立ち上がり、口から血を流し続ける女性の元へ歩いていった。

 彼の足が一歩進む度に女性の震えは大きくなり、歯の根が噛み合わずにガチガチと音を立て、跪いて伏せられた顔、その頬に彼の手が触れた瞬間、風の音のような悲鳴を挙げながら汗と涙とを噴き出して、ついに失禁してしまう。

 彼は構わず、頬に触れて口の傷を癒し、湯で女性の全身を濯ぐと、風で巻いた。

 暖かな風で乾かしながら、語りかける。



「怖がらせる気はなかったんだ。ごめんな。あんなもん見たら怖れるのは仕方がない。それでいい。ぼくは確かに怪物(バケモノ)だから。

 眠れぬ夜を過ごさずに済むよう、祈るといい。ぼくが敵にならないようにと。それか、悪い夢でも見たんだと思って忘れてしまうといいよ。たぶん敵になることないからね。

 ……さ、乾いたかな?」



 乱れた金の髪を指で梳いて整えると一つ頷き、その女性の手を取って一緒に立ち上がり、水滴が見当たらないことを確認して手を放した。



「さて。一旦この辛気臭い穴倉から出ようか」



 彼がそう呼びかけると、アザリアは神妙な顔で頷き、他のエルフたちも動き出す。

 その場にいなかった者たちの元へも伝令が走り、洞穴の分岐点で合流すべく、移動が開始される。

 新たな生存者は29名。

 44人と7人の遺体との大移動を出迎えたのは、雲一つない夜空に浮かぶ下弦の月。

 未明の森はかまくらの中の焚き火の灯りで影を揺らし、エルフたちの帰還を受け容れた。


 ――そして響く崩落の音。

 崩れ去った穴の入り口だった場所で、鬼の刀を抱いた女の叫び声がいつまでも響き続けた。

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