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笑うバーツラフ  作者: 深瀬静流
2/14

怒りんぼの王様

「どうなることかとおもったよ。ツムグを見失いそうになっちゃってさ。あせったよ」

 地面にへたり込んで千早はゼイゼイ息を整えた。

「パパ。ここはどこだろう。なんか、へんなところだよ」

「へんだって? どこが」

 よろよろと立ち上がって、あたりを見回す。

 何もない世界。白っぽい乾燥した地面に立っているのだけはわかる。昼と夜のあわいの時間。風もない。暑くも寒くもない。無音の世界。

「ほんとだ。かわったところだね」

 どうでもいいような千早の言い方に紡はムカッとした。

「それだけ? ここはどこだろうとか、どうして何もないんだろうとか、人はいないのだろうかとか、思わないわけ? あるのは地面と空気だけなんだよ?」

「どうでもいいよ。そんなこと。宝物庫の扉にできた光のトンネルをくぐってきたというだけで、僕の頭はパニックだからね。ありえないでしょ。SFでも、ファンタジーでもないんだからさ。これを現実と認められるわけないよ。だって、僕はまともな大人なんだからね。アキバで二次元の世界に浸りこんでいるオタク族と違うもん」

「気持ちはわかるけどさ……」

「僕は、ちゃんとした社会人で、一児の父親で、実家の両親に息子の世話を頼みながら、真面目にこつこつ働いている小市民なんだよ。愛する妻に先立たれ、セカンドラブを夢見ながら、死んだ妻のことが忘れられなくて、こうして真美が行きたがっていたチェコへ息子とやってきた、ただのロマンチストなんだ。何の変哲もない僕が、この状況に対応できると思うかい? 子供のツムグのほうが、よっほど柔軟で、ありえない状況にも対応できるんじゃないのかよ!」

「なんで怒鳴るんだよ! 大きな声をださないでよ! パパは大人なんだから、大人らしく落ち着いて子供のぼくを安心させてよ。こんなおかしな世界じゃなく、もとの世界につれて帰ってよ!」

「そうだよ! 戻ろう!」

 千早は紡の手を掴むと、まだ弱い光を放って揺らいでいる扉のほうに振り向いた。

「戻ろう。あの扉に飛び込めば、きっと帰れるよ」

 千早が声を大きくしてそういった。紡もそう信じた。二人は勢い込んで揺らいでいる扉に飛び込もうとした。しかし、発光している扉の輝きはみるみる収束していって、七つの鍵穴がある扉は、ただの頑丈な扉に戻ってしまった。

「わあ! パパがよけいなおしゃべりをしているから、ドアが元にもどちゃったよ。どうするんだよ。帰れないよ!」

 千早の顔色も変わっていた。すぐさま扉に取り付いて、叩いたり押したり、肩で体当たりし始めた。

「だめだ。びくともしないよ」

「どうしょう! どうするの!」

「知らないよ、そんなこと! 僕のほうが聞きたいくらいだよ」

 千早はポケットから携帯電話を取り出して、狂ったように指を使い出した。

「添乗員の田中さん」と言いながら、携帯電話を操作していたが、途方にくれた目を紡に向けた。

「つながらない。と、いうか、まったく携帯電話が作動しない。電波が届かないんだ」

「ちがうよ! 電波の基地局がないんだよ。電波塔そのものがないんだよ。きっと人工衛星だって飛んでいないよ。見てごらんよ。ここは何にもない世界じゃないか」

「ああ。そうか。そういうことか」

「そういうことって、今頃気がついたのかさ」

「そうじゃなくて、ツムグ。ぼくたちは死んだんだよ。ここは、きっと、三途の川への一里塚なんだ」

「三途の川? 渡し舟に乗るのに六文銭がいるっていう、あれのこと?」

「よく知ってるね」

「テレビでやってたもん」

「へええ。学校に行かなくても、テレビを見ているだけで社会勉強ができるとは、楽な時代だよね」

「パパ。もうすこし深刻になってよ。この状況がわかっているの?」

「落ち着こう。少し休もうよ。僕は脳が疲れるとぐったりするんだ。それにビジュアル系だから体力もないんだよ」

 千早は、よろよろ紡に歩み寄って地面にへたり込んだ。そんな父親を頼りなくおもったが、たしかに紡も少し休みたかった。頭が混乱していて、状況を分析するには腰をおろして休憩したほうがいいとおもった。

 地面に座ろうとしたときだった。針のように細い一メートルほどの長さの棒が飛んできた。その棒は地面に突き刺さって細かく振動した。ぷうーんという蜂の羽ばたきのような音がした。先端には矢羽のようなものがついている。金属部分はキラキラ光っていて、矢羽は蜘蛛の糸で編んだように薄く透き通っていた。

「なに。これ」

 紡が顔を寄せてよく見ようとした。

「愚か者め。立て。立って走れ!」

 紡のフードの中に納まっていた頭蓋骨が喚いた。

「うわあああ! 骸骨がぼくのフードの中にいるよ。パパ、取ってよ」

 紡は驚いて飛び上がった。

「あれが見えぬか! まぬけども。あれに巻き込まれたら死ぬのだぞ」

 頭蓋骨に叱責されて千早も飛び上がった。親子して後ろを振り向くと、はるか彼方に、もうもうと土煙が上がっていた。

「なに、あれ」

 千早は、みるみるかさを増していく土煙に目をまるくした。そうしている間にも、針のような矢が次々に飛んでくる。

「パパ。フードの骸骨をなんとかしてよ」

 紡が、土煙とフードの中の骸骨を気にしながら千早の腕を揺すった。

「待って、ツムグ。あの土煙の中から、だれかが出てきたよ」

 見ると、入道雲のように高く湧き上がった土煙の中から、若者が一人飛び出してきた。

 髪を頭頂部で一つに丸めて、武器にもなりそうな棒状のかんざしを横刺しにさしている。着ているものは、袖もズボンの裾もたっぷりふくらんだトルコ風のデザインで、ウエストを幅の広い布できゅっと締め付けている。その服の上に、ふくらはぎまで届く長い袖なしの上着を着ていた。

 背が高く肩幅の広い十八歳ぐらいのみごとな若者は、猛烈な勢いでこちらに向かって走っていた。銀の針の矢が千早の頬を掠めた。頬に当たらなかったものの、かすっただけで火傷したような痛みに飛び上がった。紡の頭すれすれにも銀の矢が飛んできた。紡の癖っ毛の髪が、矢に巻き込まれて何本か抜けた。

「痛い!」

 思わず頭を下げて矢が飛んできたほうを見た。紡の目がまん丸になった。

「なにあれ……」

「なんだ?」

 千早もあんぐりと口をあけた。

「愚か者めが! 走れというに! 逃げろ! 追いつかれるぞ!」

 頭蓋骨が紡のフードの中で叫んだ。千早と紡は夢中で走り出した。あんなに遠くにいた若者が、ものすごいスピードでぐんぐん近づいてくる。走る速さはオリンピックのメダリストだってかなわないすごさだ。

 若者は、腕に果樹の苗木を抱えていた。苗木にはりんごくらいの大きさの黄金色の果実が生っていて、今にもちぎれて枝から落ちてしまいそうなほど揺れていた。

 銀の矢は、若者を狙って雨のように降りそそいだ。流れ矢が紡と千早を掠めて飛んでいく。二人は悲鳴をあげながら、猛然と走り出した。いくらも走らないうちに紡の足が遅れだした。子供が全力で走っても、大人の千早についていけるはずがない。

「パパ」と、声に出して千早に助けを求めたが、千早は逃げるのに夢中でぐんぐん遠ざかっていく。紡の息が切れて膝ががくがくしだした。千早ははるか前方をすばらしい脚力で走っている。

「なにがビジュアル系だから体力がないだよ。子供のぼくのほうが、ぜんぜん体力ないよ」

 文句も息が切れているから絶え絶えだ。若者の足音が背後に迫ってきた。そうしているうちに、足音だけでなく激しい呼吸音まで聞こえるようになった。紡は後ろを振り向くのが怖かったが、振り向かずにはいられなかった。

 自分が見たものが信じられなかった。眦を吊り上げ目を血走らせて必死の形相で走ってくる若者の後ろには、蝶の群れが一面に広がっていた。

 若者は、蝶の群れに追われていたのだ。いや、蝶から逃げていた。半透明の羽を持つ銀色の蝶は、広げた羽の幅が十メートルくらいあった。頭の触覚から尻尾までなら十五メートルぐらいあるだろう。巨大な銀色の蝶の群れは、まるで戦場の馬のように頭に兜をかぶり、胴には鞍を置いていた。その蝶の一匹一匹に、少女たちが跨っていた。

 年のころなら十二歳ぐらい。ちょうど小学六年生ぐらいの少女たちだ。透き通るような薄い真珠色の布地をまとった少女たちは、おのおの手に弓を持ち、頭に銀色の兜をかぶり、魚の鱗のような銀色の鎧を身につけて、背中に矢が入った矢つぼを背負っていた。

 妖精のように美しい少女達は、真剣な表情で背中の矢を引き抜いては、弓を引き絞って若者に向けて放っていた。風を巻き起こしなが若者が紡の横を走り抜けていった。

「え? うそ!」

 あまりの速さに目がまん丸になった。千早からも若者からも取り残されてしまった紡は呆然とした。蝶の軍団が巨大な羽を羽ばたかせながらぐんぐん近づいてくる。羽に煽らて巻きおこる風もしだいに強くなってくる。もはや紡はパニックだった。

「子供よ。おまえを置いて行った男は、まさか、実の父親ではないよな」

 紡のフードの中で、頭蓋骨がのんびり問いかけてきた。

「そのまさかだよ! 正真正銘の父親だよ!」

 やけくそになって怒鳴った。フードの中に骸骨がいたことも、その骸骨がしゃべることも、どうでもよくなっていた。怖いとか、不思議なことだとか、そんな余裕はなくなっていた。走っている足が限界に来ていてよろよろした。肺も破れそうに痛い。

「親が子を置き去りにして逃げて行くとは、捨てられた子が憐れである。よかろう。余が力を貸そう」

 そういうと、頭蓋骨はパクッとフードを噛んで空中に舞い上がった。そのまま上空を飛んでいく。

「ウワアアアア――。飛んでるよお」

 蝶の軍団よりも高く上がった紡は大声で叫んだ。逃げていく千早と若者と、それを追う蝶たちが眼下に見えてくる。

 上空から見ると、蝶たちは疲れているようにみえた。羽ばたいている羽の動きが鈍く、羽ばたくごとに羽の銀粉がキラキラと舞い落ちていく。銀粉が剥がれていくごとに蝶たちは弱っていくようだった。それを、蝶にまたがった少女たちが、さかんに踵で蝶の脇腹を蹴ってけしかけていた。上から見ていると、蝶たちがかわいそうな気もした。だが、少女たちも力を使い果たしているようだった。

 頭蓋骨は紡を軽々と運んで千早のところまで飛んでいった。

「ツムグ! なんで空を飛んでるの。ずるいだろ、自分だけ楽をしてさ!」

 走りながらこぶしを突き上げて文句をいってくる千早に、紡は言い返す気力もなかった。若者が、ついに千早を追い越した。若者に先を越されたのが悔しかったのか、千早も意地になってあとを追う。蝶の軍団は限界に達したらしく、次々と地面に墜落していった。ほとんどの蝶が地面に横たわって羽を弱々しく動かしていたが、一匹だけ力が残っていた蝶がいた。

 背中に乗っている少女は、中でもとりわけ美しかった。銀色の髪を背中に流して、頭に兜ではなくティアラをつけていた。銀色のティアラの中央には、真っ青なサファイヤが輝いている。その青は、少女の瞳と同じ色だった。

 ティアラをつけた少女、祈りの姫は、今にも落下しそうな蝶を叱咤して、最後の一本になってしまった矢を弓に番えた。

「そこの男。逃げよ! 乾いた大地から脱出するのだ。草の地を踏むがよい」

 上空で頭蓋骨が千早に向かって叫んだ。祈りの姫がその声のありかを探して顔を上に向けた。迷わず矢の先を紡に向けた。

「うわあああ。ぼくは関係ないからね。殺さないでえ」

 祈りの姫の眉間が狭まった。首をかしげて考えるそぶりをする。

「ぼくは、この世界の人間じゃないからね。紛れ込んだだけだからね。その矢をあっちに向けてよ。あっちの、皮ジャンを着たおじさんを狙ってよ。あのおじさんだったら撃ってもいいよ」

 理解したように少女は標的を千早に替えて矢を放った。シュンと空気を切って一直線に千早の背中に飛んでいく。祈りの姫が狙ったのは若者だったが、矢は千早が走っている方向だった。紡は自分で千早を撃つようにいっておきながら青くなった。

「パパ! 危ない!」

 つまずいて、ずでんと転んだ千早の上を、銀の矢はシュッと音をたてて通り過ぎ、地面に刺さった。

 祈りの姫は悔しそうに顔を歪めた。もう矢は尽きていた。乱暴に鎧を脱ぎ捨てて、無用になった弓と矢つぼも捨てた。力尽きたように蝶がふわふわと落下していき、地上に着地すると、蜘蛛の糸で編んだような銀色の薄い衣を着た少女は、蝶の背中から飛び降りて走り出した。

 置いていかれた少女たちの泣き泣き声がした。はるか後方で、息絶え絶えで地に伏している蝶の軍団からも悲鳴のような鳴き声がした。

 蝶たちはもがき、少女たちは倒れたまま両手を伸ばして必死に祈りの姫に何かを訴えていた。祈りの姫は、仲間達が発する声に足を止めて振り返った。倒れていた少女たちが力を振り絞って次々に立ちあがり、祈るように胸の前で手を握り締めた。

 彼女達の声は、紡には声ではなく体に感じた。音波が空気を伝わって耳の鼓膜を揺らすように、少女たちの声は、投網のように紡の体に絡んで締め付け始めた。身動きできなかった。何本ものロープでぐるぐる巻きにされているみたいだ。千早と若者も同じように動きをとめてもがいていた。祈りの姫は、若者と自分を隔てている距離を目測して唇をかんだ。祈りの姫が立っている地面は乾燥した大地だったが、若者がいる地面には、芽生えたばかりの瑞々しい若草が生えていた。

 乾いた地と草の地。それがなにを意味するのか紡にはわからなかったが、祈りの姫の怯えた表情は紡を不安にさせた。そうしているうちにも後方の少女たちの声は、強力な音波となって紡や千早、そして若者をぎりぎり締め付けていった。

 紡がもがいてもびくともしなかったし、千早の抵抗も空しかった。しかし、若者はそうではなかった。顔を真っ赤にして歯を剥きだし、血管が切れそうなほどの力で見えないロープを引きちぎった。遠くで少女たちが、突き飛ばされたように撥ね飛んだ。それは、若者との力勝負に負けたことをあらわしていた。

 若者は果樹の苗木を抱えなおすと、激しい息遣いで猛然と走りだした。祈りの姫が、後ろで地に伏せている蝶を振り返った。蝶は、祈りの姫に応えるように羽を小刻みにふるわせた。巨大だった蝶の体がみるみる小さくなっていった。しまいには桜の花びらぐらいの大きさになって、ひらひらと祈りの姫のところに飛んできて、彼女の髪に止まって羽を閉じ動かなくなった。祈りの姫はもう一度、自分の仲間達を振り返った。巨大なままの蝶と少女たちは、先ほどとは違う音波を発していた。

 哀切きわまりないか細い波動は、やがて別れと祈りを捧げるように美しい周波となって広がっていった。

 祈りの姫は赤い唇を引き結ぶと、決然と若者のあとを追って走り出した。

「わあ。置いていかれるよ。骸骨のおじさん。あとを追ってよ。こんなところで一人になったら、どうしていいかわからないよ」

 紡が空中で泣き言をいったら、骸骨が憮然として、「余は骸骨のおじさんなどという名ではない。ヴラチスラフ1世と、妃ドラミホーラの長男にして、ボヘミアの初代の王である。名はバーツラフという」と、いった。

「バーツラフのおじさん。いいから、おいかけてよ」

「二十八歳の余をおじさん呼ばわりするとは、なんと無礼な子供だ。鞭打ちの刑にしてやるぞ」

「おねがいします。王様! ぼくはほんとに子供なんだよ。まだ十年しか生きていなんだ。だから、鞭打ちの刑にするなんていわないでよ。パパのところに連れて行ってよ」

「しかたがない。乗りかかった船だ。それに、あの暗黒の世界から抜け出せた恩義もあるしな」

 そういってバーツラフは、紡を咥えて空を飛んだ。乾いた大地の世界に別れを告げ、草の地の領域に入った。少し飛んでいると、細い樹木が点在し始めた。遠くに小さな小川のきらめきも見える。乾いた大地の領域では、日が昇っているのか沈んでいるのかわからない、気が滅入る明るさだったが、緑の草の地は正午くらいの爽やかな明るさだった。そよ風も吹いているし、草原の若草は目にしみるし、樹木は林のようになってきている。

 バーツラフに咥えられて上空を飛んでいる紡は、美しい世界に目を細めた。

「きれいだね。さっきのところとは大違いだ。さっきのところが死の世界だとしたら、ここは生命の世界だね。きっと生き物もいっぱいいるね。ねえ、王様」

「さあ。余の知らぬ世界だから、余にはわからぬ」

 頭蓋骨のバーツラフは、そういって、機嫌よさそうに目を細めた、ような気がした。

 何もない乾いた大地の世界は生きる気力も希望もなくしてしまうが、緑と水と陽光がある世界なら、生き物は命を生み出し、繁栄していける。紡と千早にも、生きる可能性があるということだった。しかし、陽光はあふれているが、空に太陽が出ていないことに紡は気づいていなかった。

「たしかにここは美しいが、おまえたちがここで生きていけるとは限らんぞ」

 紡のフードを咥えて空を飛んでいるバーツラフが、こんどはそんなことをいった。

「どうして?」

「おまえたち親子の命の在り方と、この世界の命の在り方が同じとは限らぬからだ」

「どういうこと?」

「りんごの木にブドウの木を接いでも枯れてしまうのと同じことだ」

「ふう~ん? よくわかんないや」

 そんな会話を交わしているうちに千早に追いついた。若者と祈りの姫は走り去ったあとで、しょぼんと草の上に腰をおろしてうなだれていた。バーツラフは紡を草の上におろすと、またフードの中に納まった。

「パパ。さっきはぼくを見捨てたでしょ」

 千早の横に腰をおろしながら紡は父親を睨みつけた。千早はちらりと紡を見てから拗ねたように足元の草をちぎった。

「見捨ててないよ。ついてきていると思ってたんだよ。紡こそ、ぼくを狙えって、あの女の子に怒鳴っていたよね。聞こえたんだからね」

「当然でしょ。親なのに、子供を置いて逃げたんだから」

「逃げてないよ。ほんとに後ろにいると思ってたんだよ。でもパパが悪かったよ。今度からは、逃げるときは手をつなぐからさ。ね?」

 紡は口をとがらせて返事をしなかった。パパはいつだって調子がいいんだから、とおもった。

「でもさ、紡。フードの中の骸骨が役に立ってよかったよね。その骸骨、ぼくのことも持ち上げられるかな」

「骸骨なんて言ったら怒られるよ。すごく偉い王様だったみたいだから」

「王様だって? この汚い頭蓋骨が?」

 千早は気軽に手を伸ばして頭蓋骨を掴み、そのまま空中に投げてキャッチしようとした。空中で頭蓋骨がポンと消え、目の前に二十八歳くらいの、中世の衣装を着た男がストンと降り立った。

 肩のあたりまであるブロンドの髪と彫りの深い顔立ちをした緑色の目の男が着ている服は、肩が風船のように膨らんでいて、胸や肩に金の糸で複雑な刺繍がしてあるワインレッドの上着を着ていた。胴を絞った上着の裾は腰を隠すくらいの長さがあり、白い厚手のウールのズボンはタイツのようにぴったりしている。靴は、膝の辺りまである黒皮のブーツだった。

 男は腰に帯びた長剣をひらりと抜いて千早の首筋に当てた。装飾を施した金の柄にガーネットの赤い石がはめ込まれている剣を肌に当てられて、千早は息を止めた。

「ボヘミアの王である余に向かって軽々しい口をきくとは打ち首ものだが、時の狭間まで運んでくれたことに免じて許してやろう。なにせ千年以上も同じところに閉じ込められていたのだからな。骨が腐るほど飽き飽きしていた。では、余はここで別れる。どこへなりとすきなところに行くがよい」

 バーツラフは剣を腰に戻すと、ニヤリと笑って若者と少女が去っていったほうに颯爽と歩きだした。

「まてまてまて。僕たちを元の世界に返してから行けよ。ここで放り出すなんて冗談じゃないぞ!」

 慌てて千早が文句をいった。しかし、ボヘミアの王は振り返りも出ず、ずんずん遠ざかって見えなくなった。


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