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笑うバーツラフ  作者: 深瀬静流
10/14

パパの一番はぼくだよね

 二人は強い力で水を蹴ってぐんぐん千早に近づいて行った。ディジュが千早の腕の中から紡をむしり取るように奪い、ぐんと水を蹴った。そのまま海面めざして上昇していく。

 バーツラフは、ほとんど失神している千早を抱えてディジュのあとを追った。海面では、ガブニとボナが心配して水の上を狂ったように走り回っていた。エルリラの背中から身を乗り出して海を覗いていたロージェは、海面を割ってザブンと顔をだしたディジュと紡に両手を差し伸べた。ぐったりした紡を抱きとってエルリラの背中に乗せるのをミレーゼが手伝う。

 バーツラフが千早を抱いて上がってきたので、エルリラの背中に戻ったディジュとロージェとミレーゼの三人がかりで千早を引っ張り上げた。ガブニとボナが急いで紡のそばに飛んできた。バーツラフがエルリラの背中に収まると、エルリラが悠然と大空に舞い上がった。

「姫よ」と、羽を大きく動かしながらエルリラが続けた。

「気をつけなさい。姫の悲しみの思念は、闖入者にとって命取りとなりかねません」

「だって。……ええ」

 小さな声で返事をしてミレーゼはうなだれた。みんなミレーゼの気持ちを理解していた。ミレーゼに悪気はなく、ただただ、里に帰りたかっただけなのだと。息を吹き返した千早と紡も、肩でゼイゼイあえぎながらもミレーゼを責める気にはならなった。ミレーゼの悲しみの周波が、どれほど紡たちにとって危険であったとしても、ミレーゼのことをかわいそうだとはおもっても、怒る気にはなれなかった。

 うなだれているミレーゼを見ながら、祈りの浜にたどりつけたらいいのにと千早は願った。いっぽう紡のほうは、ミレーゼにはわるいけど、一刻も早く柵の中の人たちを助けなければと決意を新たにしていた。

 紡と千早の思いは違っていたが、現状を打破して前進しなくてはならないという意思は共通していた。すると、はるか向こうに、島影が出現した。はじめは蜃気楼ではないかとおもった。島の形がゆらゆら揺れて、薄くなったり濃くなったり定まらなかったからだ。

「パパ! 島だよ」

 紡が指さして叫んだとたん、揺れる島影がぴったっと定着して、海に黒々と影を落とした。

「うん。島だね」

 千早も頷いた。やはり我々が願うと、そうなるのだと千早は確信した。ならば、あの島に上陸して、今度は祈りの里への道を願えばいいのだと表情を引き締めた。紡に先を越されないように、柵の中への道ではなく祈りの里へ導くのだ。

 千早の思惑など知らない紡は、ぐんぐん大きくなってくる島に胸を躍らせていた。しかし、近づいてみると島は鋭い山の集合体でできていて、地の果てのように殺伐としていた。

 浜の入り江は、船など近づくことのできない岩礁だらけで、泡をはらんだ白波が激しく岩に打ち付け、鋭く細く切り立った岩峰に当たって砕けていた。木どころか、雑草一つ生えていない岩峰は、今にもざらざらと崩れてきそうなほど脆い岩でできていて、上空から見ると針のように鋭い山が密集した世界だった。

 エルリラはみんなを下ろせる場所を探して浜に沿って飛んだが、降りられるような場所はなく、しかたがないのでエルリラが上空で停止しているあいだに岸に飛び降りることになった。

 バーツラフとディジュとロージェは五メートルもある高さから身軽に飛び降りて千早と紡を驚かせた。ガブニとボナも空気に乗ってふわふわと飛び降りる。

「ツムグの番だよ」

 千早が紡のわき腹をつついて促すが、とてもそんな勇気はない。

「ムリ、ムリ。へたすれば死ぬし、うまくいっても骨折だよ」

「そうだよね。こんな高さじゃ、無理だよね」

 千早もエルリラの背中で尻込みをした。

「ツムグよ。余が受け止めてやる。安心して飛び降りよ」

 下でバーツラフが叫んだ。大丈夫かな、王様は頼りになるのかな。紡はバーツラフの腕力を測るように考え込んだ。だって、王様はもともと骸骨だったんだよね。あの体に実体はあるのかな。いちおう触れば暖かいし体に肉もついているけど、力はどうだろう。

 首をひねっている紡にミレーゼが横から声をかけた。

「ツムグ。バーツラフなら大丈夫です。信じて飛び降りなさい」

「う、うん。ミレーゼがそういうなら」

 困った顔で千早を見ると、千早はバーツラフではなくディジュを見下ろしていた。

「僕はディジュでいいよ。なんといっても十代の若盛りだ。あの筋肉なら、僕を受け止められる。うん」

 その声が聞こえたのか、ディジュは肩をすくめた。バーツラフが下で両手を大きく広げた。

「さあ。ツムグよ」

「うん!」

 紡は勇気を出して、えい! とばかりに飛び降りた。確かな力でバーツラフがしっかりと受け止めてくれた。

「ありがとう。王様」

 ぴょんと磯に降り立って礼をいい、上空の千早を見上げる。ディジュが渋々両手を広げた。

「ディジュ。しっかり受け止めてくれよ」

 叫んで飛び降りた千早を、ディジュは軽々と受け止めた。

「ほんとうにおにいさんは力があるんだね」

 紡は感心してしまった。ディジュを褒められて喜んだロージェが、千早をつきとばして、べったりディジュにくっつき、うれしそうに笑う。ディジュもロージェを抱きしめて見つめ合った。

「だからさあ。おにいさんとおねえさん。子供の前なんだから、べたべたしないでよ」

 そうしている間にミレーゼが飛び降りて、ふたたび小さくなったエルリラがミレーゼの髪にとまった。

 上空から見ていたときは針の山のようだったが、地上に降りたら、まさに針の山だった。脆そうで細い石柱が林立していて、人ひとりがやっと通れる隙間はあるものの、道ともいえぬ谷間の道の先を見ると、迷路に迷い込んだような感覚になる。

 針の山がつくる谷は深く陽光を遮った。暗くて歩きにくい道を一列になって進みはじめたが、海を振り返ってみると、いくらも歩かないのに海は消えてなくなっていた。みんなは海の世界から針山の世界に入ったことを知った。

 カラコロと音がするので針山の先端を見上げると、岩が剥がれて転がり落ちてくる音だった。

「危ない! 走れ」

 先頭のバーツラフが叫んで走り出した。一人しか歩けない細い道なので、先頭のバーツラフが走ると全員が一列になって後に続いた。垂直に近い傾斜の山から落下した岩は、最後尾にいた千早の肩をかすって地響きをたてた。

「だいじょうぶ? パパ」

 前を走っていた紡が気づいて戻ってくる。

「うん。直撃はまぬかれたからよかったよ」

 そうしている間にも、カラコロという音がすぐ近くでする。その音は、そこでも、あそこでも、いたるところで起こりはじめた。それにつれて地響きも重複して伝わってくる。

「ものども。ここは危険だ。急いで谷道を抜けるぞ。走れ」

 バーツラフがあたりを見上げながら叫んだ。ぼろぼろとこぼれるように石ころが降ってくる。小石くらいのものもあれば、当たったら即死してしまうような岩盤まであり、避難場所もない狭い谷がみるみる落石で埋まっていく。

「行くんだツムグ」

「うん」

 千早に背中を押されるようにして走り出した。先頭のバーツラフはすでに遠くまで行っているし、ディジュはロージェの手を引いてものすごいスピードで走っている。そのあとをミレーゼが追い、ガブニとボナは紡たちを何度も振り返りながら、二人がついてきているのを確かめて前を走っている。

 紡と千早は頭を手でかばいながら、足元に落ちてくる石を避けて走るのにやっとだった。だから前を走るミレーゼがいきなり立ち止まったので、危うくぶつかりそうになった。

「どうしたのミレーゼ。走らないと」

 紡が息をきらせながらいった。立ち止まってしまったミレーゼに、千早も落ちてくる石を気にして顔をしかめた。

「わたしは、こちらの道を行ってみます」と、ミレーゼが右のほうを指さした。

「道?」

 指さすほうを見ると、針山を回り込んだところに細い道が隠れていた。これまでも谷道は、針山の数ほど無数にあったのだが、どの道も狭すぎて入っていけなかったのだ。ミレーゼが指さす道は、なんとか歩けるほどの幅があった。

「でも、みんな行っちゃったよ」

 バーツラフたちが走り去っていったほうを気にしながらいうと、ミレーゼは頑固に首を振った。

「ツムグたちは、柵の中を目指して旅をしているのでしょう? わたしの目的は違います。わたしが目指す場所は祈りの里です。このままツムグたちと行動を共にしていても、祈りの里にたどりつけるとは思えません。だから、わたしとエルリラは、こちらの道を行きます」

「待ってよ。ミレーゼ」

 歩き出したミレーゼに紡は慌てた。

「一緒に行こうよ。いくらエルリラがいるからって、離ればなれになるのは心配だよ。ここまでずっと一緒だったんじゃないか。一緒に行こうよ」

「ケラケラ。姫、まさか本気ではないでしょうね」

「キヨキヨ。別々になるなんて、わたしはイヤです。姫」

 ガブニとボナも驚いてピョンピヨン跳ねた。

「いいえ。わたしは祈りの里にどうしても帰りたいのです」

 決然とミレーゼは歩き出した。ガブニとボナがおろおろとミレーゼのあとを追っていく。しかし、ほんの数メートル歩いただけなのに、ミレーゼとガブニとボナの姿は揺らめいて不鮮明になった。

「ミレーゼ。戻ってきてよ。ガブニ、ボナ!」

 紡は消えかかっている三人の後ろ姿に向かって叫んだ。ガブニとボナが振り向いたのを最後に、三人の姿は消えてしまった。千早はおもわずミレーゼを追って歩き出していた。自分も祈りの里に行きたい、そうおもった。柵の中の人々の苦難より、祈りの里に行って、命の種を浜から拾って、真美を蘇らせたかった。

「パパ。なにしてるの」

 どうしてミレーゼのあとを追うの、と紡からいわれて、千早の足が止まった。ハッとして振り返る。紡が驚いたような顔をして千早を見ていた。いっぺんで冷静になった千早は、ごまかすようにヘラヘラ笑いながら紡のところに戻ってきた。

「いやあ、なにね。女の子を一人で行かせるのは心配だからさ」

「パパ! どんなに、ほかの人が心配でも、パパが一番大切におもわなければならないのは、パパの子供のぼくでしょ!?」

 紡の目にみるみる涙が盛り上がった。その涙は千早を強く責めていた。

「ごめんツムグ。そんなつもりじゃなかったんだよ。ただ、つい、ふらふらっと、さ」

「ぼくは、パパが大好きなのに、パパの一番はぼくじゃないんだ!」

 うわあああーんん、と声を放って泣き出した紡の頭上に岩盤が落ちてきた。

「あぶない! ツムグ」

 千早は夢中で紡にジャンプし、懐にくるんだまま地面を回転して岩盤を避けた。地響きが腹の中にまで伝わってくる。砂煙がもうもうとあがり、二人は埃にむせて咳き込んだ。

「だいじょうぶかツムグ」

「パパなんか、きらいだ。いつもいつも、ぼくのこと、置いていこうとするんだもの」

 千早を押しのけると、ガブニとボナの姿を求めて、ミレーゼが去って行った谷道の入り口に立った。

「ガブニとボナも行っちゃったよ」

 また涙が込み上げてきた。ミレーゼは祈りの里の人だから、しかたがないとおもう部分もあったけど、ガブニとボナまでついていくとはおもわなかった。これで千早までいなくなったら、紡は人間不信に陥っていたかもしれない。

「ガブニー! ボナー!」

 口に手を当てて呼んでみた。呼ばずにはいられなかった。紡はガブニとボナが大好きだった。

「ケラケラ。ツムグ」

「キヨキヨ。ツムグ」

 ガブニとボナの声が聞こえた。そら耳かとおもったら、転がるようにガブニとボナが紡の前に姿を現した。

「ケラケラ。姫の意志は固くて、どうしても行く気のようだぜ」

「キヨキヨ。柵の中の人たちを助けたあとで、祈りの里を探しましょうといったのだけど、どうしても行くって。しかたがないから、わたしたちは戻ってきたのよ」

「ガブニ。ボナ」

 戻ってきてくれたうれしさに、紡はまた泣いてしまった。そのとき、また近くでガラガラと岩が転がる音がした。たえず崩れる岩石の音に混じって、バーツラフが紡たちを呼ぶ声が聞こえた。紡は声のほうに歩きだした。

「行こう、みんな。こんな危険な場所から脱出するんだ」

 力強い紡の態度に、千早は針山の世界がもうすぐ終わって、別の世界に突入するだろうとおもった。迷ってばかりの千早と違って、子供らしい勇気と誠実さで貫かれている紡の希望が勝っていることに気づいていた。

 紡が強く願えば、この世界は変化する。ということは、ほんとうに紡は柵の中へたどりつけるかもしれない。



 いっぽうミレーゼは、頭上から降ってくる瓦礫から逃げながら走っていた。道は細く、迷路のように枝分かれしており、走っていくと山に塞がれて行き止まりになっていることも多く、そのたびに元の場所に戻って別の道を行くということの繰り返しに、徐々に気力が削がれていった。

 針山の世界に飛ぶ鳥はおらず、草木は生えておらず、どんな世界にもその場所に順応した生きものがいるものだが、針山の世界は、地にも空にも、まったく生きものの気配がなかった。ミレーゼは、あまりの寂しさに走るのをやめそうになった。

「立ち止まってはいけません。姫」

 頭にとまっているエルリラがいった。

「でも、でも」

 苦しそうに息をしながら胸を叩いてミレーゼは足を速めた。ミレーゼが走った後ろに、大小さまざまな岩が落下してくる。不思議なことに、走っている前方には落ちてこないで、後ろの背中すれすれに落ちてくるのだ。だから走るしかないのだが、いつまでも走り続けていられるわけはない。

「どういうことでしょう。同じところをぐるぐる走っているような気がします」

「走り続けないと、岩に当たって潰されてしまいます。死なないまでも、動けなくなってしまいます」

 冷静なエルリラの言い方に、ミレーゼは苛立って眉を吊り上げた。

「では、どうすればいいのです」

「あなたは、祈りの姫です。祈ればいいのです」

「なにを祈れというのです。落ちてくる岩よ止まれ、と祈るのですか。あるいは、祈りの里よ、現れよ、と祈ればいいのですか」

「姫の思いのままに」

 そういうとエルリラは羽を閉じて静かになってしまった。走りながら、ミレーゼは悔しそうに唇をかんだ。ミレーゼは後悔していた。紡たちと離れるのではなかった。祈りの里に帰りたいのは本当の気持ちだが、紡たちとともに心を一つにして、目標をもって行動することの大切さを、一人になってわかったのだ。なにが起こるかわからないこの世界で、助け合う仲間がいることの大切さを、はじめて知ったのだった。

 柵の中の人々を助けたいという紡の正義感に逆らって、ただただ祈りの里に帰りたいと我を張った結果、自分は休むこともできないで走り続けている。

 もうもうと上がる砂煙と地響きがとどろく谷を、落石に追われて走りながら、汗を拭うのも忘れてミレーゼは叫んでいた。

「ツムグ――! ツムグ――!」



「あ! ミレーゼがぼくを呼んでいる!」

 紡は、はっとして立ち止まった。耳を澄ませる紡に、戻ってきたバーツラフやディジュ、ロージェ、ガブニとボナが寄ってくる。千早も耳を澄ませて首をひねった。

「何も聞こえないよ。ツムグ」

「聞こえたよ。ほら! またミレーゼがぼくを呼んでいる」

 どこか遠くに目の焦点を合わせている紡を覗き込んだバーツラフが、ふむ、と頷いた。

「ならばツムグよ。そなたもミレーゼを呼ぶがよい。助けを求めているのやもしれぬ」

「はい。王様」

 紡は胸いっぱいに空気を吸い込むと、紡にしか見えていない、どこか遠くに向かって「ミレーゼ! ここだよ。ぼくたちは、ここにいるよー」と叫んだ。

「ケラケラ。姫――。どこにいますかあー」

「キヨキヨ。姫――。わたしたちは、ここですよおー」

 ガブニとボナも叫んだ。

「ミレーゼ。ここよおー」

 ロージェが叫ぶとディジュもミレーゼの名を呼んだ。みんなの声が、針山の谷間にこだました。

「もっと大きな声で呼ぶがよい」

 バーツラフが指揮を執るように剣を振った。声を合わせてミレーゼの名を呼び続けているうちに、絶え間なく崩落していた岩山が静まっていった。やがて崩落は止まり、砂埃が舞うなか、静寂がおとずれた。煙のようにたなびいている砂埃の向こうから、必死に走ってくるミレーゼがいた。


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