05
シュークリーム。語源はキャベツがどうたららしい。その味は北海道、和寒名物『越冬キャベツ』以上に甘く、出来たてサクサクのパイ生地の中に雲のように軽く、なめらかな味で食べやすいホイップクリーム。濃厚で一口食べただけで体中に甘みが広がり体の底から幸せになる濃厚な生クリームやカスタードクリームを挟むか注入してある。
コンビニやスーパーでは小さいシュークリームを袋詰めにしたものがよく売っている。荒れの中身はホイップクリームが多いだろう。しかし、母さんが用意した物は少し違う。地元名物の子のシュークリーム。1個150円と少し高いが、味は別格だ。外側はメロンパンの表面についてあるクッキー生地のようにサクサク。中身は2種類あり、スタンダードな生クリームやカスタードクリームを用いたもの。そして、ココアクリームだ。
俺の手にはそのココアクリームのシュークリームが乗っている。サイズも上々、デコポン以上の大きさで、一口で食べるのは難しい大きさだ。食べ方を失敗すれば、シュークリームのクリームが爆発し零れてしまいそうだ。
「うへへへ」
思わず嬉しい声が漏れてしまう。
「嬉しそうじゃのう」
樹は俺の様子を見て不気味がる様子もなく、話しかけてきた。
「あ?樹は食わねえのか?」
「先ほど約束しただろうが。ほれ、口を開けい」
樹は俺にまだ一口も食べていないシュークリームを、俺に差し出してきた。
「お前のだろ? 食べろよ」
「気にするでない。太陽の部屋で言ったじゃろ? 私はすでに一つ頂いておる。これと同じ味をな、そちらを食べるとしよう」
小皿に盛られたシュークリームを見せてくる樹。おそらくそれは家に着た時に母さんがお茶うけに差し出したのだろう。
「ほれ、食べんかい」
新しく用意されたシュークリームを食べろと勧める樹に俺は遠慮なくと、手を伸ばした。
「じゃあありがたくいただくよ」
食べようと手を伸ばすと、何故かシュークリームを俺より早く樹は取り上げた。なぜだ、くれるんじゃないのか? 思わず動きが止まり固まっていると、樹はシュークリームをまじまじ見つめ、手で掴んで俺の口に突きつけてきた。
「ほれ、口を開けろと言ったじゃろ?」
これはあれか、あのゲームや漫画、アニメでよくあるが現実には無縁な『あーん』というイベントなのか?
「ほれ、サイズが大きいのなら、わしがこの手でちぎって食べさせてやってもよいぞ」
「シュークリームをちぎる? 馬鹿言うなよ。コレは齧り付くもんだぞ」
「馬鹿とはなんじゃ。私はこれでもお主より」
「お主より?」
「っつ……忘れてくれて構わん。ほれ、食わんか」
樹は何かをごまかすように、半開きな俺の口に無理矢理俺シュークリームを押し込んできた。
「うぷっ」
俺のファースト・あーんは無残な結果で終わった。口中にシュークリームの皮から溢れてきた生クリームが波のように一気に襲ってくる。必然……口の中はおろか、口周りもべとべとする。手に持っていた俺に用意されたシュークリームを皿に置き、ティッシュをとろうと手を伸ばす。
「ふむ」
なにが「ふむ」なのか。ティッシュを数枚とって口を拭うおうとすると、樹が俺の口についたクリームを細い人差し指ですくい舐めとった。
「あむっ、んーっ、この甘さがたまらんのう」
指を咥えたまま樹は頬が蕩けそうだと、至福そうに感想を漏らしていた。こいつ恥ずかしくないのか? 俺は自分の顔が熱くなりそうだと言うのに。
「どうした、風邪か?」
「う、うるせえ!」
心配そうに声をかけてくれた樹に俺は、赤面した顔を誤魔化すために悪態をついてしまった
「聞いただけなのに……」
そのせいか樹は少し拗ねてしまった。
「シュークリーム、好きなのか?」
俺は、樹が食べさせてくれたシュークリームの残りを食べながら聞いてみた。
「噂には聞いていたが、サクサクな生地と中のふわふわしたクリームが甘美でご機嫌な味じゃ」
「噂には? 初めて食べたのか?」
「それは別にいいじゃろう。どうじゃ? わしが食べさせたシュークリームもうまかったじゃろ?」
「まあな。この町でしか買えないシュークリームだからな」
「名物……よもやここまで美味いとは」
侮れないと食べかけのシュークリームをまじまじと見つめ、樹はシュークリームに話しかけている。
「ココアクリームのやつも美味いけどな」
俺は樹がくれたシュークリームを食べ終え、本来の俺のシュークリームを食べようと手を伸ばす。樹が気になった様子で俺を見てくるが、気にせず次のシュークリームを食べよう。さ、本命のココアシュークリームだ。少し焦げたような黒い皮が、シュークリームのサクサク感を想像させ、更に食欲を誘う。
「いっただっきまーす!」
「あっ」
「あ?」
大口を開けて横を見ると、樹が俺の方へ手を伸ばしている。
「どうした?」
「い、いや、気にするでない」
手を恥ずかしそうに下ろすと、もじもじと湯呑に入った緑茶をすすり、恥ずかしそうに視線を逸らした。どうにも気になるが、気にしないでおこう。シュークリームシュークリーム、ひゃっほう。
「あっそ。じゃあ、いっただっきまー」
「あっ!」
「またか」
樹は取り乱したことを誤魔化すためか、咳払いを数回した後背筋を伸ばし深くソファーに座りなおした。
ははーん。そう言うことか。
「な、なんじゃ、なんじゃそのにやけた顔は」
「ほれ!」
「あっ!」
シュークリームを上下に動かすと、樹はねこじゃらしを前にした猫のようにシュークリームから視線を離せないでいる。ココアシュークリームを手に持ちながら俺は思わず声を出して笑ってしまい、樹が怒ってしまった。
「こら太陽やめんか、やめんか、何がおかしい!」
樹は先ほどまでの余裕ぶった言葉づかいではなく、年相応の子供っぽい口調で俺へ抗議している。俺の体をポカポカ両手で叩いている。全く痛くなく、可愛らしい攻撃だ。
「悪い悪い」
「あやまってもゆるさ、むむっ」
あまりにシュークリームを欲しがる樹が可愛かったので、樹の口を持っていたココアシュークリームで塞いでやった。驚いた顔と、同時に望みの品であるシュークリームを得たせいか、樹の表情は驚き喜び、幸せそうな表情を見せている。せっかくなので感想を聞いてみよう。
「ほれ、どうだ、味は」
「ぷはぁ、なにをする!」
樹はシュークリームを一旦手にとり、口の周りにココアクリームをつけたまま俺に文句を言っている。
「何言ってんだ?」
「何言ってんだ? ではないわ!」
「口の周りべとべとだぞ? あははは」
樹のブラウンカラーのココアクリームでべとべとになった口を指差し、笑う俺。おもわずクリーム塗れにも拘らず、プンプンと怒っている樹の姿に笑いが止まらない。
「お主のせいじゃろがー」
「悪い悪……おわっ!」
樹が俺にとびかかり、抱きついてきた。樹は和な口調でストレートヘアーの黒髪ロングな美少女。これだけ聞けば、かなり羨ましい状況といえよう。しかし、現実は残酷である。
「太陽のバカ者―!」
樹はあろうことか、そのクリーム塗れな口を俺で拭こうとしやがった。
「目には目を、顔には顔でお返しじゃー!」
ちょ、やめ、ちか、俺の声は届かず、樹はクリームの付いたほっぺたや口を俺の顔にすりつけてきた。こいつ肌柔らかいな。樹の顔を視線だけ寄せて見ると、透き通ったような肌、きめ細かで、餅のようなやわ肌だ。
「ふふふ、年上を馬鹿にするからじゃー!」
「やめ、やめ」
シャツにクリームが付いてしまった。ちくしょう……。俺は必死に抵抗するも、樹の行動はヒートアップして顔から服、様々な場所にクリームがついてしまった。せっかく俺のをあげたのに、酷い鶴の恩返しだ……ん?
――今何と言った?
「どうじゃ? 可愛い女子にすり寄られた気分は、どんな気分じゃ?」
「年上?」
「そうじゃ、私、わしは太陽が生まれるはるか……しまった!」
やられた。と言った様子で驚き後ろに仰け反っている。
「お前、ばあちゃんの孫じゃないな」
俺の言葉にいつきは黙って答えない。
何者だ、こいつ……
先ほどのじゃれあいの勢いも失せ、俺たちは無言のまま向き合った。互いの顔についたクリームも気にならないほどに。
「それは、じゃのう……」
言いにくそうにしている樹を見て、思わずじれったくなってしまう。
「これには……事情があって」
「事情って、物取りか?」
「わしをそんな野蛮な輩と一緒にするでない! わしはなあ、わしは」
失礼だと怒り、俺を怒鳴りつける樹は思わず自分の正体を明かそうとし、思い留まっている。
「っつ、迂闊じゃった」
危なかったと樹は口元を手で抑えている。
――こいつ、何者だ?
注意深く樹の一挙手一動作を見ながら、様子をうかがう。
「うう……どう説明すれば」
ばつが悪そうに樹は口ごもって悩んでいるが、俺はそうはさせないと、お前の小歌いが何者かを問いかけた。
「さ、答えろよ、ばあちゃんとはどんな関係だ? 目的は何だ?」
俺は樹の肩を掴み、逃げられないようにする。すると恥ずかしそうに俺から逃れようとするが、逃がさないと腕で樹の肩を俺の方へ寄せる。
「ちょ、いきなりは……」
「ま、観念しろよ?」
肩を抑えているし、ここはソファー。逃げようとしても今度は押し倒せば、もう逃げ道は無いぞ。ばあちゃんや爺さんを騙した罪は重いぞ。樹は観念したように口を開きかけると……その場に似つかわしくない、素っ頓狂な声が家に響いた。
「二人とも! どうしたの!?」
「……母さん」
「あらあら、ふたりとも顔べとべとじゃない。樹ちゃんなんて髪にまで……太陽は顔洗ってきたら? あ、樹ちゃんはお風呂も空いているけど、どうする?」
さきほどのシリアスなムードも台無しになるほど、母さんは俺たちの雰囲気を察せず、日常へと引き戻した。
「お風呂?」
「そうよ。足も伸ばせて気持ちいいわよ―」
「良いのか? わしは今日初めてこの家に訪れた身。そこまで懇意に扱われる理由など存在せぬはずじゃ。この髪も水で洗えば済むことじゃし」
見れば毛先についたクリームを指で拭い、樹は指についたクリームを美味しいと感想を漏らしている。騙されないぞ、そんな演技に俺は。
「難しいことは言いっこなし。それに、風邪ひくわよ」
「心遣い、感謝します」
葵は一礼すると、母さんに連れられ風呂へ向かった。何故か俺を引っ張りながら
「おい、何で俺を連れていく。風呂入るんじゃないのか?」
至極当然なことを俺は聞いた。
「そうじゃ」
至極当然のように返答が返ってきた。
「お前は女、俺は男、わかるな?」
これまた至極当然のことを問いかけた。
「じゃが一緒に入った方が水の節約につながる。そうじゃろ?」
至極当然と言うような口調で樹は言い放った・
母さんはというと、「あら、二人はもうそんな関係に?」など一人で盛り上がっている。茶の間から風呂場までの道のりは短く、あっという間に風呂場の脱衣所へたどりつく。
「樹ちゃん。本当にいいの?」
「うむ。なにぶん初めて故、使い勝手もわからぬしな」
わからないなら母さんにでも聞けばいいだろう。
「あら、だったら私と一緒に入る?」
そら来た。母さんは俺を女装させていた経験もあり、男より女の子が欲しかったのだ。
「いや、汚れたのは私と太陽。二人で入った方がよかろう」
遠慮がちに家主のことを考えたように話す樹だが、それは悪手である。見ろ、母さんが二やついているじゃないか。
「あらあら、じゃあおじゃま虫は撤退するわねー」
「母さん!」
言うも遅し、母さんは手に口を当てニヤニヤしながら脱衣所から離れていく。
「たく……どういうつもりだよ」
樹の方へ振り返り、問い詰め……れなかった
「なんじゃ?服は脱ぐんじゃろ?」
目の前には今まさに、生まれたままの姿になろうとする少女がいた。
「この服はまた着るとして、ここの籠へ置いておけばよいのか?」
「あ、ああ」
あっけにとられている俺に対し、樹はまるで子供と風呂に入る親のように、テキパキと服を脱いでいる。あっという間に一糸纏わぬ格好へと変わっていく。くそっ、意識している俺がバカみたいじゃないか。不平不満を漏らしつつ樹の方を見ると、思わず息を止めてしまった。
「……綺麗だ」
思わず本音が漏れだしてしまった。