03 雨
「そう、強く、強く願うのよ」
ばあちゃんのアドバイス通りに俺は両手を顔の前であわせ、大木を拝んでいる。
「そんなもんでいいだろ」
そう言ったのは爺さんだった。
「ほれ」
「なにそれ?」
爺さんは自分の腰あたりをまさぐり、それを俺に見せてきた。出されたのは
「ナイフだよ、ナイフ」
俺に差し出してきたのは折りたたみタイプの小型のナイフ。それをどうしろと言うのか、出されたナイフを受け取り、数回折り畳んでは開いていナイフをじっと見ていた。
「なにそれ。何に使うの?」
「何って、木に名前を彫るのに使うんだよ」
「名前?」
「願掛けしたあとに神様が見るのさ。誰が願掛けしたのかわかるようにね、そうじゃねーと手伝いに行けんだろ。そのためだ」
「なるほど……」
一理ある。俺は爺さんからナイフを受け取り、慣れない手つきで、幹に刃を突きさした。
「ああ、そうじゃない。こうやってやるんだ」
爺さんは俺からナイフを取りあげ大木の横にある木に、最近の若者はと愚痴りながらナイフの刃を当て、お手本を見せるように文字を彫り始めた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れた。そこには先ほどまでは無かった文字、見事としか言えない手さばきで掘られた爺さんの名前が刻まれていた。
「やってみろ」
ナイフの刃をしまい、それを俺に投げる爺さん。それを危うげにとる俺。
「なんだかしんぱいじゃのう」
「よーし、やるぞ」
俺はそう意気込むと、ぎこちなく、へたくそな手さばきながらも、なんとか木に文字を彫れた。感じだと読めないと困るので『ミズハラ タイヨウ』と。
「爺さんたちの名前は彫って無いの?」
彫り終わった後、爺さんたちに聞いてみた。爺さんは
「昔のことだし覚えとらん。あったとしても、木は成長するため上の方だ。たぶん」
何だたぶんって。ばあちゃんも同様らしい。俺はどのへんに彫ってあったのだろうと上を見上げた。太陽は沈みかけ、森の木々に阻まれ光があまり射さずよく見えない。
「なんだ?」
ひらひらと木の葉が落ちてきた。夏だからか緑色が濃く、とても綺麗な木の葉だった。思わず見入ってしまう。紅葉くらいはあるだろう。サイズからたぶんこの大木のものだろう。
「あら、久しぶりに押し花でもするかい?」
「押し花?」
「その葉っぱがあれば、幅広だけどしおりが作れるわ」
しおりか、良いな。
「じゃあ、頼んでいい?」
「はいよ」
ばあちゃんに木の葉を渡すと、それを大事そうにばあちゃんは受け取った。しかし押し花か、栞に出来るなら本を読むときに便利だ。
「あ、そういえば、今何時?」
「時間か?どれどれ……いかん、もう5時を回っとる」
夏とはいえ、暗くなると山道は悪いため危険だ、早く帰らないと。俺はばあちゃんが持ってきた水筒のお茶を一杯もらい飲み干すと、急いで帰る準備をした。
『ミズハラタイヨウ』
「え?」
どこからか自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がして、俺は後ろを振り返った。けれど後ろには誰もおらず、前方から爺さんが「立ち止まっていると置いていくぞ」と急かしてくるだけだ。
「どうかしたかい?」
「サンちゃん、急がないと暗くなるぞ」
爺さん、ばあちゃんには聞こえてないのか? ならば空耳だろうと、俺は気のせいだと思うことにして、爺さんたちの後を追った。
『かかか、面白そうな小僧じゃのう』
また大木の方から何か聞こえた気がするが、怖いから振り向かずに俺は爺さんたちの後を追った。誰かに見られているような視線をたびたび感じながら、ホラー映画を見た時のように、背筋が少し寒かった。
結局、家についたのは夜の7時を回っていた。
俺はなれない山道で疲れたのか、ばあちゃんの家に戻ると寝てしまったようだ。慌てて起きた俺は自転車をこぎ、家に帰った。両親からは帰りが遅いことを心配されたが、じいちゃんたちと会っていたこと、お土産に漬物をもらったことを言ったら、後は何も聞いてこなかった。が俺が風呂から上がると、母さんがばあちゃんにお礼の電話をしていたのが見えた。
「はあ、山道って疲れるな」
俺は風呂からあがり、生乾きの髪のままベッドにダイブした。バフッと音を出しながら、布団たちは俺の疲れた体を包んでくれる。
「リア充たちは元気だな」
あいつら海か山か話していたが、山のぼり、散歩は苦行だぞ。と注意してやりたい。
「ま、俺にはそんな友達いないけどな」
自嘲しながらも、山での疲れのせいか、昼間の様にストレスを感じることもなく、俺はどこか心地の良い気分になりながら、眠りについた。
「ここはどこだ?」
目を開けると広い草原が広がっている。俺は草原に立っていると、後ろから強い風が吹き草原は波のように音をたてて揺れている。空を見上げれば太陽が雲に隠れる様子もなく、俺の体を照りつける
「ベッドで……寝てたよな」
手の平や頭を触り、着ていた服を確認した。風呂上がりの時と同じハーフパンツとシャツ。確かに俺は山の疲れをベッドで癒していたはずだった。だが俺が今いるのは気持ちの良さは同じだが太陽の日差しが熱く、眩しい。どこか休める場所を探そうとあたりを見渡すと、少し先ではあるが一本の木陰が心地よさそうな木があった。
「でかい木が一本か……」
まるで、子供のころに見たテレビの映像の様だった。大きな一本だけが不思議とこの草原にぽつりと佇んでいる。まるで俺を呼ぶように。これ幸いにと俺は木に向かって歩きそばまで行くと、先客がいた。
「誰じゃお主は」
隣を見ると白いワンピースに麦わら帽子を深くかぶった緑の長い髪を風になびかせる少女がいた。髪の色は異質だが、佇まい、口調がどこか清楚、お嬢様のような風格だった。
「それで、何者じゃ?」
帽子が風に飛ばされないようにか、帽子を手で押さえ顔を隠すようにした少女は古臭い言葉づかいで、俺に誰かを聞いている。
「日陰を探しててな。ここ、いいか?」
俺は少女の隣に座ろうと、許可をとってみる。すると少女は少し悩んだ様子を見せたので、俺は諦めて違う場所を探すとその場を立ち去ろうとした。よく考えればいきなり見知らぬ男が隣に座るとか怖いよな、俺はぺこりと頭を下げて、詫びた。
他人と距離をとるようにしてからか、相手のそぶりを見てから無意識に一歩引くことを覚えた。ほかの同級生だとガツガツ気にせず隣に座るんだろうな。俺にはそんなことはできない。
「いや、隣に座るのは別に構わんぞ」
予想外の答えが返ってきた。
「いいのか?」
「うむ。じゃがのう……」
どうしたのだろうか。やはり何か問題があるのか。
「主の言う太陽なんて、出とらんぞ?」
「え?」
空を見上げると少女に言っていることが本当だ分かった。空には太陽など無かった。夜と言うわけではない。雲ですべてが覆われていたのだ。
――まるで俺の心のように。
「はは、ホントだ」
先ほどまで晴れていたはずなのに、見渡すとただの雲だけでなく、黒雲までもが広がってきた。
「ひと雨来るかな……」
傘持ってないんだよなあ、周りにも雨宿りできる場所もないし、辺りを見渡していると少女が声をかけてきた。
「なんじゃ、雨は嫌いか?」
「ああ、嫌いだね。大嫌いだ」
気分も落ち込むし、ただでさえ楽しくない学校へ行くのも、ますます億劫になる
「雨は恵みを運ぶのじゃぞ?」
「恵み?」
「雨は海の水分を雲に変え、それを上昇気流とともに様々な大地へ運び、それが雨となり、地下水となり、人の飲み水や植物を成長させるのじゃ」
「それはなんとなくわかるけど……」
理科は苦手なので、なんとなくの相槌を打つ。
「つまり、雨が無ければ地球上の生物の命はうまれないのじゃ。わかるか?」
「まあ、一応?」
「ま、お主もあまり雨を毛嫌いするでないぞ」
「ああ、そうするよ」
「ところでお主、何をそんなに悩むのじゃ?」
「悩み?」
俺、こいつになんか喋ったっけ?
「ほれ、話してみろ」
ポンポンと木陰の芝生を叩き、隣に座るよう促している。雨宿りする場所もないので、俺はその誘いに乗ろうとした。けどなあ、何で初対面のやつに相談なんて。しかも見るからに年下。俺よりは頭よさそうだけど。
「初対面? おかしなことを言う奴だ」
緑髪の少女はくすくすと笑っている。あれ、俺声に出していたっけ? 心の中の声が漏れていたことに驚きつつ、俺は少女の名前を聞いてみようとした。
「なあ、『ミズハラ タイヨウ』」
どうしてこいつ、俺の名前を? 知り合いか? いや待て、俺にこんな知り合いはいない。
「何で俺の名前を知っているんだ?」
「なにを言う。お主が教えてくれたのではないか」
俺が? いつ?
「ま、詳しいことは後日話してやろう」
後日? 夢なのに? それともこれは夢じゃないのか? 頭がパニックになってきた。モヤモヤした心を表現したようにパラパラと雨が降ってきた。
「えっと……俺の名前を知っているとして、俺は君の名前なんて知らないんだけど」
「ほう、コレで会うのは二度目だというのに、残念じゃのう」
寂しそうに足を伸ばしぶらぶらさせる少女に、俺は名前を忘れてごめんと謝った。そして改めて、失礼だと承知しながらも俺は少女に名前を聞いた。
「タイヨウ、普段からそれくらい人に積極的に接してみればどうじゃ?」
「普段?いや、本当に君、一体だれ?何者なの?」
普段?
「高校では、お主いつも一人であろう?」
どうしてそれを知っている。誰にも言った覚えもない。ましてや、こんな女の子に話した覚えもない。もしかしたらクラスメートの妹とかか? 俺はその線でこの少女の正体について聞いてみることにした。
「なあ、本当に君は誰なんだ、何者なんだ」
雨音が強くなってきたため、すこし大きな声で俺は少女に問いかける。けれど少女は含み笑いをして問い返すだけ。
「ふふ、知りたいか?」
「当たり前だ」
雨音が更に強くなってきた。
「わしはな――」
「君は?」
雨音で言葉が聞き取りづらい。
「わしの名は樹……のため、また会おうぞ」
少女の、かろうじて聞きとれた名前は樹。だが後の言葉は雨のせいで聞き逃してしまった。
「おい、樹!さっきなんて、もう一度」
「ふむ、この雨音では仕方あるまい。ではもう一度言うぞ、タイヨウ」
少女は背筋を伸ばし立ち上がると、服についた葉っぱを払い、控えめな胸を張り、こう答えた。
「わしの名は樹、タイヨウの……」
目の前が眩しく光った。暗闇から急に明るい場所へ出たように。するとしばらくして遠くで雷が落ちた音が聞こえてくる。落雷のせいで、眩しい光のせいでそれ以降の言葉は全てかき消されてしまった。そして俺は、その音で目を覚ました。
「おい!!」
目が覚めると、いつものベッドの上だった。