02
家に帰る途中、ばあちゃんがせっかく会ったし家に寄ってくれと言うので、遠慮なく上がらせてもらうことにした。
「なあばあちゃん」
「なんだい?」
「この漬物、美味しいね」
「そうかい? ドンドン食べな」
「うん。あ、ちょっとしょっぱいかも。お茶もらっていい?」
お茶受けに出されたタクアンをポリポリかじりながら、塩気を中和するためにお茶のお代わりをもらった。外では蝉がミンミンと鳴いている。蝉は一週間の命、今を必死に生きているようだ。俺とは大違いだな。
「はい、氷もたっぷりだよ」
「ありがと」
ばあちゃんは俺のコップをとり、氷と麦茶を注いでくれた。水滴のついたガラスのコップの中では氷が麦茶の温度で少し解けほかの氷とぶつかり、カランとした音を響かせる。風鈴の音と共に、グラスが鳴らすメロディーが夏を感じさせて、麦茶のうまみを倍増させる。
「サンちゃん、学校はどうだい?」
ばあちゃんは厚みのある座布団に正座しながら、俺の近況を聞きたがっているようだ。
「え、学校?」
「だめかい?」
「あ、え――」
まずいな。俺は学校ではあまり友達と会話をしない、友達の数自体、あまりないからな。ただそれをいうと、ばあちゃんが悲しむ……さて、どうするか。
「サンちゃん?大丈夫かい?」
「え?」
振り返ると、座布団に座ったばあちゃんが、俺を心配そうに見ていた。
「大丈夫って、何が?」
「おばあちゃん、サンちゃんに悪いことを聞いたんじゃないかってね」
「そ、そんなことないよ」
「そうかい?ならいいんだけど」
まずい、ばあちゃんが悲しんでいる……どうにかせねば、そうだ。俺は嘘も方便、この現状を打破しようと、良いアイデアが思い浮かんだ。
「あ、あれだよ」
「あれ?」
ばあちゃんは何の事だかわからないような顔をしている。
「テスト、テストの点数! 成績とか!」
「テスト?」
「そう。じつは、けっこう低かったんだ。宿題も多いし。それで、ちょっとね」
誤魔化せただろうか……
「……」
ダメか、ばあちゃんは黙っている。
「……そうかい。それは大変だったねえ」
「そ、そう、そうなんだよ」
ばあちゃんのさっきの間は何だったのか。何事も無かったかのように、ばあちゃんは皿に残っている漬けものを手でとり、もぐもぐとゆっくり咀嚼し食べている。
「だからさ、ちょっと憂鬱だな~って思っただけだよ。ホント、本当だよ」
人間と言うものは、追い込まれるとよくしゃべる生き物だと言うが、まさか自分の身で体験するとは。
「サンちゃんは大変だねえ、私の頃は勉強なんてお裁縫とかくらいだったから」
ずずっとお茶をすすり、ばあちゃんは座布団に座って昔を思い出しているようだ。
「そうだ、お願いごとでもしてみるかい?」
「願い事?」
ばあちゃんが突拍子もないことを言いだして、俺は少し驚いている。
「そうさ。願い事」
「願い事って、あの?」
よく神社で願掛けしたり、お守り買ったりするあれ? しかし願掛け程度で願いがかなうなら、誰も苦労はしていない気がする。
「そうそう。サンちゃん、したことないかい?」
お生憎様、こんな名前で生まれた時点で神など信用してはいない。そのため、神社に連れて行かれたことはあったが、願い事をしたことなど無かった。
「じゃあ、おばあちゃんたちと言ってみないかい?」
「神社なら行かないよ?」
ばあちゃんには悪いが、行きたくないものは行きたくない。手を振り行かないと告げると、行き先は神社ではないと笑っている。
「神社じゃなくて、山だよ」
「山?」
山になにをしに行くと言うのか。芝刈り? あ、お願いか。
「じいさーん」
ばあちゃんは大声を出し、庭で草むしりをしていたじいちゃんを呼んだ。
「うるさい、聞こえとるわい」
「あらそうかい」
まだぼけていないと怒りつつ、じいちゃんは頭に巻いた手拭いで汗を拭きとり、ばあちゃんが差し出した麦茶をごくごくと一気に飲み干した。
「ぷはぁ、生き返る」
脂肪の少ない体はいつ見てもすぐ倒れそうだ。けれどそんな俺の視線に爺さんは「わしの体は全身筋肉」と老人にしては逞しい力こぶや割れた腹筋を見せてくる。
「爺さんは簡単には死にはせんだろ?」
「ばあさんもな」
はっはっはと二人で笑いだす。相変わらず仲の良い、元気な二人だ。
「それで、サンちゃんどうする?」
「どうするって……山ですよね?」
「そうさ。といっても、わしが持っている山の一部だけどな」
じいちゃんはそう言い、汗をかいたと着替えに部屋へ戻った
「山か……」
虫とか沢山いそうだな……小さい頃は良くクワガタをとって喜んでいた気がする。
「サンちゃん、山は嫌いかい?」
「嫌いじゃないけど……」
なぜ山なのか、山の何の神様に祈るのか、謎が深まるばかりだ。
「サンちゃんが嫌なら辞めるけど……」
おばあちゃんは残念そうにそう言った。
ばあちゃんを悲しませたくないと思うのと同時にふと、学校での出来事を思い出した。
「行こうかな、山」
「ほんとかい?」
先ほどまでの萎れていた表情は消え、いつも通り元気なばあちゃんに戻った。
「いつ行くの?」
「今でしょ」
「ばあちゃん……」
古いよとツッコもうとしたが、ばあちゃんの嬉しそうな顔に何も言えない。
「どうだい?これが流行ってるんでしょ?」
「あはは……」
笑ってごまかすしかなかった。古いよ……、ばあちゃん。俺は反応をごまかすように立ち上がり背伸びをして、何処へ行くか楽しみな素振りを見せることにした。
「あ、爺さんが準備出来たってさ」
「本当に行くのか、あ、俺の恰好」
制服じゃあ不味いよな、どうするか。そんなことを考えていると、ばあちゃんが爺さんの服をしまってあるタンスから紺色のつなぎを取り出した。けれど俺の身長は一七五、爺さんは一六五と、二人の身長は十センチ近く離れているため着れないと断った。ばあちゃんもそりゃそうかと頷き、元の場所へ綺麗にたたんで片付けている。俺は着ていたワイシャツを脱ぎ、黒いスラックスとTシャツだけのラフな格好に着替える。
話をしていると外からエンジン音がしたので、ばあちゃんと爺さんが出発する準備ができたようだと話し、じいちゃんの待つシルバーマークの張られた車に乗り込んだ。
「近いの?」
「うーん、ま、着けばわかるさ」
爺さんは適当な返事をし、車を発進させる。その格好は先ほどとは違い、つなぎを着ている。理由を聞くと、虫刺されや木の枝に気を付けるためだと言っており、自分も着ればよかったと少し後悔した。
「安全運転でお願いね」
「馬鹿言え、わしはいつでも安心運転だわい!」
俺が年寄りの運転が不安だと冗談めいて言うと、じいちゃんも笑いながらまだボケないと笑っている。事実爺さんは法定速度を守り、安全に気を配り運転している。
車を走らせること20分、やっと山についた。爺さんは山の入り口付近の適当な場所に駐車をすると、俺について来いと先陣を切り山に入っていく。
『この先私有地、はいるべからず』
雨で少し滲んでいるが、策の前には赤く、すこし黒ずんだ色で書かれた看板が目の前に見えてきた。その隣の柵についている金属の少しさびた扉につけられている金属製の鍵をを開け、俺たちは中へ進んだ。
「はーい」
一応道はあるが整備されていないため、けもの道の様な場所を歩き続ける。爺さんとばあちゃんに大丈夫か聞くと、現代っ子には負けないと笑って返されてしまう。
「ねえじいちゃん、本当にこっち?」
「わしを信じんかい!」
不安だ。しかし、じいちゃんたちの私有地らしいので、信用しよう。ただ不安は完全にぬぐい取れてはいないため、ばあちゃんにも聞いてみよう。
「心配せんでええよ。爺さんも、こういうのはしっかりしてるから」
「一言余計だ、ばあさん」
「あらごめんなさい」
二人のこのやり取りを聞くと、心配は無いと心の中で安心してきた。
「あはは」
「そういえばサンちゃん、夏はどうするんだ?」
「夏?」
「夏休み、なんかせんのか?」
爺さんの質問に俺は言葉を詰まらせてしまった。
「特に予定は無いけど……」
「なんじゃつまらん」
つまらんって何だ。爺さんになにが分かると言うのだ。
「爺さん」
爺さんのことを軽く諌めるように、ばあちゃんは爺さんに話しかけている。
「いやしかし、今日日若いもんがそれじゃいかんだろ」
爺さんが同意を求めてきた。ここはそうだな……笑ってごまかそう。あはははは
「彼女はおらんのか?」
いたら自慢するわ。
「ごめんね、サンちゃん」
ばあちゃんがズバズバと俺に言葉のナイフを突き刺している爺さんに代わり、謝ってきた。いいんですよ。慣れてますから。
家でもよく突っ込まれるため、平気平気
「はあ死ぬまでに、サンちゃんの子供、見たいのう」
爺さんちょっと残念そうだ。しかし、見るのは無理だと思うぞ。
「彼女出来たら楽しいのかなあ」
無意識にか、俺は二人に呟いていた。
「そりゃ楽しいに決まってる」
最初に発言したのは爺さんだ。
「いいか、人生一人では生きられん。生きていると思っても、気付かぬうちに誰かに支えられているもんよ」
「爺さん?」
「辛い時は半分、楽しい時は二倍、それが夫婦、好きあうものって言う奴だよ」
なんか深いな。覚えておこう。
だが爺さんの忠告は忠告で終わるだろう。なぜなら俺は最初からあきらめ、なにも行動をしようとしないからだ。それはつまり、今まで通りの何もない人生を歩むことに他ならない。今の自分を変えるのは怖いからだ。
「あっ!」
ぼーっとしていたせいだろう。木のつるにあしをひっかけ、盛大な音を出し転んでしまった。
「サンちゃん大丈夫?」
「あーあ、制服泥んこだな。ま、男だし平気だろ」
ばあちゃんは俺の心配、爺さんは俺の服を心配していた。ある意味バランスのよい心配の仕方だ。やはり夫婦だな。口に入った木の葉を吐きだし、転んだ原因でもある足元を見た。
そこにはむき出しになった木のつるが見えており、顔を上げると、周りの細い杉の木々とは違う、異彩を放った木――大木があった。
「ほら、ついたぞ」
爺さんがその大木の前で足を止め、幹を懐かしそうに撫でている。神木のような神々しさはあれど、御幣は巻かれていない。幹は太く、年輪は他の木々と比べ物にならないほどありそうな、年季を感じさせる木だ。葉も生い茂り、風を受けると枝分かれした部分の葉がひらひらと落ちてくる。――ばあちゃんが言っていた木と言うのはコレなのか。
「懐かしいねえ」
ばあちゃんも幹に頭を優しく当て、爺さん同様幹を優しくなでながら、そんなことを呟いていた。
「前来たのはいつ?」
「さあねえ」
さあねえって……おい。
「これにすんの?」
何度見てもしめ縄のようなものも、御幣もない、ただの大木にしか見えないんだけど……そりゃあ周りの木よりはデカいし威圧感はあるけどさ。
「おうとも。こいつに願えば、何でも叶うさ」
答えたのは爺さんだ。
「爺さんもしたことあんの?」
俺は気になっていたので聞いてみた。すると爺さんは嬉しそうに「聞くか、聞いちゃうか」と食い気味の反応を見せる。俺はそれをああ知りたいと簡潔に告げ、願掛けしたかどうかを聞いてみた。
「したとも。そのおかげで、ここに来てから婆さんと出会ったんだからな」
わははと豪快に笑い、むせる爺さん。おいおい、それは偶然って言うんじゃないのか??問いかけに爺さんは小首を傾げ、無精に伸びたひげを触りながら、よく聞こえんとボケたふりをしている。
「なんか怪しいな、ますます信じられん」
「なにおう、年寄りをバカにする気か?」
俺の態度のせいか、爺さんが怒っている。と言っても本気ではない。じゃれ合うように怒ったふりをしている様子だ。
「ま、サンちゃんもお願いしてみな?ね?」
「ばあちゃんが言うなら……」
「わしは無視か。悲しいのう悲しいのう……」
泣いたふりをしても同情はせんぞ、爺さん。爺さんを無視した俺はばあちゃんに願掛けの方法を聞くことにした。何分この年で神社でまともにお参りをしたことが無いため、やり方がわからない。適当にパンパン手を叩けばいいのか?
「形は気にしないで。大事なのは気持ち、心よ」
「心?」
「そう、心」
ばあちゃんは先ほどまでの暢気な口調ではなく、ゆっくりだが、どこか含蓄のあるような口調でしゃべり始めた。
「この木はね、サンちゃんが本当に欲しがっている物、叶えたいものを叶える手伝いをしてくれるのよ」
「手伝い?」
「そうよ。きっと、サンちゃんの力になってくれるはずよ」
あくまで手伝いってわけか。漫画の様に、ある日いきなり秘められた力が――とかにはならないわけね。
「手伝いってどんなこと?」
「それが、私たちもよくわからないのよ」
「よくわからない?」
人に勧めている癖に、わからないというのか……なんて抽象的な願掛けだろう、らしいちゃあらしいが。
「ああでも、効果は保証するわよ。何かお願いごと、してみたら?」
ばあちゃんがそう言うので、とりあえずなにか願ってみるか。なににするか……俺の悩んでいる姿を察したのかばあちゃんがアドバイスをしてくれた。
「願い事は、口に出さなくてもいいのよ?心で強く願えばいいの」
「男なら元気よく声に出さんか!」
……爺さんは無視しよう。今の若者にそんな元気は無い。特に俺はなおさらだ。
悩みは確かにある。それに眉唾とはいえ、ココに行けば願いが叶うとは心の片隅で小さく思ったりもした。知り合いのばあちゃんから願掛けに行こうと誘われついて行った先は私有地の山。
効果があるとは言うも野の、本当かどうか怪しいと思った俺は、軽い気持ちで今思っていることを願うことにした。俯いていた顔を大木を見上げるように上げると、爺さんとばあちゃんが決まったのかいと喜んだ素振りを見せている。
「よし!」
「決めたのかい?」
「ああ」
――これにしよう。
(一人ぼっちな平凡な毎日ではなく、友達、彼女、楽しい毎日を過ごしたい。俺の名前の様に――)
俺は心の中で軽い気持ちで願っていたつもりが、いつの間にか力強く木に願掛けをしてしまっていた。