scene1
病院で目を覚ました僕は一週間ほど様子をみて、その翌日には退院した。というのも、僕の体に一つ、大きな問題があったからだ
僕は記憶をなくしてしまったらしい。知り合いの顔はもちろん、自分の齢や過去を何一つ思い出すことができなかったのだから
そのことについて担当医のおっさんに相談してみたところ、『治療には長い時間がかかる。とりあえず、キミの怪我は完治してるから退院ね』だとか、だいたいそんな感じのことを言われた
「ハル?」
「ん?」
そして、衣類やら貴重品やらが入ったボストンバッグを持ってバスに揺られているのが、今
病院の中では気付かなかったが、今は初夏。7月の頭だった
暑かっただろうに、レオはあれから毎日見舞いに来てくれた。その間に彼女は僕を『ハル』と呼ぶようになったし、僕の方から彼女に話しかけることもできるようになった。まだぎこちないのは認めるけどね
僕は聞き役の方が好きらしい
「夕飯、何がいい?病院食よりはマシな代物を出せるわ。どうやったらあんな味にできるのよ」
「経費削減のための、致し方ない犠牲ってやつでしょ。で、夕飯?何でもいい」
「出た、『何でもいい』。作る側はそれが一番困るの、それで作ってまずいって残されるのが一番腹立つの。覚えておいて」
「わかった、悪かったよ。あー……蕎麦、これでいい?」
「私としては洋食がいいんだけど」
「おい」
「じゃ、パスタね。麺類だし、まあいいでしょ?」
「はいはい……」
解せぬ
「で、ハル。家の最寄は次のバス停ね」
「え?と、白妙神社前、だな。あ、あれ?ここ病院からいくつだ?」
「もう……」
レオが露骨に呆れ顔になる。
「ハルの将来が心配になるわ」
「……悪うございました」
* * *
小奇麗なマンションの5階に、僕の家はあった
もっとも僕はレオに先導してもらってついていっただけなので、 気分は『久々の帰宅』ではなく『初めて友人の家に遊びに行く』の方が近い
「ここがハルの部屋ね。掃除はしたけどいじってないから」
「はいよ、りょーかい」
自分の部屋(多分)なのだが、記憶をなくしたことで客観的になった目線で見てみると、えらく殺風景だった。
ノートパソコンが載った机とキャスター付きの椅子、あとベッド。以上
入院中に体を動かしていなかったからだろう、疲れた
荷物を床に投げ出し、ベッドに倒れこむ
「はぁ……」
横になったベッドは不思議と体に馴染んだ。
何も思い出せないが、確かに僕はこのベッドで寝ていたのだろう。
すぅっ、と意識が遠のいていく
* * *
『私』は、そもそも人に見つかるべきではなかった
『私』が人の手に渡ったから、魔術なんてものが広まってしまったのさ
そういえば、キミはあのことのせいで記憶がないんだったっけ?仕方ないな、じゃあ魔術と、この街についてお話ししようか
何とかの一つ覚えみたいにポンポン高速道路やらマンションやら建て続けた結果、この国は危機的な土地不足に陥ってね。街を横に広げられなくなったお偉いさんは何を考えたと思う?
答えは上に伸ばす、だよ
それが今から50年前のこと
さて、少し話は脇道にそれるよ?なに、まったく関係ない話ではない。まあ聞いてくれ
『私』が人間に見つかったのはちょうどそんな頃だった。いや、10年ほど先だったかな?まあいい
『私』は多少だが霊的なチカラを持っていたんだ
当時の人間は、単純な知的好奇心で『私』のことを解析した。『私』も求めに応じて必要な情報を開示してやったし、研究は順調に進んだ
そして、出来上がったのが魔術。今では一般的に使われている術だね
『人を豊かにする』『不可能を減らす新たな手段』
そんな理想を聞いたんだ。『私』にはよく分からない感情だけれど、叶えてやりたくもなるじゃないか
さあ、話を戻そうか。ええと、土地不足の解決策として、街を上に伸ばすという考えが出てきたってところからだったね
上に伸ばすっていうのは……うん、中々説明が難しいね。そうだな、街そのものが一つの巨大なビルディングだ、とでも言おうか?そう。ビルにはフロアがあって、その上に天井が、そのまた上にフロアがあるだろう?それを街の規模で建設できないか、と考えたのさ
プロジェクトは、結果的に言えば成功したよ。キミが住んでる街が、その完成形だからね
この街の最上階、第1層には政治や司法の中心となる建物が集まっている
第2層には官僚や政治家の住宅や研究施設の多くが収まっているよ
第3層は一般の住宅や学校、商業施設、医療施設などが集まっている。まあ、住民の半分はこの層に住んでいるね。キミがいるのもここだ
そして第4層、最下層には工業施設が多く建てられている
さて、こんな非科学的な巨大建造物を建てるんだ。行き詰らないわけないだろ?
問題点は二ケタじゃあ足りなかったけれど、一番のネックは建物自体の強度だったんだよ
科学技術が進化して高剛性な物質が作れるようになっても、どんなに建築技術が進歩しても、街を積み木みたいに重ねるプロジェクトだ。現実的に考えればうまくいくわけないのさ
ここでようやく二つの話が繋がるよ?そこで人間は魔術に頼ったのさ。
その結果……見事に巨大階層都市『バウム』は完成。それにしてもひどいネーミングだよね。無理に格好つけてドイツ語を使ったようだけど、別に『木』でも『ツリー』でもいいじゃない。ねえ?
さて、と。魔術のおかげでめでたく完成したバウムなんだけど、魔術はこれでお偉いさんにいたく気に入られたのさ。『階層魔術都市』の先駆けとして市民にも魔術の情報が開示され、小学校から魔術の授業が義務化されたりね
でも『私』は気付いたんだ。人間に魔術は扱いきれない
人間の体はそもそも魔術の使用を前提に作られているわけじゃない、ということさ
魔術……いや、魔力は陰と陽に区別される二つの力から成り立っている
人間は陽の魔力は問題なく扱えるんだが、陰の魔力は違った
人間の体に合わなかったその力は、逆に体を汚染していく。始めは何も感じないらしいよ。でも、気付かずに魔術、陰の力も含まれた魔力を使い続けるうちに体内浸食率は音もなく上昇していく
そして、浸食率が60%を超えると……陰の魔力に体を持っていかれる
人間としての体を維持できなくなり、その人は汚染魔力の集合体『ゴースト』になってしまう
自我は崩壊し、二度と元に戻ることはかなわない。恐ろしい話でしょう?
でもね、もっと怖いのは人間なんだよ?彼らはゴーストが出現した時にはそれはもう慌てて対策を講じた。魔術の発動に必要な魔術式に、陰の魔力を切り離すための一節を書き加えたんだよ
その改変魔術式の使用を義務付け、教育機関でも新しい魔術式を教え始めた
ま、確かにこれで『陽』の魔力だけを使った魔術を使うことが出来るようにはなったんだ、け、ど
切り離された陰の魔力は、果たしてどこに行ったでしょうか?
…………答えは、『大気中に垂れ流し』でした
まったく、遠い過去に大気汚染だとか地球温暖化だとかで大騒ぎしたのにまだ懲りないのか、あの生物は。愚かしい行為だとは思わないかい?
おかげで人間のゴースト化の事例は減ったけれど、大気中に放り出された陰の魔力が勝手に結合して、今では月に数回ゴーストが自然発生する始末さ
人間は避難命令を出して、『アンチゴースト』とかいう対ゴースト用の魔術師に鎮圧させているようだが、そんなものは根本的な解決じゃないんだよ
キミもそうは思わないか?
本条ハルキ
* * *
「…………ル。ハル?そんな時間から寝たら夜寝れなくなるよ」
「!」
ゆっさゆっさと体を揺すられて、僕は意識を引き戻された
目を開くと、僕とそっくりな顔が大写しになっていた。そういえば病院で鏡を見た時、自分がかなり女顔だったのにショックを受けたっけ。レオみたいに本当に女だったら違和感も消えるのに
ちなみにオカマ趣味はありません
「レオ……今何時?」
「5時10分ぐらい。ほら、起きたらちゃんとカーテン閉めて」
「はいはい」
病院で目を覚ましてから今まであまり長い時間一緒にいた訳ではないが、年子だと名乗るこの妹がすごく口うるさいことはすぐに分かった
もしや妹ではなく母親か何かじゃないか、と本気で考えたほどだ
まあ、彼女がいなければロクにバスにすら乗れなかったと思うので、少しは感謝してるけれど……
「そういえばハル、寝てる時にブツブツブツブツ寝言いうの止めてよ、マジでキモいからお願い」
前言撤回、この妹うざい
「あ……」
「何?」
「なあレオ。ゴーストって知ってるか?」
寝ている間、ずっと夢を見ていた。内容はほとんど忘れてしまったけど、まるで昔話かなにかのような夢だったのは覚えている
そしてはっきりと印象に残っている『魔術』、そして『ゴースト』という言葉
僕としては適当に会話のきっかけになりそうな話を振っただけで、『はいはいわろすわろす』とかそんな具合にあしらわれるかと思っていたんだが・・・
「っ!?ハル、今……ゴーストって言った?」
「え?……あ……うん」
僕がすっとんきょうな声をあげたせいできょとんとしていたレオの表情が、急に険しいものに変わった。まるで、ゴーストという単語を聞きたくなかったかのように
「…………いや、何でもない。忘れて」
「いやいや、そこで打ち切られると続きが気になって仕方ないんですが」
「……まあ、台風みたいなものよ。やつらが出てきたら、ハルはマンションの人達と一緒に地下のシェルターに避難するの」
「そ、そうなのか?」
レオの意外な反応に、僕も戸惑ってしまう
話が出たついでに後で避難経路を教えてあげるわね、と言い残して、レオはそそくさと部屋を出て行ってしまった
何なのさ、全く
「あ、カーテン閉めないと……」
グダグダしているとまた妹様に口うるさく言われてしまう。やれやれだ
* * *
本条レオはその夜、なかなか寝付くことができなかった。そんな彼女のことなど知らずに、隣の部屋からは大変健やかないびきが聞こえてくる。眠り損ねた彼女からすれば羨ましい限りだ
「ゴースト……」
レオは苦々しい感情と共にその言葉を吐き出した。
あの時はつい取り乱してしまった。まさかハルキが、記憶を失ってもなおその言葉を口にするとは思っていなかったから
(ハル、あなた奴らに殺されかけたのよ。いや……あと少し遅ければ……)
最悪の展開を想像しかけ、レオは頭を振ってそれを追い出した。彼はここにいる。生きて、いる
叶うことならば、このままハルキが記憶を取り戻すことがありませんように。ゴーストもアンチゴーストも関係ない、『人間』本条レオの兄として生き直してほしい
「ハル……」
本条ハルキ
レオを救い、存在意義を与えてくれた、壊れかけの人間
おはこんばんちは、マガヤです
前回のやたら短いプロローグからようやく一歩進めました。ただしストーリーは全然進んでいない
投稿サイトに小説を投稿するのはこのシリーズが初めてでして、拙い表現や不自然な会話などが多々ありますので指摘していただけると幸いです