9月30日
すみません、諸事情により一日遅れました。
次週からは今まで通り月曜日更新しますので、よろしくお願いします。
体育祭の片付けをしながら、すごかったね、と今だ感動が冷めない様子で露は言った。
私たちは赤組だったのだけれど、赤組はめでたく応援優勝、パネル優勝、総合優勝と三冠を取ったのだった。
彼は結局、副団長もリレーも見事成し遂げていた。総合優勝は、彼のおかげで取ったと言ってもいい位だ。
「頑張らないでって、言ったのにな」
「え? 何か言った?」
「いや、なんでもないよ」
フゥと一つため息のように息をついた。
誰かが窓を開けるよ、と言った。
風がびゅうと吹き込んで来る。
「あ、金木犀の匂いがする」
「金木犀って、この甘い匂い?」
「そう。毎年この匂いがしてくるとさ、ああ、秋だなぁって思うんだよね」
「へぇ」
露がスンスンと犬のように鼻を鳴らすので、思わず笑ってしまう。
「あはは、何してるの、露」
「匂いを嗅いでるのー」
「何それ、あはは」
そんな風に笑いながら、私は寂しさを覚えていた。
こうやって、どんどん時間が進んで行ってしまうのだろうか。
一つの季節が来ては去っていく。
そのうち、今こうして笑っていることも、遠い日々として思い出す時が来るのだろうか。
それは、なんだか、悲しい。
彼の方をちらりと見てみた。
きっとその時には、彼も思い出になってしまっているのだろう。
私たちの出会いが偶然の、秋の空に浮く雲のようにぼんやりとしたものであるように、彼との別れもきっと……。
「……嫌だなぁ」
「何、今度のテストの話?」
「え? 違くて」
「——もしかして、あの人のこと?」
「あの人?」
紅の好きな人、と露はなんだか楽しそうに言う。
「いや、だから違うってば」
「じゃあ何さ?」
「何って……」
確かに彼のことではあるのだけど、でも。
「そういうんじゃ無いんだってば……」
「ふぅん?」
「なんだか、その、終わっちゃったなぁって思っただけ」
「あぁ……そうだね」
露は窓枠に腰掛けた。
奇しくもそれは、あの夏の日、彼が立っていたのと同じ場所だった。
「どうする、紅?」
「どうするって?」
「私ら、来年は受験生なんだよ」
「ああ……」
来年の今頃を想像するのは難しかった。
勉強に追われているのかもしれないし、或いは今と同じように、なんだかんだダラダラとしているのかもしれない。
その時、露と同じクラスだといいなぁと思う。
彼も、同じクラスであればいい。
とそこまで考えて、顔に血が上る気がした。
何を考えているんだろうか、私は!
ああもう、露が変なことを言うから、妙に意識してしまったじゃないか!
「百日さん、大丈夫?」
カフェで合流した彼の一言目がこれだった。
「え、へ? な、何が!?」
「なんか今日の朝、ほら片付けしていた時。なんか顔真っ赤だったし、調子悪いのかなって……」
「あー……」
バッチリ見られていたらしい。
恥ずかしくて、思わず机に突っ伏して、そのままダイショウブデス、とボソボソ言った。
「本当に?」
「うん」
なら良いんだけど、と言って彼は本を取りに行った。
私もなんとかズルズル起き上がって、途中だった本を読み進めた。
それは、生まれた時に、ある植物種を飲み込み身体に寄生させて、森の中で生きる種族の物語だった。
エルフのような尖った耳をした少年の表紙が綺麗な、ファンタジー小説だ。
少年はある日、他の、身体に何も寄生させない種族の少女と出会って、自分の種族の特異さを知るのだ。
そして会話するうちにどんどんと彼女に惹かれていく少年だが、少年の種族のものは皆、18になると身体の中の植物が成長して、やがて樹に変わっていく。
そのタイムリミットまで少女といたいと願う少年だけれど、同じ種族の娘と契るように言われ、少女とは会えなくなってしまうのだ。
それでもなんとか少女に会いたい少年は、どんどんと自分が動けなくなっていくのに気づきながら、必死で少女の元へと走る。
けれど最後——少女に会うことなく、少年の身体は一本の樹と化して、森の一部となってしまったのだった。
数年後。少年と会えなくなって以来、彼を探す為に何度も森を訪れていた少女はふと、一本の樹の下で眠ってしまい、一つの夢を見るのだ。
「会いたかった」と彼は言った。
「私もよ」と少女も言った。
「ごめんね、会いにいけなくて」
「今会えたからそれで良いわ」
どこにいたのと少女が聞いても、彼は何にも言わなかった。
ただ一粒の小さな果実を少女の手に握り込ませて、
「大好きだよ」
と彼は言った。
少女が夢から覚めた時、そばには誰もいなかった。
けれど少女の手の中に、彼の恋と愛とを写したような、真っ赤な実だけが残っていた。
パタンと本を閉じる。
この本、『いつかこの身が樹と変わっても』は彼にお勧めされたのだった。
詩のような文章と、童話のような世界が好きだと言っていた。
「いつかこの身が樹と変わっても、ね」
「素敵だよね」
いつの間にか席に戻っていた彼がポツリと言った。
「素敵だね。すごく、素敵」
露と話していたことのせいだろうか。
余計に胸にしみた。
いつかこの身が……何だろう。
私は何に変わるのだろう。
私は、私たちは、一体何に変われるのだろうか。
彼に聞いてみたい気がした。
でも……なんだか、聞いてはいけない気がした。