9月22日
「紅? 聞いてる、紅」
「え、何? 何か言った?」
ぼうっとしてしまっていたらしい、クラスで一番仲のいい露が話しかけてきたのに気づくのが遅れた。
「だから、体育祭どうする?」
「どうするって、何が?」
「競技」
「ああ……」
応援団とか、パネル製作なんかの役割をやるほど、やる気もなければ熱意もない。
百メートル走、障害物リレー、棒倒し、綱引き、騎馬戦。
学年対抗リレーには、彼、造花の方の彼と仲がいいサッカー部の菊池くんが立候補したらしいけど。
「そういえば、笹塚くん」
「え?」
露の口から、唐突に彼の名前が出たので驚いた。
「笹塚くん、副団長やるんだって」
「へ、へぇ、そうなんだ」
「うん、らしいよ。凄いよね」
「ね」
私の声は、不自然に揺れてはいなかっただろうか。
露にとっては恐らく世間話に過ぎないのだろうけど、私にとっては——。
私にとっては?
「またぼうっとしてる」
「……あ、ごめん」
紅ってさ、と露は机に肘をついた。
「笹塚くんのこと好きなの」
「えっ」
「……違うの?」
「違う!」
そういうのじゃなくて、と言ってから、何と言えばいいのか分からなくなった。
「そういうのじゃ、なくて……」
友達? 秘密を共有する仲?
私が言葉を必至で探していると、露は一つ大きく溜息をついた。
「別に、良いけどさ」
「……ごめん」
「競技、適当に選んじゃうよ?」
「うん……あ、リレー以外でお願いします」
「分かってるよ。紅に走らせたりなんかしたら、負けちゃう」
ひどい言い草だけど、その通りだ。
私は足が遅い。だって帰宅部だし、と心の中で言い訳してみる。
……彼は、何の競技に出るのだろうか。
初めて本物の彼と会った時より随分と低くなった気温に季節の移り変わりを感じながら、私はふとそんなことを思った。
「百日さんって、体育祭、何の競技に出るの?」
「え?」
そんな風に彼の方から質問されたのは、いつものブックカフェで一杯のカフェオレを飲み終わった時だった。
「だから体育祭、何やるの」
私が質問を聞き逃したと思ったのだろう、彼はもう一度繰り返した。
本当は聞き逃したのではなくて、単に学校の話題を出してくる彼が意外だったのだけど。
「えっと。……分かんないや」
「分からないの?」
彼は少し驚いた様に言った。
何だか恥ずかしくて頬をかく。
「露が——露、知ってる?」
「うん、月野さんだよね」
「そう。その露、月野さんに決めてもらっちゃった」
えへへと笑えば、そうなんだ、と彼は呟く様に言った。
「僕もね、菊池に決められちゃって」
「あ、学年対抗リレー?」
「それもだけど、応援団」
応援団? と首を傾げれば、そう、と彼は溜息をついた。
「副団長になったって聞いたけど」
「本当はね、菊池がなるはずだったんだけど、面倒だって押し付けられちゃって」
そこでようやく分かった。彼は愚痴を言おうとしているのだ。
珍しい、初めて聞いた。
と言っても、彼と出会ってそんなにも経っていないのだけど。
「副団長、嫌なんだ?」
「嫌とまでは言わないけどさ。ただ——」
「ただ?」
「パネル製作をやりたかったんだ、本当は」
彼は、どうしようもない、と言いたげに首を振った。
造花の彼はきっと、そんなことを口に出せないのだろう。
そこまでして、“造る”理由を私は知らないけれど、それでも私が今思ったのは、
「その方が、よく似合ってるのにね」
「え?」
「パネル製作の方が、ずっと笹塚くんらしいのに」
彼はびっくりした様に目を見開いて——
「ありがとう」
と言った。
「何が?」
「いや、別にね。ちょっと嬉しかった」
「似合ってるっていうのが?」
「うん。だって普通はさ、僕には似合わないって」
だから、隠すのだろうか。
何故かなんて、聞く気は無いけども。
「明日から——」
「うん?」
「明日からは、なかなかここに来れないかも、しれない」
「え」
「応援団の練習と、リレーの特訓と」
「ああ……うん」
寂しい、と思うけど、言わない。
「……頑張って、ね」
「うん、頑張るよ」
望んだ役と違っても、きっと彼は本気でやるんだろうな。
本気でやって、内心で——苦しむ、のだろうか。
そう思うと、途端に彼の笑みが痛ましいものに見えた。
「やっぱり、頑張らないで」
「え、何、それ」
「だって……」
私は、上手く笑えた、だろうか。
彼に痛みを抱かせない様に。
「花は、水をくれる人が要るでしょ?」
彼と私の関係はきっと、好きとか嫌いとか、そんな甘くて単純なものじゃあないけども——もっと綺麗で、純粋なものであれば良いなと、そう思う。
「……それって、口説き文句みたい」
「ち、違う!」