超人の住まう館
「ここか……」
地図を頼りに車を走らせる事、一時間。民間人の個人宅にしては仰々しい警備を抜け、ようやく辿り着いた先は、町外れにある大きな洋館だった。古びた煉瓦や漆黒の門扉が重厚な印象を与えており、この屋敷の主の品格を現しているようである。
「えーっと……これ、勝手に入って」
「良い訳ないだろ」
初めて見る大きな屋敷に、端本は大いに戸惑ったようだ。無理も無い。彼にとってはこれが、刑事として初めての捜査なのだから。すると、突然内側からぎぎぎという重苦しい音が聞こえた。
「どちら様でしょうか?」
現れたのはスーツ姿の、四十代と思しき男だった。白髪交じりの長髪を後ろで一つにくくっており、いかにも執事といった様な風貌をしている。いや、見た目だけで判断するのは良くないかもしれない。仮にそうだったとしても、インターホンがあるようだから、わざわざ出向く必要も無いだろうし。まぁ何にせよ、そちらからおいでいただけたのなら都合が良い。俺は胸のポケットから警察手帳を取り出し、代表して名乗った。
「県警から参りました、成田と申します。富箸西警察署にご相談があった件で参りました」
「それはそれは、遠路遥々ご苦労様でした。どうぞ」
こうして、物々しい雰囲気の割には存外あっさりと、我々はこの館に入れる事となった。重々しく閉められていく門を後ろに、俺はどうしてこの洋館に来る事になったのかを考えていた。
今朝届いたという、予告状の事を。
*
『殺人予告う?』
俺、成田賢吾がその話を係長から聞いたのは、毎日行われる早朝会議の後だった。
「そんなしかめっ面するなよ。俺だって半信半疑なんだから」
なんでも、とある有名な資産家の元に、殺人をほのめかす内容の文書が送りつけられたそうな。何かあってからでは遅いからと、顔馴染である係長に相談をもちかけたのだという。どうでも良いが、この人の人脈ってどうなっているんだろう……。
「これが、そのコピーだ」
だがそんな事を詮索していても仕方ない。気持ちを切り替え、俺は目の前で起こりかけている事件に集中する。係長が手渡したのは新聞紙の切り抜きで作られた、よくある典型的な予告状だった。ただ一つ、違う点があるとすれば。
【人を超えるは神への冒涜。愚かな人間よ、今すぐその企みを中止せよ。我は裁きを下すものなり。代弁者】
「なんすか、これ」
その内容が読み取れない事だろうか。“その企み”に代表されるように、抽象的な表現が多すぎる。しかしそれが逆に、意味を知る者の恐怖心をあおっているのだろう。
「それが分からんから、お前達を呼んだんじゃないか」
こほん、と咳払いをすると、係長はにやりと口元に笑みを浮かべた。
「名高い丹場家からの相談だ。無下にも出来まい。一応警察としての体面というのがあってだね……」
「はぁ」
「兵藤、成田。それから、端本。行ってきてくれるな?」
「まぁ俺と兵藤さんは良いですけど……。何故端本を?」
端本は昨日配属されたばかりで、刑事のいろはどころか、捜査とは何たるかすら分かっていない。そんな彼を何故、と思ったが、
「だからじゃねえか。新米にはちょうどいいだろ?」
という言葉で納得がいった。この手の脅迫の類は、そのほとんどがただの悪戯である。大きなヤマには発展しないと踏んで、行かせる事にしたのだろう。
「おやっさんの言うとおりだな。それに、行く先は名高い丹場家だ。右も左もわからねぇヒヨッコには、良い社会見学になるだろうよ」
兵藤のあまりの言いように、思わずといった体で顔をしかめる端本。それを察した係長が、流石に可哀相になったからかフォローを入れる。
「おい兵藤。あまりいじめるなよ? お前は新人使いが荒いからな。……まぁ、脅迫状の件に関しては、そういう訳だ。頼んだぞ」
「へーい」
「わかりました」
「はい!」
「じゃあ端本、車回しとけ」
「は、はい!」
そんな訳で、この定年間際の先輩刑事、兵藤と、配属されたばかりの新人刑事、端本と一緒にのこのこやってきたのであった。
*
「どうぞ」
通された先は応接間なのであろう、深い茶の机が革張りの立派なソファに囲まれた広い部屋であった。すでにそこには主人である丹場哲治と思われる、見るからにかくしゃくとした老人と、その他住人達が顔をそろえている。ただ彼ら、家族といった雰囲気ではなかった。複雑な関係性があるのなら、係長から聞いてくれば良かったと後悔する。
「すぐにお茶を……」
「必要ない。こやつらはすぐに帰るだろうからな」
丹場は気を利かせてくれようとした横に控えていた女性を制し、尊大な態度で言う。
「税務署の回し者か? 電話では埒があかんと乗り込んできたわけか。フン、儂も舐められたものよの」
「いえ、我々はそのような者ではありませんよ」
「では、何をしに来たというのだね」
「私がお呼び立て致しました。脅迫状の一件で」
「……弦巻か」
余計な事をしおってとばかりに、ここまで案内してくれた男性を目で威圧した後、それまでと変わらない口調で続ける。どうやら彼にとっては、我々が警察であろうが税務署の者であろうが、一向に関係は無いらしい。
「ふん、脅迫状など日常茶飯事。吐いて捨てるほどあるわ。何故、今回は警察なんぞを呼び立てたかは知らんが……。成程。わざわざ弦巻の戯言に付き合って来た訳かね」
「まぁ、そうなりますね」
俺は相手の機嫌を損ねないように、ほがらかに苦笑して答えた。そして居住まいを正してから、覚えてもらえるとは思わないが、礼儀として身分を名乗る。
「富箸西警察署の成田です」
「同じく、端本です」
「兵藤だ」
「我々も仕事なのでね。少し詳しい状況をお聞かせ願いませんか?」
「弦巻、答えてやれ」
その言い方はまるで、適当にあしらってさっさと帰せ、と言われているような気がした。ここまで邪険にされると、いっそ清々しいものである。
「はい……。申し遅れました。私、哲治先生の弟子の弦巻守と言います。そして、彼らは同じく弟子で、右から順に、麻木弘成、紬創一、玉串志信です」
一方、一応礼儀作法は心得ているのか、彼らは紹介される時に全員お辞儀をした。師があんな感じなので弟子も似るのかと思いきや、そうではないらしい。丁寧な物腰にこちらも態度を改め、聴取の姿勢に入る。
「皆さんお弟子さんなのですね。分かりました」
それぞれ、白衣だったり作務衣だったりと服装はバラバラ、おまけに年齢まで異なるようである。彼らのミッシングリングとは、一体何なのか。気になる所ではあるが、それよりも今は状況を聞くのが先だ。
端本にメモを促し、弟子の名前を書きとめたのを横目で確認してから、俺は話を切り出した。
「では始めに、脅迫状を発見した時の事を」
「はい。発見したのは、そこにいる玉串です。彼は最近弟子になったばかりでして、色々な雑用をこなしつつ修行に励んでいます」
「修行、と言いますと」
「それは話すと長くなりますので、後に致しましょう」
年齢も風貌も違う弟子達。加えて、肝心の内容は話せないときたものだ。やっぱり何かあるな、と予感は確信に変わる。
俺の邪推を知ってか知らずか、弦巻は淡々と話を進める。
「そういう訳で、郵便物を取ってくるのも彼の仕事ですので、その際に郵便受けに入っているそれを最初に見つけたのです」
「何かいつもと違う点などはありましたか?」
「いえ。普段と同じように、新聞と共に入っていたとの事です」
「新聞より下にありましたか? それとも上に乗っていましたか?」
「そこまでは覚えていないでしょう。何せ、内容が内容でしたから。そちらに気を取られてしまっていますよ」
どうやら、この場では弦巻しか喋らない事になっているようだ。俺がわざわざ玉串という青年に目線を送っているにも関わらずこれだから、取り決めがすでになされていたのだろう。しかしそうなると、彼は何故俺達を呼んだのか。気にはかかったが、今細かい事に捕らわれていれば何か重要な事を聞き落とすかもしれないと考え、その疑念はとりあえず頭の片隅にしまっておいた。
「そうですか。それで、脅迫状だと気が付いたのは?」
「玉串が中身を検めている時です。先生はこのように立派な方でいらっしゃいますから、郵便物は特に警戒しているのです」
「成程ね。で、皆さんを呼んできて見る事になった、と」
「ええ。そんな所です」
「しかし、よく分からない文章ですね……。この事に心当たりは?」
「ない」
ここで、今までは眠るかのように固く目を閉じ、腕を組んでふんぞり返っていた丹場が、言葉を発した。一言だけではあるが、その場全てを支配するような威圧感がある。
その時、ボーン、ボーンと柱時計がタイミングよく音を奏でた。
「もう良いだろう。帰ってくれ」
「先生、そんな事おっしゃらずに……」
「まぁ勝手にやらせてもらいますよ。我々も仕事なんでね」
「気が済んだら帰ってくれたまえよ」
そして、我々を目に入れる事無く、先程の、使用人と思しき女性に呼びかけた。
「れんげ、彼らを客間にでも案内しておきなさい」
「はい、かしこまりました」
彼女の案内で、俺達は一先ず客間から追い出される事となった。
広い邸内を歩きながら、俺は目の前を歩く女性に意識を向ける。紅れんげ、という名前らしい。先程までは丹場の影になっていてよく見えなかったが、何故今まで気が付かなかったのかというくらい、彼女も強い個性を放っている。肩口で切りそろえられた黒髪に、緋色の髪飾りが華を添える。茜色の着物も相まって、どこか日本人形を思わせる。しかし、その強烈な印象の割には、どこか暗い、影の薄いイメージを受けるのもまた、事実であった。
「どうぞ、こちらの部屋をご利用ください」
そんな事を考えていると、目的地に到着したようだ。色々聞きたい事もあったのだが、それはまたの機会にしよう。
「ありがとうございます」
「恐縮です」
「室内の物はどうぞご自由にお使い下さい。では、失礼いたします」
こちらが礼を言うと、必要最低限の言葉だけ述べて、彼女は去っていった。
「さーて、どうするかねぇ」
敵地とはいえ、目線の届かない所に来ると大分落ち着くものである。兵藤などは、座れば埋もれてしまいそうなほど柔らかい、革張りのソファに深く腰掛け、靴まで脱いでくつろいでいた。
「はぁー、久々に吸うとうまいなぁ」
しかも煙草まで吸い出す始末である。流石というか、なんというか。
「ちょ、ちょっと兵藤先輩。いくらなんでも煙草は」
「良いじゃねえか、好きに使えって言ってたんだから」
差し詰め、ここは急な来客用のゲストルーム、といったところか。灰皿、マッチ、タオルなどの備品の他にも、小さな冷蔵庫やコーヒーメーカーまで完備されている。豪勢な事だ。まぁ、そう目くじらを立てるほどの問題はあるまい。それに、彼に常識など説いた所で、釈迦に説法だ。
根が真面目なのであろう新入りと、型破りを絵に描いたような先輩のコントを横目で見つつ、気分も安らいだところで、俺は動き出す事にする。
「じゃ、俺はちょっくら、近隣住民に聞き込みに行ってきます」
「では私も」
彼の性格なら当然か。当り前のように同行しようと腰を浮かせた端本を制し、
「いや、お前はここで、兵藤さんと一緒に、丹場さんの周りを見張っていてくれ」
と命令した。今は聞き込みの手順を教えてやれるほど余裕が無いし、それよりもこの何を考えているのか分からない先輩刑事を一人にする訳にはいかなかった。俺もスタンドプレーが目立つと言われているが、そもそも兵藤はペアを組んですらいない。刑事は基本ツーマンセル。だから今回の組み合わせも、おかしいといえばおかしいのだが、係長としては二組送りこんだ気になっているのだろう。
まぁもっとも、彼に単独行動が許されている理由は、まだ知らないのだが。
「あ、そうですよね。はい、分かりました!」
一方、従順な端本は二つ返事で、姿勢は良いままに椅子に座り直した。これはこれで、先行きが不安である。
「俺もかよ」
「どうせ、動く気ないんでしょう?」
「ばれてたか」
「そりゃあ、その格好を見たらね」
そう苦笑しつつ、後でどうせ動くんだろうなぁと思いながら、俺は部屋を、そして屋敷を後にした。
*
賢吾が外に出てから、大体一時間が経った。考えもまとまった事だし、そろそろ良い頃合いだろう。問題は、このひよっこをどうやって撒くかだが……。其方は、考えるよりも前に行動を開始していた。
「さーて、俺はちょっくら散歩に」
「え、ちょ、ちょっとぉ」
「お前は、他の弟子達から話でも聞いてこい」
別命を与えられた事により、端本は一瞬ひるんだ。その隙をついて、俺はするりと猫のように部屋を抜け出す。後ろから何かぎゃんぎゃん喚いていたが、知った事か。
「悪いなぁ、賢吾」
――俺には、後輩の面倒をみる気なんかさらさらないんだよ。
*
「ちょ、ちょっと、兵藤先輩!?」
「じゃあな」
バタン、とドアが荒々しく閉められ、僕は部屋の中に一人取り残された。
「なんていい加減な人なんだ……」
成田先輩が出ていってからしばらくして、今度は兵藤先輩までもがどこかに行ってしまった。全く、僕を何だと思っているのだろう。
――成田先輩はまぁ、仕方ないとして、兵藤先輩のあの態度といったら……。でも、一人部屋の中に取り残されても、する事は無い。仕方が無いので言われた通り、関係者から話を聞く事にしよう。ちょうど先程、成田先輩の見事なまでの事情聴取を見た事だし、大学を首席で卒業した僕なら、問題無いだろう。
そう思い、初めての刑事っぽい仕事に胸を躍らせ、意気揚々と僕は部屋を後にした。
出来るだけ丁寧に書こうと思うと、なかなか筆が進みませんね……。
それでも推理小説好きとして、頑張ってそれっぽいものを書いていこうと思っております。
という訳でこれからの更新ペースは亀のような歩みかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
訂正:当初は紅れんげの髪を赤というように表記してありましたが、都合により黒に変更させていただきます。ややこしくなってしまうかもしれませんが、ご了承ください。彼女の髪は黒です。
(4月22日)