十八話 だから喧嘩の仲裁なんてキャラじゃありません
少しずつ話の中核を担う面子が揃ってきました。
男、夜風歩夢は考えていた。
右頬に残った痛みをひしひしと感じながら考えていた。
自分は今どうしてアスファルトの上で正座をさせられた状態で見ず知らずの少女に説教されているのか、と。
そしてどうしてこうなるに至ったかの経緯を思い出すことにした。
――1.時間を潰す為にベンチで本を読もうとしていた。
――2.いきなり少女が上から降ってきた。
――3.気が付いたら下敷きになっており、たまたま顔の部分に胸が押しつけられていた。
……不可抗力だろ、これ。というかいきなり下敷きにされた挙句有無を言わさず引っ叩かれた自分の方が寧ろ被害者だと思うんだが。
「アンタ聞いてるの!?」
「……いや、聞いてない」
気の強そうなキリリと釣り上った眉毛に刺すような鋭い眼光、長い黒髪は腰の下辺りまで伸ばしている少女。
そんな一見すると『可愛い』というより『格好良い』という表現が似合いそうな彼女の問いに歩夢は馬鹿正直に答えた。
この状況でこれ以上相手にペースを握られては一方的に自分が加害者扱いにされてしまうからだ。
「ハァ!?アンタねぇ、この状況わかってんの!?」
「まぁ、謂れのない罪で一方的に説教されてる自分が可哀想だって事くらいなら理解してるつもりだけど」
さらっと歩夢が言ってのけると少女の顔が少し引きつり、その表情が徐々に強張っていく。
何だか頭の血管が切れるような音がこっちにまで聞こえてきそうな勢いだ。
「いい度胸してるじゃない、アンタ。度胸があるのは嫌いじゃないけどサンドバックにされる覚悟はあるかしら?」
「いや、流石に無いよ。それ以前に俺が殴られるような事をした覚えがないし」
「あたしにはあるのよ!!」
少女の右手が握り拳を作りギリギリと音を立てている。
あれで殴られたらきっと凄く痛いだろうな~、等と他人事のように考えていると躊躇なくその拳が振り下ろされた。
――え、マジで?女の子がグーパンチ?
正直なところ、高を括っていたかも知れない。
いくらなんでも女の子が見ず知らずの相手をいきなり本気で殴るわけはない、と。
頭の中は素晴らしいくらい高速回転しているというのに体はそれを回避しようとはしなかった。
否、突然の事に体が反応出来ていないのだ。
――まぁ、殴られて解決するならそれはそれで仕方ないのかな。
拳が眼前に迫る。せめてもの抵抗として、歩夢は反射的に目を瞑った。
「……」
静寂。
ここが屋外だとは思えない程の静寂。
「……?」
いつまで経っても襲って来ない衝撃を不思議に思い、歩夢は瞑っていた目をそっと開けた。
「主に、何を為さるお積りですか……?」
そこには振り下ろそうとされていた腕を片手で掴んで止めているシエルの姿があった。
「な、何よアンタ!」
「質問しているのは私です。私の主に……何をしようとしていたのかと聞いているんです……!」
思わず歩夢も怯んでしまう程、静かな口調とは裏腹に怒気を孕んだ声。
以前メア相手に見せたそれとは明らかに違う、純粋な『敵意』だった。
「待って、お姉ちゃん」
「メア?」
声がした方を振り向くといつの間にかそこにはメアの姿があった。
シエルを止めようとしたのか、と最初は思ったが違った。歩夢に近づき、その右頬を少し冷たくなった左手でそっと撫でる。
次の瞬間にはいつもの愛らしい彼女の目も敵意のそれに取って代わっていた。
「……この女、もうお兄ちゃんに手を出してる」
「なら……もう確認の必要はないわね」
その呟きと共にシエルの目が据わった。
――ヤバい。何だかわからないけどこのまま放っておいたら凄くヤバい気がする。
「どこのどなたかは存じませんが……主に危害を加えたのであれば……」
「ぐ……!」
シエルが掴む力を強くしたのだろう。少女がその顔を一瞬苦痛に歪め、その手を振り払った。
このままでは女の子同士の暴力沙汰に発展しかねない。
そんなものは歩夢にしてみれば不本意だった。
「貴女を私達の敵と見なします」
「右に同じ」
「……ッ!」
――またこの展開かよ……
止めに入ろうと歩夢が立ち上がろうとした時だった。
「お~、歩夢!何やってんだこんなところで正座なんかして!」
場違いなほど軽快な男の声が響いた。
190は軽く超えているであろう巨躯に無精ひげを生やした男。
それはその場にいる全員が良く知る人物だった。
「父さん!?」と、歩夢。
「おじ様!?」と、シエル。
「おじちゃん!?」とメア。
「学園長!?」と少女。
先ほどまでの緊張感はこの男の出現によって崩壊したのであった。
あくまで歩夢は母親似。
なので小柄ということで。
楠葉でした。