第11話
「本当にそれだけか?」
薄い瞳が、真っ直ぐこちらを見る。
逃げ場のない視線だった。
ローゼは喉を詰まらせる。
本当は違う。
あなたは、恩人だから。
あなたに、憧れていたから。
あなたの、苦しそうな顔を見たくないから。
そして何より。
――もう、自分が死にたくないから。
けれど、それは言えない。
「……手、繋いでいいですか。
暗いですし、はぐれないように」
絞り出すみたいに答える。
アルシオンはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと視線を逸らし、ローゼの手を引いた。
「……お前は、本心を隠しているな。
王族としていろんな貴族を見てきたから、わかる。」
「…!」
「だが、目を瞑ろう。
…不思議と、お前が近くにいると症状が和らぐ。
今の俺には、お前が必要だ。」
普段のローゼならそのセリフにときめいているところだったが、さっきのカシアンの言葉引っかかった。
(……身分の差なんて、そんなの、わかっているわ。
だから私だって本気じゃない。)
食料庫は、中庭から伸びる西棟の地下にあった。
石造りの階段を降りるたび、空気が冷たくなる。
薄暗い。
湿った匂いがする。
ローゼはランタンを持ちながら、そっと周囲を見回した。
「……意外と地味ですね」
「元々、研究員用の備蓄庫だ。無駄に派手なことに税金は使えん。」
アルシオンが扉へ手をかける。
重たい音を立て、扉が開いた。
中には大量の保存食が並んでいた。
干し肉。
乾パン。
瓶詰め。
思ったより種類や数も多い。
「……よかった」
ローゼは小さく息を吐く。
「これなら、しばらくは持ちそうです
カシアン様の栄養になるものも探して、みなさんにもふるまわないと」
私のように中途半端な貴族がふつう、身分の高い人たちへ料理を振る舞うことなんてないが、こんな状況だとそうも言ってられない。
その時だった。
――ガガ。
妙な音がした。
ローゼが顔を上げる。
部屋の奥。
棚の影。
そこに、“誰か”が立っていた気がした。
「っ……!」
ランタンの火が揺れる。
だが、次の瞬間には何もいない。
「どうした」
アルシオンの声。
ローゼは息を呑む。
見間違い?
いや。
違う。
今、確かに。
“赤い目”が、こちらを見ていた。
ローゼの喉がひゅっと鳴った。
“いた”。
棚の奥。
積み上がった木箱の隙間。
暗闇の中に、赤い目だけが浮かんでいる。
フードを深く被った人影だった。
顔は見えない。
男か女かも分からない。
けれど。
じっと。
こちらを見ている。
「……先輩」
掠れた声で呼ぶ。
アルシオンがすぐにローゼの視線を追った。
その瞬間。
――ガタンッ!!
奥の棚が激しく揺れた。
瓶が落ち、床へ砕け散る。
地下室へ乾いた破裂音が響いた。
「下がれ」
低い声と同時に、アルシオンがローゼを背後へ引く。
赤い目が動いた。
次の瞬間。
フードの人物が、信じられない速度でこちらへ駆けてくる。
「っ……!」
ローゼは息を呑んだ。
速い。
人間とは思えない。
…いや、人間のように見えるが、本当に人間ではないのかもしれない。
アルシオンが近くの棚を蹴り飛ばす。
重い棚が倒れ込み、通路を塞ぐ。
轟音。
だが。
その影は、床を滑るように避けた。
ランタンの火が激しく揺れる。
赤い目だけが、暗闇の中でぎらりと光った。
「走るぞ!」
アルシオンがローゼの手首を掴む。
二人は地下通路を駆け出した。
背後から、硬い靴音が追いかけてくる。
速い。
近い。
ローゼの呼吸が乱れる。
頭の奥へ、嫌な記憶が蘇った。
赤い瞳。
首筋へ食い込む牙。
血。
「っ……」
足がもつれかける。
その瞬間。
「前だけ見ろ」
アルシオンの声。
強く腕を引かれる。
石階段を駆け上がる。
だが、後ろの気配は消えない。
カツ、カツ、カツ――
ゆっくり。
なのに、確実に距離を詰めてくる足音。
ローゼの背筋が震えた。
背中に何かがぶつかる。
「きゃぁぁあ!!」
振り返りかけた瞬間。
アルシオンがローゼの頭を押さえ、自分の胸元へ引き寄せる。
「静かに」
低い声だった。
そのまま廊下を曲がる。
古びた扉が見えた。
アルシオンは迷わず扉を開ける。
「中へ!」
ローゼは転がり込むように室内へ入った。
直後。
――バンッ!!
勢いよく扉が閉まる。
アルシオンが自分の剣をを引き抜き、扉の両ノブに差し込んだ。
鍵代わりだ。
その瞬間。
ドン!!
外側から、激しい衝撃音。
ローゼがびくりと肩を震わせる。
ドン、ドン――!!
扉が揺れた。
木屑がぱらぱら落ちる。
「っ……」
ローゼは反射的に後退る。
狭い部屋だった。
古い資料室らしく、窓はない。
埃を被った本棚と、壊れた机が置かれているだけ。
逃げ場は、ない。
外から、再び鈍い衝撃音が響いた。
ドン!!
ひゅっ、とローゼの呼吸が浅くなる。
怖い。
もし、扉が壊れたら。
もし、あれが入ってきたら。
「……大丈夫だ」
低い声。
気づけば、アルシオンがすぐ近くにいた。
ローゼは自分でも気づかないうちに震えていたらしい。
肩が小刻みに揺れていた。
「っ……すみません」
うまく息ができない。
怖い。
怖い怖い怖い。
また死ぬのではないか。
そんな考えが頭から離れなかった。
その時だった。
ふわり、と身体が引き寄せられる。
「……え」
アルシオンだった。
彼は何も言わず、ローゼを抱き寄せる。
冷たい体温。
けれど、腕だけは驚くほど強かった。
「先、輩……」
「震えている」
短い言葉。
外では、まだ扉を叩く音が続いている。
なのに、不思議と。
アルシオンへ抱き締められた瞬間だけ、少し呼吸が楽になった。
「大丈夫だ」
耳元で、低い声が響く。
「……俺がいる」
【おつとめは もうすこしで はんぶんです】
【くらいよるのなかにも ちいさな あかりが みえはじめました】




