第8話 履歴書
履歴書を書くことには慣れてきた。
名前。
住所。
職歴。
そして、空白。
エデンにいた期間は、更生プログラム受講、と記載している。
隠しても意味がない。
どうせ調べれば出てくる。
だったら、最初から書く。
それが誠実さだと、教えられた。
最初の数社は、書類で落ちた。
理由は分からない。
「慎重に検討した結果」
その定型文が、メールに並ぶ。
次は面接まで進んだ。
小さな物流会社。
面接官は三十代半ばの男性だった。
「エデン、ですか」
履歴書を見つめる目が止まる。
「はい」
「再依存のリスクは?」
「低水準と評価されています」
言い慣れた言葉。
エデンで何度も練習した受け答え。
「なるほど」
それ以上は踏み込まれなかった。
結果は、不採用。
理由は書かれていない。
二社目。
清掃会社。
面接官は女性だった。
「正直に書いてくれたのは評価します」
一瞬、光が差す。
「ただ、現場はチームで動きますので……」
言葉は柔らかい。
だが結論は同じだった。
三社目。
四社目。
五社目。
不採用。
不採用。
不採用。
メールボックスの件名が並ぶ。
件名を開く前に、内容が分かるようになった。
街を歩く。
平日の昼間。
スーツ姿の人々がすれ違う。
自分も同じ服装をしているのに、どこか違う。
面接の帰り道、ガラスに映る自分を見る。
姿勢は真っ直ぐだ。
目も逸らしていない。
それでも、内側に貼られたラベルは消えない。
元喫煙者。
エデン修了者。
その文字が、透けて見えている気がする。
ある企業では、踏み込まれた。
「率直に言ってください」
五十代の面接官が言う。
「本当に、もう吸いたいと思わないのですか?」
「思いません」
即答できた。
嘘ではない。
「では、強いストレスを受けた場合は?」
一瞬、言葉に詰まる。
エデンでは想定訓練を何度もやった。
呼吸法。
思考の整理。
代替行動。
「対処法は学んでいます」
面接官は小さく頷いた。
だがその目は、信じたいではなく、信じ切れない目だった。
結果は、やはり同じ。
夜。
ワンルームの部屋。
静かだ。
テレビはつけていない。
ノートを開く。
今日も吸いたいとは思わなかった。
その一文は、変わらない。
続けて書く。
でも、社会はまだ信じていない。
ペンが止まる。
信じていないのは、社会だけか?
自分はどうだ。
もし今、誰も見ていない場所で、煙が目の前にあったら。
吸わないと言い切れるのか。
「吸わない」
声に出してみる。
部屋に吸い込まれていく。
数週間後。
貯金は減っていく。
家賃の引き落とし通知。
ため息は出ない。
焦りもない。
ただ、静かに重くなる。
エデンでは、常に数値があった。
依存指数。
心拍。
睡眠データ。
今は何も表示されない。
自分の状態が、分からない。
それが、わずかに不安だった。
ある日、ハローワークで担当者に言われた。
「正直に申し上げますと……」
柔らかい前置き。
「エデン修了者という点で、企業側が慎重になるケースはあります」
「差別、ということですか」
思わず聞いてしまう。
「いえ、差別というより……リスク管理ですね」
リスク。
その言葉は、どこまでも便利だ。
感情を排除できる。
誰も悪者にならない。
帰り道。
横断歩道で信号を待つ。
隣に立つ会社員が、スマホを見ている。
画面にはニュース。
《エデン修了者の再犯率30%》
その数字が目に入る。
胸が、わずかにざわつく。
自分は、70の中に入るのか。
それとも30か。
証明する方法はない。
ただ、日々を積み重ねるしかない。
だが、積み重ねても、過去は消えない。
夜。
天井を見上げる。
カメラはない。
赤いランプもない。
それなのに、心のどこかで思う。
もし今、誰かが数値を測ってくれたら。
問題なし、と表示してくれたら。
それだけで、少しは楽になるのだろうか。
自分で自分を評価することは、思ったより難しい。
エデンでは管理されていた。
ここでは、放置されている。
どちらが自由なのか。
分からない。
スマートフォンが震える。
知らない番号。
一瞬迷うが、出ない理由はない。
通話ボタンを押す。
「……はい」
無機質な女性の声。
「こちら、更生指導施設エデンです」
心拍が、わずかに上がる。
「修了者フォローアップの件で、ご連絡いたしました」
部屋は静かだ。
監視カメラはない。
だが、何かが再び、こちらを見始めた気がした。




