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第7話 レジの向こう側

コンビニの仕事には、思ったより早く慣れた。

バーコードを通す音。

レジ袋を開く手の動き。

公共料金の支払い処理。

宅配便の受付。

マニュアルは明確だった。

決められた通りに動けばいい。

そこには過去を問う項目はない。

それが、少し救いだった。


夕方のシフトは、大学生の後輩と一緒になることが多かった。

名前は拓海。

経済学部の二年生だと言っていた。

「陽介さん、レジ速いっすよね」

笑いながら言う。

「エデンで鍛えられたからかな」

冗談めかして言うと、彼は意味が分からない顔をして笑った。

それ以上、踏み込まない。

ちょうどいい距離だった。

休憩時間には、バックヤードで缶コーヒーを飲みながら話す。

講義の愚痴。

就活の不安。

この街の家賃の高さ。

普通の会話。

普通の時間。

俺は、ここにいていいのだと思えた。


問題は、昼間のシフトに入ることが増えてからだった。

パートの女性、皆から「佐藤さん」と呼ばれている。

五十代後半くらいだろうか。

仕事は丁寧で、店長からの信頼も厚い。

ある日の昼休憩。

バックヤードのテレビでニュースが流れていた。

違法喫煙の特集。

画面の隅に、見覚えのある名前。

俺の名前だった。

一瞬で血の気が引く。

数年前の報道映像。

モザイクのかかった店内。

「エデンに送致…」

佐藤さんが小さく声を上げた。

「あら……」

視線が、ゆっくりと俺に向く。

「同姓同名かしら?」

俺は少しだけ間を置いてから答えた。

「……本人です」

沈黙。

テレビの音だけが響く。

「そう、更生されたのよね?」

責める口調ではなかった。

だが、確認する響きだった。

「はい」

それ以上は何も言われなかった。

だが、その日の午後から、

空気はわずかに変わった。


数日後。

レジに立っていると、佐藤さんが常連客に小声で言った。

「今はちゃんとしてるみたいよ」

聞こえないふりをするには、はっきりしすぎた声量だった。

常連客がちらりと俺を見る。

その視線は、敵意ではない。

ただの確認。

危険物ではないかどうかを確かめる目。

胸の奥が、ゆっくりと冷える。


夕方のシフト。

拓海が、どこかぎこちない。

目が合うと、すぐ逸らす。

休憩時間も、スマホを見ている時間が長くなった。

「何かあった?」

思い切って聞く。

「いや、別に」

少し間を置いてから、続ける。

「親が……ちょっと気にしてて」

それだけで十分だった。

親がニュースを見たのだろう。

エデン修了者と一緒のシフトで大丈夫なのか。

そういう類いの心配だ。

「そっか…」

俺はそれ以上聞かなかった。

彼を責める資格はない。


ある夜、レジ締めをしながら、ふと思う。

誰も直接的に何かをしたわけではない。

怒鳴られたこともない。

無視されたわけでもない。

ただ、距離ができただけだ。

ほんの数歩分。

だがその数歩は、埋められない。


帰宅後、ノートを開く。

今日も吸いたいとは思わなかった。

事実だ。

煙の匂いがしても、衝動はない。

依存は、ない。

だが、別の何かが胸に広がっている。

孤独。

社会の隅に置かれた感覚。

エデンでは、24時間監視されていた。

だが、あそこでは必要とされていた。

更生対象として。

ここでは違う。

監視はない。

だが信用もない。


翌朝、店長に声をかけた。

「少し、お時間いいですか」

バックヤード。

蛍光灯の白い光。

「辞めようと思います」

店長は驚いた顔をした。

「何かあった?」

「いえ。自分の問題です」

嘘ではない。

これは、俺の選択だ。

誰かに追い出されたわけではない。

居続けることもできた。

だが、毎日わずかに削られていく感覚に、耐える理由が見つからなかった。

「急で申し訳ありません」

店長はしばらく黙った後、頷いた。

「……分かった」

それだけだった。


最後のシフト。

拓海が小さく言う。

「お世話になりました」

敬語に戻っていた。

「頑張れよ」

それだけ返す。

握手はなかった。

店を出る。

自動ドアが閉まる音。

振り返らない。

夜風は冷たい。

ポケットの中の手は、震えていない。

吸いたいとは思わない。

代わりに、別の思いが浮かぶ。

エデンでは、問題のある人間として扱われた。

ここでは、元問題のある人間として扱われる。

どちらが楽だったのか。

答えは出ない。

街灯の下、自分の影が長く伸びる。

誰もいない。

完全に自由だ。

それなのに……。


少しだけ、あの監視カメラの赤いランプが恋しかった。

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